第10話【学食に寄りましょう】

「それでは今日のガイダンスはここまで。皆さん来週から時間厳守でお願いします」


 そんな教師の言葉でガイダンスは締め括られる。

 片付けをした学生から順に、ぞろぞろと退室していくが、いかんせん人数が多く講義室の前後にしかない扉は、どちらも人混みを形成していた。

 捌けるまでの時間潰しにポケットからスマホを取り出す。

 丁度12時。うちの大学は1コマ100分だが、前置きされていたように1時間で終わってくれたようだ。

 

「センパイ、これで今日の講義終わりですよね!」

「そうだけど……妙に元気だな」


 授業が終わった後の解放感は小中高と変わらず大学生でも、むしろ授業時間が飛躍した分感じるのはわかる。しかしそれを加味した上でも、卯月のテンションはちょっと高い。例えるなら餌を前に尻尾を荒ぶらせる忠犬。高校とのギャップで頭がバグりそう。


「一緒に帰りましょ!」

「あぁ悪い。先帰っていいぞ」

「…………」


 卯月のテンションが明らかにガタ落ちした。

 光を灯っていたような双眸は虚ろに、自然と上がっていた口角がシュンと下がる。

 えーっと、これは……。


「学食食べてくるだけだけど……卯月もどう?」

「…………っ」


 ピクッ、と彼女が肩が震えた。細められていた瞳が大きく見開かれる。

 やっぱり。


「行きたいです!」



 **********



 程々に安く。

 それなりにボリュームがあり。

 まあまあ美味い。

 特段物珍しさはないが基本は抑えている。

 それがうちの大学の学生食堂だ。

 講義室1.5個分くらいの講堂は、長机が複数設置されており、ざっと100席はあるだろう。壁沿いもカウンター席となっていて、出入り口付近には飲み物やお菓子なんかの自販機がある。

 そして最も目につくのは当然、忙しなく料理を作り、腹を空かせた学生たちの列を溶かしていく受け取りカウンター。

 12時過ぎの割にそれほど混んでいないのは、3コマ以降の講義を受ける、もしくは俺たちのように、2コマを早めに切り上げられた連中だけだからだろう。

 

「さて……何にするか……」


 食堂の入り口前にあるメニュー表を物色する。

 悩むなぁ。

 洒落たカフェっぽくブラックボードに綴られた今週のメニュー、ショーウィンドウにレプリカが飾られた通常メニューと睨めっこ。

 最安価できつねうどん、あるいは蕎麦の250円。最高価で1200円の日替わり定食を始めとした、パスタやピザなどオシャレなメニュー。

 空腹バイアスもかかり、どれも美味そうに見えて決めかねる。優柔不断な面が出ちゃってるなぁ……。

 と、悩んでいると隣の卯月は、白のショルダーバッグから財布。さらに財布から見覚えのある紙切れを2枚抜き取り、


「センパイ、コレどうぞ」 

「それってたしか……入学式に貰った食券だろ?」

「はい。5枚貰えたので1枚どうぞ」


 大学から新入生への祝い品として送られたモノの1つ。学食ならどのメニューにも使える食券を、分けてくれると卯月は言うが、


「それは卯月が貰ったものだから、お前が使ったらいいよ」

「だから私なりに使っています」

「人にあげるのは使うに入んねー」

「センパイとのご飯代としてお納めくださいっ」

「やめろ、なんか如何わしい!」


 なんだよその逆パパ活みたいなやつ。驕られないと一緒に飯食べないとか、俺が人としても男としても最低じゃないか。

 新学期早々とんでもない噂が立ちそうだ。

 一刻も早くこの話を打ち切らねばと、俺はスマホの電子マネーを使い食券期から300円のカレーのボタンを押した。

 数秒のタイムラグで取り出し口に落ちて来た食券を取り、歩き出す。


「ほら、もう食券買ったからいくぞ」

「センパイって高校の時から人に借り作りませんよね。自分は凄くお人好しなのに」

「あんま人に迷惑かけずに生きようとしてるからな」

「私……迷惑でしたか……」

「いや今の言葉の綾と言うか……そうじゃなくて」

「フフッ、わかってますよ。その粗野な言葉もセンパイなりの優しさだって」


 勝手に落ち込んだフリして、勝手に得心いった風にクスリと笑った卯月。

 コイツに俺の何がわかるんだと言いたいところだが、事実ここ数年間で俺が最も親交を築いているのが、卯月なので反論できない。


 それよりも、よく笑うようになったな。

 卯月が俺を知っているように、俺も多少は卯月のことを知っているつもりだ。少なくとも、そう簡単に笑みを零すような奴じゃなかったくらいは。

 列に並んで適当に軽口の応酬をしていると、直ぐに俺たちの番になった。


「これお願いします」

「カレー1皿ね。福神漬けとかは自由に取ってね」

「私はこれで竜田揚げ定食お願いします」

「あら、あなた1回生?」

「はい!」

「それじゃこれサービス。勉強頑張りなよ」


 と、食券を受け取った割烹着型の白衣を着たオバサンが、卯月のトレイに小さなカップを乗せた。蓋部分トップシールにはゴシック体でうちの大学名がプリントされているゼリーだ。

