第3想定 第5話
福岡県の基地から観測機が到着した。
まさかC‐1輸送機がやってくるとは思わなかった。
白い下地に青いラインとSのマーク。いわゆる海上保安庁のパクり塗装に身を包んだC‐1輸送機が。
アメリカ軍から供与されていたYS‐11の老朽化のため、新たに国内で開発された中型輸送機がこのC‐1輸送機だ。初飛行は1970年と相当昔だけど。
準備がひと段落して離陸するまでの空き時間に
というか俺が乗っているときに落ちないよな?
身の危険を察して今すぐにここから脱出したくなったが既に手遅れ。輸送機のエンジンが唸りだして機体がゆっくりと動き出した。
こうなっては仕方ない。
空挺降下が始まればこの事故機からも脱出できる。
それまでの我慢だ。
初めて搭乗する機内を眺めて気を紛らわせる。自衛隊が運用しているC‐1輸送機は1個小隊45名を空輸する能力がある。しかし愛情保安庁が装備しているこの同型の観測機はヤンデレワールドの探知機を搭載しているため貨物室が圧迫されて14人程度の輸送能力しか持っていない。あくまで観測機として導入された機体だから輸送能力はおまけみたいなものだ。
いつもならば紺色のアサルトスーツで出動しているが、今回は森林の中での作戦ということで全員が迷彩服を着ている。もちろん視認性を低めるために顔にはドーランを塗って迷彩を施し、ブッシュハットを装備。森の中でのヘルメットは意外と目立ってしまう。自然界には球体状の物体というものはあまり存在しないから本能的に注目してしまうものなのだ。
向かい側の簡易座席には
今回はヤンデレに気づかれずに降下して救助目標を回収。そして見つからずに作戦地域を脱出するのが任務だ。あくまで隠密作戦であってドンパチするために行くわけではない。軽機関銃やグレネードのような爆音が出る武器の使用は敵にこちらの位置を知らせるようなもので自殺行為というもの。しかし絶対にヤンデレに発見されないというわけではない。万が一発見されて戦闘状態になったときに弾幕や煙幕を張って援護するのが彼女たちの役目だ。
他の面子はいつも通り折曲銃床式の89式小銃。機種はバラバラだけど当然全員がサイドアームの拳銃を携行している。
体をひねって窓をのぞき込むとSST基地の手空きの職員、そして宮崎県警航空隊の隊員と警察学校の初任科生が手を振っていた。姉ちゃんにフルボッコにされていた浜崎さんや去年卒業した部活の先輩である基山学生も手を振っている。
機体は空港施設を右手に
しばらくすると遠くから旅客機が降りてきた。フラップを下げて
しばらくするとC‐1が再び動き出し、滑走路に進入して一時停止。
ひと呼吸したのちにエンジンがバリバリと爆音をあげながら滑走を開始。あっというまに機体はふわりと浮き上がり右旋回。
都城市や日南市の上空をぐるっと回って高度を稼ぐのだ。
目指すは高度1万メートル。
その高度に到達したら後部のハッチを開いて戦闘員の投入が始まる。
俺にとって初めて実戦の空挺降下だ。
『
輸送機後部の傾斜ランプが開放され、続いて観音扉のハッチが開かれる。
俺たちは最後の装備点検を行う。輸送機を飛び降りたはいいもののパラシュートを開放するための索が絡まっていた、なんてことになっていたら大変なことになってしまう。装備品もきちんと体に固定されている。途中で脱落することはない。酸素ボンベもきちんと動作している。敵弾に倒れるんじゃなくて窒息死だったなんてことになったら死んでも死にきれない。
『降下1分前』
いよいよ飛び降りるときだ。
「姪乃浜」
『なんだ? 遺言か?』
「そんなわけないだろ」
緊張や興奮を抑えるため、俺はなんとなく姪乃浜へと無線を入れた。
いまさら遺言なんてものはない。
そもそも遺書書はすでに書いて基地に置いてある。
というか入隊初日に姪乃浜に書かされたじゃねぇか。
「鳥になってくる」
『星になってくる、の間違いじゃないか?』
「縁起でもねぇよ」
俺が今回も死ぬと思っているのか?
