第12話【通話したいです】
「ふわぁ……」
意図せずデカい欠伸が出た。
長い長い春休みが明け、最初の1週間が終わった。
今週の講義は全てガイダンスだったというのに、相当疲れたらしい。
実家から持ってきた壁掛け時計を見やれば、
普段なら日付が跨ぐくらいまで動画を観るなりSNSを弄るなりして、最速でアプリゲームのログインボーナスを受け取ってから床に就くのだが……うん、眠い。
風呂上がりで体温が高いのもあり眠気が強いようだ。
今日は早く寝よ、と洗面台から歯を磨き戻って来ると、ベッドの上に置いていたスマホが振動していた。
着信だ。
「いったい誰から……っ」
俯きになっていたスマホを取って画面を確認した途端、一瞬にして眠気が消し去られた。
着信主は――――『卯月』と表記されている。
入学式以降に変更したのか、アイコンこそ初めて見るものだが間違いない。隣の部屋に住んでいる後輩からの通話着信だった。
なおも振動を続けるスマホと睨めっこしながら黙考……否。躊躇ってしまう。
卯月と最後に通話、それどころかSNSのやりとりをしたのはいつだっただろうか。
少なくとも俺の高校卒業式以降はしてないのはたしか。
それにしても、もうずいぶんと
ゴクリと口の中の唾を飲み、通話ボタンをタップ。
「はい、もしもし」
最初に耳朶を打ったのは「ゴオオオオオ——」という、これは排気音? 通話が繋り、一拍おいて遠くから送信主の声が聴こえてくる。
『あ、繋がった。もう寝ちゃったのかと思いました』
「あと5分遅かったら寝てた。なんか聴こえるけど、何かしてるのか?」
『気になっちゃいます? 女子大生の――』
「全然」
『もうっ、もう少し興味持ってくれてもいいじゃないですかぁ』
そりゃ音の正体は気になるけど、そんな勿体ぶられると興味が失せてくる。
『ダメ元で掛けてたので髪乾かしてたんですよ』
髪、つまりつい先程まで風呂に入っていたところなのだろう。
……………………。
「そっか。髪長いと乾かすのも一苦労だな」
『高校の時よりは短くしたので楽ですけどね』
「…………」
『何か想像しちゃいました?』
「いや別に」
嘘である。
女子が髪を切る理由。イメチェンと言えばそれまでなのだが、やはり別の理由も憶測を立ててしまう。フィクションから生まれた強迫観念みたいなものだ。
ただ真実と異なることを一々気にするほど、イタイこともない。
「こっちから話振っておいて何だが、何か用でも?」
『いえ特に』
「なんだソレ」
用がないのに電話をかけて来た。イタズラ目的なら切ってやろうか。
要領を得ない卯月の回答に、自然と眉間に皺が寄る。
卯月がドライヤーを切ったことで、より聴こえる音が明瞭に、さらにスマホを手に取ったのかスピーカー越しに卯月の声が近くなった。
『理由もなく電話かけちゃ迷惑でした?』
「そんなことは…………ない」
『フフッ、ありがとうございます』
どこか切なげで懇願するような声色によって、拒否するという選択肢は存在せず。
「ちょっと待ってくれないか。イヤホン探す」
『はい、大丈夫ですよ』
このままスピーカーで話してもいいが、イヤホンを付けた方が会話に集中しやすい。
本棚の上に置いてあるワイヤレスイヤホンを取り出しスマホと接続。通話を繋いだまま、設定を開きノイズキャンセルを起動させておく。
「すまん待たせた」
ベッドに腰掛けて壁に背を預ける。これで通話が終わったら直ぐ寝れる体制は整った。
『…………』
「…………」
いざゆっくり話す準備は出来たものの、さて何を話せばいいのやら。まさか本当に気まぐれで電話をかけて来たのか、卯月から話を振られることもなかった。
どちらも無言のまま通話時間だけが、刻々と経過していく。
先に静寂に耐えられなくなったのは俺。
「なんというか……アレだな。目的なく話すことって初めてか」
『エヘヘヘ……ですね。電話だと変に緊張しちゃいました』
「だったら掛けてこなきゃいいのに」
『それって話したいなら直接っていうお誘い。今からセンパイのお部屋にお邪魔しても良いってことですか!?』
「女子が深夜に出歩くんじゃない」
『お隣じゃないですかぁ』
通話越しにザッ、と音が聞こえた。
まさか本当に来る気か?
反射的に玄関へと視線を飛ばしてしまった。
それが卯月のフェイントだということに気付いた時には、時に既に遅し。抑えられた笑い声が流れてくる。
『本当に行くと思いました?』
「っ、思うわけないだろ」
『素直になってくれればいいのに』
「俺はいつだって素直だ。いちいち知ってる奴……特にお前相手ならなおさら、何か取り繕う必要もないし」
ほんの僅かにだが脳裏に過ぎってしまった思考を読み取られ、図星を隠すように言葉を捲し立ててた。決して期待やら変な意味ではない。シンプルかつ直情的な驚きから想起させられた、至って普通の思考であることを大前提として!
