第24話【あ、あの方が来ました!】


 なんてことの無い平日の夜中。

 自炊した夕食を食べ終え、食器と調理器具を洗って間もない時だった。


 ピーンポーン、とウチのインタホーンが鳴らされた。


「こんな時間に誰だろう……」


 時計を見やれば既に21時を回っており、こんな非常識な時間に来客の予定などない。

 訝し気ながらリビングから数メートルの短い廊下を抜け玄関へと向かう。


「どちら様です――――」


 ……か、と言い終わる前に勢いよく扉が開け放たれ、外から1人の少女が飛び込んできた。

 少女の肩まで伸びた亜麻色の髪が踊り、フワッと甘い香りが鼻孔を擽る。

 

「卯月?」

「センパイ!」

 

 突然の闖入者の名を呼ぶと俺の姿を認めた卯月の、水色がかった瞳が揺れる。

 彼女の表情は固く切羽詰まった様子。

 よくよく見ると、風呂上りなのか髪はしっとりと濡れており、服装も上はグレーのブラウス。下は太腿が大胆に曝け出されたショートパンツで、普段は白い肌にうっすらと赤みが差した姿は、目に劇薬過ぎる格好をしている。

 思わずバッと目を逸らしたが、右手に持っている、先端が網状の正方形になった棒の存在が気になった。


「助けて下さい!」

「ちょっ、いきなりどうしたんだ? 助ける?」


 既に1メートルとなかった距離を、更に詰めてきた卯月の肩を抱き宥める。

 やはり風呂に入ったばかりなのか、卯月の身体は熱を帯びていた。

 頭を上げてこちらの顔を覗き込んできた卯月と、改めて目が合う。

 彼女の頬を透明な水滴が伝うが、それが風呂上り故か、あるいは焦っていたためか判別つかない。


「何があったんだ? 話してくれ」

「そ、その……」

「焦らなくていい」


 もしかしたら警察沙汰になるかもしれない。

 思考の隅でそんな可能性を控えさせながら、卯月を宥める。


「ウチに……私の部屋にいたんです」

「いた?」


 心を落ち着かせ、ぽつり、ぽつり……と卯月は話し出した。

 家の中にいた、ということはストーカー? もしくは空き巣?

 

「――――太郎君が!」

「なっ…………太郎だと!?」


 その名を聞いた瞬間、気になっていた卯月が握っているモノへ再び目が行く。

 なるほど、合点がいった。

 

 太郎とは人の名前ではなく、蔑称……いわゆる隠語だ。

 俺のまだ然程長くもない人生でも、ソイツを好きだといった奴は見たことはなく、むしろ逆。姿を見るどころか、その名を聞くこと紡ぐことすら忌避される。

 正体は黒くてカサカサ動くアレ。

 女子の卯月が怖がっても仕方のないことだ。

 

「まだ太郎はお前の家に?」

「……います」

「わかった。俺がなんとかする」

 

 神妙な面持ちで頷く卯月をなるべく安心させるべく、出来る限り力を込めて言ってやり、卯月から離れた俺は、1度リビングに戻り武器を探す。

 クソ……良いモノが見つからない。

 あまり時間をかけ過ぎると、太郎を見失ってしまう。

 仕方なくベッドの上に置いてあったティッシュの箱片手に戻ってくる。


「できれば家のどの辺りにいるか教えて欲しいんだけど……」


 怖いなら俺の家にいてもいいぞ? と目で問うと、卯月はこちらの視線から目を逸らさなかった。

 大丈夫です。と、言外の言葉に俺も応じ、卯月の同行を了解した。



 **********


   

 何気に卯月の部屋に入るのは、これが初めてだったりする。

 ガチャッ! と、ウチのと寸分違わぬ開閉音と共に、扉が開けられる。

 

