第15話【俺なりに考えた】
「センパイ」
「ほい」
卯月の手から泡だらけになった食器を受け取り、蛇口から止めどなく出している流水で丁寧に洗う。泡と汚れが取れた皿は乾燥機へ……。
そんな流れ作業を続けて10分ほど。
俺1人ならオカズは1品な上、食器を出すのも面倒でフライパンや鍋を器にしているが、今夜ご馳走になったのは主菜だけでなく汁物まで用意してもらったので、洗い物も普段の倍以上。だけど2人でやれば洗い物もそう時間も苦労もいらない。
食器洗いまで1人で十分と卯月は言ったが、そこは俺の気持ち的な問題。何から何まで任せてしまうのは気が引けた。
なので折衷案として2人で……と、不貞腐れる卯月を言い包めて現在に至る。
「これはこれでアリですね」
最初は自分で全部やりたがってい卯月も、いつの間にか機嫌が良くなっていて、肩が小さくリズムを刻んでいる。
「2人並んで夕食の片付け、ますます同棲カップルみたい」
「…………」
またこいつはそんなことを……。
卯月の言葉に相槌も否定もすることなく、淡々と作業に準ずる。
俺の反応の有無なんてお構いなし。なおも卯月は1人、彼女が幸せだと考える夢想を紡いでいく。
「これで終わりだな」
「センパイが手伝ってくれたので、早く終わっちゃいましたね」
「夕飯作ってもらったんだから、これくらいはせめてさせてもらわないとな」
時間を確認すると、掛け時計の針は午後8時を指していた。
明日は俺も卯月も大学は昼前からなので、急いで床に入る必要もない。
シャワーで済ますつもりだったけど、今日は湯船に浸かるか。
まだウチに居座るつもりでいる卯月はリビングへ。それを見送った俺は風呂場へ赴き湯を張る。入れるようになるのはざっと10分後くらいだろう。
「あ、お風呂ですか?」
「あぁ」
「せっかくならお風呂も、センパイのお
腰掛けていたソファへ大胆に背を預けた卯月が、小悪魔めいた笑みで言った。
「……卯月」
「あ、いっそのこと一緒に入っちゃいます? そして私の身体に興奮しちゃったセンパイは狼に――」
「卯月」
「……なんですか?」
1度目は浮ついた妄想を諫めるためと思っていたのだろう。甘い妄想を止めなかった卯月だが、再度呼んだ俺の声色の低さに弛緩していた頬の筋肉がスッと収縮する。
喜から無への驚くほどの切り替えの早さ。
素で行っているのか、あるいは意識的に笑顔を演じていたのだろうか……。
答えは後者だろう。
「そろそろ、はっきりさせないか」
「何をはっきり……もしかして」
「あぁ、想像通りのことだ」
最も、その内容が卯月の思い描くものではないだろうが。
心臓を誰かに鷲掴みされたかのような錯覚を覚える。
1年前と同質の緊張感と罪悪感。
人間、死は1度しか耐えられないと聞くが、ソレがなんとなくわかった気がした。
けれど今だけは、もう1回だけ……と心を鬼にする。
無表情から嬉しさが滲み始めた卯月の目をしっかりと見据え、告白した。
「俺なんかと付き合ったところで良いことないぞ」
「…………え?」
真っ白。
思考が傍から見ても見て取れるほど、唖然とした表情になる卯月。だが彼女の回復を悠長に待つ必要なんてなく。むしろ畳みかけるべきだ。
「無理に俺を好きになろうとしなくて良いんだ」
卯月の目的は俺との両想い、交際への発展ってところだろう。
その目的完遂のための必須条件が
優しくされたり楽しそうな姿を見せられると大体の人、特に勘違い陰キャなんかは相手への好感を持つ。逆に言えば自分に優しくない、無関心、無関係の相手を好きになりようがないんだから。
故に10日ほど前、再び顔を合わせた卯月は俺に
普通の関係性ならその手順を踏むのは正道なんだろうが、既に卯月の想いには応えられないと、答え合わせは済ませている。いやそもそも卯月の途中式から間違っていたのだ。
