Ⅵ 霧の中の巨人(1)

「――すまん! ドゥルジアーネ! どうか許してくれ!」


「あぁぁ…ドゥルジアーネ、勘弁しておくれぇ〜っ!」


 白く深い霧の立ち込める中、断末魔の如く父母の泣き叫ぶ声が哀しく木霊する……。


 彼らを含め、濃霧の中にぼんやりと浮かぶ村人達の淡い影の取り囲むその中央には、一台の荷車が馬も取り外して置かれている。


 そして、その上には後ろ手に縛られ、逃げられないよう、足首も荷車に縄で縛りつけられたドゥルジアーネが、青褪めた顔でちょこんと独り座っていた。


 ドン・キホルテスとサウロが彼女に出逢ったその翌日、月の終わりに当たるっまさにこの日こそが、月に一度の〝巨人〟が現れるというその日であった。


 朝から深い霧の垂れ込める中、住民達はいつもの如く荷車を引き、小麦粉やワイン、チーズなどの貢物とともに、さらに今回は人身御供のドゥルジアーネを乗せて巨人の指定した〝供物台〟の場へと運んで来たのである。


 〝供物台〟とはいっても、なにも特別なものではない。比較的大きな田舎道の交差する四辻で、ちょっとした広場のようになっており、その辻が貢物の受け渡し場所となって以降、村人達がそう呼んでいるだけのことだ。


「許せよ、ドゥルジアーネ。すべては村を守るためじゃ。父母の面倒は皆でみるんで、後のことは心配せんでええ……」


 黙って俯いたまま動かないドゥルジアーネに、白い顎髭を蓄えた禿頭の老人も沈痛な面持ちで声をかける……このトボーロ村の村長ニコロースである。


「すまない、ドゥルジアーネ! 父さん達をどうか許してくれえ!」


「あぁあぁぁぁぁ…!」


 よれよれの地味な衣服を身に纏う、農民然りとした恰好の父ロレンも再び娘に謝罪の言葉を叫び、母アレドーサは顔を両手で覆って泣くばかりである。


 無論、可愛い一人娘を巨人に差し出すのは我が身を切られるような思いではあるが、彼らも巨人への強い恐怖に心の底から支配され、また、個人の安寧よりも村全体の存続を重んじる同調圧力に責め立てられて、このあまりにも残酷な仕打ちを受け入れざる得なかったのだ。


「………………」


 ぐるっと荷車を取り囲む他の村人達も、彼女に対しての罪悪感を誰もが抱きながら、やはり恐怖心と我が身可愛さから黙って目を逸らすことしかできない。


「さ、そろそろ参ろう。ここにいては我らも巨人の怒りを買いかねないからの……」


 しばしドゥルジアーネとの別れを惜しんだ後、村長ニコロースがそう皆を促した。


「うぅ…ドゥルジアーネ……」


「仕方なかったんだ。帰ってあの子の魂の平穏を二人で祈ろう……」


 村長に先導され、とぼとぼと村人達が霧の中へと消えてゆく中、嗚咽する母アレドーサも父ロレンに肩を抱かれ、後ろ髪引かれる思いでこの場からゆっくり立ち去ってゆく。


 後には、たくさんの貢物とドゥルジアーネを載せた荷車だけが、深い霧の海の中に残された……。


 ……いや、その〝供物台〟の場に残ったのは彼女一人ではない。


 じつは、そこから少し離れた畑の中に、霧のベールに覆われてもう二人の人物が隠れていたのだ。


「いよいよですね……」


「うむ。さあて、鬼が出るか蛇が出るか……」


 畦の影に身を潜め、やや緊張した面持ちで呟く従者サウロに、主人のドン・キホルテスは場違いにも、どこか愉しげな顔をして大きく頷く。


 あの後、ドゥルジアーネから詳しい話を聞いた二人は、村外れの放棄された農作業小屋で一晩を過ごすと、〝巨人〟の現れるこの時を密かに待っていたのだ。


 今日、彼らが巨人退治に挑むことは、村人達はもちろんドゥルジアーネの両親にも秘密にしている……彼女の話だと、恐怖に支配された彼らに申し出たところで、頑なに反対され、むしろ邪魔されかねないとのことだったからだ。


 それは、この村の霊的平穏を守るべき教会の司祭についても同様である。


 主従がドゥルジアーネに出会ったあの時、〝人身御供〟を翌日に控えてた彼女は恐怖と責任感の板挟みとなり、その苦しみからの救いを求め教会を訪れたところだったようであるが、話を聞いた司祭は逃げることを勧めるのではなく、むしろ〝自己犠牲〟の精神をドゥルジアーネに説いて聞かせたのだそうだ。


 それでも、その司祭パーネス・モンテは最低限の聖職者の務めとして、現在、少しでも巨人の災いを退けられるよう、礼拝堂に籠って祈祷をしている最中らしい……。


 まあ、その祈りによって神のご加護を得られるのであれば、実際、巨人と相対するキホルテス達としてもありがたい。


「……!? だ、旦那さま……」


「うむ。現れたな……」


 そうして、しばし霧の中で二人が待ち構えていると、いよいよその時が訪れた。

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