第十三話ー①

13



「じゃ、そろそろ行きましょうか?」


「……うんっ」


 わたしは馴染なじみのない室内をぐるりと見渡してから、両手を天井に向けて上げ、大きな伸びをした。


 古びた感じのする木造りの部屋には、小さなベッドが2台、放置されているみたいにして備えられている。奥の扉にはシンプルなバスルーム。それ以外は何もない、簡素な造りだ。学生寮の部屋が、いかに学生を考慮してくれていたのか、今になって身にしみる。


 ベッドのそばに立つクレアの格好は、動きやすいぴっちりとしたブラウスに、黒のスラックス。その片手には布にくるまれた剣を握っている。

 わたしも動きやすい軽装、なるべく肌を隠したシャツにスパッツ姿で、ウェストポーチを腰に巻いていた。


 わたしたちは揃って部屋を後にする。

 室外には、足を踏み出せばギシッ、と悲鳴をあげる板張りの廊下。向かいには扉があるだけで、右手を向けば階段が顔を覗かせている。左を見ればすぐに突き当たりになっており、小さな建物だ。

 わたしは、向かいの扉を遠慮がちに叩いた。


「……反応、ないね」


 数秒待っても、物音1つしない扉の奥をにらんで、はーって溜息を吐いた。クレアは達観した様子で、わたしを微笑ましげに見つめている。どうやら、傍観ぼうかんを決め込むつもりのようだ。

 ならば。わたしは、肺に大きく空気を取り込む。


「こらー、リリナ! 起きなさい!」


 そして、大気が震えんとばかりにビリビリとするような大声をあげた。おまけとばかりに、扉をドンドンと叩く。

 それに呼応して、何か大きな物が転がる音が響いてきた。それからさらに数秒してから、扉が力なく開かれる。


「ふわっ……。お、お姉ちゃん、おはよう」


 顔を出したのは、目が半開きのリリナ。セミロングの髪はぼさぼさで、パジャマも乱れている。今の今まで眠っていたみたい。


「おはよう、じゃないでしょ。早起きする、って約束だったじゃない。まったくもー、ユーリィも何で起こしてあげないの」


 わたしは小うるさい母親になった気分で、ぷりぷりと説教する。

 寝起きで小言を聞かされたリリナは、耳を手で抑えながらしかめ面でうめいていた。そんな彼女の背から、1つの影がのっそりと現れる。


「あらぁ、おふぁよぉ、エリナさん。まだ眠いわぁ……」


 大欠伸おおあくびをしながら、まぶたこするユーリィだった。その姿は、容姿こそ似ていないものの、リリナと瓜二つ。だらしない女の子カップルだった。

 ユーリィは朝に弱い。そうだった。すっかりそのことを失念していたよ……。

 いまだ夢うつつな2人は、体を絡み合わせて、床にへたり込んでいる。すぐにでも2度寝が始まりそうな雰囲気に、わたしは再び大きな溜息を漏らすのだった。





 わたしたちが現在、滞在しているのは冒険者用の宿泊施設だった。

 場所は、トールデン地方から遠く離れた、西のキグナス地方。鬼霊山きれいざん近辺に設立された小屋だ。山の中腹部にも、これと似たような休憩所が設置されてあるらしい。


 わたしたちは夏休みに入って1週間を過ごした後、鬼霊山を目指すことになった。


 鬼霊山は死の山、という別名が存在する。その理由は、豊富な資源や、貴重な魔道具まどうぐが掘れることに起因していた。

 鬼霊山に住み着くのは、凶悪な魔物。熟練の冒険者でさえ、万全な準備が必要な山である。

 しかしながらその一方で、生活苦になった一般人が一攫千金を夢見て、鬼霊山を目指すのだ。


 一般人が命を投げ出すのを覚悟で、鬼霊山を登るのである。

 そうなってしまった顛末てんまつには、皮肉にも冒険者たちにあった。名だたる冒険者たちによって、鬼霊山の採掘をする環境が整えられたからである。

 生活に困窮こんきゅうしてしまった人間でも、山さえ登頂することができれば、人生のリスタートすら可能になる。それほど良質な資源が採れる金山でもあるのだ。


 交通も不便ではなく、登ろうという気概さえあれば、誰でも立ち寄ることができる。もちろん、山の入口には管理所がある。だけど、それらの目を盗んでまで、入山する者は後を絶たない。


