Ⅳ 従者の苦悩(3)

 そして、ラマーニャ領へ帰った後、いよいよ二人が旅立つ朝……。


「――住み慣れたこの城ともこれでお別れか……」


「やはり淋しいものを感じますねえ……」


 だいぶくたびれた感のある、橙色をした石造りの小さな城を庭から見上げ、ドン・キホルテスとサウロは感慨深げに呟く。


 城の正面入口前に立つキホルテスはいつもの甲冑姿、サウロは普段着であるカーキのシュミーズ(※シャツ)に茶のジャーキン(※ベスト)、オー・ド・ショース(※半ズボン)という一般的な庶民の格好だが、今日は日除け用の麦わら帽子も被った旅支度である。


 また、その傍らにはキホルテスの武具一式を鞍の横に付けた愛馬ロシナンデスと、さらに旅の荷を積んだラマーニャ家のロバ〝ロバート〟もいる。


 その切なげな表情が物語るように、彼らは思い出の詰まったこの屋敷を今から立ち去り、もう二度と帰ることはかなわないのだ。


 騎士の身分を失い、国王から与えられ領地も召し上げられた主従二人は、冒険の旅に出ようが出まいが、いずれにしろこの城を出て行かなくてはならないのである。


 ちなみにこの後は、隣接するアベジャネーダー領主のドン・アロンソンが今回の戦の恩賞としてラマーニャ領を加増され、ドン・キホルテスに代わって治めることとなっている。


「いやあ、まさかほんとに追い出されることとなるとはのう……いつかはそんなこともありなんとは思うておったが……」


「んにしたってひでえや! あの魔法剣で有名なドン・ハーソン卿なんか、今回の戦功で帝国最高位の騎士〝聖騎士パラディン〟に叙任されるって話じゃねえですかい。キホルテスの旦那にばっか厳しすぎまさあ……」


 小さくオンボロだが、馴染み深いその城を二人が目に焼きつけていると、背後からそんな言葉をかける者があった……村の教会で司祭を務めるペレロスと、床屋の親父ニコルである。


 先代ドン・セルバンチョスの代よりラマーニャ家と懇意にしており、城にもしょっ中出入する間柄であったこの二人も、キホルテスとサウロの旅立ちをわざわざ見送りに来てくれたのだ。


「なあに、これも神の思し召しというものにござる。そなたらと別れるのはなんとも淋しきことではあるが、この冒険の旅を終えた時、それがしは魔法剣を腰に帯びた、世界最強の騎士になっていることでござろう。ワハハハハ…!」


 二人の方を振り返ったキホルテスは、その場の湿った空気を吹き飛ばそうとしてか、あえて明るい声の調子で冗談めかした台詞を口にする。


「司祭さま、ニコルさん、ご心配していただきありがとうございます。まあ、今回の処分は旦那さまの身から出た錆ですからね。もう僕も諦めてます」


 また、同じく振り向いたサウロの方も笑顔を浮かべて主人のことをイジりながら、そう彼らに礼を述べる。


「ハァ……相変わらずだのう。キホルテスの殿は。んま、そうでなくてはむしろ気色が悪いがの」


「サウロの坊も相変わらず手厳しいぜ。そのボヤきももう聞けなくなると思うと…グス……やっぱ泣けてくらあ!」


 そんな二人に、白髪頭に白い顎髭を蓄えた老神父は眉毛を「へ」の字にし、禿げ頭の小太りな床屋は感極まって涙ぐんでしまう。


「これ、ニコル。二人の新たな門出に涙は禁物じゃ……ほれ、弁当にこれを持って行くがよい。教会で作ったケーソ(※チーズ)とパンじゃ」


 泣きっ面に腕を押し当てる床屋の親父に対し、老神父はそう言って彼を嗜めると、キホルテス達に手にしていたバスケットをはなむけとして差し出す。


「おお! それはかたじけない。土地の痩せたラマーニャ領ではあるが、ケーソだけは格別であるからな」


「ありがとうございます。ラマーニャを立つ今日という日にはまさにぴったりのお弁当ですね」


 そのバスケットをサウロが受け取り、中に入った田舎風の黒いパンと地元名産のチーズを覗き見ると、主従は満面の笑みを浮かべて老神父に礼を述べた。


「さて、そろそろ参るとするか。長居をしておると別れが辛くなるからのう。騎士たる者、何事も潔く行かねばならぬ」


「では、お二人ともお達者で。他の村の皆さんにもよろしくお伝えください」


 そう嘯くとキホルテスは愛馬へと跨り、サウロもそれを受けてロバの背に飛び乗る……いよいよ別れの時が来たのだ。


「うむ。そなたらも達者での。武門の名をあげ、新たな仕官のかなうことを神に祈ろう」


「けど、いつでも顔見せに帰って来てくれよな? たとえご領主さまじゃなくなったとしても、ここは旦那達の故郷に違えねえんだからよう……グスン…」


 馬とロバの上のキホルテスとサウロを見上げ、老神父と床屋は改めて最後の別れの言葉を贈る。


「心得た。いにしえの魔法剣を手に入れ、騎士として立派に成長した暁には必ずや帰って参ろう! ご両人、さらばだアディオス! 行くぞ! ロシナンデス! ハイヤ!」


「お二人ともさようなら〜! またいつか会う日まで〜!」


 友人達の声に見送られ、主従は馬の腹を脚で絞めつけると、朽ちかけた石の城門をゆっくりとした歩調で潜り抜けてゆく……。


 その顔には淋しさを滲ませながらも、この先に待つ冒険の旅へと向けて、どこか晴れ晴れとしたもののようにも見えるのだった――。


(El Caballero Anticuado Y El Escudero ~時代遅れの騎士…と、その従者~ つづく)

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