第25話【不意打ちなんて聞いてません】


 珍しく講義が早く終わり、普段より少し長めの昼休憩を得た俺が歩みを向けたのは、食堂ではなく上階にある図書館だった。

 知り合いからの受け売りだが、“図書室”ではなく“図書館”なのは専属の司書を雇っているかららしい。


 貸し出しカウンター横にある館内図から目当ての図書のジャンルを探し、キャンパス内で唯一吹き抜けとなった階段を上る。

 図書館内には学生の姿がチラホラ。

 単純に本を読む奴を始め、ノーパソを広げている奴、スマホで動画を観てる奴に突っ伏して寝ている者と十人十色。

 気持ち人が少なく感じるのは、昼時ということもあって学食の方に流れているからだろう。


 優に2メートルは超える本棚の間を通り抜け、ようやく調べたいことが載っていそうな図書を発見。

 とりあえず1冊目っと。

 最上段に納められている図書へと手を伸ばしたその時だった。

 隣から伸びてきた誰かの手と重なってしまった。


「あ、すんません」


 手の位置関係的に俺が手を被せた状態。俺の手にすっぽり収まるサイズの手かつ、控えめなフリルがあしらわれた袖。

 考えるより先にサッと手を退き謝った。

 

「いえいえ、こちらこそー」


 ん?

 相手方も特に気を悪くした様子はなく、声色は柔らかい。しかし俺が違和感を覚えたのはそこじゃない。

 その声に聞き覚えしかなかった。

 ちゃんと見てなかった隣人の女性の顔を、改めて確認すると――――。


「お前かよ卯月」

「はい、私です」


 亜麻色の髪を高い位置で団子にした女性。

 それ以外に誰に見えるんですか? とでも言うような堂々とした顔の卯月がいた。

 とりあえず俺の謝罪を返せ。

 

「なんでここに?」

「なんで……と、訊かれましても。私いつもこの日は図書館でセンパイを待ってるんですよ」


 と、卯月が答えたのと同時。2限の終わりを告げるベルが流れて来た。

 今日の時間割は俺が2限を取っているのに対し、卯月は空きコマ。昼からの4限を一緒に取っているので、昼飯を共にすることが自然な流れとなっていた。

 俺の講義中、卯月がどうしているかなんて気にも留めていなかったが、図書館にいたのか。


「気付いたなら声かけてくれよ」

「私としては、もしかしてセンパイが私を迎えに来てくれたのでは? と思ったんですけど、センパイったら私の真横ススーって行っちゃうんですもん」

「いやお前がここにいるなんて初耳だから」


 ぷくーっとあざとく頬を膨らませる後輩へ、冷静にツッコむ。

 まぁ卯月のことだからそんな当たり前のことは百も承知だろう。故にこんな言い分もただの茶化しに過ぎない。


「私に気付かない、鈍感なセンパイが図書館に何の用でいらっしゃったのか。私より大事なものとは何なのか、ってみた次第です」

「俺が取ろうとした本にワザと手を重ねたのは?」

「ほらっ、同じ本に手を伸ばしたことがキッカケの恋愛話ってあるじゃないですか。あーいうシチュエーションって運命を感じるというか、ドキドキして素敵だと思いません?」

「そーいうのは偶然起こるからこそ運命を感じるのであって、必然狙ってやったのは何も感じないんだよ」


 なんなら胸はドキドキというよりバクバクした。……肝が冷えたって意味で。

 