 快活よく礼を言った卯月と待つこと数秒。

 食券を受け取ったオバサンは奥の厨房へ「竜田揚げ1つ」と声をかけ、自身は慣れた動きで大皿片手に白米をよそい、寸胴鍋に並々炊かれたカレーをかけると、俺が持ってるトレイに着地させた。

 ほぼ同時に卯月の定食も完成しており、このスピードならそりゃ列も簡単に溶けるわと納得しかない。

 俺たちが陣取ったのは窓際のカウンター席。まだ人が少ないとはいえ、長机だと相席することもあるから、と後ろ向きに考えるあたり陰キャ寄りな性格が出ている。


「っ、美味しい……。サクサクでお肉もジューシー」


 2人示し合わせることなく手を合わせ、口の中で「いただきます」と唱える。盛られた竜田揚げを1口頬張った卯月が感嘆の息を零した。

 俺も何度か食べたことのあるカレーを口に運ぶ。各日で辛さが変わるウチの大学のカレー。今日は優しい甘口の味が口いっぱいに広がる。


 それにしても……。

 こうして卯月が学食で舌鼓を打つ姿を見てると、親心的な感慨深いモノが胸の内に湧き上がって来る。

 

「あのー……センパイ。そんなに欲しいなら1つあげますよ?」

「ん? あ、いや悪い。そういうつもりじゃなくて」


 物珍しさと感慨に浸って見過ぎていたようだ。野郎相手でも食べてる所見られると気持ち悪いと思うだろうに、後輩の女子卯月が疑心がるのも当然だ。

 俺が卯月のオカズを狙っていると誤解しているようだが、解いたところで状況が改善されないので八方塞がり。


「またまたー。強がっちゃて、ホントは欲しいんですよねぇ」

「なんだその役に振りきれてないドS口調」

「しょうがないなー。そんなに欲しいなら1つあげますよー」

「言葉通じてないのか……」


 こちらの意見など無視し、卯月は皿に盛られた竜田揚げを1つ箸で摘み、俺のカレーライスへとダイブさせた。俺が食べ進めていた部分に着弾させたのは返却拒否の表れだろう。


「そ・の・か・わ・り。等価交換としてセンパイのカレー分けてくださいっ」


 押し付けておいてから要求するのは等価交換とは呼べないじゃなかろうか。

 不敵に口端を釣り上げながら、お茶碗を見せつけてくる卯月。


「はじめからカレーコレが狙いか」

「さぁ、何のことでしょう。私はセンパイが私の竜田揚げを見てたので、親切に申し出てあげただけですから」

「………………わかった」


 どの道、もうあとに引き返せない。

 了承の意を込めて、俺は自身のカレー皿に投下された竜田揚げ闖入者をスプーンで掬い上げ、1口で食べきった。

 下味がしっかり付けられた肉はジューシーで、それでいて絞ったレモンのおかげで後味もくどくない。これが数百円で定食として食べられるなんて学食って凄い。

 

「…………」

「どうした?」

「いえ……センパイ、あんまり気にしないんでなぁと思って」

「何を?」

「間接……」


 最後までその言葉が紡がれることはなかったが、だいたいわかった。

 だから思ったことをそのままの感情で答えてやる。

 淡々と。


「今日日、間接キスだどうのって気にする大学生いるわけないじゃんか。高校生でも絶滅危惧種扱いだろ」


 ケーズバイケースはあれど、今時ドリンクの回し飲みやら料理のシェアなんて同性異性問わず普通のこと。

 間接キスなんかで一喜一憂できるのは、思春期突入初期の子ども。それも頭の中だけで愉しむモノだ。フィクションを馬鹿にするつもりはないし、作品内のシチュエーションとしては楽しめる。

 ただその考えを現実にまで持ち込まないっていうだけの話である。


「もっと面白い反応見れると思ったのにー……」

「アホなこと言ってないで、スプーン取ってこい」


 それこそカレーのような半液体のシェアなんかは例外だろう。衛生的に自分が何回も使ってるスプーンで掬うのは申し訳なさがエグイ。


「はーい」


 席を立ち、少し離れた所にあるアラカルトを取りに行く卯月を、俺はぼんやりとした目で見送った。



**********



【あとがき】


 拙作をお読み頂きありがとうございます。

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