『冗談ですよ。それに今はセンパイと通話を楽しみたいので、直接お邪魔するのはまたの機会にします』
「来るなら頼むから常識的な時間で頼む」
『はーい』
ほんの軽口の応酬。されどそれが起点となり、俺たちはダラダラと駄弁に耽っていった。
内容は大体この1週間のこと。
初めて通う大学。
高校までにはなかった多種多様な講義。
大学周辺のスーパーや施設についてなどなど――。
そんな当たり障りのない話を何十分もして。
きっと1度横になってしまえば、簡単に意識が落ちるほど身体は疲れてるのに、もう少し良いかと、誰に対してでもない言い訳を心中で述べる。
「まさか卯月とこんな風に通話する時が来るなんてな」
不意に口から本音が零れ落ちた。
眠気による思考低下。
会話を重ねたことによる心理的ハードルの消失。
一瞬の気の迷い。
理由など後から幾らでも付け加えられる。
ただ気付いた時には、俺は自ら避けていた話題に片足を突っ込んていたことに変わりはない。
『あの日以降、私と話すことはないと思ってましたか?』
「…………いや」
また嘘である。
久方に開いた卯月とのトーク画面。
最新の履歴には現在進行形で繋いでいる通話マークが記されているが、その上。先日送られてきた画像以前には、約2年間にわたる勉強会の打ち合わせや通話歴、画像が積み重ねられている。
やり取りの終止符となる前回のトーク歴は去年の3月半ば……俺の高校卒業式前夜にやり取りりした、2言3言のチャットである。
『明日の卒業式が終わった後、生徒会室に来て頂けませんか?』。
そんな卯月のチャットから始まった待ち合わせを最後に、俺たちは1年弱もの期間、SNSのやり取りを……それどころか電話1つしなくなっていた。
でもそれは別に特別なことじゃないと、今でも思う。
まず俺は卯月の告白を断った。
彼女自身も実感のない勘違いであったとしても、こんな俺なんかを好いてくれたという想いを無碍にしたんだ。
それに環境だって変わった。
大学生となり物理的にも卯月から身を退いた俺が、いつまでも過去に巣くう亡霊でいてはいけないから。
故に俺から卯月へ、連絡はしないようにしていた。
僅かながら彼女に関わった者として、言うべきことも胸に止めて。
「暑い…………」
『ん? 何か言いました?』
「何も。気にしないでくれ」
墓穴を掘って苦い思い出をぶり返してしまった。
胸に手を置くと鼓動が早くなっているのを感じる。顔も熱い。
風にでも当たろう。
ベッドから立ち上がりベランダに出る。
日中の早すぎる初夏を感じさせる温かさに反し、4月の夜はまだ少し肌寒い。だが火照った身体にはちょうど良かった。
ベランダから顔を出して、何とはなしに夜の街を眺めながら通話続けていると、不意に右側からガラッと、窓が開けられる音がした。
『こんばんはです、センパイ』
隣とイヤホン越し。同じ声が寸分のタイムラグなく重なった。
まぁ部屋が隣同士なんだ。ベランダも薄い壁1枚しか隔ててないんだから、顔を合わせることも珍しくもない。
軽く手を上げ卯月に応じる。
「おう」
『ベランダに出てたんですね』
「ちょっと涼みにな。つーかこれなら通話繋げる必要なくね?」
『えー。別に良いじゃないですかぁ』
俺と卯月のベランダを挟む壁の厚さは10センチもない。互いの顔は暗闇でもはっきりと見え、手を伸ばせば難なく届く。
それに夜中ということもあり辺りは静かだ。車の往来もなく閑静な空間では、他の住人の迷惑にならないよう抑えた声でも、会話に支障はないだろう。
が、卯月はまだ通話を続けたいのか、やんわりと渋る。
『さっきセンパイ言いましたよね。私とこんな風に通話する時が来るなんてな、って』
「言ったな」
少なくとも俺は、卯月との交流はあの日で終わったつもりでいた。
大学に入って数ヶ月経って、卯月から何のアクションがなかったから、卯月もそうだろうと思った。
けれど――――。
『私はもう1度センパイとお会いするまで、電話もメッセージもしないって決めてました』
その誓いの心意は読めない。
わかるのは卯月の決意が、只ならぬものじゃないということ。
『それと次にセンパイと通話する時に何を話すかも決めてました』
こちらを見る卯月の双眸が月光によって輝いて見えた。
『センパイ――私、高校卒業しました。大学受験もやりきりました』
「あぁ、おめでとう」
俺は胸に留めていた祝福の言葉を、数ヶ月遅れで送ることができた。
**********
【蛇足】
最近のネットゲーム。ログインボーナス受け取れるの大体、早朝未明なんですよね……。
【あとがき】
拙作をお読み頂きありがとうございます。
面白そう、続きを読んでみたいと思って頂ければ
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