第36話【本当に申し訳ない】
――――――――ゴン!
「本っ当に申し訳ない!」
家に帰った俺は、リビングへの招き入れた卯月にさっそく土下座した。
真下の部屋に住む人の迷惑になるなど百も承知。鈍い音が床にぶつけた額から鳴る。何気に人生初のガチ土下座だったりする。
ところで……何で土下座したかって? そんなの決まってんだろ。
「卯月のために開いた場だったのに醜態を晒し、あげくお前に対して粗相をしでかしてスマン!」
酒に酔っただらしない姿。
しかもセクハラのラインをぶっちぎりで逸脱した行為。
冗談はさておき、俺がしでかしたことはタダでは済まない。
あの時の俺は客観的に見ても、新入生……それも女子からしたら恐怖でしかないことだったのだから。
「そ、そんな謝らいで下さい。私は全然気にしてませんから」
「俺の気が済まないだ」
少なからず他にも理由があるが、卯月は優しいから許してくれているのであって、それに甘えてはいけないのだ。
「もし今回ので俺自身がしっかりと反省出来てなかったら、俺はまた酒の場でヤらかしてしまう。卯月が許してくれても、他の人だったら許すわけがないだろ」
「たしかに私も他の人に……だったら許してませんけど……」
ほら、卯月だってそうじゃないか。
クソみたいな言い方だが、今回は運が良かっただけ。相手が俺と少なからず親交やワケがある卯月だから許してくれるのであって、一般的に考えたら満場一致でアウトでしかない。
「でもですねセンパイ」
と、頭上から降って来ていた卯月の声が近くなった。
床に擦りつけた額を僅かに上げると前方に小さな影と、彼女が履いていた黒のパンツの裾が見える。
しかし彼女に対して合わせる顔がない俺は、それ以上頭を上げるような真似はしない。
床を一身に見つめて続く言葉を待つ。
「私的にはむしろ嬉しかったんですよ」
「うれ……しい……?」
「はい!」
そのハツラツとした声色から、顔を見なくても卯月の顔に笑みが浮かんでいることは容易に想像できた。
だが言葉の内容がイマイチ理解できない。
セクハラ紛いのことをされて嬉しい? 正気か? もしくはそういう嗜好を持っている……って、卯月に限ってあり得ないだろ。
「センパイって自分は事なかれ主義ですーって雰囲気出してるのに、ホントは頼まれたらどこまでも手伝ってくれるじゃないですか」
「そんなことは……」
「ありますよ。暇潰しで2年も
「いやソレは困った時はお互い様っていうか、普通の人ならするだろ」
「はぁ……センパイで普通なら、優しい人ってもう聖人君子とかの次元ですよ……。そもそも困った時はお互い様って。センパイ、人に何か頼ったりすることありませんよね?」
「んなわけ—―――……」
俺だって誰かを頼ることだってある。
そう例を長々と連ねてやろうと脳内のだらしないエピソードを漁る。
…………あれっ?
ない。
文芸部の連中や卯月に「ちょっとペン貸して」くらいの仕様もない頼みは何度かしてるが、精々その程度。
もしかして俺って、面倒臭がり過ぎて誰かに手伝いを頼まなくちゃいけないレベルのことを、そもそもしてない?
自身の意外な真実に気付いたのと同時。俺の言葉が詰まったのを別の意味に捉えたであろう卯月が、大義は我にありと言わんばかりのドヤ顔を作った。
「ね? ないでしょ。だから嬉しかったんです。普段は誰にも甘えたりしないセンパイが私に甘えてくれて」
「…………」
最後に「えへへ」と照れ臭そうにハニカミ笑いを零した卯月に、俺は反論する言葉も術もなかった。
頼った頼らないの水掛け論など、もはやどうでもいい。
――――クッソ恥ずい。
顔が熱い。鼓動が早鐘を鳴らし呼吸も荒くなる。まるで自分の身体じゃないみたいだ。
全く覚えがないが、事実として俺は酒を飲める歳になったというのに、年下の女子に甘え……あまつさえ許容されてしまう。
なんという羞恥。
ファンタジー世界なら「クッ、殺せ!」と叫んでいただろう。なんなら叫ぶ前に舌を噛んでいる。
「センパイ、頭を上げてください」
嫌だ。今、絶対人に見せられる顔してないから。というより卯月にだけは絶対見られたくない。
だというのに、俺の身体は何の抵抗もなく頭を上げ、目の前にいる後輩の女子を見てしまう。
なけなしの抵抗で視線を上下左右へと彷徨わせるが、そんなことがそう何秒と続くこともなく、彼女の瞳へと焦点が合わされる。
なんだか卯月の顔を見るのが久しぶりに思えた。
実際は今日の朝……否。講義後に部室を訪ねたところまでは普通に話していた。が。最後の最後。
時間にして1時間ほどだが、ずっと隣にいたのに今の今まで顔を合わせてなかったためか、気恥ずかしさが溢れ出す。
そんなコミュ障みたいな俺の動揺も、卯月は微笑み1つで受け止めてくれる。
あぁ……これ以上引きずってちゃ駄目だよな。
過ぎた遠慮は却って相手を困らせる。
「ところでその……どうでした?」
「な、何が?」
改めて卯月と同じ目線になった俺に、さっそく彼女に質問された。
だが、あまりに唐突かつ端的な質問故、話が見えてこない。
妙に歯切れが悪いことも気になる。
「私のぉ――――膝枕」
「…………」
「センパイ?」
ピキッ!
刹那、自身の表情が固まる音が聴こえた。
心なしか頬を薄っすらと紅潮させ、上目遣いでこちらを見てくる卯月も遠く感じる。
それほどまでに今、俺の思考が加速していた。
どうでした? 膝枕? それはどういう意図を孕んでの質問だろうか。
額面通り受け取れば、使い心地を訊いているのだろうが、これはかなり返答に困る質問だ。
高校、大学生の女子なんて最も己の体型を気にする年頃。下手な言葉は鋭利な刃物になってしまう。かといって同年代の異性の肉感を語るのも気色悪い。
ここはやはり――――。
「――――大丈夫だ」
「だい、じょうぶ……?」
「あぁ。俺、酔ってたから覚えてないぞ。だからお前が何も不安に思う必要なんない……というかこの話はお互いもう触れないようにしようぜ」
正直に答えよう。
なんならコレが唯一の正解だ。
俺は覚えてもない痴態を封印できて、卯月も気恥ずかしい懸念がそもそもなかったことにできる。
これぞWin-Winの関け――――。
「センパイ」
ピキッ!
再び俺は幻聴を耳にした。
凍ったのは俺の表情だけでなく――――空気全体だが。
卯月の声色はとても冷え切ったものだった。
特段低い訳でもなくドスが効いているわけでもない、俺を呼ぶ4文字の単語。
初めて会った頃の彼女を彷彿させるかの如き、無機質なその言葉に気圧され、俺は無意識に直立不動の体勢を取っていて……。
「新歓での件、前言撤回です。センパイに罪滅ぼしを要求します」
その言葉には、正体不明の……されど有無を言わさない迫力があった。
**********
【あとがき】
拙作をお読み頂きありがとうございます。
面白そう、続きを読んでみたいと思って頂ければ
非常に励みになります!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます