第18話【清算させて欲しい】
すっかり夜の帳が降りきった空の下、帰路に就く。
田舎寄りの都会という表現がしっくり来るこの街だが、大学周辺は住宅街となっており、午後7時を回る頃には車の往来も緩やかなものになっていた。
時折り隣を過ぎていく車を眺めていると、脳裏に幾つもの考えが過ぎる。
――告白を断られたら、その理由を模索する。
改善して再度想いを寄せる人もいれば、一気に興味が失せる場合もある。
「じゃあ、卯月はなんだったんだ……」
高校最後の日、彼女が俺に向けた剣呑な視線。
一方で、最近まで彼女が見せた愛嬌いっぱいの振る舞い。
恋慕から憎悪……で、もう1回恋慕に戻った? んなバカな。女心は秋空の如しらしいが、あまりに極端すぎる。もはや掌ドリルとかそういう類だろ。
ただ――。
「そもそも、おかしいんだよな」
やはりいくら考えても納得のいく道筋に辿り着かない。
――告白を断られたら、その理由を模索する。
また堂々巡りの言葉が思考に浮上した。
ということは……卯月もフラれた時に何らかの答えに至った末、あの険しい顔になったっていうことだ。
恋が実らなかったという精神的ショックがどれほどか、俺は知らない。
でも俺の知る卯月麻衣という少女は、それほど短絡的な性格であっただろうか? 恋は盲目などとともいうが、一を聞いて十を知り冷静な判断を下せる彼女が、あの時ばかりは即断で感情を露わにした。
まるで最初から
もしかして俺はどこかで盛大な間違いを犯している?
考えれば考えるほどドツボに嵌っている気がしてならない。
自然と手がズボンのポケットにあるスマホに伸びる。
「いや……こういうのは直接話さないと」
チャットアプリを開いたところで踏みとどまった。
実のところ卯月とは夕食をご馳走してもらって以来話していない。チャットのやり取りもその翌日に二言三言交わしただけで、最終履歴は3日前の日付で止まっている。
大学で偶に卯月の姿を見かけることもあったが、友達といたりと話しかけるのを躊躇われた。何度か目も合ったが、特にアクションを起こすこともなく、時間だけが過ぎて早3日。
時間が解決してくれる問題もあるが、時間が経つごとに修復が難しくなるのも事実。
凄く話辛い。緊張もする。
だけど……だからこそ、根性を振り絞って話すべきだ。
チャットなんていう、相手の姿を見ず何をいうか十二分に時間を作れる手段に逃げるわけにはいかない。それはきっと本心以外の
今さらだとしても卯月と面と向かって話すことが彼女への誠意であり、なにより俺自身の本心を口にできる気がする。
今日はもう遅い。明日の昼、大学が終わった後に時間を作ってもらおう。
固めた意思を胸にマンションの階段を登っていく。
俺の部屋がある階に着くと、奇妙な光景が眼前に広がった。
廊下で壁に背を預けて佇む少女。それも俺も知っている……卯月がそこにはいた。
キュッと心臓を握られたかのような錯覚を覚え肝が冷えた。
なんで卯月が……? いや、ここは卯月の部屋の階でもあるのだから、彼女がここにいることは変ではない。奇妙なのは彼女が自分の部屋に入っていないことだ。
大学で使っているトートバッグを持っているところを見るに、昼過ぎに講義を終えてから1度も部屋に戻ってないっぽい。まさか鍵を失くして入れない?
色々な憶測が脳内を飛び交うが、思考に反し俺の目には、ただ1点を見つめ微動だにしない卯月が、捨てられた猫の姿と重なった。
「――――――っ」
不意にこちら側を向いた卯月と目が合う。
その透き通った双眸は凪いだ水面のように感情の起伏に乏しく、真意が読めない。
「家、入らないのか?」
「…………」
近くまで来た俺の質問には答えず……否。その瞳が俺を待っていたと言外に伝えてくる。
つまり卯月もまた、今の居心地悪い状態の決着を望んでいた。
この機を逃す選択など皆無。
「は、話したいことがあるんだ。時間いいか?」
「はい。私もセンパイとお話しなきゃと思ってました」
俺は自室の鍵を開け、卯月を招き入れた。
**********
「何か飲むか? コーヒーか冷えたお茶かくらいしかないけど」
「じゃあ、お茶頂きたいです」
「了解」
部屋に入れた卯月を適当なところに座らせ、冷蔵庫で冷やしていいたお茶をグラスに注ぎ持って行く。
「粗茶で悪いが」
「ありがとうございます」
飲み物が出されるということで、卯月はリビングの小テーブルの前で正座していた。俺はテーブルにグラスを置いて、卯月の正面に位置取り胡坐をかく。
図らずとも訪れてしまった話し合いの場。
緊張で喉が渇いて……違う。少しでも考える猶予を作るべくグラスに注いだお茶をグイッと飲み干す。
グラスをテーブルに置くと、中の氷がカラッと鳴った。
汗をかいていたのも
「……………………」
「……………………」
舞い降りた重い沈黙の中、改めて卯月を見ると視線が交差した。
その瞳は過去、まだ出会って間もない頃の彼女を彷彿させられる。何事にも興味を示さない冷めたような、されど強い意志を宿した色。眼前の些事など気にも留めず、望む未来を一心に捉えようとする野心家の目だ。
蛇に睨まれた蛙よろしく、発声器官を固められたような錯覚を感じた。
何ビビってんだ俺。早く切り出すんだ!
自らを叱咤し、喉を潰す覚悟で声を絞り出そうとした瞬間。
「……ははっ……アハハハハハ…………――――」
同時と言っても過言ではない。差にして0コンマ数秒、卯月の方が早く口を開き力なく笑い声を零した。
先刻までの不気味なほど張り詰めた表情はどこへやら。卯月は顔中の筋肉という筋肉全てが弛緩させ、観念したようにうっすら涙まで浮かべて笑う。
「う、卯月!?」
「す……すみませんっ。ちょっと、その……やっぱりダメだなぁ」
「ダメ……?」
わからない。卯月が何故突如笑い出したのか皆目見当がつかなかった。
それでも彼女に何か異変があるかもしれないと、いてもたってもいられない。思わず立ち上がって、両手で顔を覆う卯月へと駆け寄る。
怪我じゃない。風邪かなにか……病気の可能性はなくはない。たしか市販の薬があったはず。
薬を取りに行くべくキッチンへと向かおうとするが、卯月に「違うんです」と制された。
「あぁ…………やっぱり私、センパイのことが好きです」
――――――――。
「…………………………は?」
たぶん今までの人生の中で1番の間抜けな声が、俺の口から零れた。
完全に頭が真っ白になった隙を縫うように、彼女は頬を伝う大粒の涙など無視してなおも言葉を止めない。
「センパイ、好きです」
「あのぉ……卯月さん……? 」
「好きなんです!」
「は、はいっ」
その宣言には有無を言わせぬ迫力があった。
俺のことが好き? 卯月から好きだと伝えられるのはこれが初めてではない。だけど何故このタイミング?
