第20話 悪い女(聖女は成長します)
このままでは信徒を言葉通り路頭に迷わせることにもなりかねない。
季節は春から夏に向かっている。
春の穏やかな陽気が少しずつその濃さを増していて、だけど、その温もりも結界の威力が弱まればあっけなく冬の終わりに戻ってしまう。
それは北側の山々……雲を貫くほどの高さを持たないそれらを見ても明らかだ。
あの山の手前から帝国の領土が始まるそこは、薄っすらと雪が積もって見えた。あと二か月以内に隣国に辿り着かないと食料と燃料の終わりと共に民の幾ばくかは凍死することになるだろう。
なにせ、みんな冬を越せるだけの用意なんて持たずにここに参加しているのだから。
「春から夏の国へと移動するつもりだもんねー。仕方ないか」
「仕方ないかといえば、あれもまだ解決されておりませんけど」
このまま解決されないおつもりですか、とエミリーが手のひらであちらにありますよ、とそれを示してくれる。
「あー……あれ、ね」
うんざりしたような声とともに見たくない、とカトリーナは顔をそむけた。
「あらもったいない。あんなに多くの殿方からお気持ちが届いていますのに」
まあ、仕方ないですね、とエミリーは贅沢だと言いながら同情してくれた。
そこは女同士だ。
聖女が婚約者である王太子に捨てられた話はどうやらとうの昔に国内外に広まったらしい。
『聖女』なんて当人であるカトリーナからすればどうしようもなく面倒くさい役割は、政治を担う者たちや、貴族や金持ちにとっては利用しやすいアイテムのようなものらしい。
さすがに敵国家である帝国からやってくることはなかったが……。
「お気持ちだけで荷馬車数台になるようなモノを贈りつけてくるのだから、殿方とは計算高いものですねー少し分けて頂きたいくらい」
「……行く先々の街で売れる物は売って頂戴。それを旅費の足しにするわ。ラクーナの商人も交えてきちんと話をしないとね。あんなの荷物にしかならないから」
「……勿体ない。物欲がない聖職者というのは素晴らしいものだと思いますけれど。本当にそれでよろしいのですか、姫様」
「いいのよ。お父様に任せていたら荷物が増えるばかりだもの」
そうですねえ、とエミリーはうなずいた。
信徒は日増しに増えていて減る様子もない。
最初に大神殿から持ち出した資金がもう八割に目減りしたと、この場所に着いた当日の幹部会で経理担当の神官と出入りの商人が漏らしていた。
このままでは隣国との国境線を越えられるかどうかも怪しい。
「わたしの私財になるでしょう、あれは」
「それはそうですね。聖女様宛に贈りつけられた品ですし。でも、売り払ったらあとからどんな文句をつけられても逃げられませんよ」
「そこはほら。寄進として頂きました、とかなんとか言えばほら。わたし、聖女だし……あくどいかしら」
「とても。とても悪い女に見えてきましたよ。エミリーは悲しいです」
「勝手に悲しんでらっしゃいな。王宮にいたころはなにも感じなかったけれど、わたしたちを頼ってやってきた信徒を見ていたら、随分と贅沢をさせてもらっていたと感じるの。殿下へのルディへの怒りは別として」
「報復なされたいならもう少し御時間が必要かと思いますけれど。女神教を周辺諸国に布教して、王国をぐるりと包囲して、そのあとに王国から女神教の拠点を引き上げると通告すれば、謝罪どころか平伏してくるかもしれません」
「……物騒なことを考えるのね、あなた」
「娘のようなカトリーナがひどい目に遭わされたのですから。それは怒って当然です。でも」
「いいわ、今は力がない。武力も対抗する経済力もね。逃げている間に王国の軍隊から攻められでもしたら抵抗のしようがない。と、いうわけであれはわたしの一存で処分します」
「はいはい。分かりました。ラクールに遣いを向かわせます。引きとり買い受けできるだけの財力を持った商人を幾人か呼びましょう」
そう言うと、エミリーは踵を返して聖女に背を向けた。
彼女の視線の先にはようやく大神官と会談を終えたのだろう。
カトリーナが振り向くと、例の聖騎士を伴った一団が、大神官の馬車から降りて来るところだった。
「やっぱり、カッコいい!」
エミリーの騒ぐ様子はいってみれば憧れの有名人を目にした街娘たちの喜ぶ姿と大差ないのだけれど、カトリーナからしてみれば、エミリーは神殿の巫女なのだから上司に対して、少しだけ無礼な態度を取っているような気もした。
「聖女に、大神官に、教皇に、聖騎士が四人……、と」
それぞれ、女神の現世における代理人、神官長たちを率いて本殿とその直轄地を管理する長、分神殿の長である司祭たちを管理監督する長、東西南北に位置する分神殿を統括する支部の神殿の軍隊の長。
と、そんな感じに女神教は別れている。
その七人のトップのうちの三人がここにいる
「あら、姫様」
「はい?」
と、エミリーが驚いた声をあげたからその方向を見ると、一度は離れていった分神殿の者たちが騎乗したり乗車した馬車の一群がそこにはあった。
「聖騎士様が……」
「やってきそうね」
ああ、またか、と重い吐息がカトリーナの口を突いて出た。
どうやらまた父親の大神官がいうところの『政治』とやらに巻き込まれそうな予感がしてならなかった。
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