第64話【お酒は本音を引き出してくれるそうですね】
それなりに夜も更け、良い子跳は寝る頃合い。
俺と卯月は小テーブルにスナック菓子とサッと作ったツマミを並べ、晩酌を始めようとしていた。
休みの日に夜更かしをするだけに飽き足らず、夕食を食べたにも関わらずのガッツリした間食。学生諸君からすれば背徳極まりない悪魔の所業である。
さらに俺は敵を増やす。
20歳未満の摂取を禁ずる注意書きが載せられた、銀色の缶のプルタブを開けると、プシュ! と気持ちの良い音が響いた。耳をすませば缶の中で炭酸が弾ける音も聞こえる。
「ほい。何回も言うようだけど絶対飲むなよ」
「わかってますよー」
このままグビッといきたい衝動を抑え、俺は口の開いた缶を小テーブルを挟んで向かいに座る卯月に預ける。
「それではセンパイッ」
「おう」
彼女は受け取った缶の口を確認し、心の底から喜色いっぱいの笑みを浮かべた。
両手で恭しく銀色の缶を持った後輩に応え、空のグラスを手に取る。透明なグラスはつい先刻まで冷蔵庫に入れていたので、氷なしでも持っているのが辛くなるほど冷たい。
通……というか一般的な居酒屋ではビールは氷を入れずに提供する。
よく
その話を聞いた中学生頃は、このオッサン格好つけてんなくらいしか思ってなかったが、先月
————にっが。
とてもじゃないが口の中で転がして飲むもんじゃない。
それが自分の誕生日にビールを飲んだ感想だった。
一方で口にグラスに付けた口からノンストップで胃に送るつもりで飲んでみると、後から追いかけてくるアルコールの酔いと相まって満足感がある。
故に極力炭酸を薄めないために氷をいれてはいけないのだ。
「お隣失礼しますね」
缶を持った卯月は膝歩きで俺の隣へと寄ってきた。
ザ・テンプレ的なお酌の構図。
注ぎやすいように卯月の方へグラスを寄せる。
「おっとっと……おぉ、注ぐの上手いな。馴れてる人でもこうはならんぞ」
「えへへへ。お褒めに預かり恐悦至極です」
トクトクトクと冷えたグラスに注がれる金色の液体。
最初は勢いよくグラスの底に直撃した傍から白い泡が生まれ、絶妙なタイミングで卯月はそそぎ方を変えてビールを溜めていく。
普通初めてビールを注いだら全く泡を作れないか、あるいは泡ばっかになるのに、卯月のお酌してくれたビールはまるで定規で測ったかのような7対3。ビールにおける黄金比を形成していた。
褒められた卯月は嬉しさを隠しきれないドヤ顔で微笑んでいる。
…………。
数秒、えらく上機嫌な彼女の青み掛かった瞳を見つめ、俺はビールが並々注がれたグラスに唇を付けた。
口内に予想通りの苦みが広がる。青汁のような野菜特有の苦みとは異なった、サラサラしているのに口に残り続ける苦み。
「ビールってそんな苦いんですか? 凄い顔してますよ」
「ぶっちゃけコレを好きな奴の気持ちが理解できないくらいには」
「それだったら別のお酒買えば良かったのに……」
「なんか飲めそうな気がしたんだよ」
まだまだグラスに残っている金色の液体を再度口に含む。
やっぱ
残り1口分ほどあるグラスをテーブルに置き、ツマミのスナック菓子に手を伸ばす。口に直してから次に手に取ったのは封を切っていない炭酸じゅーずのペットボトルだ。
「卯月はこっちな」
「ありがとうございます!」
お返しとばかりに卯月にグラスを出すように促す。
サッと両手で掴んだ俺のと同種のグラスにジュースを注いでやる。炭酸と言えどビールのように泡が残り続けるタイプのジュースじゃないので、絵面はちょっとショボいが、誰も気にすまい。
並々注がれたジュースに卯月は唇を付けようとして――――何を思ったのか、急にグラスを口元から離した。