そんな思考ができたのは反射的に返事をしてしまった後。それ以降勝手に口を開けることなくジッと卯月を待つ。
行き場を失った視線は自然と卯月の目へと吸い寄せられ、卯月もまた俺の視線を正面から受ける。
――――美しい。
そんなキザで場違いな感想が過ぎる程、彼女の瞳は綺麗だった。
真っすぐ見つめられ。
透き通った瞳孔がなだらかに開く。
恍惚としたように細め――――。
「私、ホントのホントの本当にセンパイのことが好きなんです」
自分の胸で組んだ両手を寄せ、訴えるようにポツポツと言の葉を紡ぐ。
「たしかにセンパイの仰る通り、
俺も卯月も新入生代表挨拶なんて面倒なこと、可能であればやる気も興味もなかったのは同じ。高校からの半強制力があったからこそ渋々やったまで。
俺たちの巡り合いに当人たちの意思が影響しなかった以上、ソレは偶然。行きずりに過ぎない。
「だけど……1日で終わるはずだった
「そんなこと証明……」
「できます」
力強い啖呵によって俺の言葉は遮られた。
「内申点を良くするために入った部活も生徒会も、センパイが勧めてくれなかったら、私には思いつきもしませんでした。センパイが私なら大丈夫って背中を押してくれたからこそ今の私がいます。落ち着きがあって頼りになる、みんなの模範になる生徒会長として頑張ってた時も、センパイだけは根暗で地味な、素の卯月麻衣として接してくれました。センパイの前だけは飾らない私でいられたんです」
一音一音絞り出すような訴えにも似た独白。彼女の言葉には一切の嘘偽りなどありはしない。
また卯月の訴えを聞いて、胸の内の奥底にあった悔恨が軽くなったのを感じる。
彼女の言った通り、俺は卯月が目的を達成するために出来る限りのことに手を貸した。内申点……今時の言い方だと平常点と呼ばれる評価を上げるべく、部活や生徒会を勧めたのは俺だ。
入部後も
なのにそんな俺を恨むどころか、卯月は感謝の言葉を口にしてくれた。
「絶対何があってもセンパイが好きなのは私の本心ですが、この前センパイに言われてから、改めて自分の気持ちと向き合いました」
「前置きの自信が凄いな……」
「本当の事ですから」
あまりにも大言すぎる前置きに思わずツッコんでしまった。そして返しも自信に満ちた即答。そういえば初めから肝は座ってたなと思い知らされる。
「そしたらですね、やっぱり私の気持ち……センパイが好きだという気持ちは変わらなくて、むしろもっともっと強くなっちゃったんです」
タハハと情けなく笑った卯月の顔に自虐的な色が濃くなる。
「次会うまで……センパイが好きになってくれる私になるまでは! って1年頑張って来たのに根性ないですよね私。
マンションの廊下で待ち続けた先刻に至るということらしい。
――――俺は卯月麻衣と本当に向き合っていただろうか?
胸中で自分自身へ問いかけた。
自分の中で勝手に完結した主張を押し付けていたのでは?
彼女の言葉に耳を貸し、信じようとしたか?
本当は――――。
あぁ……そうだな。
「でも、センパイが嫌でしたら……やめます。2度とセンパイのお気に障ることは言いません。しません。不快にさせたことは全部謝ります。だから、また昔みたいにただの先輩と後輩として――――」
「そんなことしなくていい。謝る必要もない」
今度は俺が卯月の言葉を遮る番だった。
判決を待つ咎人のように縋るような表情が凍り付く。俺を見据える瞳にじわりと絶望色が滲み出る。
違う。
違う違う違う。そういうことじゃない! そんな顔しないでくれ。
「いやそうじゃなくて……」
言いたいことはあるのに言語化できない。ようやく出た声は上ずったり低くなったり音程なんて滅茶苦茶。なのに気持ちだけが焦って無駄に回る舌が意味のない音を出す。
クソッ。自分のコミュ力の無さと口下手さが煩わしい。
「卯月!」
「は、はいっ!」
「俺は話すの下手だから結論から言う。この前言ったことは俺が悪かった、ごめん。それと俺の方こそまた卯月と今までのような関係でいたい」
「――――っ!」
彼女の瞳にあった絶望が反転した。
卯月は何かを言おうと口を開くも言葉を失ったようで、パクパクと餌を求める魚みたいだ。
それでも卯月はどうにか言葉を紡ぐ。
「センパイそれって…………」
「虫のいい話なのはわかってる。どの面下げて言うんだって罵られても仕方ないのも確かだ」
俺がするべきことは、今度こそ卯月麻衣という後輩と正面から向き合うこと。
これまで卯月の意思を蔑ろにして、俺の勝手な思い込みを押し付けていた謝罪を込めて深く頭を下げる。
「けど……卯月に避けられるのは…………傷つく。だからお前が許してくれるなら、今までの卯月のまま、これからもお前のセンパイでいさせてくれ」
何秒そうしていたかは定かではない。
どんな結果であれ、卯月から返事をもらうまで頭を上げるつもりでいた。
だから不意に右手を何かに包み込まれた時は、心臓が飛び出そうな程驚いた。
「――――はい」
降って来た柔らかな声に頭を上げると、泣き崩れながらも満面の笑みの卯月が迎えてくれた。
**********
【あとがき】
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