第五話(前編)ー②

 おとずれた山地は、人の手が加えられた形跡けいせきが少ない、自然の多い場所だった。緑々あおあおしい木々が無数に乱立らんりつし、そこから覗く陽光が幻想的で美しい。そのお陰か、りつける太陽はあまり気にならないが、蒸し暑さはひどいものだった。


 わたしもクレアも、動きやすい服装を選んだのだけど、すでに汗でぐっしょりと濡れている。胸元をパタパタとあおぎながら、散策をしているところだった。


 自然物の魔道具を探すのだから、人気ひとけのない自然にあふれた場所が一番。この山地も魔物は棲息せいそくしているみたいだけど、数は少ないみたい。学園からもさほど離れていないし、実戦場には指定されていなかった。つまり、危険はあんまりないってこと。

 それでも魔物の存在は、素人しろうとには驚異きょういだ。わざわざ危ない場所に訪れる生徒なんてほとんどいないだろうね。大半が、魔物の現れない安全な場所を探しているはず。だから、お宝を探すことに関しては、穴場の可能性が高い。


 わたしは魔物よりも、へびとか虫といったたぐいのものに警戒していた。別に気を抜いているってわけじゃなくって、先を進んでくれているクレアも、魔物のことにはそれほど神経をとがらせていないみたいだから。

 夏場ってこともあってか、隙あらば羽虫が寄ってたかろうとしてくるのが、鬱陶うっとうしいくらい。幸いにも足場はしっかりとしていて、山登りはスムーズだった。


 でも、こんなに苦労したとして、貴重な魔道具が見つかるのかは定かじゃない。だけどね、最初からあきらめてちゃダメ。クレアだってやる気に満ちあふれているんだし、わたしは意気込んで、周囲に目をらしていた。


「すぐには見つからないかもしれないわね」


 数時間ほど探索が続くと、クレアがおだやかに呟いた。それは覚悟の上なので、わたしにしてみれば無問題。だけど、彼女は残念そうだったので、付き合わせているこっちのほうが萎縮いしゅくしちゃいそうになった。


「それはしかたないよ。夏休みはまだけっこう残ってるし。クレアも毎日、わたしに付き合わないでもいいからね」


「ふふ、エリナと一緒にいられるのだから、毎日でも構わないわ。そうね、でも、長丁場ながちょうばになるかもしれないし、今日はもう少ししたら帰って、明日に備えましょうか」


「そうだねー、暗くなる前には山を降りないとだしね。クレア先生、明日からもよろしくお願いしまーす」


 今日は出発が遅かったため、すでに夕刻。日が長いとはいっても、だらだらしていたらすぐに夜がきちゃう。

 半日がかりで散策をしていたものだから、実はそこそこ疲れていた。わたしってば体力には自信がないし、山登りはなかなかこたえる。だけどね、弱音だけは吐かないように決めていた。そして、態度にも表情にも出さない。クレアに対して失礼なことだからね。


 けれど、わたしの心情を映し出すかのように、辺りがうっすらと暗くなってきていた。陽が落ちるにはまだ早いのに。

 どうやら、どんよりとした雲が空をおおっているみたいだ。


「そろそろ戻ったほうがよさそうね」


「うん。急に天気悪くなっちゃったね」


 出かける前は雨が降る気配なんてなかったのに、今にも降り出してきそうだ。山だし、天候には敏感びんかんになっておくべきだったのかも。

 わたしたちは揃って下山げざんを開始した。だけど、時すでに遅し。引き返してすぐに、ぽつぽつ、と小さなしずくがわたしたちを濡らし始める。


「どうしよう、傘なんて持ってきてないよ。急いで帰らないと」


 これ以上雨足が強くなってきたら、ずぶ濡れになっちゃう。わたしは焦りを覚えたけれど、ここから走っていったとしても、寮に戻るまでは相当の距離がある。さらには疲労の蓄積ちくせきもあるし、ある程度の覚悟はしないといけないだろうね。