「飲まないのか?」
「せっかくだから乾杯しましょっ」
「あー……なるほど。悪いな、する前に先に飲んじまって」
そこまで気が回ってなかったと、謝りながら俺も中途半端にビールが余ってるグラスを慌てて持つ。
「乾杯っ」
俺と卯月。
2人だけの大して盛り上がりに欠ける、されど2人故のしっぽりした空気に、金管楽器のようなグラスの音が弾けた。
**********
丁度俺が最初に開けたビールの缶を干した頃だった。
「センパイセンパイ。まだ1本目ですけど酔っちゃいました?」
「んー……まぁ、ほどほどに」
「格好つけてるようですけど、ちょっと返事曖昧になっちゃってますねー」
えらく卯月が上機嫌になっていた。
まるで酒を飲んでいるかのように笑みが増え、気のせいか物理的に距離も近くなってる気がする。そもそも正面にいたのに、何故か隣に陣取ってる。
酒を飲んでるのは俺だけだし、たかがアルコール度数5度前後のビールの匂いなんかで酔うとは考えられない。
何より…………卯月の双眸の奥に、はっきりとした理性的な色が見えた。
「センパイ、またアレ言ってくださいよ」
「アレ?」
何のことだ?
それにまたとは……。皆目見当がつかない。
「そうでした。酔ってるからちゃんと聞いてあげないとですよね」
頭にクッションマークを幾つも浮かべる俺に対して、何やら得心顔の卯月は少し焦らすように、勿体ぶるように言葉を弄ぶと、普通にしていても俺より低い位置にある頭を一層屈め……おそらく上目遣いを意識した体勢で「それじゃあ」と言の葉を紡ぐ。
「センパイはぁ……私のこと、嫌いですか……?」
「いや嫌いじゃないけど?」
いきなり何でそんな質問してきたんだ?
至極真っ当に答えた俺。しかし卯月はまるで期待していた答えと全く違うモノを浴びせられたような、驚嘆と唖然が
数瞬の放心を経てフリーズしていた卯月が、止まっていた時間を取り戻す勢いで捲し立てる。
「い、いやいやいやっ。センパイ、私は“私のこと嫌いですか?”って聞いたんですよ」
「聞こえたよ。だから答えたじゃんか。嫌いじゃないって」
「そうじゃありません!」
ちょっと何言ってるかわかんない。
もしかしたら過去一で卯月とのコミュニケーションに苦戦してるかもしれん。誰か通訳読んでくれ。どっちも日本語話者だけど!
「ですから――――」
と、卯月は同じ質問を繰り返すので俺も全く同じ回答を返すのだが、これじゃ埒が明かない。
いったい何を卯月の狙いは何なんだ……。
「逆に聞くけど、卯月は俺は何て返して欲しいんだよ」
「前にも言ってくれた、私のことが――――あ」
言いかけた途中で卯月の表情に変化があった。
先刻までの何かしらの目的を持ったある種の妄信的なモノから一変、1度全てを俯瞰し、理解したような……バツが悪そうな顔だ。
いや事実何かしらバツが悪いのだろう。
おずおずと地雷原を注視て歩くが如き、弱弱しい声音で卯月が俺に別の問いを投げて来た。
「あの、ぉもしかしてセンパイ…………酔ってません?」
「あんまり」
正直に答える。
俺は今それほど酔っていない。ビールの味が苦手なせいか、アルコールをあんまり感じないんだよな。
「なるほど! そうだったんですね。やだなぁセンパイ、酔ってないならハッキリ言ってくれないとアハハハハハ――――」
「卯月」
「…………」
俺は笑って何かを誤魔化そうとする卯月の肩に手を掛ける。
逃がさねーぞ、と圧を込めて。
「何企んでたのか全部話してくれるんだよな」
**********
事の発端は数週間前。文芸部の新歓の事だと卯月は語りだした。
