第五話(後編)ー②

 わたしはさくさくと山道を登っていた。

 準備は万端ばんたん。以前とおった道ではあるけれど、地図にもない山だ。方向感覚は狂いそうなものだった。にもかかわらず、不思議とユーリィの家がどこにあるのかわかる気がしていた。

 導かれているような感じ……確かに感じ取れるよ。それほどわたしの足取りは軽やかだった。


 そして、あっさりと館の前にたどり着いた時、あまりのあっけなさに驚きを隠せない。

 ちょっとできすぎ……って気がしないでもないけど。なんだか、ここに行こう、って決めたときから、迷子になる心配はしていなかったような。なんとも奇妙な感覚だけど、神経がぎ澄まされていたのかな、なーんて。クレアといつも一緒にいたから、わたしも何かしらの才能が開花されていたりして、って都合よく解釈かいしゃくしておく。


 晴れたお昼。の光は館の全貌ぜんぼうを映している。そこに不気味さはかもし出されていないけど、恐ろしいほど静かなことに変わりはない。人が生活している、なんてとてもじゃないけど信じられないよね。しかも、女の子1人で。


 そもそも、食料の調達ちょうたつはどうしているの? 水道とか、電気とかも。いちいち山を下って生活用品を買い出しに行くのも大変そうだなあ。

 って、そんなどうでもいいことより、今はすることがあるんだから。別に、どーでもいいこと、って切り捨てるものでもないけど。


 今は用事を最優先。

 意を決して、玄関の大きな両開きの扉へ移動した。

 そこまで向かってから、わたしはユーリィの言葉を思い出す。

 彼女は「昼が嫌い」と言っていた。つまり、この時間帯に活動しているのかどうか疑わしい。ユーリィと別れた時は朝だったけれど、寝起きが悪い、って一言では片付けられないくらい眠たそうだった。もしかしたら、日がのぼり始めてから入眠しているのではないか、ってかんぐってみても、おかしな部分はないかも。


 それでもね、ユーリィのために作った傘。それと書き置きだけ残して帰るのだけは、したくなかった。

 迷惑かもだけど、彼女に会って話したい。

 だって、この館はきっちり今でも存在しているのだから、あの晩が幻ではなかった、と証明したくなったのだ。

 ユーリィだってこの世にきちんと生きている、それだけは確かめなきゃ。


 わたしは扉をノックしようとして、すぐ横に呼び鈴があることに気がついた。恐る恐る手を伸ばし、鳴らしてみる。

 しかし、いくら待っても反応がない。

 失礼かな、と思いつつも、わたしは扉に手をかけた。そしてノブを回してみると、あっさりと入り口が開かれる。

 鍵がかかっていると思っていただけに、わたしは戸惑とまどってしまった。


 館内はあいも変わらず甘ったるい匂いに包まれていて、やはり人の気配は全くしないかのように閑散かんさんとしている。

 中に入っちゃったはいいけれど、どうしたものかなあ?

 とりあえず、呼んでみることにした。


「ユーリィ、勝手にお邪魔してごめんなさーい。いたら返事してー」


 わたしの声は反響はんきょうして、館内に行き渡っているようだ。しかし、返事が来ることはない。

 がっくりと肩を落として、傘だけでも置いて帰ろうかな、って途方とほうにくれていたところ。


 かすかな音が鼓膜こまくを震わせてきた。

 わたしは顔を明るくして、階段に目を向ける。

 階上からはスリッパで歩いているのか、ぺたぺたという可愛らしい足音が響いてきたのだ。

 期待をふくらませて、降りてくるのを待つ。まさか別人、ってわけはないよね。


 顔を出したのは、しっかりとユーリィだった。ホッとしたのもつか、わたしは彼女の格好を眼に収めると、ぎょっとする。


 なんとユーリィは、わたしたちと別れたときと全く同じ出で立ちをしていたのだ。枕を抱えている可愛らしいところも、寝癖ねぐせすらも変化が見られない。寝間着ねまきの乱れている箇所かしょでさえ同じなのではないか、って思わせられる。