「おんぶしてあげる?」


 クレアは何気なにげなく、手を貸そうか? みたいなニュアンスでたずねてくる。

 もう、クレアってば、なんでそんな考えに行き着いたんだろ。しかも平然と言ってのけるのが、彼女らしい。

 もしかしたら、わたしが疲れているのを見抜いていたのかもだけど。いくらなんでも、おぶさってもらうわけにはいかないよ。


「あはは、大丈夫だよ。走るの、遅いかもしれないけど……」


「辛くなったらいつでも言ってね。お姫様抱っこでもいいのよ。私もしてみたいし」


 クレアは冗談とも思えない口調で、嫣然えんぜんと口元をほころばせている。わたしは足を引っ張っている自覚があっただけに、場をなごませてくれたクレアにほっとしていた。


 うーん。でも、クレアってば、お姫様抱っこ、すごくしたそうにしている。わたしがちょっとでも疲れた、なんてほのめかそうものなら、颯爽さっそうと抱きかかえられちゃいそう。そんな意味でも、根をあげている場合じゃないね。


 クレアは、わたしの辛くないペースを維持してくれて、下山にも気を遣ってくれている。急な勾配こうばいではないものの、山を下っているのだから、速度はひかえめ。しかし、わたしたちをあざ笑うかのごとく、雨は本降りになり始めていた。


 山を抜けるのはまだまだ先。

 だけど、ついには土砂降どしゃぶりのような豪雨が降り注いできた。地面はかなりぬかるんできていて、走るのも危険を伴っている。


「エリナ。あそこで少し雨宿りしましょう」


 クレアが指差す先には、1本の大木がずっしりと構えていた。周囲と比べれば、幾分かは雨を緩和できそう。わたしは頷いて、クレアとそこへ向かう。

 その途中だった。

 閃光が視界をさえぎり、直後に轟音ごうおんが鳴り響く。


「きゃああぁっ!」


 わたしは思わず耳を押さえて、その場にしゃがみ込んだ。びくびくと震えて、しばらくは動けそうもない。

 どうやら雷雲だったようで、突然の雷に見舞われたらしい。

 わたしってば……落雷はどうにも苦手で。子どものころから、雷が鳴るたびに縮こまっていたものだよ。


 稲妻は間を置いて、またしても地面へとどろく。山だけあってか、相当近くに落ちているみたい。

 わたしは恐怖で立ち上がることもできず、うずくまることしかできないでいた。


 怯えきったわたしを見かねてか、クレアが手を差し伸べてくれる。なんとかクレアにすがりついて、大木の近くへ移動した。

 この木に雷が落ちる懸念けねんもあったので、クレアは根っこ付近には陣取らず、それでいて雨を避けられるポジションを見つけていた。さすがクレアだね、何でもできるし気配りもできるし、今の彼女は格好いいモードを発動させているみたい。


「大丈夫?」


 わたしは未だに身体がビクビクと震えて、恐怖が止まらない。クレアに甘えるようにして、彼女の胸元に顔をうずめていた。

 クレアの白いブラウスは雨でけていて、肌にぴっとりと張り付いている。こんな状況でもなければ、そのえっちな格好にどぎまぎとしていたことだろう。

 だけど、残念ながら、恐怖心のほうが勝っていて、それどころじゃなかった。いや、ほんとに残念。


「雷、すごい苦手で……。怖いよ」


「鳴り止むまで、こうしていていいから。安心して」


「……うん。ありがと」


 クレアは柔らかな手つきで頭を撫でてくれる。少しは雷の怖さが緩和されるけれど、雷鳴が響き渡るたびに、クレアにぎゅってしがみついてしまう。雨も雷も、しばらくは続きそう。


 わたしたちは無言で立ち尽くす。夜のとばりは完全に降りてきて、稲光いなびかりだけが周囲をまたたかせていた。

 夜の山中で、激しい雷雨。状況はとんでもなく悪い。


「どうしよう……無事に帰れるかなぁ。ごめんね、わたしのせいで」


「エリナのせいじゃないわ。それに、雷も少し遠くなったみたいだし、きっと大丈夫よ」


 クレアはわたしを安心させるためか、顔にも言葉にもかげりはない。どんなに厳しい状況ですら、彼女の心を屈することはできないらしい。わたしはそんなクレアだから、かれちゃうんだね。


 しばらくすると、クレアの言葉通り、雷はわずかに遠のいたみたい。雷鳴は小さくなっており、わたしですらどうにか平静へいせいを保てるくらいにはなっていた。それと同じくして、雨足も弱くなり始めている。


