第3話【引越し蕎麦なんてどうです?】


「はい、おまちどおさま。熱いので気を付けて召し上がってね」

「美味しそう……ありがとうございます」

「ども」


 店員のオバさんが運んできてくれた天ぷら蕎麦を見て、卯月が感嘆の息を零す。俺も同じモノを前に置いてもらったところで軽く会釈。オバさんがカウンターに戻っていくのを尻目に、再度手前にある蕎麦へと意識をやる。

 できたてとアピールするように湯気を立てた蕎麦に、思わず口の中に広がった生唾を飲み込んだ。

 一切くすみのないスープはカツオの香りがとても良く、後乗せされた2本の海老天も食欲をそそる。

 テーブルを挟んで向かいに座る卯月が待ちきれないと、机端から割り箸を2膳取り出し1膳を俺へ。綺麗に割った箸を、合わせた手の人差し指と中指の間に挟み――。


「いただきます」

「……いただきます」

「ん! ここのお蕎麦美味しい。しかも安いし、お家の近くにこんないいお店があるなんて嬉しいですね」

「そうだな」


 フーフーッと息で軽く冷まし口の中へ。美味さに目をキラキラとさせた卯月はご満悦のようだ。

 舌鼓を打つ卯月を1口目以降、蕎麦を食べずに向かいの席から見ていた俺は、さっきからずっと抱いていた疑問を口にした。


「で、なんで俺たちは蕎麦屋に来てるんだ?」


 場所はマンションから徒歩10分ほどの所にある蕎麦屋。営んでいるのは店主とその奥さんの熟年夫婦で、壁に掛けられたモノクロの写真から察するに、歴史を感じさせられる。

 メニューは『うどん』と『蕎麦』が5種類ずつと『おにぎりセット』のみと、やや質素だが学生の財布に優しい値段な上に美味い。基本的に客も少ないので1人でも入りやすく、かくいう俺も週1くらいのペースで利用させてもらっている。


 先刻ウチにやってきた卯月に突然「お蕎麦食べに行きましょ」と誘われ、あれよあれよという間に気が付けば目の前に蕎麦が置かれている。昼時なので丁度良かったが、今さらになって何故蕎麦なんだ? と疑問に思った。

 

「引越し蕎麦ですよ。引越し蕎麦」

「ああぁ……なるほど」


 詳しくは知らんが言葉は聞いたことがある。


「引越しのお祝いに、引っ越してきた人が近所の人にお蕎麦を振る舞うんです。だからお会計は私が持つのでセンパイは心配なさらず」

「いや自分の分くらい出すさ」

「それじゃあ引越し蕎麦にならないじゃないですか」

「別にきっちり仕来しきたりに従う必要なんてないって。それに蕎麦食おうって言ってたのは卯月だし、実質振る舞ってもらったようなもんだろ?」

「なんですかそのトンデモ理論」

「ほっとけ」


 自分でも無茶言ってるのはわかってる。このまま話が続けば再び卯月は奢るというはず。それは避けたい。だから話はこれで終わりと主張するように、俺は熱々の蕎麦を啜った。寝起きの腹にも優しい味が口の中に広がる。

 卯月はこっちの意図に気づいたらしく、「や……」と何か言いかけたが、二の句が出ず、また自分の蕎麦に箸を付け始めた。


 それから互いに話たいことがあれば話す、なければ食事に没頭する時間が過ぎた。

 客の少ない……というか、俺たちしかいない店内に2人分の蕎麦を啜る音だけが響く。

 その時間を苦だとは感じなかった。むしろ好ましい……いや。

 懐かしく感じた。

 ほんの少しだけ郷愁の念が胸に広がる。

 数年前から始まり、つい1年と少し前に終わった彼女との高校時代。

 今目の前にいる卯月に高校時代の面影はほとんど見られない。だけど彼女は俺の知る卯月麻衣なのだと、再認識させられた。

 彼女との思い出を振り返るように一言呟く。


「進路、変えたんだな」

「私も色々ありましたからね」


 色々……か。

 事も無げに返された言葉が孕む意味を、丸1年顔を合わせて話すのは愚か、軽い近況報告すら絶っていた俺には想像すらできない。

 高校時代の俺と卯月は決して仲が悪かったわけではない。というか学年が違うのだから、仲が良くないとお互いを認知すらするはずないんだけど。


「卯月の志望校ってたしか、うちよりレベル高いとこだったよな。やっぱ厳しくて諦めたとか?」

「うーん……どうでしょう?。3年の春にはココにしようって決めてたので、それまで目指してた大学の判定見なくなったんですよ」

「見なくなったって……滑り止めとか考えなかったのかよ。いや、滑り止めに受けるようなとこじゃなかったけどさ」

「まぁ、たぶん行けたと思いますよ。おかげ様で推薦枠を勝ち取れましたから」


 フフンッと自慢げに笑う卯月。

 もちろん彼女の学力の良さは知っている。それに俺が3年の時から生徒会長を務めいたのを始め、内申点も良かったはず。


 卯月は高校入学当初から進学のために推薦を狙っていた。彼女曰く「高い受験料と学費を払えるお金なんてウチにないです」だと。

 志望していたのは国内でも難関ということで有名な大学。

 ウチの高校に1枠だけあった推薦枠を勝ち取るべく、卯月が積み重ねていた努力は凄まじかった。俺が今まで会った人の中で1番努力していたの誰か? と問われたら逡巡することなく卯月麻衣の名前を出すレベル。

 しかし現実は残酷なもので、卯月は志望していた大学からランクダウンした、俺と同じ大学に入学することになった。


 彼女がどのような道程を経てこの大学に決めたのか、俺は知らないし、想像して見ろと言われたところで皆目見当がつかない。

 単に志望が変わったのか、推薦枠を別の生徒に取られたのかもしれない。なんなら推薦枠自体が撤廃された可能性だってある。

 確かなのは1つ。その選択が彼女の意志であろうと妥協案であろうと、俺と再会してしまったことは、卯月にとって最悪最低の不幸以外の何物でもないのだ。 

 ほんの短い期間とはいえ近くで彼女の頑張りを見ていたからこそ、今の状況を申し訳なく感じてしまう。


「――悪いな」


 罪悪感が臨界点を迎え、つい謝罪の言葉が出てしまった。


「何がです?」

「進学先が被ったの嫌だったろ。その、髪とか服とか雰囲気まで変えてせっかく大学デビューしようとした矢先、よりにもよって俺なんかと出くわすなんて。まぁ同じ大学だからって毎日顔を会わせることもないだろうから――」

「…………」


 図星なんだろう。卯月がとった沈黙は言外に肯定している証だった。

 わかっていてもいざ肯定されると辛いものがある。

 それ以降細やかな会話すら消え失せたまま、俺たちは蕎麦屋を後にした。



**********



【あとがき】


 拙作をお読み頂きありがとうございます。

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