Ⅵ 霧の中の巨人(2)

 ギシギシ…と何かが軋む音を立てながら、白い霧の中にぼんやりと、巨大な山のような影が浮かび始める……それは次第に濃度を増して黒々とした人の形へと変化してゆき、最後にそれは筋肉隆々の、二階建ての家ほどもある半裸の巨人へと姿を変化させた。


 革の短甲のようなものを胴体に纏い、頭には古代風の紡錘型をした、三角帽の如き兜を被っている。


 白い靄の中、その大きな二つの眼が赤く爛々と輝いているが、何より特徴的なのはウワサで聞いていた通り、四本の太い腕が肩から生えていることだ。


 人の何十倍はあろうかという筋肉質の巨大な腕が四つ、こちらを威嚇するかのように太い指を開いて天を覆っている……こんな姿を目にしたら、村人達があれだけ恐れるのもわからなくはない。


「…ひっ! きゃあああああーっ…!」


「ガハハハハ…! ムラビトタチヨ、チャントクモツヲヨウイシタヨウダナ」


 姿を現した巨人に気づき、ドゥルジアーネがきぬを裂くような悲鳴をあげると、巨人は低く不気味な笑い声を霧の中に響き渡らせる。


「化け物とはいえ、どうやら口は利けるようだの……では、さっそく参るとするか。サウロ! ドゥルジ姫を頼む!」


「はい! 旦那さま!」


 この視界の悪い濃霧の中でも、あの巨体ならば見逃すことはない……敵の出現を確認した主従二人はすぐさま行動に移る。


 キホルテスはサウロに声をかけれると愛馬ロシナンデスに颯爽と飛び乗り、今回は剣ではなく〝ランス〟をその手に握る。


「やはり、巨大な敵を崩すには重装騎兵の突撃であろう。これならば、パイクやマスケット相手よりもむしろやりやすいというもの……ハイヨっ! ロシナンデス!」


「ヒヒィィィーン…!」


 そして、愛馬の腹を踵で叩いて合図を送ると、額に上げた兜のバイザーを下し、ランスを水平に構えて巨人へ向け駆け出した。


「我が名は流浪の騎士、ドン・キホルテス・アルフォンソ・デ・ラマーニャ! 四つ腕の巨人よ! いざ、神妙に勝負! 勝負ぅぅぅーっ!」


 人馬一体となったキホルテスとロシナンデスは、声高らかに名乗りをあげながら巨大な敵目がけて突撃してゆく……。


「ドゥルジアーネさん! 助けに来ました! 怖い思いをさせてすみません。もう大丈夫です!」


「サウロさん!」


 一方、その間にサウロはロバのロバートに乗って荷馬車へと向かい、ドゥルジアーネが縛られている荷台へと飛び移る。


 もちろん、彼女には「必ず助け出す」と約束をしていたが、事前に逃げ出しては村人達が黙っていないだろうし、恐怖に堪えながらの辛い役目ではあるが、巨人が姿を現すまではじっと我慢してもらっていたのだ。


「旦那さまの闘いに巻き込まれないよう、とりあえずここから移動しましょう!」


「は、はい!」


 サウロはドゥルジアーネに声をかけると、ナイフを取り出して縛っていたロープを切り、すぐさま彼女を連れて荷車から離れる……。


「――ハァッ! 悪いがその脚、へし折らせてもらおう!」


 と、帰ってキホルテスの方はといえば、そのままさらに愛馬を加速させ、いよいよ巨人に突っ込もうとしていた。


 狙うはその巨大な脚の片一方……重装騎兵突撃で敵陣形を突き破るが如く、まずはその右脚を砕いて体勢を崩す作戦である。


「せやあぁぁーっ! ……んぐっ!?」


 だが、巨人の脚にランスを突き立てた瞬間、ガァァァーン…! と鈍い音が響き渡り、強烈な反動が手に伝わるとともに、ランスは真ん中からぐにゃりと曲がって弾かれてしまう。


「チッ…なんという硬さだ!」


 分厚い筋肉に覆われた巨人の脚は、想像を遥かに凌駕するほど堅牢だった……それは、鋭利な穂先が突き刺さらないばかりか、鋼鉄でできたランスの胴体部が衝撃で湾曲してしまうほどである。とても生物とは思えないような硬さだ。


「ナンダ、キサマハ?」


 そのまま駆け抜けるキホルテスの背に、巨人は不気味な低い声を再び霧の中で響かせる。


「なれば、やはり剣で勝負といこうぞ!」


 対して一旦駆け抜けたキホルテスは愛馬を反転させ、曲がったランスをその場に放ると、背負っていた〝ツヴァイヘンダー〟を代わりに引き抜く。


「もう一度だ、ロシナンデス! ハァッ!」


 そして、その長大な剣を肩に担ぎながら、再度、巨人へ向かって愛馬を疾走させた。


「ウルサイハエダ……」


 すると、今度は巨人もやられるままではおらず、その四本ある剛腕の内の右上腕一本を振るってキホルテス目がけ殴りかかってくる。


「なぬっ! …くっ…!」


 そこで、斬りかかろうとしていたキホルテスだが咄嗟に肩の〝カイトシールド〟を構え、ガァアアン…! と激しい金属を響かせながら、その岩のように巨大な拳を真正面から受け止める……いや、受け止めはしたものの、大質量の一撃には愛馬ごと殴り飛ばされてしまう。


「ドドウっ!」


「ブヒヒヒヒヒヒ…!」


 だが、それももとより折り込み済みだったらしく、見事な手綱捌きで愛馬を操ると、うまいこと着地して人馬の体勢を立て直した。


 さすがはもと騎士。キホルテスは馬術の腕も相当のものなのだ。


「なっ…!?」


 ところが、巨人の攻撃はそれだけに終わらない。なんとか踏み留まれたと思った瞬間、さらにもう一撃、二本目の下右腕がキホルテスと愛馬の身に襲いかかってくる。


「……うぐっ! …ドウッ!」


「ブヒヒヒヒ…!」


 それでも間一髪、再びその拳を盾で防ぎ、またも踏み留まってみせる騎士と愛馬だったが、巨人の方もそれを見越していた。


「…ハッ! しまっ…」


 間断なく、今度は巨人の上左腕が、これまでとは反対側から殴りつけてきたのだ。


「くっ…!」


 寸手でキホルテスは大剣を振るい、激しい摩擦に火花を散らしながら、その強大なパンチを逸らすようにして受け流す……しかし、その無理な体勢での退避行動が、彼らに一瞬の隙を作ってしまった。


「んがっ…!」


「ブヒヒヒィィィーン…!」


 続けざま、放たれたもう一本の下左腕による強烈な打撃が、騎士と愛馬の脇腹を同時に思いっきり殴り飛ばす……まるで砲弾を食らったが如く、吹き飛んだ人馬は地面の上を土煙を立てながらごろごろと転がった。

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