「それで……っと、センパイはこの本を借りに?」

「借りるっつーか。調べたい項目だけここで読んでくつもりだった」


 先ほどの図書を卯月が手に取る。

 結構高い位置にあったため、卯月の身長では少し手間がかかるようで「うん、しょっと」と可愛らしい声が漏れた。

 手渡された本の目次を開き内容を確認。よし、間違いなさそうだ。


「んじゃ学食行くか」

「読んで行くんじゃなかったんですか?」

「卯月と合流する時間まで読むつもりだったんだよ。だからこれは借りて家で読むことにする」


 調べ事は急ぎの用事ではない。

 というか用事でもなく単なる趣味みたいなもの。その程度のことと知り合いとの食事、どっちを優先すべきかなんて考えるまでもないだろ。

 だというのに――――。


「センパイ、もう少し図書館ここにいません?」


 表情を柔らかくした卯月が、そんな提案した。


「いや普通に飯食いに行こうぜ」

「でもぉ今って講義終わったばかりだから、学食滅茶苦茶混んでると思うんですよ」

「そりゃまぁ……そうだろうが……」

「だったらもう少し時間をズラしてから行った方が良くないですか? 午後の講義までまだまだ時間ありますし、ね?」

「…………」


 卯月の言葉にぐうの音も出なかった。

 彼女の言っていることは正しい。2限終わりという最も学食が混むタイミングに、わざわざ時間に余裕がある俺たちが急ぐ必要はない。

 だけど彼女の言葉の裏にある“俺の用事を優先しよう”という意思が見え透いており、素直にその提案を飲むことに謎の気恥ずかしさがあった。

 長いまつ毛の奥にある卯月の青み掛かった瞳が、勝ち誇ったような光を灯し、この葛藤まで読まれている気がした。きっと読まれてるんだろうな。


「…………わかった。ありがとな」

「お礼も何も、私は合理的な提案をしただけですから」


 なんだこの後輩。

 フォローまで完璧かよ……。



 **********



 卯月の言葉に甘えて図書館で調べ事に耽ること数十分。

 いや、ぶっちゃけ時間を確認していなかったので実際のところは知らん。

 大学図書館には、普通の民間図書館などと同じく利用者が本を読むことができるスペースが用意されている。

 1席毎に仕切り板が設置されている、壁際のカウンターはあいにくの満席。

 なので俺たちはスペースの中央にある長机に陣取る事にした。


 俺は最初に手にした図書を始め、4.5冊の目ぼしい本を持ってきて片っ端から読んでいく。

 その間、卯月はというと……何やら文庫本を読んでいるようだった。

 2冊目を読み終わった時にふと卯月へと目を向けてみると、隣に座る後輩は綺麗な姿勢で一心不乱に文庫本へと視線を注いでいる。高校時代から思ってたが読書が好きなんだろう。

 せっかく物語の世界に没入しているのだ。俺は卯月へと意識を割くことを止め、調べ事を再開した。


 それから更に時間が経ち、ようやく全ての本を読み終えることができた。

 時間はかかったがそれなりに有益だったな。

 ところで今、何時だ?

 最後の図書のあとがきに目を通しながら、机の上に置いてあるはずのスマホを手で探す。


  ――――フニッ。


「ん?」


 スマホではない何かを掴んだ。

 ゴツゴツしておらず柔らかい……だけど奥にはしっかりと固さがある。大きさは俺のスマホより1周り小さいくらい。

 ちょっと温かい? と思ったら俺の手の中にあるソレは徐々に熱を帯び始める。

 なんかさっきも同じようなことあったなぁと考えながら頭を上げると、自分の手が隣にいる卯月の手に重ねられているのが目に入った。


「あー……すまん」


 先刻と似たようなシチュエーション。

 異なる点を挙げるなら、今回は卯月の悪戯ではなく明らかに彼女の手元テリトリーに俺が侵入していた。

 

「…………卯月?」

「……………………」


 あれっ? どうしたんだ?

 何か卯月の様子がおかしい。何がと問われれば説明に困るんだけど、強いて言うならフリーズしてる?

 微動だにしていない。

 唯一動きがみられるのは、自らの手に重ねられた俺の手を見るその双眸。まるで理解できない現状を必死で理解しようと、視覚情報をかき集めようとするように揺れている。

 そして、ついに卯月が動いた。


「――――――――っ!?」

「うおっ」


 もの凄い勢いで重ねられていた手が弾くように引き抜かれた。

 あまりのスピードに今度は俺の方が唖然としてしまう。


「はぁ……はぁ……」

  

 引き抜いた手を自身の胸元に寄せた卯月の呼吸は妙に荒い。よくよく見れば顔も少し赤くなってるし、うっすら汗もかいているっぽい。そういえば手も熱かったような。


「な、なぁ。もしかしてお前、体調悪いんじゃ……」

 

 何かを堪えるような表情。

 無理をしているんじゃ? と心配になってきた。


「…………え? あ、いえ大丈夫です。ちょっとボーっとしてただけのなので」

「いつもと少し違うというか、辛そうに見えるぞ。顔だって赤いし」

「き、きき気のせいですよ。もしくは照明でそう見えちゃってるだけ」


 と、捲し立てるように卯月が言う。

 本人は何ともないと笑ったが、いつもの澄ました表情の奥にまだ不自然さがチラつく。

 さきほどから仕切りに団扇の如くパタパタと両手で仰いでいることから、少なくとも体温が高くなっているのはまず間違いない。

 しかし本人が大丈夫と言っているため、これ以上俺が踏み込むことも野暮というもの。


「それよりセンパイ、調べ事が終わったのでしたらお昼行きましょ。この時間なら食堂も空いてるはずですから」

「そうだな。んじゃこの本戻してくる」

「はい、私入り口で待ってますね」


 俺は思考を切り替え、読んだ図書を返すべく再び本棚の列へと歩を向ける。


「いきなりは私もビックリします…………」


 背後で卯月が何やら言った気がしたが、抑えられた声量の言霊が何だったのか、俺に知る術はなかった。



**********



【あとがき】


 拙作をお読み頂きありがとうございます。

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