第22話 見えない軋轢(フレンヌが動きます)
その日の夜。
聖女としての長い一日を終え、カトリーナはようやく臨時に張られた自分のテントと、そこに設えられた寝所へと足を向けた。
馬車で移動するという駆け足で過ぎ去りそうな一日も、やることは意外と普段と大差ない。
朝の礼拝では信徒たちと共に東の空へと向かい女神に祈りを捧げ、昼になれば移動を止めて炊き出しの準備に取り掛かり出来上がった食事を口に運ぶ。
聖女であることは一つの特権だったし、それはいつどんなときも人目に晒されるという点と、大勢の誰かの前で、威厳と神秘さを讃えた所作を見せなければならないという点を我慢できたら、これほど自由で誰にもどんなものにも縛られない存在はないと言われていた。
でもそれは言われているだけで、実際にやってみればこんな重責のある仕事といっていいのか……とにかく国王以外に王国で権力をもつ存在は、聖女くらいだ。
そして、とてつもなく不便でこれほど報われる仕事もないだろう。
カトリーナは自分の役割をそう考えていた。
ベッドの前で、夜着に着替えさせてもらいながら姿見に映る自分を見て、カトリーナは困ったなあ、と小さく漏らしてみる。
いま寝室のテントのなかにいるのはエミリーと、彼女と同じくらいかもう少し仕えた期間が短い侍女たち数人で、気心が知れた者同士、という意味では聞かせてもいい雰囲気にはなっていた。
「聖騎士様のことですか?」
「違うわよ、結界。民をどうするか。それを考えていたの」
大神官とは別のルートで聖女の側近たち数名がまだ王都や王宮内に残っている。
彼らは王太子や宮廷魔導師フレンヌのその後の動きを密やかに、カトリーナに伝えてくれていた。
そんな者の一人から、獣人たちの移動にはどうやら新しく王妃になるフレンヌの意向が関わっているらしい、と報告があったのだ。
「ああ、あちら側のことですか」
と、そのことを知っているエミリーはなるほど、と頷き困りましたね、と返事をしてくれた。
「いっそのこと、わたしが売りたがっている贈答品を集めている馬車を襲ってくれたら楽でいいのに。犯人も割り出しやすいし、泥棒ならまだ退治もしやすい」
最悪、犯人の首を贈りつけても恨まれないかもしれない。
そんな物騒なことを口にする聖女の心はまだ病んでいるのかな、と侍女は判然としない笑みをして返した。
「だいたいね、お父様が国境沿いをいく。なんて決められたから問題なのよ。あのまま、アルタから国境を出て、そのまままっすくにパルテスに行けば一月は移動の期間を縮められたのに」
「西と南の分神殿からなるべく多くの物を移動したかったのでしょうね、大神官様は。神殿騎士にしてもそう、各地の王侯貴族とのつながりにしてもそう。パルテス以外も視野に入っているのかもしれません」
「考えるだけでも頭が痛くなるわ。それよりもあれは調べてくれた?」
あれ、とはうやむやになっていた獣人たちがどこから来たのか。もともとはどんな身分だったのかを調べて報告しろとエミリーに任せていた件だった。
「ええ、姫様。やはり解放奴隷が八割。それと半数は、各領主様の意向が反映されているようです」
「つまるところ、誰もが……負債を抱えたくないのね」
「新しく婚約者になられた殿下のお相手は、獣人の姫君というお話ですから。とはいっても、あのフレンヌ様なら、同胞を裏切ることはしないでしょう」
「奴隷のように扱うよりも、さっさと本当の意味で身分を自由にして解き放ち、睨まれないようにしたい。そんなところかしら」
「そうですね。後は……費用の問題かと」
「国を保つには、資金と民と城が必要だから……まあ、地方貴族たちの気持ちは分かるわ。解放奴隷を抱えていれば富を築ける間はいいけれど、もしこの国がむかしのような状態に戻ったら多くの領主はそれが負担になる。民が多く死ねば国王から罪を問われるから、誰もそんなことにならないように手を打ちたい」
聖女が隣国に。
それも獣人たちの生まれ故郷にこれから行くことは、解放奴隷をどこかに押し付けたくても出来ないでいた、地方貴族たちにとっては歓迎すべき救いになったわけね。
と、カトリーナはついついそう考えてしまう。
「お父様がここまで見透かして動いたのか、それとも女神様の恩寵というべきか。悩むところだわ」
「姫様が大神官様のように、女神様とお話をできたら宜しいのに」
「……そうなったら重責感でもっと病んでしまいそう」
「あらあら」
エミリーは寝る準備がすっかり整ったカトリーナがベッドに横たわると、上から静かに布団をかけた。
「女神様はすべてお見通しですよ、姫様」
「多分、ね。もういいわ、ご苦労様」
「おやすみなさいませ」
挨拶とともに寝所から人が出ていき、その入り口には女の神殿騎士たちが聖女の護衛につく。
夜番の者たちをねぎらうための祈りを女神に捧げ、カトリーナはそっと目を閉じた。
「わたしは……」
自由になりたい。
そんな本心がちらっと顔を脳裏の片隅に見せては消えていく。
新しい結界をどう作るべきか。
カトリーナは意識が闇の底に吸い込まれていくまで、そのことだけを考えていた。
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