第35話【記憶にございません】


 ゴールデンウィークGW前、最後の講義を終えた俺は、1人文芸部の部室へと足を運んだ。

 ウチの部活には定期活動というものがない。

 唯一固定イベントといえる年に数回行う作品、冊子作りも極論部室に集まる必要もなく、俺たちにとっての部室とは単なる“溜まり場”となっているからである。

 しかし今日の俺は明確なる目的をもって部室の扉を叩いた。


「こんちはー 」


 我ながら気怠げな声色での挨拶。

 返ってきたのは協調性をまるで感じさせない、4人分のバラバラの声だった。


「センパイこんにちは!」

「トウマっちお疲れー」

「お疲れ」

「……ようやく全員揃ったな」


 1番反応が大きかったのは俺から1番近い、扉側のちゃぶ台ゾーンにいた卯月。

 勢いよく俺の方に向いたのだろうか、彼女の亜麻色の髪が若干片側に流れている。それだけに非ず、おそらく対岸にいる柊さんと話してたっぽいのに、立ち上がっている。

 なんかゴールデンレトリバーみたいな大型犬の類を想起させられた。髪色も近いし。

 他に俺を迎えてくれたのは、卯月と同じくちゃぶ台ゾーンにいた柊さん。

 それと奥のテーブルゾーンで各々のスマホを触っていたと思しき、赤羽根さんと野村さんだ。


「講義受けてたんでしょ。何の講義?」

「民族学っす」

「面白いの?」

「単位目的だったけど意外と面白い。あとレポート少ないから楽ですね」

「ふーん。なら来期アタシも取ろっと」


 俺に負けず劣らずの低いトーンで問うてくる赤羽根さんに応えつつ、座る場所を探す。

 長テーブルかちゃぶ台か……。


「センパイセンパイ。お隣どうぞ」

「お、サンキュー」


 下駄箱から視線を巡らせてると、卯月がポンポンと床を叩いて自らの隣を示した。

 断る理由もなく彼女の隣に腰を下ろす。


「…………」

「ふふっ」

「……………………なぁ、卯月」

「はい! センパイ」

「なんか近くね?」


 座って10秒足らず。

 俺は肩と肩が振れそうなほど近い卯月に対し、抱いていた疑問を投げた。

 そりゃ部費で買える範囲のちゃぶ台だから、特別大きなサイズではないが、それでも明らか卯月が俺の方に寄っている気がする。というか、普通に反対側にスペース空いているように見えるんだが。


「別に普通だと思いますよ」

「なわけないだろ。ちょっとそっち行ってくれ」

「でもでも。紅葉さんと桔平さんもいらっしゃいますしー、詰めなきゃ」


 そう卯月が言い終わる前に、赤羽根んさんと野村さんがちゃぶ台へと合流し、俺の要望は封殺された。

 

 それにしても最近の卯月は何なんだろう。

 端的に言えば距離感がバグってる。

 以前からノリが軽いというか……陽キャのような距離の近さがあったが、ここ最近は特に凄い。

 大学、家構わずとにかく近い。心なしかボディタッチ? 的なことも増えてるし、パーソナルスペースの定義を今一度聞きたいくらい迫られる。

 心当たりなんてない。

 俺にも卯月にも特別変わったことなどなく、強いて言えば卯月が文芸部に入ったくらい。いや関係ないな。 

 なにより――――。


「? えへへ」

「…………」


 目を合わすと卯月が笑うようになった。

 面白いモノから来る笑いとは異なる、ふにゃりと頬を緩ませ目尻を下げた微笑みは、客観的には可愛いと思えるのだが、当事者からすれば意味も分からず笑みを向けられる形容し難い恐ろしさがある。