だけど俺は成長しているんだ。
必ず生きて帰ってくる。
一度も死なない。
絶対に殺されない。
命を懸けたっていいさ。
『降下10秒前』
カウントが減っていく。
そしてランプが青く光った。
『グリーンオン』
降下開始の合図だ。
俺は勢いよく空へと飛び立った。
空気が体を切り裂く。
体が冷える。
落下速度は徐々に増していき最高速度の時速300キロへと到達。
地面が徐々に近づいてくる。
………………。
………………。
………………。
………………。
………………。
………………。
………………。
しかしパラシュートを開くのはまだだ。
両手両足を広げて空気抵抗を増やして減速を図る。
まだだ、まだ高度が高い。
………………。
………………。
もう少しだな。
左腕に装着した高度計をチラリと確認する。
………………。
よし、そろそろ高度三百メートルだ。
索を引いて
スクエア型のパラシュートが引っ張り出されてみるみるうちに空に開いていく。傘が完全に開いて急減速。体に強烈な衝撃がかかる。
十分に減速してふわりふわりと降下していく。といっても着地の時は三階建てのビルから飛び降りたときぐらいの衝撃を受けるけれども。
ハンドルを操作して降下地点を調整する。
あそこに小さな空き地がある。そこに着陸しよう。
よし、このままだ。
パラシュートに引っ張られながらも木々の間に吸い込まれていく。
そして着地。
基地でこっぴどく訓練された通りの五点着地。
パラシュートを切り離し、降下装備品のすべてを近くの茂みに隠して投棄する。折りたたんでいた89式小銃の
「姪乃浜、潜入に成功した」
「よくやった。まずはありさ達と合流しろ。その近くにいるはずだ」
「了解」
「間違えても誤射なんてするんじゃないぞ」
「大丈夫だ」
その後、すべての隊員と合流することができた。
もちろん誤射なんてことはしなかった。そんなことをすれば銃口を向けたとたんに倒されるからな。しかも帰ってからの訓練追加だ。そんなバカなことを俺がするわけがない。
周囲の植物をナイフで刈り取って戦闘服やブッシュハットに差し込んで偽装する。ただ単に偽装すればいいというわけではない。少なければ効果がないし多すぎても逆に目立ってしまう。それに一か所だけから採取していればそこが不自然に目立ってしまう。切断面を見られれば何者かがそこにいたことが分かってしまう。
お、こいつはマタタビの実だ。
俺は反射的にそいつを収穫して口の中に放り込んだ。
マタタビは酒に漬け込んで『マタタビ酒』にするのが有名らしいが残念なことに俺は未成年だから飲酒なんてできない。しかし収穫した生のままならば酒ではないから何の問題もないはずだ。
「みんな、準備はできたね」
「ああ、大丈夫だ」
時間があればもう少しマタタビの実を収穫したかったが俺は猫じゃない。俺は任務を目の前にしてマタタビに気を取られるような間抜けではないのだ。
全員の偽装が完了して問題がないことを姉ちゃんは確認すると、俺たちは陣形を組み、最初の目標地点であるポイントブラボーへと進軍を開始した。
「!」
地面にしゃがんで茂みに身を隠す。
それは降下したポイントアルファからポイントブラボーに向かって900メートルほど進んだ場所での出来事だった。
「誰かがいる」
無線で他の仲間たちに報告する。
『了解。全員展開して警戒。宗太郎以外は指示があるまで発砲を禁止』
それぞれから了解の無線が入り、やがて配置よしの連絡が入った。
『宗太郎、その人影の状況を教えて』
「馬に乗っている。腰にはホルスター、おそらくリボルバーと思われる」
出撃前のブリーフィングでは、初動対応に向かった特殊1は馬に乗ってリボルバーを装備したヤンデレと遭遇したと報告していた。
実際にその人物を見たわけではないが、いま目の前にいるやつは説明通りの姿をしている。
『姪乃浜、ヤンデレと思われる人物を発見した。特殊1が遭遇したヤンデレと人着が似ている』
『了解。最初のヤンデレと同一人物である可能性が高い。接触を開始せよ』
『了解。これより接触する。宗太郎、よろしく』
「了解」
俺たちの本来の任務は負傷して身動きが取れなくなった機動隊の救出だ。そのためにはヤンデレに発見されることなくターゲットの元にたどり着く必要があった。
