第8話【履修登録しましょ】


 卯月の入学式から数日経った週末。

 俺は家のリビングで、のんびりスマホで動画を見て寛いでいた。

 入学式後約1週間は、1回生対象のガイダンスが開かれるため、2回生以上はもう少し休みがある。

 動画の区切りが良いところで画面から目を離し、軽く目頭を揉む。夢中になるとついつい見てしまうが、流石に目が疲れてきた。

 

「そろそろ洗い物しないとか」


 台所には昼に食べた袋麺を調理した鍋やら、箸が放置されている。軽く水で濯ぎはしたが、洗剤を付けたスポンジで洗っていないので、頑固な油汚れはそのままの状態だろう。

 動画アプリを閉じ、両腕を軽く上に上げて伸びをする。ずっと同じ体勢だったから身体の内側からゴリゴリっと骨が鳴った。


 シンクに置いてあるスポンジに、母親一押しのキュキュっと落ちる洗剤を付け、使った小鍋と箸、コップを順に擦って洗っていく。どんぶり鉢がないのは調理に使った小鍋を器にしたからだ。

 一見するとズボラだが、1人暮らしならではの節制、節水術。それに「俺、1人暮らししてるんだなぁ」という雰囲気があって、地味に気に入ってたりする。

 少ない洗い物をちゃっちゃと済ませ乾燥機にかけて終了。

 濡れた手をタオルで拭き、動画の続きを見ようとしたその時だ。


 ピーンポーン。


「…………今日もか」

 

 鳴らされたインターホンの音に呆れを覚える。

 返事をするのも面倒で、無言のまま玄関を開けると、予想通り外には卯月がいた。

 

「こんにちはです、センパイ。お邪魔しますねー」

「まだ入っていいなんて言ってないんだが……」


 芝居がかった敬礼をビシッと決めた卯月は、面倒くさいという感情を、これでもかと表情に出している俺を無視して上がり込んでくる。こっちの事情なんてお構いなしというようだ。

 丁寧に靴を揃え部屋に入った卯月は、短い廊下を抜けリビングの床に腰を下ろし、肩に掛けていたトートバッグから何枚かのプリントとノーパソ、最後にノーパソより分厚い大きめの本……学生要覧を広げている。鞄の中身と服装からして大学終わってから直で俺の家に来たっぽい。

 

「で、今日は何の用で来たんだ?」


 卯月がうちに訪ねてくるのはコレが初めてではない。

 今週の頭から毎日この後輩は、午前中は大学で新入生向けのガイダンスを受け、その足でウチに来ては、ガイダンスでの疑問や思ったこと、また手続きなんかを俺に問うてくるのだ。

 

「今日は履修登録のやり方についてセンパイにお聞きしたくてですねー」

「あぁ、そういえば在学生俺たちも今日から登録期間だったな」


 卯月の言葉に、俺も履修登録をしていなかったことを思い出した。

 ペラペラと、まだ折り目の付いていない真新しい学生要覧を捲る卯月。どうやらここで履修登録をするっぽい。

 おそらく真面目に頼めば帰ってくれるだろうが、理由もなく追い返す気にもなれず……。というか半ば諦めてこの状況を受け入れている俺がいる。

 こういうのはどこかでキチッと線引きしとかないと、ズルズル引きずると相場が決まっているんだけどなぁ。

 だが別にソレが今日じゃなくてもいいのも事実。……既に俺はダメかもしれん。

 自分自身への呆れから溜め息を1つ、ノーパソのディスプレイが見るために彼女の隣に座る。


「履修登録なんてそう難しいもんじゃないだろ。ガイダンスでわからないことでもあったのか?」

「いえ全く。とても丁寧な説明でわかりやすかったですよ」

「じゃあ自分家でやればいいじゃん」

「やり方はわかるんですけどぉ、ガイダンスじゃどの講義が良いのか、わからないじゃないですか」

「良い?」

「大学ってビックリするくらい色んな授業ありますよね。ほら、このページだけでもこんなに!」


 学生要覧に載っている開講科目の欄を指さして、卯月は興奮気味に声を上げる。

 卯月の言いたいことはよくわかるし、共感もできる。

 俺も去年同じことを思ったものだ。


 これまで学校で受けていた教科といえば国語に数学、理科、社会、英語などなど。高校だと国語が現代文と古典に分かれたり、理科が科学の他に、物理や生物、地学の専攻があったが、それでも精々10数教科。

 一方で大学では数えるのが馬鹿らしくなるほど、多種多様な講義が行われる。しかも今まで聞いたこともないような名前の講義ばかり。

 俺も1年の履修登録は悩んだなぁ。


「2回生のセンパイなら面白い講義とか、単位の取りやすい講義を知っているのでは! と思いまして」


 その言葉に思わず口角が上がってしまった。

 前にも似たようなことを頼まれたな。

 あの時の幸薄そうな雰囲気を纏った後輩は見る影もなくなっだが、だからといって卯月麻衣という人物の何もかもが変わったわけではない。

 胸に心地よい懐かしさが込み上げてくる

 

