第29話 宝珠の行方は(盗めません)
「相変わらず起用だの、お前は」
「いえいえ。つまらない手慰みですよ。そして、これが、王都と」
王都の手前から、大神官は北から東へとしゅっと大きく、真横に線を描いた。
まるでそこで何かが別れるような。
そんな境界線のようにも見えた。
「向こう側が、王太子派。こちら側が聖女‥‥‥いや、教皇派、というべきかな?」
そう言い、大神官はそれを卓の真ん中に突きだすと、ニヤリと笑って見せる。
「通行料に、聖女と私。その二人の席を譲り渡せ、と。そんなところですか?」
ついでに勢いよく指先でそれを弾いたら、どんな技を使ったのか。
紙は教皇の顔にたたきつけられたように、吸い付いていった。
バシンっと小さな音がして、それがヒラリと剥がれ落ちると、まだ乾いてないインクの筋が老爺の広がった額に写っている。
カトリーナはそれを見て思わず笑いをこらえてしまう。
そうしたら、自分の右手側からも左手側からも、同じような失笑が漏れるのが聞こえてきた。
「う‥‥‥コホン」
場の威厳を正すように聖女は咳払いをする。
左右のまだ若い聖騎士たちは慌てて居住まいを正した。
ルーファスはともかく、ナディアは寡黙な女性騎士だと思っていたから、カトリーナにとって彼女のその反応はすこしだけ予想外だった。
たぶん、胸元ほどまであるだろう黒髪を結び、後頭部でまとめたその顔にはほんのりと恥じらいの朱が差していた。
一瞬、瞳を閉じ、自分を落ち着かせたのだろう。彼女は目を開けて、深く息を吸いこんでいた。吐き出すときに、周囲の視線を感じたのだろう。
右に左にと目を移し、カトリーナのベールの奥から興味深い視線が自分に注がれていることに気づいたようだった。
すっと首を上下させ、まだ言葉を交わしたことのない女聖騎士は、聖女に黙礼した。
そこには教皇よりはまだ厚い信仰心と聖女への敬意が存在しているように、カトリーナは感じた。
「無礼なッ」
その沈黙を破ったのは、誰でもない。
ジョセフから一撃を食らわされた教皇だった。
吐き捨てるようにそう言い、ナディアが差し出したハンカチで額を拭うと、それまでになかった更に敵意を込めた目で、見つめてきた。
なぜかジョセフ‥‥‥大神官ではなく、聖女のほうを。
どうしてわたしなのよ。やらせていませんから!
こんな子供じみたいじめのようなことなんてやりません、とカトリーナは鼻を鳴らす。
気の短い老人はいろいろと言いたかったことや、前置きや、嫌味なんかを全部すっ飛ばして、いきなり本題を聖女と大神官に叩きつけた。
「ジョゼフ! 宝珠をどうした!」
「……なに?」
ダンッ、と教皇は怒りのあまり、卓を手で叩きつけていた。
「おじい様!」と小さく制止の声が隣に座る女聖騎士からあがった。
なるほど、そういう間柄だったんだ。
と、カトリーナは二人の関係性を始めて知った。
教皇は東西南北の四つの分神殿を統括する。
それぞれは聖騎士によってとりえずは管轄されている。
どこの宗教でもそうだけれど、多神教の入り乱れるこの世界で、やはり強さを持つのは最後は武力なのだ。
その意味で、神殿騎士たちを統べる聖騎士を麾下に取り込むことは、女神教の内部で力を示すには大事な駒の一つだった。
孫娘をその座に置いたわけね。
そうなると、ルーファスはどうなんだろう、などと無関係のことにカトリーナの思考はそれていく。
宝珠なんて女神教における最大の秘宝のことは‥‥‥ぶっちゃけどうでも良かったからだ。
しかし、カトリーナ以外の人間にとってはそうもいかないらしい。
教皇は、再度、畳みかけるように叫んだ。
「宝珠だ! あの三十年と少し前に、わしらが盗賊から取り戻し、女神様によってこの国に結界を張ることが許され、その基盤となる‥‥‥この結界を管理するためのアイテムだ!」
「いやいや、ちょっと待て」
私は知らない、と大神官は真面目な顔に戻り、否定した。
「知らないだと? そんなはずがあるか! 本神殿から宝珠は大神官によって持ち出されたと、そう報告があがっておる!」
「ほう‥‥‥エイブス。あの新米大神官がそう言いましたか。それは面白い。ありませんよ。ここにはない、それに持ち出してもいない」
「証拠は‥‥‥? エイブスは野心にまみれた小心者だが、嘘を言えるような度量はない。例え、王太子殿下にうまく利用されたとしても、女神様を裏切るような真似はせん」
小者だということでそんな信頼を得ていると知ったら、新しい大神官も複雑な心境だろう、とカトリーナは思った。
同様のことを、今度はルーファスが思っていたようで、そちらとも視線が交錯し、互いに口元をほころばせる。
重苦しいはずの会議という名の糾弾の場は、なんだか違う意味でなごんでしまっていた。
「それこそ、証拠にもなりはしないだろう。曖昧な認識で人を貶めるのが女神教のやり方なのか?」
「自分が無関係の人間のように言うな! この騒動を引き起こしておいて、どういうつもりだ」
「私が張本人のように言うのはやめて頂きたいですなー‥‥‥第一、あんなもの持ち出してどうする‥‥‥」
そうねえ、とカトリーナは大神官に向かい相槌を打つ。
それは他の若い聖騎士たちも同じだった。
「……宝玉、直径で二メートルはあるのですよ? 教皇様。重さだけでも、それなりに。本神殿を建立した際に、神殿の最奥の一番上段に設置するときに、人手では無理で、魔導師やそれこそ、ほら‥‥‥」
と、カトリーナは天井を指さした。
その場にいた全員の視線がそちらに向く。
「この天空に浮かんでいる飛行船の助けでも借りてつり上げなければ‥‥‥ねえ?」
あんな巨大で同じ大きさの鋼の塊よりも重い物を、持ち上げて盗み出すことなんて、できるはずがないのだ。
カトリーナは呆れてそう言った。
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