しかし目の前にはこの問題を起こした張本人としか考えられないヤンデレが馬に乗って佇んでいる。ヤンデレを鎮圧、つまり問題を根本的に解決すれば隠密行動をすることなく堂々と安全に負傷者を救出することが可能になる。
俺は89式小銃を指向しながら近くの大木の近くに移動する。ここなら撃たれても防いでくれるからな。
身の安全を確保したのちにその物陰をのぞき込む。
彼女はまだこちらの存在には気づいていない。
「動くな!」
俺の誰何でその人影はこちらへと振り向いた。
「撃つぞ! 動くな!」
正体不明の彼女は第一戦闘班からの報告に遭った通り、西部劇から出てきたかのようなガンマンの恰好をしていた。
間違いない。
彼女はヤンデレだ。
「民間人が誘拐されたと聞いてやってきた。やったのはお前だな」
馬に乗っているのは女の子だった。
それ以外には誰も乗っていない。
「まずは攫ったやつを返してもらおうか。さぁ、どこにやった」
「……言う必要はないわ」
彼女は馬に鞭を打って走り去ろうとしていた。
そうはさせない。
俺は馬の頭部に照準して3発ほどお見舞いした。サプレッサーで抑え込まれた銃声が湿った森林に轟く。脳みそを失った馬はばたりと崩れ落ちて乗っていたヤンデレを地面に放り投げた。
「ソフィア!」
立ち上がった彼女は絹を裂くような悲鳴を上げ、肉塊と化した馬にしがみつく。
「人間は動物の犠牲の上に生きている。必要な犠牲だ。「泣いて馬肉を斬る」と言うだろう?」
「それを言うなら「泣いて
「バショクってなんだよ!」
ソフィアだかマフィアだか知らないが相棒を失ってよくそんなことを言えるな。
もっと日本語を勉強しろよ馬鹿。
わざわざ難しい言葉を使っておいてそれが間違っているなんて間抜けだぞ。
「私のソフィアによくこんなことをしてくれたわね」
ヤンデレは腰のホルスターから拳銃を抜き、片手でクルクルとガンスピンを始めた。
おい、なにをやっているんだ。
ここは戦場だぞ?
一瞬の油断でも命とりだ。
彼女は一通りテクニックを披露したことで満足したのだろう。俺のほうへと銃を突き付けてきた。すかさず木の陰に隠れる。敵の前でガンアクションをするような狂ったやつだ。ヘマするのを待ったほうがいいだろう。
「絶対に許さない!」
静まりかえった森に銃声が響いた。
この音、もしかして357マグナムか?
「死ねぇ!」
再び銃声が轟く。
リムドカートリッジ、いわゆる薬莢の尻が出っ張っているこの357マグナムはリボルバー用の弾薬だ。つまり装弾数は6発。2発使ったから残りは四発だ。
さらに発砲させて弾切れにさせたほうが安全だろう。挑発して無駄弾を撃たせるためにも俺は身を乗り出して肉塊と化した馬に向けて数発発砲する。これで彼女は反撃してくるはずだ。
案の定撃ち返してきた。
今ので2発。
これで合計4発だ。
俺は再び89式で威嚇射撃。
威嚇という名の挑発だ。
正確に照準する必要がないからそれだけ身を乗り出している時間が削れる。相手は装弾数が少ないうえにリロードに時間がかかるリボルバー。それに対してこっちは装弾数もリロード速度も勝っているオートマチックライフル。
俺の射撃が終わったところで彼女は再び2発撃ちこんできた。
よし、これでやつは弾切れだ。
大木の影からそろりと姿を現し、ヤンデレと正対する。
「アンタに2つ、忠告をしてやろう」
「……なによ」
ヤンデレはリボルバーをスピンさせてホルスターへと収納した。
「ひとつ。ガンスピンなんて戦場でするものじゃない。一瞬の油断が死につながる」
「!」
彼女はイラついた表情で戻したばかりの拳銃を抜いて俺へと突き出した。
そうそう、それだ。
「それともうひとつ。お前は根本的な誤解をしている」
6発。
リボルバーの装弾数は6発。
残弾数を体で覚えることだ。
この時代にリボルバーを使うんだったらそのくらい覚えとけ。
「お前に、俺は、殺せない」
銃口を外して両手を開いて見せる。
どうだ。
俺を殺したければ撃ってみろよ。
案の定彼女は挑発にのって眉間に皺を寄せた。
「なめるな!!」
【SOTARO IS DEAD】
「なんでだよ!」
姪乃浜が形式ばった宣言をするまえに俺は絶叫した。
きちんと数えたぞ!?
やつは確実に6発発砲していたはずだ。
「宗太郎……」
「……なんだよ」
「……油断はするな」
途中でリロードしたのか?