「ふふっ」


 目が合うと、卯月が得意げに笑った。まるで「あれっ、デジャブ感じちゃいました?」とでも言うように。わざと似たような言い方をしたようだ。

 だから俺も当時したものと同じ言葉を返す。


「りょーかい」

 

 なんだが卯月に上手く乗せられて気がしなくもないが、俺は卯月の履修登録に付き合うことになった。



**********



 それから俺たちは会話することなく、各々のノーパソを開き作業に耽っていた。

 取って損のない講義を教えてくれ、と頼まれたものの問題点が1つ。

 俺、まだ今学期の開講状況知らない。

 知らないことを教えてくれと言われても無理な話。

 なので、まずは卯月が1人で受講する講義を考え、あとからソレを見て俺が意見を述べるということにしたのだ。

 部屋の中央にある小テーブルを卯月に譲り、俺は少し離れた位置で巨大クッションに背中を預け、自分のノーパソで履修登録を行っていると、不意に卯月が俺の画面を覗き込んできた。


「ふむふむふむ……」


 半ば寝転がるようなだらしない格好で作業を行っていた俺に、四つん這いで近寄ってきたせいで、彼女の顔が直ぐ近くにある。しかもしれっと肩に手置かれてるし……パーソナルスペースというものを知らないのか。


「もうできたのか?」


 ディスプレイ右下の時計を見れば、それなりに時間が経っていた。


「まずまずですかね」

「なんだその煮え切らない返事。思ってたより空きコマが多いとかなら気にしなくて良いぞ」

「そうじゃなくてですね……ちょっとセンパイのも知りたくて」

「俺の?」


 時間割を参考にするということだろうか。

 改めて入力中の時間割を確認してみる。

 2回生は1回生にに比べて必修講義が少ない上、多くの専攻講義が3回生以上しか受講できない。だから必然的にどの学年、どの学科学部でも受講可能な共通講義の割合が大きい。

 そのため取ってる講義は俺の興味、趣味嗜好に依存しているものが多い傾向にある。

 ほとんど1回生でも受けられる講義が多いから、全く参考にならない……ということはないだろうけど。

 

「いいけど、見てもそんな面白いものじゃないぞ。卯月の興味ない講義だって多いだろうし」

「大丈夫ですよ」

「ならいいけど。ほら」

「ありがとうございます」


 俺の背中越しからだとデスクトップが見づらいだろうから、卯月にノーパソごと手渡すと、彼女は先刻まで自分が作業していた小テーブルへ持って行き、自身の履修登録内容と見比べ始めた。

 

「センパイ、この火曜の4限って誰でも受けられますか?」

「あぁ、そうだな」

「なるほど……」


 と、卯月は1人得心いったように何度か頷き自分の登録内容を修正する。予定の入っていなかったコマに1つ科目が追加された。


「ちなみにこっちの秋学期のは?」

「それも共通……あ、でも春学期にある基礎1取っとかないと弾かれる」

「基礎1ですか。あー……わたし必修入れちゃってる……」

「受けたいなら秋学期に基礎1取って来年以降だな」

「ですね。まっ、別にいいです」

「? ずいぶんドライだな」


 今度はあっさりと諦めた卯月。そんなに優先度の高くなかったのだろうか。


「えぇ、わたし1人なら特別受けたいなぁとも思いませんでしたし」

「じゃあなんで」


 問うと卯月は俺と目を合わせ――。


「せっかく同じ大学なんですもん。一緒に講義受けたいじゃないですか」

「…………」


 ハニカミながら不意にそんなことを言ってきた。

 聞くだけで恥ずかしくて顔が熱くなった。

 この後輩はなんで、こうも恥ずかしいことを簡単に言えるのだろうか。

 

「というわけで他にわたしとセンパイが受けられる講義は……」

「ストップ」


 自分の目的を明かした卯月が、俺のノーパソ物色を再開する。

 が、一瞬早く俺は制止をかけた。


「何から何まで俺に合わせる必要ないだろ」

「でもですね」


 「でも」なんて子どもみたいな言い訳通用するわけがない。

 俺は言い開きしようとする卯月の声を遮って言ってやる。

 

「時間割見せてみろ。俺もお前の取ってる講義入れる」


 卯月が目を点にし唖然としている間に、小テーブルの上に放置されていた卯月のノーパソを掻っ攫い、彼女が取っている講義から適当に自分の時間割を当てはめていく。

 ようやく俺の言葉の意味が理解できたであろう卯月が、もしかして……と頭の中に生まれた可能性を口にした。


「センパイそれって……わたしと少しでも一緒に――――」

「違う。同じ講義受けてればなにかと都合がいいからだ」

 

 見当違いな妄言は即一刀両断。

 大学は中学高校以上に、交友関係が重要な場所である。

 サークルや学生会は勿論、気の知れたやつが同じ講義を受けていれば欠席時にノートを見せてもらえるし、レポートの相談もしやすい。

 それが高校時代からの知り合いで、同じマンションの隣室に住んでいるという、連絡の取りやすい相手なら、互いに利用し合える関係が簡単かつ強固に築ける。

 そう。だからこれは至って合理的な思考であって他意はない。

 決して!

 


 **********



【あとがき】


 拙作をお読み頂きありがとうございます。

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