早々に潰れてしまった俺を卯月が家まで送ってくれたというのは、俺も知っているし、後日学食を奢ってお礼も済ませている。
が、細かい流れまでは話さなかったが、どこかのタイミングで卯月は先刻と一言一句同じ質問をしたんだとか。
それに対する酔っぱらっていた俺の答えが――――。
「“俺は卯月のこと好きだ”……とセンパイは言ってくれました」
以上です、と締めくくった卯月から俺は視線を外し、天井を仰いだ。
スーハ―……。
肺いっぱいに取り入れた酸素を一気に吐き出して気持ちを整理。スッキリした頭にアルコールが沁みるのを感じる。いくら他の酒よりは酔いにくいとは言え、アルコールに弱いのは変わらないんだから当然か。
これ以上酔いが回る前にケリを付けてしまおう。
視線を目の前で正座させている卯月に戻し、
「酔ってる人間の言葉を鵜呑みにするな!」
一喝。
お隣さんの迷惑にならないギリギリのデカさの声で俺は卯月を叱った。……まぁ、お隣さんは目の前のコイツなんだけど。
「高校の保健でも習っただろ、酒は人の
「で、でもでも。お酒の力を借りることで言えることもあるって…………」
「“でも”も“だけど”もない。酒なんかの力が無いと言えない言葉に何の意味があるんだ」
そもそも
卯月の性格上、件のセリフを言わせて“言質”を取った……と、関係を迫ろうと画策していたわけではなさそう。
大方……うん、彼女の名誉のためこれ以上の詮索は止めておく。即物的な欲って案外バレると恥ずいからな。
「でもセンパイが好きって……」
「…………」
縮こまって幼子のようにいじける卯月。
本気で落ち込んでるようで、見てるとなんだか悪いことをした気がしてくる。
実際、彼女が酒を進めて来た時から疑ってしまっていた。酔いにくいビールから飲み始めて、卯月が何を企んでいるのか見定めようと心を1歩離れた位置に置いていたのは否めない。
けど蓋を開けてみたら些細な、ホントに子ども可愛い悪戯みたいなことで……。
まだ酒も食べ物もあって、彼女との晩酌は続く。せっかくならこんな湿っぽいままで楽しくないのは嫌だし、俺も卯月も気分は優れないだろう。
罪滅ぼしも込めて――――。
「卯月が思ってる意味とは違うけど」
と、前置き。
そう。これは身も蓋もない言い方をすればご機嫌取り。彼女が欲しい言葉の皮を被った健全な友人としての気持ち。
だというのに口が重たくて、精一杯の意志力を込めて絞り出す。
「俺はお前のこと好きだぞ」
刹那、顔から火が出そうなほどの羞恥心が胸中を満たした。
こちらを見る卯月はポカンと口を開いている。まさに開いた口が塞がらない状態。
「それって……」
「あくまで友人としてな」
勘違いしないでよね! と直ぐさま釘を刺しておく。
そういう意味かどうか早く答えを出すとは言ったが、昨日の今日ではさすがに無理だから。
そんな俺の内心を卯月はわかっているようで変に食い下がったりせず、ニヤリと口端を若干吊り上げた。
「センパイ…………顔真っ赤ですよ」
「酒弱いもんでな。ビール1本でこの様なんだよ」
それから俺たちは何事もなかったかのように、再び他愛無い話に華を咲かせ、楽しい晩酌を過ごした。
**********
【蛇足】
人によって酔い易いお酒。酔い辛いお酒ってありますからね。
よく聞くのだと、度数の高い日本酒(20%前後)をよく飲む年配の方は5%前後のチューハイで直ぐ酔っちゃう人が多いんだとか。
炭酸とかジュースのような果実系の味が舌に合わないのが原因の1つと言う話も。
【あとがき】
拙作をお読み頂きありがとうございます。
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