いや、相手はリボルバーだ。
そんな短時間でリロードできるわけがない。
「宗太郎、相手はガンマンみたいな恰好をしているんだな?」
「その通りだ。そして確実にリボルバーを使っている」
「相手は6発以上の装弾数を持つリボルバーを使っていると考えるのが妥当だろう」
「だけど西部開拓時代に6発以上装填できるやつなんてあるのか?」
その時代のリボルバーはシングルアクションしかなかったはずだ。俺はリボルバーについては詳しくはないがシングルアクションで6発以上装填できるやつなんて聞いたことがない。
シングルアクションアーミーは6発。
スコフィールドも6発。
ドラグーンも6発。
パターソンにいたっては6発。
しかも最後の2つはパーカッション式。戦闘中にリロードするなんて不可能だ。
「新しい機種かもしれないぞ」
「ダブルアクションか?」
わざわざ
現在のリボルバーなんてダブルアクション方式のほうがほとんどだ。
「やつは時代の流れに乗っているガンマンなのかもしれない。どちらにせよ相手はまだ弾切れを起こしていないのは確実だ。油断せずに対処しろ」
【CONTINUE】
「……なによ」
ヤンデレはリボルバーをスピンさせてホルスターへと収納した。
え?
よりによってここからか?
二つ忠告をしてやろう、って自信満々に言ったところからかよ。
「……まず……ひとつ。………………」
「……なに?」
戦場でガンスピンをするなって言ったら銃を向けられたんだよな。それならそれは言わないほうがいいだろう。
「……その前にリボルバーをホルスターに納めてくれ」
「そっちのは?」
彼女は俺の89式に視線を送る。
そうか、俺のほうから外してやるか。
敵意がないという意思表示を確認してヤンデレも銃をホルスターに戻してくれた。まぁ俺は銃口を外したが、他の仲間たちがやつを照準しているからな。
「忠告というか質問だ。連れ去った民間人はどこにやった」
「なんでそれを教えないといけないの?」
俺たちの最優先任務は負傷した機動隊員の救出。ヤンデレ鎮圧はその後だ。しかしヤンデレと遭遇している今の状況では主目標は伏せて置き、あくまで連れ去られた民間人を取り返しに来たということにしておいたほうがいい。
「俺たちはそいつを返してもらいにきた」
「やだ。絶対に返さない」
「そうか。じゃあ別の質問だ。そいつはどこに置いてきた」
「……ふんっ!」
ヤンデレは怒って振り向いた。
どうやら教えてくれないようだ。彼女は振り向いて山奥のほうに逃げ出した。
「待て!」
こいつは絶対に逃がさない。
89式の銃口をヤンデレの頭部に照準。
すぐさま発砲。
弾丸が命中したヤンデレはばたりと倒れた。
!?
おかしいぞ?
この89式小銃で使用している5・56ミリ弾も沈静弾を使用している。着弾したらヤンデレの狂気を一瞬だけ沈静化する効果があるだけで倒れるほどのものではない。
すぐさま倒れた彼女の元に駆け寄る。
!?
「姉ちゃん、すぐに来てくれ!」
『了解。移動する。全員配置そのまま』
地面に横たわるヤンデレは頭部の半分が吹き飛び、白い中身があたりに飛び散っていた。
俺は確かに沈静弾を使ったはずだぞ。
すぐに駆け付けた姉ちゃんは死体をひっくり返し、残った片方のまぶたを開いてライトを照射した。瞳孔の確認が終わると彼女の服のポケットをまさぐり始めた。
「宗太郎は正面警戒。姪乃浜、ヤンデレが死亡した」
『了解、死体の情報送れ』
「ヤンデレは銃撃により頭部の左半分を喪失。残存した右目にライトを照射したところ瞳孔は拡散しており対光反射は認められない。凶器は38口径8発装弾のリボルバー。通信機のようなものは持っていない」
『分かった。こちらではヤンデレワールドの消滅の予兆は見られない』
沈静弾であればヤンデレが怪我を負うことはない。
仮にさっき発砲したのが沈静弾でなく実弾だったとしても、ヤンデレの死亡と共にそのヤンデレの狂気によって歪められた空間であるヤンデレワールドが消滅するはずだ。
つまり俺が射殺したこいつはヤンデレじゃなかったのか?
『こちらで原因を確認するが他にヤンデレがいる可能性がある。作戦は続行だ』
「了解。作戦を継続する。集合」
姉ちゃんが無線でそう指示すると、あらゆる方向から仲間たちが続々と集まってきた。迷彩服を着て偽装のために草木を身につけた彼女たちはそう簡単には見つけられないだろう。
「無線にあった通り現在ヤンデレの鎮圧が確認できていない。別の場所でヤンデレが活動していることが考える。本隊は予定通り救出作戦を続行する」
今回のヤンデレ事件は複数人のヤンデレがいるのか?