「昔……1年前にも言ったよな。卯月には俺なんかより良い人がいるって」
今の卯月は誰に聞いても“可愛い”と返って来るくらい、完成された可愛さを持っている。高校で生徒会をやっていた経験で培われた社交性に加え、元から整った顔立ちをより引き立たせるメイクを覚え、流行も取り入れたファッション、さらには男心を擽る愛嬌まで覚えてしまった。控えめにいって最強だろ。
だからといって、高校の頃の卯月が駄目といった訳じゃない。むしろ俺には馴染み深さも相まって好ましい。
だけど、そんな彼女に“俺が”相応しくないんだ。
「正直、お前みたいな可愛い子に好かれて嫌な気……違うな。周りの連中に自慢したくなるくらい嬉しいし、付き合いたい」
「でしたら!」
「違うんだよ。それじゃ駄目なんだ」
だって俺には卯月に好かれる理由なんてないから。
「高校の時、卯月が俺を好きになってくれたのは、俺が偶々新入生挨拶をしたことがあったからだ。1番卯月と話す機会が多かったため好感を抱かれやすかった。刷り込み見たいなもん」
「…………」
事の発端は俺が偶然、入試で良い点を取れたことに遡る。
運も実力の内? あいにく身に余る幸福を我が物顔でいられるほど面の皮が厚くなくてな。
「で、今。お前が俺に持ってるのはそれ以上に恋心から離れた――執着だ」
人は手に入ると思ったモノが手から零れ落ちた時、そのモノに対しての物欲が最高潮に達する。などという心理学を何かの漫画か小説で読んだ覚えがある。
あぁ、その通りだろう。むしろそれ以外に考えられない。
俺が1度目の告白を断ったことで、卯月の中に復讐心の如き執着の熱を焚きつけてしまった。
ならばもう1度、今度は完全に彼女の熱を冷まし、目を覚まさせなければ。
「そんなことっ」
「あるよ。例えば高校の時、俺が卯月に何か特別なことしたか?」
「特別な……」
「俺から卯月にアプローチをかけたことはないよな。体育祭や文化祭でも常識人程度のことしかやったことないし、修学旅行の土産だって気持ち程度の安いお菓子。学校外で会っても大体が勉強会。これってただの友達か、家庭教師と生徒の普通の関係だろ」
なんなら友達未満の知人レベルといっても過言ではないレベル。
ほら整理してみれば簡単なもんだ。
天沢桃真には卯月麻衣が惚れる要素なんて皆無。
「卯月、お前は信頼や恩を、恋慕と勘違いしてただけなんだ」
「…………」
「俺は見た目が特別良いわけじゃない。スタイルも中肉中背の凡庸だ。飛び抜けた特技がなければ、学力も声を大にできるレベルでもない。友人関係も広くなかったからどちらかと言うとクラスでも浮き気味の方だった」
「……め…………さい」
「オマケに性格すら平々凡々。特段気が利くわけでも、面白い話題を振ることもできない、どこにでもいるパッとしない奴。そんなのがお前ほどの女子に好かれるなんて、天地がひっくり返っても――――」
「やめてください!」
今まで聞いたことがない、卯月の悲痛な怒号が部屋に響いた。
「たとえ……例え、センパイでも。私が好きになったセンパイを蔑まないでください!」
だからそんな
しかし俺の口はその言葉を紡げなかった。
今さら彼女との絶縁に怯えた? 違う。
一瞬でも気を抜けば零れ落ちそうな程、涙を溜めた瞳があの時と重なる。
気圧されるほど強く意思の宿った双眸。
切羽詰まった何かを訴えるような視線に晒され、抑え込んでいた罪悪感が暴発を起こす。
何より卯月の泣いている姿を見たくないという思いに、これ以上の言葉を浴びせる意思が削ぎ落とされた。
「その……すまん」
「…………はい」
情けない俺の謝罪が、部屋内でいつまでも木霊していたような気がした。
**********
【あとがき】
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