「太郎君がいたのはキッチン」


 卯月の言葉に頷き、俺は彼女を自身の後方に下がらせた。

 部屋に入った時、特に大した印象は抱かなかった。

 俺の部屋と左右対称なんだなぁ……くらい。

 まだ入居して間もないということもあり、大した装飾品もなく。一方で汚れやゴミが散乱してないのは、卯月の几帳面な性格を伺わせる。

 かなり焦っていたようで、部屋の照明は点けっぱなし。リビングまでにある洗面台からも灯りが漏れている。


 どのタイミングで、どこから太郎が出てくるかわからない。

 緊張の糸を張り、慎重にキッチンへと向かう。

 

「ここから……だな。キッチンのどの辺りで見たんだ?」

「冷蔵庫の近くです。私がお風呂から上がって、水を飲もうとした時に音もなく出てきて」

「なら、ある程度は絞り込めるな」


 この学生マンションのキッチンの造りは至ってシンプルだ。

 幅は人が2人並べるくらいで、奥に冷蔵庫や小さな棚が置けるスペースがちょっとあるだけ。見たとところ、卯月はこのスペースに大き過ぎない冷蔵庫と、木製のアンティークなキッチンラックを並べている。

 太郎が潜んでそうな隙間は他になく、殺虫スプレーを吹いてやれば姿を見ずとも殺せるヤれるだろう。


 不安材料としては死亡確認が取れないので、万が一生き延びていた場合を想像すると怖い。

 加えて俺に相談しに来た時点で、殺虫スプレーの有無はお察しである。


 ならば、俺が打てるのは“誘い出しで仕留める”ことだ。

 長物で冷蔵庫やラックの隙間をほじり、表に出て来たところで天誅。

 俺が持っているティッシュ箱じゃ、隙間に入らないし長さリーチも足りない。むしろ広い面を活かせる始末役が適任だ。

 

「卯月。お前のその、ハエ叩きを――――」

「センパイ、出てきました!!」

「なっ!?」


 後ろにいる卯月から、彼女が持っていたハエ叩きを借りようとしたのと同タイミング。卯月が叫んだ。

 反射的に首をグルンッ! と旋回させ視線を巡らす。

 いた! デッカ!

 光沢を持った黒き身体を惜し気もなく見せびらかし、キッチンを我がもの顔でカサカサと素早く跋扈する物体。

 

 ――――ゴキブリ。


 既に俺は攻撃態勢に入っていた。

 膝を曲げ、姿勢を低く。こいつらが飛行能力を有しているのは百も承知。しかしそんなことを恐れて今この場から逃がす訳にはいかない。


「こん……のっ!」


 気合一振り。俺はゴキブリ目掛けてティッシュ箱の底面を叩きつけた。

 …………が、


「あ、ちょっ!? 待てそっちは!」


 ゴキブリは人の忌避感をこれでもかと刺激する、あの独特な移動方法で床を這い、俺の攻撃は空を切る。

 それだけにあらず。

 俺を翻弄するかのように、右へ左へフェイントをかけたゴキブリは、ついに俺を突破。後方に待機している卯月の方へと向かってしまった。

 次がラストチャンスだ。

 振り返りざまに、もう1度叩いて、卯月への進行を阻止してやる。

 

 そう再度、決意を固め俺は後ろに振り向き――――。


 ――――――――バチンッ!


 まるでクラッカーのような、デカく乾いた音が真後ろで響いた。

 強制的に動きを停止させられたかのような錯覚……実際、止まってしまったのだが……。

 何が起こったのか分からず、すっかり回転速度が落ちきった頭を動かし、辺りの状況確認。

 卯月が持っていたハエ叩きで、床を叩いている。

 ハエ叩きが床から離れると、そこには100パーセント地上波テレビでは映せないような、粘り気を帯びた生物の残骸があり……。


「センパイっ、やりました!」


 嬉々とした表情で勝鬨を上げる卯月。

 彼女の顔には先刻見せた怯えの色など皆無で。


 ……………………。


「卯月、お前……1人でゴキブリ殺せるんだな」

「…………テヘッ」

 

 あからさまに誤魔化し笑顔を作った卯月の頭へ、俺はティッシュ箱による殴打を見舞った。



**********



【あとがき】


 拙作をお読み頂きありがとうございます。

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