それならばさっきの俺の発砲で彼女の頭部が吹き飛ぶわけがない。もしかしてさっき俺が射殺したのはヤンデレではなくてただの一般人……いや、ただの一般人で馬に乗って山の中を徘徊するやつがいるだろうか。それに彼女は38口径のリボルバーを所持していたうえに、凶器が違うことを除けば特殊1が最初に目撃したと報告された格好と類似していた。かりにこんな山奥で乗馬するのが趣味のやつがいるとして、複数の場所でほぼ同時に同じガンマンのような服装でうろつくやつがいるだろうか。
「まずはこの馬とヤンデレの死体を隠すから草木を集めてきて」
仮に今回のヤンデレ事件が複数人のヤンデレによる活動のものだとする。そしたら定時連絡などでお互いの居場所や状況を知らせあっているだろう。しかしこの死体からは無線機のようなものは見つからなかった。つまり俺の仮説が合っているとしたら、この場所でSSTと遭遇したことは他のヤンデレたちにはまだ知られていないはずだ。彼女が発砲したことで銃声を聞かれているかもしれない。しかし極端に近い場所に他のヤンデレがいない限り俺たちの精密な場所は特定されていないだろう。
俺たちは不自然にならない程度に周囲から草木を刈り取ってきて、頭部が吹き飛んだ馬とヤンデレの上に乗せた。その部分だけ膨らんで見えるから完全には隠しきれてはいないが、あくまで発見を遅らせるための措置。少しでも俺たちがこの位置から遠ざかり、救助目標の元に近づくための時間を稼ぐことができればそれで十分だ。
あぁ、それにしても目の前に馬の死体があるというのに……。
任務で射殺したとはいえその命を無駄にする必要はない。ちょうど俺はナイフを持ってきている。太ももあたりから肉を頂戴してから基地に持って帰って鍋にでもしたかったが、血の匂いで気づかれる可能性を低くしたい。そもそも食料に困っていないこの状況でそんな余計なことをしていたら、基地に帰って愛梨にボコボコにされるだろう。
さて、隠蔽はこのくらいで大丈夫だ。この作業に時間をかけすぎて現場離脱が遅くなったら本末転倒というものだ。
準備を整えた俺たちはポイントブラボーへ向けて進撃を再開した。
『救助目標の付近にてヤンデレの接近が確認された』
「了解。機動隊はまだ発見されていない?」
『現在のところ発見はされていないが時間の問題だ』
機動隊は一般部隊の優秀な隊員を選抜して編成されている部隊だ。
精鋭部隊であるのには違いない。
しかしこの状況は機動隊にとっては不利だろう。
ヤンデレ事件は市街地で発生することが多いため機動隊も普段はそれを想定して訓練している。山岳地帯での訓練をまったくやっていないわけではないが比率としては市街地戦を重視している。もしも山岳のような険しい地域で事件が発生したら最初から特殊部隊を投入するという方針なのだ。
機動隊の練度は誰もが認めている。
しかしあまり想定していない山岳地帯では練度に不安があるのはたしかだろう。
「姪乃浜、機動隊に無線の周波数を合わせるように伝えて」
『了解、少し待ってろ』
無線交信が終わり30秒ほど待機する。
『機動1から特殊2』
「こちら特殊2、感度良好」
『機動1、感度良好』
普段の訓練通りに無線交信に異常がないことを伝え合う。
「先ほどヤンデレと思われる人物を発見した」
『了解。その人物の人着を送れ』
「作戦開始時点で特殊1が発見したものと類似していたが馬には乗っていなかった」
つまり徒歩で移動しているということか。
しかしそれならば疑問はさらに深くなる。
作戦開始と同時に第1戦闘班が投入された。無線で『特殊1』と呼ばれていた部隊だ。その部隊から送られた情報では確かに馬に乗っていたらしい。
その展開地点から機動1がいる場所まではかなり離れている。それに特殊1の報告ではヤンデレが逃走したらしいが、その方向とは違う。もしも別の方向に逃げたと見せかけたとして機動1の場所に移動したのであればさらに距離はのびてしまう。
俺は馬に乗ったことはないから分からないが、熟練した騎手であればこの険しい山岳地帯を踏破できるかもしれない。しかし無線ではヤンデレは徒歩で移動していたと言っている。馬に乗って移動しているのになぜわざわざ馬を降りて移動しているのだろう。
「目撃したのはその1人だけか?」
『その1人だけだ。東方向に移動していた』
馬から降りて活動しているということは機動1の居場所が特定されているのかもしれない。より細かく捜索するために馬を降りて徒歩で探しているのかもしれない。もうあまり余裕は残されていないだろう。
「ヤンデレはリボルバー拳銃を持っていたか?」
『拳銃は分からないがライフルらしいものを持っていた』
ライフルだと?