「ペイっちー。大事な会議なのに惚気てるカップルがいまーす」

「ほっとけ。目障りなら追い出せばいい」

「惚気てないから!?」


 というかカップルでもないし。

 特に後者について強く抗議したいところだったが、幸いにも野村さんが話題を変えてくれる。


「駄弁るのはその辺にして、さっさとGWの予定の確認するぞ」


 「はーい」と俺含めて4人分の返事が重なった。



 **********



 今日俺たち5人が集まったのはすなわち――――GWに部員で行く天体観測の最終確認である。

 企画提案者の赤羽根さんに、を出す俺と野村さん。卯月と柊さんは時間が空いていたから来た賑やか……有志だ。


「桃真、お前のバイクって前乗ってた2人乗りだよな?」

「はい。実家にあるんで明日か今日にでも取りに行くつもり」

「そうか。ならお前と後ろに1人乗せて残り6人……まぁオレんとこのミニバンも使えるから問題ないな」

「順路どうします? 改めて調べたら途中で休憩入れたいところだけど、高速使うのはちょっとって距離で……」

「それはオレも思った」


 などなど最初の議題は目的地であるアスレチック公園までの道のりについて。

 運転する以上、俺も野村さんも各々距離やルートは調べているが、如何せん車とバイクでは運転の感覚が違う。

 加えて土地勘の有無も深く関わって来るのだ。適当に決めてはいけない。

 その辺りを2人で擦り合わせていくうちに、議題も少しずつ広がっていく。


「つーかー、調べたらこの山上のアスレチック公園って車で行けんくない?」

「そうだよ。車で行けるのは山の麓まで。そこからは歩かなきゃだからなるべく早く着いといた方がいいかも」

「あ、でも紅葉さん。ここってアスレチックしながら上がるコースと、山頂まで直通の通路があるってネットに書いてましたよ」

「それは帰りで良いんじゃないかなって。せっかく時間あるのに星見て帰るだけってのも淡泊だろうし」

「え、じゃあ靴ちゃんとしないとじゃーん。あっぶなー……あーしクロックスでいくつもりだった。リノっちにも教えとこ」


 と、話が逸れ始めたが、女性陣の会話から出発は朝の内ということも決まる。


「それじゃ当日は朝9時に駅前集合。俺と野村さんが車出して下道を通っていく。途中にある道の駅で昼飯って感じか……」


 他にも帰りは銭湯と適当な所で夕飯なんかも決まったが、最も重要な昼間のタイムテーブルを俺が纏めた時だった。


「何言ってのトウマっち?」

「俺、何か変なこと言いました?」


 柊さんに異を唱えられた。

 口に出したばかりの自分のセリフを脳内で反芻してみたけど、何もおかしなことは言ってない。

 念のために、他の3人にも確認の意を込めた視線を送ってみる。


「…………」

「…………」

「…………」


 3人揃ってうんともすんとも言わず、キョトンとしていた。まるで柊さん同様「何言ってんだお前?」とでも言いたげに。

 本当に何が何だかわからず、俺も黙り込んでしまう。

 どれだけ考えても取っ掛かりすら分からない設問は、空白で提出する他ない。ただ漠然とした嫌ぁな予感だけが、ゆっくりと汗となって背筋を伝う。

 さながら大金が懸かったクイズ番組の最終問題の答え……否。審判を待つ罪人の如き気持ちで柊さんへと視線を戻す。

 金髪褐色の絵に描いたかのようなギャルは、二ッと嗜虐的に口端を釣り上げ――――。


「お昼はトウマっちがお弁当作ってくれるんじゃんっ」


 破顔一笑。

 人懐っこい笑みで言った。

 なるほど……違ったのは昼飯かぁ。

 そう言えば昼飯は俺が全員分の弁当作りますって……。


「知りませんよ!?」


 全く持って初耳ニューイヤーなんだが!?

 思わず“初耳”を英語で綴ってしまうほど驚いた。なんだよニューイヤーって、新年の挨拶みたいじゃんか。

 それはともかく……反応を見る限り、弁当の件については野村さんや赤羽根さんも共通の認識らしい。

 問題は当の本人である俺のみがその認識の外にいること。

 くっ……卯月までも敵。お前だけは俺の味方をしてくれると思ったのに。


「誰が言ったんですか!? 俺が弁当を作るなんて」

「トウマっち」

「俺!? いつ? どこで言ってたんですか? 地球が何周回った時!?」

「うわぁ……その文句、十数年ぶりに聞いたかも」

 

 全く記憶にございません。

 信用皆無の政治家みたいなセリフだが、嘘偽りない本心からそう叫びたかった。

 冤罪だ! いや“罪”ではないだろうけど、俺は誰かに嵌められたんだ!

 

「そうだ。証拠っ。証拠はあるんですか!」


 これまた我ながら小学生みたいな自覚はある。だがこのまま流れに呑まれれば、今回だけに限らず今後も成り行きで面倒事を押し付けられそうな気がした。

 故に俺は心の中で両拳をゴンと合わせ、自らの身の潔白を証明すべく抵抗の意思を示す。


「証拠かぁ……あ、あるよ」

「え、あるの?」


 ちょっと待って証拠があるのソレは聞いてない。


「ちょい待ち。えっとぉ……コレコレ」


 緩い声色を発しながら柊さんは自らのスマホを弄りだす。

 スマホが証拠?