 だけどね、決して美味しい話、ではないのだ。非正規のルートで侵入した一般人たちは、休憩所のある中腹でさえ辿り着けないだろうから。休憩所がある、っていうことは、中腹までの開発は進んでいる、ってこと。

 にもかかわらず、魔物の数は一向に減っていないらしい。

 つまりは、中腹までの資源は取り尽くされ、魔物は変わらず出現する。そんな危険な橋を渡ってまで、上層部を目指さなければ、鉱石を持ち帰ることはできなかった。

 それでも金に目がくらんだ人間は、鬼霊山に挑む。そして、日々、屍の山を築き上げている。それこそが、死の山、たる所以ゆえんだった。


 わたしたちが目指しているのは、上層部ではなくって、山の中腹。

 上層を発掘するためのサポート用に建てられた休憩所には、学園の卒業者が住み込みで働いているらしい。クレアの課題は、その人に判子はんこを押してもらうこと。


 こんなに危険な山でも、学園での実力者ならば学生でも中腹までは問題がない、と判断されているらしい。それでも、学園設立以来わずか数人しか挑戦者がいない、といわれているだけあって、鬼霊山の難易度の高さがうかがえる。


 わたしたちは宿泊施設に荷物を預けると、各々の装備に身を包んで鬼霊山のふもとを目指して歩いていた。


「……あれ、クレア?」


「どうかしたの?」


 視線を前へと向ければ、何やら暗い気配を纏っているかのような、岩肌の目立つ山が屹立きつりつしている。

 だけど、わたしが注目したのは、隣を歩くクレアの腰元だった。その後ろでは、リリナとユーリィが談笑に花を咲かせている。


「その剣、前と違うやつじゃない?」


「ああ、これね」


 クレアは、今は布の包から出された、さやに収まったままの剣をかかげて見せた。

 それはわたしの身長に及ぶほどの長剣であり、はたから見ればクレアのような線の細い美少女が扱えるのかはなはだ疑問だろう。しかし彼女は、重さを感じていないような動きで、つかに文様が彫られた立派な剣を見せてくれた。


「よく気づいたわね。この前、実家に連絡入れて、買ってもらったのよ。この日のために」


「へ~、そうだったんだ。綺麗な剣だね」


 その長剣は剣身を隠しているというのに、不思議な威圧感が発せられているような気がした。わたしのような素人目でもわかる名刀なのかもしれない。

 黒塗りの鞘に収まったままのそれは、血に濡れることなんて想像できないほど、造形美も感じられる。

 クレアの実家はお金持ちらしいので、相当値が張った代物なのかな。気になったなら、聞かずにはいられないよね。


「いくらくらい、したの?」


「1億くらいだったかしら? 頼んで、適当に見繕ってもらったものだから、値段はあんまり覚えていないわ」


「いっ、いちおく!?」


 まるでジュースでも買ったかのようなニュアンスで言ってのけるクレア。

 わたしは飛び上がりそうになった。……いや、実際、少しばかり飛び上がっていた。


 1億なんて、わたしが生涯賭けたとしても、物の売買には使うことのなさそうな値段である。

 クレアってば、どれだけお金持ちなのよ……。この金銭感覚のズレだけは、慣れそうにもない。


「すごいんだね、クレアのお家って。そんなのポンと買ってもらえるなんて」


「そうかしら? 普通だと思うけれど……。ヤポオクで買ったらしいし」


「ヤポオクで!?」


 ヤポオクとは、ヤポー商会が開催しているオークションのことである。ヤポオクは庶民に優しくて有名であり、田舎でも気軽に競売に参加できたりもするのだ。それ故に、出品されている商品も生活品などがほとんど。

 最近ではモルカリ商会と競い合っているらしい。

 まさか、そんなオークションで1億もの名刀が購入できるなんて。

 だけどね、これだけは言える。絶対に普通ではない。

 

 そんなクレアと結婚したら――。

 玉の輿こしになるのか、逆玉の輿になるのか、どっちになるの?

 余りにもスケールの離れた現実に、わたしはどうでもいいことを考えているのだった。

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