先ほど俺が射殺したヤンデレとは装備が異なっている。
「了解。そのまま警戒態勢を維持せよ」
姉ちゃんはそう指示を出した。
そして俺たちは彼らの元に向かって進軍を再開した。
雨音に紛れて遠くで銃声が轟いた。
聞き間違えるはずがない。自然の中にあるはずがない人工的な物音だ。
「機動1、発砲したか?」
銃声はまだ続いている。銃撃戦のようだ。
「機動1、状況を知らせろ」
姉ちゃんが無線を入れるが応答はない。
それでも姉ちゃんは一定間隔で呼びかけ続ける。
通信を開始して約10秒後、ようやく相手からの応答が帰ってきた。
『機動1より特殊2! 敵に発見された! 現在交戦中!』
「敵の方位は?」
『南東だ!』
さっき発見したヤンデレは東に向けて移動していたはずだ。
それがどうして南東に出現したのだろう。
平面で見れば方位は45度しか違わないがここは山岳地帯だ。迂回して接近するにしても遠すぎる。
『敵は2人!』
「2人? 間違いないのか?」
『間違いない! 確かに2人だ!』
なぜヤンデレが2人もいるんだ。
もしかしてヤンデレは双子なのか?
双子が同時にヤンデレ化したのか?
それならばあり得ない距離にある地点で確認されていることも腑に落ちる。
疑問が少し解決しようとしていたとき、また別の銃声が聞こえてきた。
姉ちゃんが無線交信を続けるが再び返答がなくなった。
それでも呼びかけ続け、20秒が経過。
ようやく返事が返ってきた。
『違う! 敵は3人、いや4人!』
「それは確実か?」
『確実だ! 東と南東から攻撃を受けている!』
四つ子か?
この陸の孤島と呼ばれる宮崎にそんなのがいるのか?
いや、四つ子とか五つ子とかの固定観念は捨てるべきだろう。
ヤンデレ事件では不思議なことが起こる。
むしろそれを対処する俺たちの存在自体が不思議なものだ。
敵が4人いる。
そしてそいつらが45度の
現場で発生しているのはただそれだけでそれが現実だ。
すぐに銃声は聞こえなくなり、再び静かな森が戻ってきた。
不気味な静かさだ。
まさに「嵐の前の静けさ」というものだ。
『機動1より特殊2』
「特殊2、どうぞ」
『戦闘が終了した。敵は確認できる限り4人だった。銃で応戦して撃退した』
「敵はどの方向に逃走したか?」
『東方面だ』
「戦果は?」
『敵味方ともに被害はない』
「了解。追い払った敵が仲間を連れて戻ってくる可能性がある。弾薬は残っているか?」
『残っているが心もとない。移動するべきか?』
「負傷者の搬送中に奇襲を受ける可能性がある。遠くに移動する必要はない。30メートルだけ移動し、草木で可能な限り偽装して潜伏せよ。無理ならば動くな」
『了解』
「我々はそちらに接近中。まもなく到着する」
『了解。急いでくれ』
それを最後に通信が終了した。
「みんな、無線にあったとおり救助目標が敵に発見された。今後救助目標は東方向から攻撃を受ける可能性がある」
姉ちゃんが集合を掛けると草木を使って地面に簡単な地図を描き始めた。
全員が四方八方を警戒しながらも交互にその地図を確認する。
「救助目標を確保している最中に襲撃を受ける可能性が高い。まずは東方向を正面として、最初に目標の15メートル左に郁美と美雪が展開」
「郁美たちの展開が終わったらボクが目標の右15メートルに展開する。その次に浦上さんと宗太郎が負傷者を確保。愛梨は二人について行って援護して」
「了解」
全員の陣形と突入態勢の指示を出したのちに、地面に描いた簡易的な地図を姉ちゃんは足でかき消した。
さて、目的の場所まであと少しだ。
ヤンデレに発見される前にさっさと目標をさらって基地に帰還しよう。
『特殊2、特殊2。応答願う』
「こちら特殊2。どうした?」
『敵が戻ってきた。10人以上いる』
「了解。そのまま隠密状態を維持――」
姉ちゃんの無線交信中に1発の銃声が響いた。
それが堰を切ったかのように多数の銃声が続く。
「機動1、状況を知らせろ」
『敵に発見された! 現在攻撃を受けている!』
その無線の奥からは銃声が聞こえてくる。
味方のものではない。双方の銃撃音が無線の奥から聞こえてくる。
『繰り返す、敵の攻撃を受け――』
「どうした? なにがあった!?」
突然途切れた無線に緊張が走る。
姉ちゃんが呼びかけ続け、ようやく返事があった。
しかし通信相手は先ほどの人物ではなかった。
