第21話 我が聖女様(物ではありません)


「我が聖女様」


 そんな声がかけられた。

 わたしはあなたのモノではありません、とカトリーナの心は小さく返していた。

 だけど、それは上辺だけの作り物の笑顔に阻まれて、外に漏れでることはなかった。

 乗っていた馬を従者に預け、彼は徒歩で近づいてくる。

 神殿騎士を統べる四人のうちの一人が、そこにはいた。


「これは聖騎士様」


 カトリーナは彼の家名を知っていたけれど、敢えてそれを口に出さなかった。

 特定の男性との距離を縮めるにはまだ心がそれを許さなかったから、そうするしかなかったのだ。

 しかし、記憶にあるその名前と年齢がどうにも一致せず、もしかしてと聖女は首を小さく傾げた。


 聖騎士は、聖女の社交的な微笑みと挨拶に、自分はあまり歓迎されていないと感じたのだろう。それ以上深入りすることもなく、距離を詰めようともしてこなかった。

 いまはまだ信頼されていない。


 彼はそう感じたのかもしれなかった。


「ルーファス・エディウス卿です」


 と、隣にいたエミリーが小さく耳打ちしてくれた。

 ルーファス? とカトリーナの顔が怪訝なものになる。


「西のエディウス卿……やはり、代替わりなされたのね」


 つい、そんな言葉が出てしまった。

 数歩先に立つ青年は、まだ少年の域をでない出で立ちをしていた。

 鈍い金色の髪、桃色の瞳があどけなさをそのうちに讃えている。知的な好奇心という名前の理性を忘れさせる何かが、彼の行動の一端を支配しているようにカトリーナには見えた。


 それは互いに噂にしか耳にしてこなかった二人が、思いがけず出逢ってしまったというべきかもしれない。

 困ったことに彼は部下としてそして敬虔な女神教の信徒として、聖騎士としてこちらに敬意と畏敬の念を込めた視線を注いでくれていたが、カトリーナは真逆のそれをもって迎えるしかできなかった。


「初めまして、我が聖女様。ルーファスと申します。つい、先月。父親よりこの地位を譲り受けました」


 聖なる騎士なのに、世襲制とはどうなの、とこの制度を考えた父親に呆れつつ、聖女は彼からそっと視線を逸らした。

 身体だけはあちらを向いていたけれど、その笑顔を見ることが辛くてつい、そうせざるを得なかった。


 彼の姿。

 聖騎士の容姿はその瞳と髪色の鈍さを除けば、思い出したくない相手……王太子ルディによく似ているものが見て取れたからだ。


「ご苦労様、エディウス卿。父とは話ができて?」


 お世辞にも彼を歓待していない、そんな儀礼的な言葉しか浮かんでこなかった。

 聖騎士はやはり自分は求められていない、と感じたのだろう。

 王国の貴族であれば当たり前に行うべき婦人方への挨拶……その腕を取り片足を引いて頭を垂れる、といったことを行えずにいた。


 王国では挨拶を受けるときは、女性から男性へと腕を向けるべきで男性側がそれを求めることはできても、強制することは許されないとされていたから、カトリーナはこのときだけ王国貴族の礼儀作法に感謝をした。


「先ほど、大神官様と短い間ですが、これからのことを話して参りました。ラクールは神殿の領地ですが政治を行うのは王国側の官僚なのです。王太子殿下から聖女様御一行には早く王国領土を過ぎて頂くようにとどこにも命令が下っておりますので……受け入れについてはいましばらくお待ちください」


 と、残念そうな顔をして聖騎士は会議の結果を簡潔に教えてくれた。

 つまり、大神官も良い案が浮かばないままだったということだろう。

 神官長からクーデターを起こされて追い出された経緯といい、父親のジョセフはどうにも考えがあるようでないような、そんなちぐはぐな印象しか与えてくれない。


 こんなに優柔不断で決断力と行動力の無かった人だったかと、カトリーナは頭を悩ませるしかできなかった。


「待つのは結構ですが、民はどうなります」

「民はまだ力を残しております。季節も夏に向かい太陽の炎も過ごしやすさを与えてくれております。まだ嘆くことはないかと」


 おっとりとした声で、ルーファスはそう述べた。

 それは聖騎士にしては優しさの残る声であり、王太子の面影を彷彿とさせながらも、あんな無機質な冷たさを放り込むような声ではなかった。


 自分よりも一歳か、二歳か。


 そのくらい年の差があるかもしれないとカトリーナはふと思って彼に視線を戻す。

 正確にはその年齢にしては厚い胸板から、彼の幼さの残る口元へと、それは向いていた。


 そこからすっと伸びた鼻梁を通り、彫りの深い顔立ちはやはりルディを想い起こさせるものの婦人を思わせるような長い睫毛に、自分よりも品がよさそうな目元の涼やかさにどこか嫉妬のようなものがカトリーナの心に浮かび上がる。

 女性よりも美しい男性を見るのは珍しくはなかったけれど、苔色の瞳の代わりにあった桃色のそれは、ルディよりも幾億倍も知性とたくましさと、包容力を醸し出していた。


「聖女様?」


 数瞬。

 ほんのまばたきを数回するだけの間だったが、無言になってしまったカトリーナを、今度はルーファスが怪訝そうな顔をして眉根を寄せていた。


 自分がなにか無作法なことをしてカトリーナを怒らせてしまったか、それとも言動に不備があり不機嫌を彼女にもたらせたかもしれない。

 聖騎士の声にはそんなものが含まれて、カトリーナの耳には届いていた。


「そう。任せます……大神官様とよく知恵を出し合って民を救ってください、聖騎士殿」

「あ、はい。それはもちろん」


 ルーファスの顔にはやはりなにか不始末をしでかしたか、とそんな色が浮かんでいた。

 カトリーナは後ろに控えているエミリーにだけ見えるようにして、そっとお尻の後ろにまわした片手を上下に振って見せた。


 どうにかして、この現状を!


 言葉にはできない焦りと戸惑いがその手の動きの一つ一つににじみ出て見えて、エミリーは思わずあの困ったときに浮かべる微笑みを浮かべてから、はいはいと頷き、聖騎士に向かって声をかけた。


「エディウス卿。聖女様はご快復なされてからそう日も経っていらっしゃいません」

「それは……申し訳ないことを致しました。自分はこれで失礼いたします。どうかお早く全快頂けることを祈っております」


 遠回しに聖女様はあなたとの時間をこれ以上は共有したくないですよ、と聞こえたかもしれない。

 まだ青年になりきれていない少年は、しきりに恐縮したまま挨拶もそこそこにその場を辞して去っていく。


「惜しいことをしましたね」

 長い付き合いでカトリーナが寄越した合図は聖騎士を嫌ったものではなく、何かべつの事情で思考が追いつかず出された救いを求めるものだったと、エミリーは気づいていた。

「いいから! ……戻るわ」

「はい、姫様」


 よそよそしい態度で口数も少なく、いつもの威勢の良さも失ってカトリーナが先に立ち歩き出すと、エミリーはあの若い騎士と主人の間によい関係が築かれることを祈って、後に続いたのだった。

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