第49話【いたしかたない……よな】



 GWも半ばに差し掛かったある日のこと。

 今年の大型連休は中学高校のように家の手伝いに追われることはなく、また1人で寂しく堕落した時間として浪費すわけでもなく、ありがたいことに友人らと天体観測という陽キャぽいことを行った。

 ほどほどに疲れたものの、その疲労すら充足感へと昇華され心地良い。

 腹は膨れ、銭湯に寄ったことで身体もサッパリ。あとは床に就き、深い眠りへと落ちるのみ。

 

 …………とはいかず、俺は隣室に住む後輩の女子——卯月うづき麻衣まいを部屋に招いていた。


 時刻は23時を回っており、常識的に考えて特別な関係でない異性を家に上げるような時間ではない。もしこの現場を第三者に目撃されれば、あらぬ疑いをかけられるだろう。

 だがしかし。

 逆説的に考えればこんな時間に後輩の女子を家に入れなければならない、非常事態が起きているということである。

 例えば――――。


「とりあえず状況を整理しよう。……つっても整理するほどでもないけど。家の鍵、失くしたんだよな?」

「はい……」


 自分の家に入れなくなった少女を一時的に保護している、とか。

 床に敷いたカーペットの上で、ちょこんと正座する卯月。そこには昼間のハツラツさはなく、むしろ目を離せば今にも消えてしまいそうなほど縮こまっていた。


「しっかりバッグの奥に入れてたのに」

「あぁ。俺も見ていたから間違いない、バッグ広げたところもほとんどないよな」


 朝俺の部屋を出た後に卯月が1度自分の部屋に戻り、最後に錠をしていたのは俺も見た。彼女が鍵をバッグに入れる所まで。

 あの時バッグのファスナーも完全に閉じていたはずだから、少なくとも他の連中と合流するまで、鍵を落としそうなタイミングはなかった。


「ぶっちゃけ……だよな」

「…………」


 鍵を失くした。

 いつ、どこで失くしたかは不明。

 あまりに単純な問題故に、どうしようもない現状。

 2人でもう少し今日の出来事を思い返せば、バッグを開いたタイミングくらいは絞れるだろう。けどそれは今然程重要なことではない。ある程度の目星を付けたところで、視界の悪いこのド深夜に人差し指ほどの大きさしかない鍵を探すなんて愚行は論外だ。

 その辺りは明日改めて精査し、交番に紛失届を出しに行くのは言うまでもない。

 ただ今日の俺たちの移動範囲的に一縷の望みでしかないだろうが。


「起きたことはもう仕方ないと割り切ろう」


 もっと優先させなければならない事があるよな? と暗に示すと卯月も「わかってる」と目で伝えてきた。

 鍵を失くした上に、マスターキーを持っている大家さんはGW中は不在。

 ならば大家さんが帰って来るまで、最低でも今夜の卯月の寝床を探さなくてはならない。


「一応聞くけど、ベランダの鍵かけ忘れている可能性は?」

「ありません」

「だよなー……。やっぱ正攻法は諦めた方がいいか」


 なら邪道はどうだ。

 このマンションは2部屋で1つのベランダを使用する形になっている。当然プライバシーの保護のため、部屋同士の間はアクリル板と金具で隔てられているが、卯月の部屋のベランダに行くのはそう難しくない。 

 おもむろに視線がベランダの方へと向かう。窓が鏡のように俺と卯月、部屋の内装を映しているが、俺は眉をひそめ眼力を強める。

 鍵が掛かっているなら、ベランダの窓を割るのはどうだろう。

 たしか養生テープと窓を割る鈍器、それと布かタオルがあれば音を抑えて窓を割ることができると、何かの本で読んだことがある。

 鍵の近くを割って開錠。ベランダから部屋に侵入。玄関の鍵を開ければ、卯月は自室に入ることができる。 


「センパイ……」

「………………却下」

「え?」

「気にしないでくれ。思案するまでもないアホみたいな作戦だよ」


 かなり具体的なところまで夢想し、それが実現可能なレベルなのは知れたが、世間体的にラインを越えている。

 ただでさえ鍵を失くしているのに、そこに部屋入るためにベランダのデカい窓叩き割りました。しかも入居してようやく1ヶ月経とういう卯月新入生が。

 控えめに言って印象最悪だろ。

 既に鍵の紛失による賠償請求の可能性もあるのに、無駄な余罪を重ねる必要はない。


 完全に家に帰るのは諦めて、思考を泊れる場所探しにシフトさせる。

 真っ先に浮かんだのがビジネスホテルビジホだ。

 高校の時に、卯月の口から彼女の家庭は裕福ではないという話を聞いた覚えがある。最近の彼女の様子から好転はしているようだが、それでもお金が有り余ってるわけではないはず。

 けれど、今はそうも言ってられない。

 必要経費と割り切って今日だけでもビジホを利用するべきだ。

 たしか駅前にビジホがあったはず。……ビンゴ!

