第29話 父、号泣す。

「お、男?」


私は繰り返した。


「男……?」


セバスも繰り返した。


「全く……お前たちは気づかなかったのか。あんな力持ちの女がいるものか。声も男の声じゃないか」


「あの、私はオースティン夫人とアンナ様が来られてすぐに、あのマジョリカに椅子を投げられてクビになってしまいまして、観察する時間がなかったのですが……」


セバスが言い出した。


「どの椅子を投げられたのだ?」


「あ……客間のソファーでございます」


「お前は一人で持ち上げられるのか?」


セバスはハッとしたようだった。


「そう言われれば……若い下男なら投げられるかもしれませんが?」


ダメじゃないか…… 父の目はそう言っていたが、義姉も知らなかったのではないだろうか。


「でも、お義母様が……」


言いかけたところで、父の顔が嫌そうにゆがんだのを見て、私はあわてて言い直した。


「だって、あのオースティン夫人が、ご自分の侍女のマジョリカだと紹介されたのですもの……それにご自分のことは母だと言いました。お父様の後妻だって」


父は目を丸くして、それからうめいた。


「……生涯の不覚……」



私とセバスとフェアファックス夫人は、そろそろと父のそばから離れていった。


大体の事情はわかったわ。


三人は、何やらうめいている父を残して書斎の外へ出た。

パタンと軽い音をさせて書斎のドアを閉めてから、フェアファックス夫人が優しく言った。


「お嬢様、今日の晩御飯の時は、お父様を無視なさってくださいましね」


セバスも深くうなずいた。


「それが一番です。旦那様には、生き地獄を味わっていただきましょう」




夕食時に無視され続けた父は、肩を落とし、泣き落としにかかった。


「ルイズ、お父様が悪かった。口をきいておくれ」


かわいそうに思った私は、髪を切られ、カツラとメガネをかけさせられて、学園で侍女の真似をして小金を稼いで飢えをしのいでいた話をした。


父は激怒した。そして泣いていた。


「くっ……オースティン家の娘が……」


「侍女をするのは、結構楽しかったのですよ」


「情けない。なぜ手紙を出さなかったのだ」


「出しましたわ。でも、返事が来ませんでした。それにお父様だって、一通も書いて下さらなかったじゃありませんか」


父は、うるうるになった大きな目をして私を見つめた。


「何回も書いた。でも、その度に、オースティン夫人から、ルイズが読んでくれなかったと弁解の手紙が来た。お嬢様は、そういうお年頃なのでしょう、この年頃の若い娘さんにはよくあることです、今だけですからと慰めの言葉が書いてあった」


私は、父を少々鬱陶うっとうしいと思っていたことを後悔した。その態度が父に不信を抱かせなかったのだろう。


だまされたのだ」


父は悔しそうだった。


学園に来ていくドレスがなくて、親切なアリシア様がご自分の家の侍女の古着を恵んで下さった話を聞くと、父は倒れそうになった。


横で聞いていたフェアファックス夫人は、憤怒ふんぬのあまり、もう夜中なのに、今すぐドレスメーカーのマーシャル夫人を呼ぶよう早馬を飛ばした。近距離なのに。


父は横で打ちひしがれていた。


「侍女服って、楽でよかったのですよ?」


私は父を慰めたが、父は歯を食いしばっていた。あまり慰めにならなかったらしい。


「こんな真似を娘にさせるだなんて……あ、ついでにアンナのドレスはみんな持って帰ってもらえ。あんなバカは知らん」


アンナ様のドレスは、見た目は派手だが、実は安物ばかりだった。伯爵家が使うドレスメーカーが作るようなドレスではなかった。


「うちの作ではないのですが」


寝ているところを叩き起こされたマーシャル夫人が渋った。彼女は伯爵家へ連れて来られる途中、お嬢様が侍女のお古を着ていたと言う残酷物語を切々と聞かされたらしく、アンナのドレスに嫌悪感を抱いたらしい。


「じゃあ、捨ててくれ」


「お父様!」


私は翌日アンナのドレスメーカーに連絡して、下取りに出した。お金になる。


私はお金の大切さを学んだ。良いことだと思う。




「アンナ嬢はどうなるのですか?」


フェアファックス夫人もセバスも、一言も何も言わなかったが、聞き耳を立てていた。


「あんな性根の腐った女はどうしようもない。バカだしな。どこかの鍛冶屋かじやの女房にでもなった方が幸せだろうが、野放しにしてオースティン家のことをあれこれ噂にされるのは嫌なので、修道院入りだ。オースティン夫人は、あれでも一応どこかの貴族の家の出なんだ。修道院に入るというので勝手にさせる」