「もう少し雨が弱くなったら、そのうちに少し移動しましょう」


 クレアの判断は正しいと思う。いつまでもここに縛り付けられていたら、山中で一夜を過ごしかねないし。何の準備もなしのそれは、避けたいところ。

 幸運にも、天候はだいぶ回復しており、下山のチャンスは今しかないとさえ感じた。

 クレアはわたしを胸からそっと離して、かわりに手を握ってくれる。

 こういうささいな気配りがね、クレアの大好きなところだよ。


「歩ける?」


「うん……」


「抱っこしよっか?」


「あ、それは大丈夫だよ」


「ふふ、残念」


 わたしも心に余裕ができており、顔を赤らめて拒否することができた。

 でもね、ちょっぴり、お姫様抱っこされてみたいな、と思わないこともない。女の子の憧れだもんね。だけど、わたしたちの将来に先送り。今みたいな状況で、クレアの手をわずらわせるわけにはいかないしね。

 だからその代わりに、絶対に手を離すことのないように、って指をしっかりと絡ませる。

 

 クレアはそれを確認すると、力強く頷いてくれた。そして、わたしをしっかりとエスコートしてくれるみたいに、軽やかに歩き出す。わたしの歩幅に合わせて、それでいて安定した足取りでスムーズに山を下っていく。


 時折ときおり聞こえてくる雷の音が、わたしの足を止めさせてくる。牛歩ぎゅうほじみた下山だったけれど、確かに距離を進めていた。

 このまま何事もなければ寮に帰れそう。

 そんな気のゆるみができていた頃だった。


「きゃああああああっ!」


 一際ひときわ強い雷がわたしたちを襲ったのだ。強烈な稲光とともに、鼓膜こまくをつんざく巨大な破砕音はさいおんが近辺に発生した。

 わたし自身も雷音みたいな悲鳴をあげ、クレアから手を離して耳を押さえてしまう。そしてその反動によって、盛大に転んでしまった。


 全身が泥まみれになっちゃったけど、わたしはそんなこと気に留める余裕もなくって、雷の恐ろしさに頭を抱えることしかできない。

 耳がきーんとしている中、さらに追い打ちをかけるように、連続で落雷が近場へと突き刺さる。

 この世の終わりにすら思えた。それくらい、わたしにとっては地獄絵図だ。


 どこか遠くに逃げ去りたい。怖いよ。雷のない、静かなところに逃げなくちゃ。

 わたしの精神状態は追い詰められ、無我夢中で走り出していた。


 だけど、すぐに思い出す。

 わたしの手にはクレアのぬくもりがないことに。はっとなって立ち止まる。


 幸運にも、雷はその数回でまた収まったようだ。

 落雷がないと知ると、わたしも冷静さを取り戻してくる。だけど、それが逆に背筋を凍らせた。

 クレアがそばにいない。それだけで不安の波が押し寄せてきたのだ。

 あんなにわたしを心配してくれていたのに、我を忘れて手を離してしまうなんて。絶対に離さない、って決めていたのに。

 でも、ちょっと走っちゃっただけだし、大丈夫だよね。そう言い聞かせる。それくらい自分を鼓舞こぶしなければ、恐怖に押し潰されてしまいそうだった。


「クレアー、手を離してごめんね! いたら返事して~!」


 自分の位置を知らせるために、大声で叫んでみる。

 だけど返ってくるのは、こだまだけだった。どれだけ待ってみても、クレアの声は聞こえてこない。


 わたしは急激に体温が下がって、顔を青ざめさせる。風邪でも引いてしまったかのように、ゾクゾクとしてしまう。

 こんな真っ暗な山中に、たった1人。体力にも自信のない、ただの女の子が1人なのだ。ましてや、魔物の棲息する山。もしも出くわしてしまったとしたら、それこそ一巻の終わりだ。

 

 わたしは必死になってクレアへと呼びかけた。

 しかし、全く反応がない。


 ……なにか、おかしいよね。だって、わたしは無我夢中だったとはいっても、大した距離は走っていないのだから。

 不気味さが周囲を支配しているかのようだった。

 もしかして、クレアの身に何かあったのかな。

 万が一、を想像してしまったら、震えが止まらなくなりそうだった。

 クレア……。怖いよ、どうしたらいいの。


 わたしはこの状況に泣き出してしまっていた。

 そして彼女に縋りたくって、奇跡を追い求めるようにして、とぼとぼと歩き始める。

 クレアが探し回ってくれているとしたら、動かなかったほうが得策だったかもしれない。

 でもね、じっとしていると、メンタルが壊れちゃいそうだったから。わたしはクレアを求めて彷徨さまようのだった。

 希望があるとするならば、雨が弱くなったことと、雷もかなり遠のいていること。


 しとしととした小雨に打たれながら、夜の山をゆっくりと進む。

 ――ふと、わたしの視界に、奇妙なモノが映り込んだ。

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