第39話 故郷の英雄(彼の計画は?)

「何をするんだ、ひどい娘だ。親を飢えさせる気か?」


 ふんっとカトリーナは鼻息を一つ。

 内陸部にしては珍しい、牡蠣のフライだというそれを素手で掴み上げると、ベールの隙間から口の中に放り込んだ。


「おい、聖女! だらしがないぞ」


 カトリーナは大神官の叱責など気にしない。

 それから数度、彼の手が伸びるたびにそれをはたき堕とし、自分だけ美味しそうな肉のパイや魚の切り身を蒸したものなどを口に運んだ。


「おい!」

「刺してもよろしくてよ?」


 と、もう片方の手にナイフを構えられたから、大神官はそれが真似だとは分かっていても、手を出せなかった。

 この娘なら、いざとなったらぶっすりと手を刺されることもありうる、とおもってしまったからだった。


「私が食事をできないじゃないか!」

「あら、聞こえませんわ。民衆の英雄なら、慕ってくれる彼らもそう、お父様が先ぶれして集めたあの獣人たちもそう。奇跡を起こして救って差し上げればいいのでは? カトリーナは教皇様と王国の理不尽さに腹が立っておりますの」

「ああ、そんな‥‥‥二人分しかないんだぞ。おい、その肉の香草包みは好物なのに……」

「そうですか? あら、近寄ると刺しますわよ? ああ、美味しい。本当に美味しい‥‥‥復讐の美酒はうまいっていいますけど、本当なのね」

「お前っ。私にこれまでの復讐をしている気か?」

「もちろん! いましかないじゃない、八つ当たりできる時間なんて」

「なんて娘に育ったんだ。父は情けないぞ‥‥‥ラーダ、お前の娘はとんでもない聖女になっちまった」


 と、そこでカトリーナの手が止まった。

 ラーダ? 女神様の名前が、どうして母親の名を言うべき時に入ってきたの? と訝しんで眉根を寄せる。


 とうとう、妻と仕える女神の名前すらも間違えるようになってしまったのかと、一瞬だが父親の老衰を嘆いたほどだ。

 でも待って、と手が止まった。


「お? くれるのか?」


 嬉しそうに手を出す大神官の上に、ナイフの柄の部分を軽く突き立てた。

 もちろん、刃はないから血が出るなんてことはない。


「何をするんだ! お前、今日はおかしいぞ。教皇のじじいのことくらいで、そこまで怒ることはないだろう?」


 ちょっと待って、とカトリーナはナイフの刃を煌かせる。

 その勢いに、大神官は文句をのみこんで、身を引いた。

 カトリーナはモグモグ、と口の中のものを咀嚼し終わると、グラスに注がれていたワインでそれを胃に押し込んでから、ふう、と満足そうな声を上げる。

 この時には、テーブルの上の料理はあらかた、彼女の胃の中に収まってしまっていた。


「美味しかった‥‥‥満足です」

「私の食事が」

「また野営地に戻って食事にすればいいでしょ! それよりもお父様。なんですか、さっきのラーダ、って。女神様とお母様の名を間違えるなんて、いつからそんなにもうろくしたの? 精神的にキツイことは理解できるけど。そこまで物忘れが激しくならなくてもいいじゃない」

「……男の神官にとって、女神はもう一人の妻であり、娘であり、妹であり、姉であり、母親でもある。そう教典にも書いてあるだろ……」

「あー……そう言えば、ありましたね。なるほど、では痴呆になったわけでも、それを演じたわけでもない、と?」

「当たり前だ。このままやられっぱなしで終わってたまるか。あのハゲジジイ、自分と身内だけ助けようとしているのを見ただろう? お前は悔しくないのか? 聖女として相応しくないから退位しろとまで言われたんだぞ?」


 ふうん‥‥‥と、聖女は上から下まで、大神官を値踏みするように見上げて見下ろした。


「別に。私の役職は女神様に与えらえたものですから。それを人間の世界の法律でどうこうできると考えている教皇様や王国側が不遜だと思うだけ。それで、お父様?」


 どうするの、とカトリーナは目をやった。負ける気はない? ならどうやって民を守り、パルテスまでたどり着き、女神教をあちらで再興するつもりなのか。訊いてみたくなった。


 大神官はしばし迷い、それから「盗むか」とポツリと発言する。


「は‥‥‥盗む? 何を、どうやって? どこから‥‥‥」


 決まってるだろ、と大神官は東の方角。王都の方角を指さして意地悪く笑っていた。

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