 程なくして金髪の先輩は、皆んなに見えるようにちゃぶ台のど真ん中に操作したスマホを置いた。

 これは写真フォルダ?

 柊さんが開いたのはデフォルトである写真アプリだった。気になったことといえば、画面の中央にある薄暗円の中に、右向きになった白い二等辺三角形のマークくらい。

 それが何を意味するかは考えるまでもなく、一方でこのは何だろうという疑問が生まれる。

 しかし俺が問い質す前に柊さんが、


「――――ポチッとな」


 と昔のアニメを彷彿とさせる掛け声とともに動画を再生させた。

 動画内に納められた時間が進み始め画面も動く。柊さんと思しき撮影者が撮影対象にピント合わせをしている途中のようで、最初の10秒くらいは乱れた映像が流れる。

 音声からしてどこかの飲食店のことだろうか?

 居酒屋……あるいは夜の食事処特有の活気の良い客の話し声が聞こえてくる。笑い声にかき消され気味だが、ジュ―ッ! っという網焼き特有の音が時折聞こえるあたり、居酒屋の可能性が濃厚か。

 しばらく動画を注視していると、ようやくカメラのピントが合い、一眼レフもかくやという鮮明な映像が視界に飛び込んできた。


『――――センパイがこんな風に甘えてくれてることに驚いていると言いますか……あ、いえ。決して嫌という訳じゃなくてですね! むしろ幸せ過ぎて……あぁもう! 可愛い! これ頭ナデナデとかしても良いのでしょうか!?』

『ナデナデ? 良いんじゃないかな。桃真君から麻衣ちゃんの膝に乗ってきたわけだし』

 

 ――――――――っ。


 喉奥底から声にならない悲鳴が上がった。

 

「は? ちょ、何これ!? 柊さんストップ、その動画一旦ストップ!」

「えー……でも、まだ証拠のとこまで流れてないし」


 現在、柊さんのスマホに映し出されているのは、見覚えのある焼肉チェーン店で“卯月に膝枕された俺”という全く身に覚えのない意味不明な光景だった。


「証拠なんていいから! つかそれいつの動画!?」

「この前の新歓に決まってんじゃん」


  でしょうね!

 そりゃそうだ。卯月が映ってる時点でそれしかない。けど重要なのはそこじゃなくて、動画の内容だ。

 

『わっ、センパイの髪サラサラしてる』

『んー……っ』


 や・め・ろ――――――――!


 画面の中で膝に乗せた俺の頭を、少し頬を染めながら撫でる卯月。

 恥ずかしさで憤死しそう。なんなら死んで即刻意識と共にこの記憶を抹消したい。

 

「あ、ほらほらココ。みんなトウマっちにお弁当のリクエストしてるっしょ?」

「そんなのどうでもいいから!」

「あ、終わっちゃた。トウマっちがうるさいからリクエスト聞き漏らしちゃったじゃん。もっかい流すからメモっといて」

「アンタ鬼か!?」


 サラッとリプレイエグイことしようとしてる柊さんにツッコむ。

 つか、酔ってる奴から言質取るってヤバいだろ。

 しかも証拠シーンはほんの数秒間で、ほとんどが酔ってる俺が卯月に撫でられてるだけだったし。おかげで隣向けねーよ!


 …………まさか。


 刹那、俺の脳裏に髪からの天啓……否。悪魔の宣告の如き可能性が過ぎった。

 このトンデモ動画に出ているのは俺と卯月。他の連中も手とか出てるけど、ほぼ声のみ。

 だから映像内に登場した2人人物の様子、あの嬉しそうに俺を撫で回す卯月の顔は嫌でも脳にこびり付いていて……。


「柊さん、もしかしてその映像――――」

「そういえばトウマっちには送ってなかったねー」

  

 言質なんか比じゃない黒歴史とんでもないモン握られたなぁ……。


 その後、全員のスマホから動画の削除と引き換えに、俺が弁当を作る確約をさせられたのは言うまでもない。


 **********


【蛇足】


 第31話より


「ウケる。REC撮っとこ」


【あとがき】


 拙作をお読み頂きありがとうございます。

 面白そう、続きを読んでみたいと思って頂ければ評価応援、感想など頂ければ幸いです。(☆1つでも是非……)

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