Ⅴ 巨人の噂(3)

「……ん?」


 主従の目に、教会の門の前に立つ二人の人物の姿が映った。


 一人は角刈りの頭に精悍な顔つきをした、黒い平服姿の大柄な中年の神父、もう一人は胸元の編み上げになったエプロンドレスに白いトンガリ帽子を被り、赤毛を三つ編みおさげにした典型的なオランジュラント娘だ。


 だが、その村娘は両手で顔を覆い隠し、肩を震わせながら泣いている様子である。


「――生きたいと思うのは人として当然の業……だが、自己犠牲は最も尊い神の教えだ。そなたの務めを立派に果たし、村の皆を救うのだ。さすれば汝の魂は必ずや神の国へ迎え入れられよう」


「はい……グスン……うぅ……」


 離れた位置から眺めていると、神父は何やら村娘を教え諭し、彼女はなんとか返事をするも、なおも嗚咽を漏らしながら教会の前をとぼとぼと立ち去ってゆく……。


「旦那さま!」


「うむ。騎士として、涙を流すか弱き婦女子を放ってはおけぬ……サウロ、参るぞ!」


 ただならぬその様子に二人はお互い頷き合うと、教会の中へ消える神父ではなく、村娘の方を追うことにした。


 だが、二人が近づこうとした途端、とぼとぼ歩いていた村娘は突然駆け出し、田舎道を脇に外れると人気ひとけのないリンゴの果樹園の中へ入って行ってしまう。


「……うぅ……あぁあぁぁぁぁ…!」


 そして、さらに人目につかないリンゴ林の奥まで進んだ後、それまで我慢をしていたのか? 急に大きな声を出してその場へ泣き崩れた。


「娘さん! 如何なされた!?」


 慌てて走り寄ったキホルテスとサウロは、飛び降りるようにして下馬するとすぐさま彼女に声をかける。


「……!? ……あ、あなたさまは……」


 すると、村娘の方も突然現れた甲冑姿の騎士とその従者を目にして、涙を流しながらもポカンとした顔で二人の方を見上げる。


「ぬぬ! ……う、美しい……」


 思わずキホルテスが口から漏らしてしまったように、彼女は思いの他に美しい娘だった。


 雪のように白い肌と潤んだつぶらな碧い瞳、鼻筋がよく通ったその顔立ちは、どこぞのお姫様と言われても申し分ないほどのものである。


「……だ、旦那さま?」


「……お、おっと、これは失礼。それがしはドン・キホルテス・アルフォンソ・デ・ラマーニャ。旅の騎士でござる。こちらは従者のサウロだ」


 同様に超絶美人だとは思ったが、サウロが気を取り直して主人に声をかけると、キホルテスも我に返ってようやく自分達のことを説明する。


「なに、偶然、そなたが泣いている姿を見かけての。悪いが気になって後を追わせてもらったのだ。騎士たる者、嘆き悲しむ婦女子を見て見ぬふりはできぬからな」


「よかったら何があったのか話してくれませんか? 私達でお力になれることがあるかもしれません」


 そして、泣き顔のまま呆然とする村娘に、そんな言葉をサウロとともに投げかける。


「……い、いえ…グスン……お話ししても仕方のないことでございます…うぅ……」


 だが、村娘は首を横に振り、涙を必死に堪えながら頑なに話をしようとしない。


「……あのう……ひょっとして、それって巨人絡みとか……?」


「…! うあぁあぁぁぁぁ…!」


そこで、なんとなく察してサウロがそう問いかけると、彼女は再び地面に伏して大声で喚き始めてしまった。


「こ、これ! そんなに泣くでない! そんなに泣いたら別嬪な顔が台無しではないか!」


「と、とにかく話してください! 話せば楽になりますよ!」


「そ、そうでござる! ここで出逢ったのも何かの縁というもの」


「じ、じつは私達、その巨人のことを確かめにこの村へやって来たのです!」


 泣き叫ぶ村娘の姿に主従は慌てふためき、なんとか宥めようと あたふた声をかけ続ける。


「巨人の……ことを……?」


 すると、咄嗟にサウロの発したその言葉に彼女は異様な反応を示し、不意に顔をあげると主従の姿を涙目で交互に見つめる。


「う、うむ。詳しいことまでは知らぬが、旅の途中にちと小耳に挟んでの……」


「……わかりました。では、お話いたします……」


 うるうるとしたつぶらな瞳で美少女に見つめられ、上げたバイザーの下の顔を赤らめながらキホルテスが答えると、ようやく村娘はコクリと頷き、泣いていたその理由を訥々とした声の調子で二人に語り始めた。


「……半年ほど前からのことになります……月に一度、この辺りは異様に深い霧に包まれるのですが、そんな日には決まって、あの恐ろしい四本腕の巨人が現れるのです……」


「ほんとに巨人出るんですね!」


「やはりウワサはまことであったか……しかも本当に四本腕の異形!」


 〝巨人〟のウワサが真実であると確信し、サウロとキホルテスは身を乗り出すと、ますます興味津々に彼女の話に食らいつく。


「そして、その度に巨人は貢物を求め、もし逆らえば暴れ回って村をめちゃくちゃにすると脅してくるのです……しかも、今までは食料や金銭だけですんでいたのに、今度はわたしを人身御供に差し出せと……うぅぅぅ…」