『班長がやられた! 繰り返す! 班長がやられた!』
「了解。もうすぐ到着する。それまで耐えられるか?」
『弾薬が少ない』
「分かった。敵に当てなくていいから残弾を悟られないように制圧射撃を続けろ」
『了解』
事態は切迫している。
もはや隠密状態を維持できるような状況ではなくなった。
姉ちゃんは隊員をかき集めて新しい指示を出す。
「全員、隠密行動を中止して現場に駆け足で移動。ボクは予定を変更して左側から敵を叩く。郁美たちは到着したら射撃開始。宗太郎たちは郁美が撃ち始めたら突入して目標を確保して」
姉ちゃんの指示が終わると郁美を先頭に部隊は走り始めた。
ただ森の中を突っ走る。
迷彩や偽装を施しているとはいえ、近くに敵がいたらバレバレだろう。
しかしやむを得ない。
もしも敵に発見されたら先制攻撃を受けるだろう。
その時は立ち止まって交戦するだけだ。
俺たちはただ敵に発見されないこと、もし発見されても先制攻撃の銃弾が命中しないことを信じて走り続けるだけだった。
銃撃音を聞きながら森の中を駆け抜ける。
やがて機動隊の銃声が途絶えた。
しばらくヤンデレ側の銃声が続いていたが、しばらくするとそれも聞こえなくなった。
両陣営が発砲を止めたのだ。
すぐに機動隊から無線が入る。
『特殊2、特殊2! 弾薬が切れた!』
『まもなく到着する。敵の状況を送れ』
『敵は多数、正面に捉えている。現在敵からの銃撃は途絶えている。敵も弾薬が切れたと思われ――違う! 敵が接近中!』
『了解。見つからないように静かにしてろ』
『敵がゆっくりと近づいている!』
『分かった。こちらは到着したらすぐに攻撃する。誤射されないようにじっとしてろ』
機動隊からの無線を聞きながら進撃する。
姉ちゃんは敵を左側から叩くために別行動している。
しばらく走ったところで郁美が立ち止まり、軽機関銃の
「それじゃあ撃つぞ?」
「おう」
俺と愛梨と浦上さんの突入部隊の準備を郁美は確認すると、彼女は弾幕を張り始めた。
静かだった森にMINIMI軽機関銃の射撃音が響く。
その直後に美雪がグレネードランチャーで榴弾を発射。救助目標に接近しようとしていた敵を数名爆破した。そしてすかさず発煙弾を投射して煙幕を張る。
彼女たちの援護を受けながら俺たちは突入を開始。
救助目標はすぐに見つかった。左足を骨折した女子隊員のもとに浦上さんが。俺はついさっき負傷した機動隊の班長の元に駆け付ける。愛梨が自身を盾にするように俺たちの前に占位した。
「しっかりしろ!」
俺は負傷している彼を物陰の裏へと引きずっていく。
その間にも郁美は煙幕の中に向けて制圧射撃。
煙幕の中に美雪が榴弾を撃つ込み続けている。
それは陽動だ。
機関銃の弾幕に発煙弾や榴弾。
その混乱の中から脱出してきた敵を姉ちゃんと愛梨がサプレッサー付きのライフルで1人ずつ消しているところだろう。
俺の任務は姉ちゃんたちが敵を引き付けている間に要救助者の安全を確保することだ。
「どこを撃たれたんだ」
ナイフで要救助者の装備品を切断し、戦闘服を脱がせる。
下に来ていたTシャツをめくると彼の腹部に3つの銃創が見えた。彼の体をひっくり返すと背中の肉はさらに激しく損傷していた。
「大丈夫だ。銃弾は抜けている」
銃弾が体内に残っているものを盲管銃創。貫通しているものを貫通銃創という。一般的に貫通しているもののほうが損傷は最小限で済む可能性がある。
しかし腹部を撃たれているため内臓を損傷しているだろう。帰ったら外科手術により血管や損傷部位の処理、感染症防止のための抗生物質の投与が必要だ。
さて、まずは止血だ。
腰のポーチからメディカルキットを取り出そうとしたら腕をつかまれた。
「俺はもう無理だ……」
「撃たれたぐらいでメソメソするんじゃない」
急所を撃たれない限り人間は簡単には死なない。
実際に俺はさっき撃たれたが、見ての通り普通に生きている。
「部下を頼む……」
「大丈夫だ。負傷しているもう1人は応急処置が得意なやつが対応している」
「俺はもういい。部下を助けてくれ」
しつこいやつだな。
俺はやつの胸倉を掴んで持ち上げた。
「よく覚えておけ。アンタの代わりはいくらでもいる。だけどアンタの代わりはアンタしかいないんだ」
「?」
彼はぽかんとしている。
なにか変なことでも言ったか?
