第28話 教皇は不敵に(老害です)

 くくくっと、ザイガノは面白そうに小さく笑ってうなずいた。


「ジョゼフ、お前の若い頃にそっくりだな」


 そう言い、教皇は大神官を見た。


「聖女様、これは失礼。昔話ですからな」

「話が議題からいきなりそれて驚きの限りです。教皇様もそろそろお年を召したのかと‥‥‥」


 チクリ、と嫌味を効かせてカトリーナは反撃する。


「確か、神殿の規定では教皇様の在位期間はよくても、六十歳まで‥‥‥では、ありませんでしたか」


 寝ている間に何度も何度も読み返した神殿法規を思い出し、老害の座るべき椅子はありませんよ、と諭してやる。


「いやいや。これはこれは。まさか、大神官が本神殿を追い出され、聖女様が王太子様から婚約破棄されるなどと‥‥‥あってはならないことが立て続けに起こり、我ら、女神様のしもべとしては不安の限りでしてな」

「だから、五年間も長くその座に居続けていいとは、ならないと思いますが」

「ですが、ここでほれ。わしまでが引退したのでは、女神教が大混乱に陥りますでな」

「そうですか」


 つまり、自分が権力を握りたいのだ。

 二人の聖騎士の早すぎる代替わりも、この老人の命令で行われたのだろうと、予想するのはむずかしくない。


「ええ、それもありましてな。聖女様にもそれなりに責任を負って頂けると助かります」

「大神官様。教皇様がこう申されていますが?」


 と、話を父親に振ってみる。


「あーうん。そうですな」


 と、大神官は頼りない。

 教皇と大神官。

 両者の真ん中に座るカトリーナには、教皇が大神官の半分ほどの背丈しかないのに、まるで数倍、大きくなったように感じて見えた。


 それは、神殿を追いだされた者と、まだ神殿にその権勢を誇っている者との差、にあるのかもしれない。

 いや、恐らくそうだろう。


 心理的に、クーデターを起こされて追放されたジョセフと、カトリーナはいってみれば女神教に恥をかかせたと言い、非難されてもおかしくない存在だったからだ。

 教皇が退位を正式に求めるのも、神殿という一つの大きな組織に起こった大問題、その混乱をすみやかに終わらせるには良い方法だとも思った。


 ‥‥‥女神様がそれをお許しになるなら。


「私の若い頃はもう少し、目上の方に敬意を払っておりましたよ、教皇様」

「それは違いない。聖女様はすこしばかり‥‥‥そう。その身分に相応しい器量をお持ちでないかもですな」

「人の娘を悪く言うのはどうかと思いますがね、教皇殿」


 ジョセフが、教皇の呼び名を『様』から『殿』に格下げした。

 年老いてまだ権力にしがみつく老人は害にしかならない。さっさと引退しろ、そんな雰囲気をまとっていた。


 カトリーナが二人の会話にどこで入ったものかと隙を伺っていると、教皇は嫌味の応酬をさっさと切り上げて本題に入ってしまう。


「ジョゼフ。お前も分かっているだろう? 女神教を国教に指定させたお前の功績は大きい。それはこの場にいる誰もが理解している。だから、お前だってまだ大神官様、と呼ばれているわけだ。普通ならさっさと引退させているところだ」

「それはどうも」


 と、大神官。

 彼はさして驚きもせずにそれを聞いていた。

 このふてぶてしさがあれば、まだまだ生き残りそうだ。

 退位させられてもパステルの国へいけば、今度は父親が大神官と教皇を同時に名乗りそうだな、とカトリーナは思った。


 面白いので、大神官の応酬を観戦してみることにする。

 何より、退位を求めるためだけに、この城塞都市に彼らが集まったというのは‥‥‥なんとなく理由が陳腐だったから。


「ここは冷えるな。誰か、温かい飲み物と菓子でも用意させろ」


 ジョセフは後ろに立つ、神殿騎士の一人にそう命じた。

 卓の上には、ガラスの器とその隣に同じく透明なポットに溜められた水が全員分、用意されている。

 だがそれでは足らないと、大神官は追加を求めた。

 片手でローブの裾をつかみ、背中を小さく丸めて縮こまるような仕草をする。

 何も知らない者が見たら、反論できない弱い男が、背を丸めて困っている。そんな感じに見えただろう。


 しかし、カトリーナは。教皇はそれぞれ知っていた。

 大神官がこんな仕草をしたとき。それは壮絶な舌戦の開始の合図だということを。


「すぐに用意いたします」

「ああ、早くな」


 神殿騎士が復唱し、その場を立っ去った。

 それに応じたジョゼフの声が一段と低く、周りの者には聞こえた。


「教皇様。私を退位させたいならさっさとすればいい。少なくとも、本神殿ではすでに追放された身だ。なんの職位も持たない女神教の一信徒。それが私、ジョセフ・ルベドナの今の姿でしてな」

「ほう」


 と、教皇がうなずく。


「のんびりと娘を連れて田舎に引きこもろうとしていたら、パルテスの王族からお声がかかった。女神教を国教にするから、どうか聖女様と共にお越しください、と。だから旅に出た。ついてきた者たちは、みな自発的にですよ。ついでに、旅の道すがら昔なじみの‥‥‥聖騎士たちやあなたの顔を見て行こうかと。そう馬車の旅にしてみたら、いつの間にやら自分たちも行きたいと獣人だの、王国の民が集まっただけのこと。誰もわるくはない、罰せられることもない。そうでしょう?」


 と、大神官はいつの間に用意したのか、どこからか一枚の大きな紙と、ペンを握っていた。


 それを卓上に置くと、なにやら書き込んでいく。


 それは、まるで模写したかのように正確な、王国とその周辺の地図だった。

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