 すると、村娘は涙ぐみながら、思いがけずもさらに聞き捨てならないことを言い出すのだった。


「なんと! なんという卑劣な……そんなもの突っぱねてしまえばよい!」


「そうですよ! 素直に従うことなんかありませんよ!」


 その非道極まりない話を耳にすると義憤に駆られ、激昂して声を荒げるキホルテスとサウロだったが。


「そんなことできません! そんなことをしたら村やみんながどんな目に遭わされることか……わたし達は、黙って巨人の要求に従うしかないのです」


 彼女も他の村の者達同様、巨人に対する恐怖に支配されてしまっており、主従が口にする当然の意見にも青褪めた顔で首を横に振ってみせる。


「では、この辺りを治める領主に訴えたりはしなかったのですか? 領主としても、自分の領内にそんな怪物がいると知れば放ってはおかないはずです! それに、村を管轄する教会の司祭だって、聖職者として非道な魔物の存在を許すなんてことは…」


「もちろん、最初は神父さまと相談し、ご領主さまに巨人の退治を願い出ようといたしました。ところが、いざご領主さまのもとへ伺おうというその日の朝、使者に選ばれた者が見るも無残な姿で発見されたのです……その上、もしまた逆らうようなことをすれば、さらに多くの者を血祭りにあげると巨人に脅され、神父さまも犠牲者を増やさないために、もう怒らせるような真似はしない方がよいと……」


 これもまた常識的な疑問をサウロが再び口にするが、それにも彼女は伏せ目がちにすべてを諦めてしまっているかの如き様子である。


「なるほどの……だが、安心するがよい。領主がなさずとも、このドン・キホルテスがその巨人を退治してくれようぞ!」


 しかし、そんな村娘に対して勇気づけるかのように微笑みかけると、自らの手による巨人退治をキホルテスは宣言する。


「巨人を……騎士さまが……?」


「うむ。可憐な乙女を人身御供になど、断じて許すまじき悪魔の所業。騎士たる者として見過ごすわけにはいかぬ! だから、もう泣くでない。そなたが犠牲になる必要はないのだ」


 唖然と目を見開く村娘に、さらにキホルテスは次の句を告げる。


「ま、もともと巨人のウワサを確かめに来たのも、そうした騎士道物語みたいな冒険を求めてのことでしたからね。こちらが勝手に退治する分には、村の人達が巨人の怒りを買うこともないでしょう?」


 また、サウロも自分達の真の目的を村娘に明かし、少々屁理屈の感はありながらも彼女の罪悪感を軽減して納得させようと試みる。


「いけません! あの恐ろしい巨人にお一人で闘いを挑むなど自殺行為です!」


 だが、村娘は不意に血相を変えると、その申し出をこれまで以上に強く拒絶した。


「わたしがお二人にお話したのは、すぐに村から立ち去ってもらうためと、できれば外の人々に巨人の話を広めてもらい、あわよくばご領主さまのお耳にも入って、討伐の軍を起こしていただければと思ってのことです! 無謀なお考えは捨てて、巨人に気づかれる前に早くこの地を離れてくださいませ!」


 目を赤く腫らしながらも声を荒げ、主従を村から遠避けようとする村娘……やはり、心の奥底から巨人を恐れ、その恐怖心のとりことなってしまっているのだろう。その信頼していないかのような言葉も、キホルテス達の身を案じてのものなのだ。


「フン。見くびってもらっては困るのう。こう見えてもそれがし、剣の腕には少々覚えがあっての。けして巨人なぞに遅れはとらぬでござるよ。いや、さほどに恐ろしい怪物となれば、ますます以って勝負を挑みたくなるというものぞ」


 しかし、彼女の心配をキホルテスは鼻で笑い飛ばすと、不敵な笑みを浮かべながら俄然、巨人退治にやる気を見せ始める。


「お心遣いはありがたいですが、こう見えてうちの旦那さま、剣の腕だけなら天下無双の使い手なんですよ? ほら、あのロバの背に積んである剣の束を見てください。ああしたあらゆる種類の剣を自在に使いこなすことから、〝百刃の騎士〟の異名で呼ばれているくらいなんです」


 銀色に輝く甲冑の胸を張って嘯くキホルテスに続き、彼の従者もロバの荷を指し示しながら、どこか自慢げに補足説明を加える。


「それにの、悲しむ婦女子を見捨てて立ち去るなど騎士道にあるまじき行い……たとえそなたにやめろと言われようとも、それがしは騎士たる者の務めとして、必ずやその巨人を倒し、そなたや村の者達を救ってみせようぞ!」


「騎士さま……」


 さらに力強く宣言するキホルテスに、恐怖の虜囚となっていた村娘もついにはほだされ、涙で潤んだ碧い瞳で再び騎士の顔を見上げた。


「おお、そうだ! まだ聞いておらなんだな。そなた、名はなんと申す?」


 そんな村娘にキホルテスは、今思い出したかのように彼女の名を尋ねる。


「……え? あ、はい。ドゥルジアーネと申します」


「ドゥルジアーネか。うむ。良い名だ……サウロ、決めたぞ。古来の昔より、騎士は思い人たる貴婦人に忠義を尽くすのが習わし……このドン・キホルテス、ドゥルジ姫を思い人と定め、忠誠を誓うことをここに宣言する!」


 そして、その問いにキョトンとした顔で村娘が答えると、キホルテスは彼女の前に跪き、またなんとも場違いな、とんでもないことを口にし始める。


「まあ……」


「…………はあ!?」


 その騎士道バカな言動に村娘ドゥルジアーネは思わず頬を赤らめ、思いがけない方向へと暴走してゆくアホな主人に、サウロは眉を「へ」の字にしていつもながらに困惑するのだった。


(El Caballero Anticuado Y El Escudero ~時代遅れの騎士…と、その従者~ つづく)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る