 そして、映像を録画再生したかのように、同じ手つきで眼をこすっていた。

 もしかしてユーリィってば、あの朝からずーっと寝てたとか? いや、ありえないよね。わたしたちと別れてからは何日も経過しているんだもの。

 でも、でも。そうだと言われても違和感はなかった。


「あら? エリナさん……? どうしたの、何か忘れ物? できるならば、夜に来て欲しいわぁ」


 ユーリィは大きな欠伸あくびをしている。意識があるかどうかも不明だけれど、わたしのことを覚えていてくれたことが嬉しい。


 しかし、ほんっとーに別人みたい。あの夜に会ったユーリィはもういないのかな? って思うくらい変貌へんぼうした彼女をまじまじと観察する。

 ぼんやりとしていて、今にでも床で寝そべってしまいそうなユーリィは、可愛い女の子だなあ、って感情しか浮かんでこなかった。


「あの、起こしちゃったかな……ごめんなさい。でも、どうしても渡したいものがあって!」


 わたしはぺこぺことしながら、ユーリィに向かって傘を差し出した。

 おぼつかない手つきで傘を受け取った彼女は、それが眠気覚ねむけざましになったかのように、青の瞳を見開かせる。紫の眼はガーゼによって隠されたままなので、両目が開いてるのか定かではない。

 

 わたしがユーリィのためを思って制作した傘。それは、彼女の隠されている瞳と同じ色をしているのだ。

 だからだろうか、ユーリィは不思議そうに傘を眺めている。


「……これは? 素敵な傘ね」


「ねね、開いてみて」


 わたしは食いついてもらえたことに喜んで、身を乗り出してユーリィをかす。

 彼女はまじまじと傘を凝視していた。そして乗り気になってくれたのか、片腕で抱いていた枕をわたしに押し付けてくる。


 ユーリィが、両手を使って丁寧に傘を開く。

 すると、彼女は女の子らしい可愛げのある溜息ためいきを漏らしていた。


 開かれた傘からは、燦然さんぜんと輝く紫の光が舞い降りてきたのだ。きっかりと、傘を差している人間にだけ、そのきらめきを浴びることができるように設計したもの。

 傘布かさぬのの部分に魔道具がほどこされた特注品。この傘ならもしかしたら……ってユーリィのためだけに思いついたものだった。


「あのね、この傘なら、昼間にお外出ても、眼が気にならないかなーって思ったんだけど……ど、どうかな?」


「わざわざ、私のために?」


 ユーリィは興味津々、ちょっとした鼻歌でも口ずさみながら傘を覗き込んだり、うろうろと歩き回ったりしている。反応を見る限り好感触。


「うん。迷惑だったら、ごめんね」


「いいえ、とっても嬉しいわ。エリナさんのような可愛い女の子からのプレゼントだもの、大事にしちゃう。それに、私のために、ってところもポイントが高いわぁ。うふふ」


 ユーリィは、あの晩見せてくれたあやしい笑みではなくって、童女のような極上の微笑びしょうでお礼を言ってくれた。


 う。すごくドキッてしちゃった。

 だって、昼と夜でこんなにも違う人間がいるのか、ってギャップが激しいのだから。素の顔が恐ろしく美人だから、どっちの笑顔でも似合っているんだけど……わたしは今のユーリィの表情がすごく大好きだった。


 ユーリィは傘を閉じて、枕をわたしから取り戻すと、玄関の扉を指差した。

 どうやら性格も変わっているのか、おっぱいを押し付けてきたりはしないみたい。安心したような、残念なような……って、何考えてるの、わたし。ユーリィの身体が魔性ましょうの魅力を備えているのがいけないよね……。


「あなたのお連れ、きっと心配しているんじゃないかしら。今日は早く帰りなさいな。またお会いしましょう、エリナさん」


 わたしは素直にこくん、と頷く。もともと長居ながいするつもりじゃなかったし、目的も果たせた。

 ユーリィだってしっかりと存在してくれていたしね。

 欲をかくならば、もうちょっとユーリィについて知りたかったし、おしゃべりしたかったけれど。だけど、彼女の言うように、クレアを放っておくのも忍びない。それにユーリィが、また会いましょう、って言ってくれたから。


 わたしは最後にもう1度ユーリィに会釈えしゃくをしてから、館を後にする。

 ユーリィってば、また寝ちゃうのかなー、って想像をして、クスッて笑っちゃう。山を降りるのすら上機嫌だった。


 だけど、楽しい気分は長続きしない。だって昼間の明るい山間だとはいっても、1人なのだから。

 行きは目的があっただけに考えなしだったけれど、帰りとなると話は別。

 早く帰ろう、って呟いて、わたしは走り出した。

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