第44話【私の願いは――】
陽もすっかり沈みきり、夜の帳が空を覆い尽くした時分。
ネットで調べた流星群の観測可能時間まで残り10数分余りってところ。
俺や野村さんの予想通り、夕方頃から天体観測が目的と思しき人たちもそこそこ増えて来ている。
「お前らゴミとか忘れ物はないな?」
「割り箸とか紙コップしっかり回収しました」
「忘れ物チェックも大丈夫だよ」
「ありませーん」
野村さんの確認に各々返事をする。
ルールは守る。他者に迷惑をかけない。使った場所は綺麗にしてから去る。
当たり前のことだが、これくらいのことは大学生として守らなければならい。それに変なことして大学にクレームが届こうものなら、サークル存続の危機にもなりうる。
まぁ、そもそもルールから逸脱して身勝手に楽しむと、後から後ろめたさが憑いて回るからな。
「わぁ……センパイ見てください。星、沢山見えますよ」
「あぁ。空気が澄んでると星が綺麗っていうが、ここまで変わるもんなんだな」
卯月の言葉に促され夜空を仰ぎ見ると、純黒の空に白、あるいは青白い光の粒が爛々と輝いていた。
都会だと1等星すら見辛く、都会寄りの田舎である大学近くでも、まぁ真っ暗ではないくらい。そんな大して星に関心があった人生を歩んできたわけじゃないから、今俺たちが目にしている星々がいったい何等星まで見えているかなどは当然知らない。
「あっちにある星、明るいな。1等星か」
「え、どれです?」
「向こうの山のテッペンから真上にある3つ」
「あー、アレですね。夏の大三角なんじゃないですか」
「まだ5月だぞ。もうそんなの見えるのか?」
「さぁ? 私高校で地学
「当てずっぽかよ」
なんて軽口の応酬を交わしながら、俺は卯月と何も敷いていない芝生の上に腰掛ける。
ちょっとだけ視線を空から地上に戻せば、他の連中の姿があった。
野村さんと五十嵐さんは、さっき山頂の入り口に唯一あった自販機で飲み物を買ってくると言っていた。
少し離れたところでは清水が3回生の3人に記念写真を撮らされている。
弁当を食べた地点から動いていない俺たちは、目印としてここにいた方が良さそうだ。
「――――あ!」
と、隣に座る卯月の口から一際大きな声が出た。
ほぼ同時に平野の彼方此方で同じような驚きの声が上がる。
「見えましたよ! 流れ星!」
「ど、どこ!?」
「丁度、私たちの真上です」
さっきと立場が逆転。
年甲斐もなく必死で空へと向けた視線を右往左往させる俺に、卯月はこの夜空においても透き通るような白い指で、方角を示してくれる。
「…………………ぁ、アレか」
卯月が指し示してくれた場所を睨みつけること数十秒。
幾つもの星が浮かぶ広大な黒のキャンパスに、一筋の白い光が瞬いた。
見えた。
そう認識した時には既に流れ星は視界の外へと消え失せ、また別の光の矢が軌跡を描く。
1つ1つの光芒は短く儚い。まさに一瞬の煌めき。
しかしそれが次々と行きつく暇もなく押し寄せ、次第に俺は考えるのを止めた。
人間処理しきれない情報を詰め込まれると何もできなくなる、なんてのを何かの本で読んだことあるが、こういうことなんだろう。そんなことを思ったのは後の祭り。
今はただ、誰も彼もが星を泳ぐ輝きに魅入られた。
**********
「もう終わった……か」
気づけば流星群は止んでいて、呆けた頭で思ったことが口からつい出た。
「凄かったですね。うーん……! 首が痛い」
「真上向きっぱなしだったもんな」
興奮と感動が胸の内を占め、俺も卯月もお互い口元が笑みを象っている。
きっと俺たちのような流行りに乗って見に来たミーハーなんかではなく、本当に星が好きな人からすれば今日の流星群は然程凄いものではないのかもしれない。場所や機材だって揃えれば、もっと良い状態で観測できたことだろう。
だけど俺はそれを微塵も惜しくも残念にも思わなかった。
照れ臭い……いや、絶対からかわれるから口にしないが、文芸部の連中や卯月とここに来れた思い出がそう思わせてるんだろうな。
「当たると良いですね」
「当たる……? 何が?」
「ガチャですよ。ガチャ」
「…………あ、ああ」
そういえば山頂までの道中で話してたな。
俺の流れ星への願いはソシャゲのガチャ運向上。
もちろん忘れていた。初めて生で見る流星群に圧倒されたのだが、よくよく考えてみればあの一瞬の煌めきの内に3回願うとか無理難題にも程がある。1回でも不可能だろ。
と、そこで……というより話の成り行きで、頭の片隅にあった疑問をごく自然と口にしてしまった。
「そういえば卯月は何願ったんだ?」
やっべ。
やっちまった。そう思った時には既に俺の口から出た声は言葉となり、意味を成して彼女の耳に届く。
「私のお願い……ですか?」
確認するように卯月は俺に問うてくるが、別に俺への反応を待っている素振りもなく、そう待たずして答えてくれるだろう。
その答えを想像すると心臓が早鐘を打ち、同時にそんな想像をする自分自身への嫌悪感が高まる。
この4月から、否。去年の3月。俺が高校を卒業した日から卯月は
彼女の願いは――――。
「――――――センパイとお付き合いしたい」
ドクン!
早鐘を刻む鼓動が落雷の如き一際大きな音を鳴らした。
真っすぐ夜空に浮かぶ星にも負けないくらい輝きを放つ、青み掛かった双眸が俺を射抜く。
無言のカリスマとでもいうべき圧倒的な光に目を離すどころか奪われてしまう。
それだけ卯月は本気で俺の事を想ってくれて――――。
「ではなく、怪我や病気をせず楽しく暮らせますようにってお願いしました」
「……………………は?」
先刻までの真剣な眼差しはどこへやら。破顔一笑、人懐っこい笑みを浮かべた卯月と裏腹に俺の顔は実に呆けていることだろうに。
え、なに? 卯月が本当に願ったのは、いわゆる無病息災。
でも最初にわざわざ嘘を言ったってことは……つまり俺、からかわれた?
え、なに? やばい。自意識過剰で顔が熱いし何か泣きそう。なんなら死にたい。
彼女が目の輪郭をふにゃりと柔らかく曲げたことで、俺の視線も行き場を失う。定まらない焦点が再び引き寄せられたのは……3度表情を変えた卯月だった。
「だって本当に欲しいモノは自分の力で手に入れたいですから」
「手に入れたいモノ……」
「はい。センパイとお付き合いしたいというお願いは、神様でもお星様でもなく、私自身の力で叶えたいんです」
自分の願いは他の何かのお陰で叶っては意味がないと、彼女は断言する。
その考えは奇しくも俺の卯月に対する想いと同じだった。
卯月が寄せてくれる好意に刹那的な劣情で応えてはいけない。俺が真に彼女のことをどう思っているのか向き合うのだ……と。
先とは異なる羞恥心で赤くなった顔を、隣で微笑む後輩の少女から夜空が隠してくれていることを願うばかりだ。
**********
【あとがき】
拙作をお読み頂きありがとうございます。
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