「入会金は?」


すかさず私は聞いた。


「私が出す理由がないだろう。弟の遺産があるはずだ。なくても、結構やっていけるよ。修道院で働けばいいんだから。下女の仕事は結構あるそうだ」


「そうですわね」


私は微笑んだ。私だって、侍女としてなんとかやってきたのだ。条件は同じ。同情する必要はない。




フェアファックス夫人は私に謝罪にきた。セバスも庭師のジョジフやハリー、その他のメイドたちも一緒だった。


「あのような状態のまま、お嬢様を捨てて退職してしまって申し訳ございませんでした」


彼らは私に頭を下げた。


「あなた方はクビになったのよ? どうしようもなかったではありませんか」


「いいえ。粘ればなんとかなったのかもしれません。ですが、あの三人では残ったところで、できることは限られていました」


彼ら彼女らには生活がある。


給金を支払わないと言われたら、どうしようもないのだ。お金で散々苦労した今の私にはよくわかる。


それにしても、髪を切られ、変なカツラとメガネで変装させられ、アンナをオースティン家の令嬢と勘違いするよう仕向けられたけれど、父が戻ってきたら一瞬にして瓦解がかいするような計画だったと思う。


侯爵家との縁談が持ち上がっていたので、一度結婚してしまえば離縁はされないと考えたのかも知れないが、本人は針のむしろだろう。そんな詐欺みたいな結婚。


それに肝心かんじんのロジャー様がとことん嫌がった。


「ロジャーは見る目があるな。というかアンナが下品なだけか」


父がぼやいた。







私は、オースティン伯爵令嬢として、学園で再スタートを切る予定だ。


父はかわいそうなくらい、しょげ返って私に謝った。


「ルイズ、本当にすまないことをした。許しておくれ。オースティン夫人があそこまで愚かなことをするとは思わなかった。さぞ、いやな思いをしたことだろう」


他人の家の侍女のドレスを愛娘が着ていたことや、自分の家より家格の劣る家の娘たちに私が仕えていたことを聞くと、屈辱的で、自分で自分が許せなかったのだろう。


でも、私は正直、結構楽しかった。

だって、皆さま、ほめてくださった。


私のお茶は誰よりもおいしいと言っていただけたし、髪の直しやお化粧は誰がするより効果的で見栄みばえがすると喜んでくださった。


もし、最初から、オースティン伯爵家の一人娘ですと学園に入学していたら、アリシア様なんかは、絶対に様子見されただろうし、親しくしていた男爵家以下の方々と仲良くなるのには、もっとずっと時間がかかったに違いない。


「今後、お前が学園で不愉快な目に合わないように、できる限りのことをする。他人のドレスを借りていたことや、変装をしていたことについて何か言う者がいれば、厳正に処分するよう学園長に申し付けたから」



私は、ロジャー様ファンクラブは許せても、私に声をかけてきた三年生男子の件は父の耳に入れておいた。


父が顔色を変えていたので、多分、私が何もしなくても、そっちの方は相応のカタがつくだろう。


あの人たちの名前を調べるのは簡単だった。ロジャー様が絶対調べているに決まっている。あれから音沙汰ないところを見ると、個人的な制裁は終わっているとみた。


だが、ここは父にも加勢してもらってもいいと思う。


安心して学園生活を送りたいもの。




父は仕事に引っ張られて帰ってしまったが、最後に言った。


「私が、お前のことを、ちゃんと見ていなかったのがいけなかったのだ。もう子どもじゃない。お前を信用して任せておけばよかったのだ。帳簿関係はきっちりしたものだったと、セバスが言っていた。だてに学園一番ではなかったのだな」


私は目を輝かせた。


「そうですわよ。もっと信用してくださいませ。生活力もありますのよ? 超一流の侍女になれますわ」


父は憮然ぶぜんとした。


「それはダメだ。お前は侍女じゃなくて侍女を使う方に回ってもらう。どこの大家の夫人でも立派に務まる。一流の侍女になるより難しいぞ」

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