【第一章】/第一話

 ジリジリと照りつける太陽を見上げ、もう真夏日かと声を漏らした。白い裾には花が舞い、今行きますと声が聞こえる。私はこの世界に、何なら十年以上前の私に関して、何一つ記憶を所有していない。唯一わかるのは、私がここで「フォル」と呼ばれていること。これはどこかの国で、「執行人」を意味する言葉である。つまり、私は何かを裁く人としてこの世界に存在していたのかもしれない。ただ、これは一つの仮説に過ぎず、正確なところは不明なので断言はできない。

 ただ一人、私の横で花を眺める彼だけは別の名で呼んでいた。「ベイリー」、これもまた「罪を裁く法廷者」を意味する名前だ。彼だけは、私をその名前で呼んでいた。

「……ん」

 彼は非常に無口で、愛想が無い。私は彼と出会ってから、恐らく記憶を失う前はどうだったのかわからないけど……今のところ、彼の笑顔はあまり見たことがない。人を嘲笑うような笑顔は見たことある、ただ、誰かを愛するような優しい微笑みを見たことはない。

 人の顔をジロジロ見やがって、彼は冷たく発した。私は彼からある程度のことは教えてもらった、帰る家とか薬を飲んでることとか。それで……――嗚呼、確か今からその家とやらに連れて行ってもらうはずだったんだ。

「帰らねぇの? 」

 不思議な、夢のようなものを見た気がする。あれが夢なのかはわからないけど、きっと夢だろう。

「ほらよ」

 彼は手を差し伸べてきた。私はそっと手を重ねる、耳元で「あーあ」と子供の声が響く。お姉ちゃん、本当にその人に全てを託してもいいの? そんな声が。

 彼の名前は……嗚呼、誰だっけ。黒い癖っ毛と、青系統のフードがついた服、それに隠れた片方の目は真っ暗に染まってる。整った顔立ちをしている。

「花がついてる」

 彼はそう言って私の髪に着いた植物をハラッと取り払った。帰ろう、どこに? お前の家、そんなやり取りをしていた。

 この世界の秘密を、私はまだ知らない。

 甘いお菓子とか、綺麗な海とか、可愛い子猫とか、私はまだ見たことがない。

 知らないままでいいのだろう、それでも誰かが語る。お前はそれを知らなければならない、知らないと先に進めない、お前は全ての記憶を思い出さなければならない。

「……ねぇ、私は誰なの? 」

 彼は首を傾げて答えた。

「――お前は俺の幼馴染、それだけ」

 それにしては、随分と悲しそうな顔に見えたけれど、気のせいなのだろうか。


 ――私は彼に身を任せた。足を運ぶと、広場とか住宅街とか、普通の街が見えてくる。さっきまでいたあの花畑は振り返ってもどこにもない。

「手品みたい」

「嫌味かよ」

「嫌味? 本当の事を言っただけ、どうしてそう思うの? 」

 彼は舌打ちして、此処では話せないと答えた。ここでは話せない事、ネタバラシと言うことだろうか。それとも、手品以上の何かがあるのだろうか。

 街を少し抜けた先に、随分と小綺麗な家があった。一軒家……家というよりこれは……まるで小さな屋敷みたいだ。

「お姫様がいるみたいな屋敷」

「お前の家だろ。屋敷じゃねぇよ、田舎じゃよく見かける」

「田舎? 此処は田舎なの? 」

 彼は私の言葉を無視して鍵を手渡した。そして、鍵で扉を開けるようにと伝えてきた。言われた通りに扉を開ける、中は思っていたより簡素だった。

「お前、日本の文化大事にしてただろ。だから靴を脱ぐ、これはお前のスリッパ」

「日本……? 」

「嗚呼」

 言われた通り靴を脱いで、室内用の靴に履き替えた。赤い靴のような可愛い上履だった。

 彼は鍵を閉めて、私と同じく靴を履き替えて室内に上がった。この屋敷は少し不思議で、見た目と比べて中は意外と質素な形だ。それでも、庭には綺麗な花がたくさん咲いていた。

「……あ」

 戸棚の上に置いてあるラジオ……どこかで見たことある気がする。気のせいだろうか……。

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