 スマホの地図アプリからビジホの存在を確認。自身の記憶力の良さにホッとしつつ、宿泊状況を確認し――――クソデカ溜め息が口から漏れた。

 まさかの満室だと……。

 

 クソッ、ならばネカフェはどうだ、と思ったが卯月に進言する前に脳内で案を否定する。

 昨今のネカフェはセキュリティも厳重になっていると聞くが、それでも絶対に安全とは言えない。容姿に優れている上に、女子大生なんていうブランドまで持った卯月がネカフェで夜を明かすなど、肉食獣の群れに生肉を放り投げるようなモノ。

 そんなこと絶対させるわけにはいかない


「卯月の友達で一人暮らししてる子に泊めてもらうのはどうだ」

「それが、友達の家知らなくてですね……」

「マジか」


 まぁ小中学生じゃないんだ。友人と遊ぶのも家でゲームより、カフェで駄弁ったりショッピングに興じるのが普通だしな。おかしな話ではない。


「文芸部で1人暮らししてるのは、柊さんと赤羽根さん……って、クソっ。電話でねぇ」

「お2人とも夕飯にお酒飲んでましたし、もう寝てるんじゃ」


 頼みの綱であった部活の先輩2人への呼び出し音は、やがてツーツー……と虚しい結果を伝えて来た。

 まさか考えた案全てがことごとく失策に終わるなんて……。

 

「大丈夫ですか?」

「なんとか…… 」


 強い敗北感によるダメ出しで、俺もそろそろ限界が近い。

 気落ちしたせいで疲労感がドッと増した。

 だが、ここで疲労感に身を任せるわけにはいかない。沈みかけていた気持ちと頭を奮い立たせるように無理くり上げる。彼女自身のミスとはいえ卯月の方が俺より辛い状況だろ。

 年上として、彼女の知人として、支えてやらねばっ。

 そんな恩着せがましいにも程がある心は、逆に俺を心配そうな瞳で覗いてくる卯月によって一気に毒気が抜かれた。

 自分だって一目で分かるほど憔悴しているのに。普通ならもっと焦って、困惑して、自分の事しか考えられなくなって当然のような状況で。それでもなお、彼女は他者を気に掛けている。

 あぁ……ホント自分が情けない。


 ようやく心を決めた、腰掛けていたベッドから立ち上がる。

 卯月の隣にある小テーブルの足を畳んで部屋の脇へ。続いてクローゼットを開き、下に置いてある収納ボックスを引っ張り出した。

 中に入れてあるのは布団一式。ちょっと小さいが女性が使うなら問題ないだろう。

 俺の一連の行動をただ黙って見ていた卯月の目を真っすぐ見据え、俺は正真正銘最後の提案を口にする。


「もし……もし、卯月が嫌じゃないなら……ウチ、泊まるか?」

「……えっ!?」

「小さいけど来客用の布団あるんだ。春休みに清水が泊まりに来たけど、そのあとちゃんと洗って干してるから大丈夫なはず」

「い、いやいやいやいや、そんなの先輩に申し訳ないですよ!」


 この案は早い段階で思案するまでもなく脳内から抹消していた。

 いくら気の置けない仲であろうと、男の家に泊まるのは卯月も怖いだろうし、逆に危機感が薄まってしまうと彼女の今後にも危惧が生まれてくる。

 なにより弱り切った卯月に、都合よく救いの手を差し出すことが、彼女の心に利用し弱みに付け込んでいるような気がしてならなかった。

 が、そんな自意識過剰な勘違いは甚だしいにもほどがあった。


「お前が他者に頼るのが苦手なことは知ってるつもりだ。高校で生徒会とか部活経験して変わったのかもしんないけど、今でも俺には垢抜ける前の、暗くてぶっきらぼうな卯月が重なって見える」

「そんなことないですよー。というかセンパイ、いきなり何言ってるんです? たしかに鍵を失くしたのは私の所為だから、自分で何とかしなくちゃって思いますけど。センパイの手を煩わせるわけには……そ、それに残りのお休みを実家で過ごせばいいんだけなんですから」

「やっぱ気負い過ぎてたか。つーかその案を言い渋ってた辺り、家族にも迷惑かかると思ってる節あるだろ。第一今からどうやって帰るんだ? さすがに終電過ぎてるぞ」

「うっ……」


 きっと口から出まかせに言ったんだろう。

 卯月が明らかに動揺した様子を見せた。こんな反応を表に出すようになったのは良くも悪くも、変わった部分だな。

 などと評価を下しつつ、彼女が本当に行き詰ってる裏が取れた。

 だからこそ俺も1歩踏み込める。


「他の人に迷惑かけれないって思っても、せめて俺くらいには迷惑かけろ」

「…………っ」


 ……と言えなかったのは、俺の度胸不足。

 けれど意味は大して変わらない。

 俺は卯月の青み掛かった瞳から視線を切らずに言葉を続ける。

 

「そりゃ俺じゃ力になれないこともあるだろうけどさ……。今回に限って言えば俺だって全くの無関係って訳じゃないんだ」


 何も知らなかったならまだしも、既に俺は卯月が現在置かれている状況を知ってしまっている。

 事なかれ主義を自負する俺だって人の血が流れているんだ。知人が困っているなら手を差し伸べたくなる。

 むしろ迷惑だからと、遠慮された方があとで後悔するだろうに。


「卯月、お前には俺がそんなに頼りないように見えるか?」

「い、いえ! いえ……そんなこと……っ」

「なら今度から困ってることは言ってくれよな」

 

 コク……コク……と、何度も頷く卯月の双眸には少しだけ珠の雫が溜まっているように見えた。



**********



【あとがき】


 拙作をお読み頂きありがとうございます。

 面白そう、続きを読んでみたいと思って頂ければ評価応援、感想など頂ければ幸いです。(☆1つでも是非……)

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