「そんなに部下が大事なら同じ病室にぶち込んでやる」
彼の胸倉を離して腰のポーチに手を回す。
目的の銀色のパックを取り出して開封。
これは止血剤だ。数分もあれば出血を止めることができる。
中に入っている白い粉を奴の銃創へと振りかけた。
「ぎゃああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」
「少し黙ってろ!」
俺は彼の顔面に拳を撃ち込んで黙らせる。
せっかく場所を移動したんだ。
敵に今の場所が特定されたら俺だって危ないんだぞ。
彼の腹部の銃創に止血剤を振りかけると、彼を転がして背中の傷にも振りかける。そして患部を保護して戦闘服を着せなおした。
ここでできる応急処置はこれで全部完了した。
向こうではまだ機関銃の銃声が続いている。
!?
まずいぞ。
彼が失神している。
銃で撃たれた場合は失血死による死亡の可能性が高いが、それと同時に外傷性ショックによる死亡の可能性もあるのだ。
「宗太郎、そっちの処置は終わったか?」
「浦上さん、やつが失神しました」
担当の応急処置が終わった浦上さんがこっちの様子を見に来た。彼は左足を骨折した女性隊員を背負っている。彼は女性隊員を地面に降ろすと、失神しているもう片方の救助目標の様子を見て、姉ちゃんに無線を入れる。
「ありさ、負傷者2人は無事だ」
『了解。浦上さんはそのまま後方警戒。宗太郎は愛梨の右に展開して戦闘に参加して』
俺は指定された通りに愛梨の右側に展開すると物陰に身を隠し、89式小銃のセレクターを「安全」から「連射」に変更。
前方には美雪のグレネードランチャーによって煙幕が張られている。
その中から出てきたやつをいつでも撃てるように待機するがなかなか出てこない。
『郁美、美雪、射撃やめ。全員そのまま待機』
姉ちゃんからの攻撃中断の指示を受けて軽機関銃の銃声が止まった。
浦上さんは奇襲に備えて背後を警戒している。
それ以外の隊員たちが周囲を警戒しながらも煙幕の中を見守っていた。
しばらく待機するがそれでも敵は出てこない。
かといって煙が晴れるまで待っているわけにはいかない。こんなに騒ぎ立てたから敵の増援がくるかもしれない。
敵を全て排除したと判定した姉ちゃんは集合をかける。敵味方両方の銃弾に当たらないように隠れていた機動隊員も出てきてすぐに集結は完了した。
負傷者は機動隊の2人だけ。
残りの機動隊員は無傷だが弾薬は残っていない。
警戒体制のまま弾薬の分配を行う。これから回収地点まで行軍するわけだが、未だにこの地域は敵の勢力下だ。見つからないに越したことはないが交戦状態に入ったときに備えて護身のために最低限の弾薬を渡しているのだ。
「宗太郎、敵の陽動をやってくれる?」
「もちろんだ」
救助目標が1、2人であれば問題ない。
しかし今回はそれに加えて無傷の機動隊員が数人いる。彼らの練度を疑っているわけではないがSSTと比べると実力差があるのは否定できない。それら全員を隠密状態で回収地点に移動させる必要があるためには誰かが敵を引き付けておくべきだろう。
それに姉ちゃんの頼みとなれば断るわけにはいかない。
「それで俺は何をすればいいんだ?」
「宗太郎はここに残っていて。ボクたちは先に回収地点に機動隊を連れていく。ヘリが機動隊を回収に来るから、その突入直前にここで大騒ぎして」
「分かった」
「それがおわったらポイントデルタに移動して。予定では別の機動隊が制圧しているから。あとは全部宗太郎の判断で動いていいから」
「了解」
ポイントデルタはここを下って行ったところにある吊橋を渡った先にある針葉樹林文化館のことだ。ブリーフィングでは都城市から機動隊を連れてきて制圧すると姪乃浜が言っていた。
俺への指示が終わった姉ちゃんは他の隊員に今後の作戦を伝えていく。
愛梨を先頭に美雪が連なり、その後ろに無傷の機動隊員。そして負傷者を背負った姉ちゃんと浦上さんが続き、後方を郁美が警戒しながら移動する計画だ。そしてここから離れたポイントエコーに移動して現場の安全を確保。そしてヘリが突入して機動隊員を回収するというものだ。
救助作戦を成功させたあとのSSTはポイントデルタに移動。そのあと都城市から駆り出された機動隊と合流してヤンデレ鎮圧作戦を続行する。
その説明が終わると他の隊員たちは指定された陣形を作って行軍を開始した。
ここに残ったのは陽動任務を負った俺だけだ。
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