第五話(前編)ー③
その奇妙なモノ、に気がついたわたしは、自然と足を止めていた。
こんな山奥には不釣り合いなモノだったのだ。わたしは視界の
うん、やっぱり見間違いじゃない。
最初はね、こんな山間に不自然なものがあるもんだなあ、って楽観視していた。けれど、
こんな場所に住んでいる人は誰なんだろう、っていう単純な疑問が、わたしを突き動かすのだ。もちろん、廃墟の可能性は高いけれど、わたしは
それにね、クレアがもしもこの館を発見したなら、きっと彼女だって同じようにするだろう。離れ離れになったわたしたちにとっては、目立つ場所に向かうのは自然の道理だから。森の中を
館を目指して進むと、開けた場所へたどり着く。建物の周りに木々はなく、かなり広々とした庭のような空間が存在している。そして、そこから奥は切り立った崖になっており、山の
崖を
そして、館の
閉め切られた窓からは明かりの
やっぱり、誰も住んでいないのかな。
遠くに
わたしは館の入り口と思われる巨大な扉の前に立ってみる。人の気配はしない。
「大昔にできたものなのかな? さすがに、こんな場所では生活できないよね……」
興味深げに扉の周りをじろじろと眺めてみる。
おそらくだけど、長年放置されていたにもかかわらず、野生の生物や魔物が巣食っている気配もない。館内となればまた別なのかもだけど、中へ入るのは
扉の前ならば雨が入り込んでくることもないし、しばらくはここで雨宿りさせてもらおうかな。クレアが来てくれたら、すぐにわかるだろうし。
そう決め込んで、扉に背を向けようとした瞬間。
「こんな悪天候の夜に、人間のお客さんとは珍しいわね」
美しいメロディのような声が吹きかけられた。
わたしの
だって、だって。人がいるなんて、思いもしなかったから。
だけど、どうにか首を巡らせて、声の主を確認するために全力を出した。多分、女の人の声だったため、多少は危機感が薄れていたのだろう。
わたしの背後に立っていたのは、とびっきりの美女だった。
普段からクレアを見ていて、目が
目の前の彼女は、月を連想させるような
クレアと比べてみても
彼女の服装は、こんなに暑い夏だというのに白のローブを着込んでおり、素肌のほとんどを隠している。
さらには、服装に
そんな彼女は、寒気がするような艶やかな笑みを浮かべながら、わたしのことをじっと見つめている。
思わず目を
おかしいよね、今会ったばかりの人なのに。
「あ、あの、ごめんなさい。こんなところにお屋敷があったから、気になっちゃって。すぐに出ていきますから」
わたしは足早に立ち去ろうとする。だって、きっと、この家の人だよね?
勝手に敷地内に入ってしまったのだから、わたしはぺこりと頭を下げて足を前に突き出す。
彼女は笑みを崩さず、くすくす、って忍び笑いを漏らしていた。
何かおかしなことでも言っちゃったかな? なんだか、ちょっとだけ気味の悪い子だな、って思っちゃう。
「うふふ、可愛らしい子ね。でもね、出ていかないでもいいのよ。この雷雨、また激しくなるから」
わたしはびくっとして立ち止まる。
頭上を見上げると、雨は弱まったままだし、彼女の言葉を信じていいものかどうか判断できない。でもね、下山しようとして、また激しい雷雨に見舞われたら
わたしが思い悩んでいると、彼女は続けて口を開いた。
「今夜はうちで過ごしたらいかが?」
彼女はそれが自然な表情だというように、笑みを作ったまま
うーん……どうしよう。
わたしが即答できなかったのは、見ず知らずの人の家に泊めてもらう、ってこともあるけれど。この女の人を信用しちゃっていいのかなあ、って直感的に思ったから。
それに、クレアはまだ山の中で1人だろうし……。
「お誘いはありがたいのですが……」
わたしが言いよどむと、彼女は目つきを細めた。真剣な
ゾワゾワと全身に寒気がして、今すぐにでも立ち去りたい気にさせられた。
「今夜は……もう1人、お客さんが来そうね」
「え……?」
ふと出た彼女の
もう1人っていったら、クレアのことがぱっと思いつくけれど……。この人がクレアのことを知るわけないだろうし、一体なんなの、この女の人。
彼女に対して、疑念しか湧き出てこない。どうにも、関わってはならないような、怪しい人物にしか思えないよ。
「そんなに怖い顔しなさんな、エリナさん」
「……?」
再び、
わたしは口を半開きにして、違和感の
しばらくして、あ、わたし名乗ってない、って気づくのだった。お馬鹿にもほどがあるね、わたしって……。
「うふふ。私の名前はユーリィよ」
美女――ユーリィは、楽しげに名乗ると、館の入り口である巨大な扉を開けた。
中からは独特な匂いが風に乗って流れてくる。館内は薄暗くて、ここからはどんな
「どうするの? お食事もあるのよ」
言われてみて、自分はお腹がすいている、ってことを思い出した。だって、お夕飯なんて食べている場合じゃなかったしね……。
食事、って単語に、お腹の虫が反応しそうだよ。
だけど、
ユーリィは確かに、とっても怪しさ全開。でもね、悪意は感じないんだよね。むしろ、好意でわたしを誘っているふうに見えなくもない。
それがなんでか、って問われると、はっきりと言えないのだけれど……。もし、何か
それに、彼女の言葉を信用するなら、もう1人のお客さん……きっとクレアが、ここに来る。
そして何よりもね、こんな不自然な場所に住んでいるユーリィっていう女性に、興味をくすぐられるのだ。
「じゃ、じゃあ……ちょっとだけ、お邪魔します」
決してご飯に釣られただとか、ユーリィが美人さんだから、って理由だけじゃないよ。うん。
「いらっしゃいな」
わたしの
遠慮がちに、彼女の住まいへと足を踏み入れる。
館の内部は明かりがほとんど
それに、お
「あの。そういえば、どうしてわたしの名前、知ってたんですか?」
わたしは意を決して問いただす。……モヤモヤとしたものはハッキリさせておかないと、
玄関の扉を丁寧に閉めていたユーリィは、あぁ、と思い出したように頷くと、またも忍び笑いをした。
「これよ、これ」
彼女は
「落ちていたわよ。大事な物なのでしょ? お返しするわ」
ユーリィはにこやかに、わたしへそれを返却してくれた。手元に戻ってきたモノをまじまじと見つめる。
うん。わたしの学生手帳で間違いなかった。
「い、いつの間に落としたんだろ……。ありがとうございます」
「そんなにかしこまらなくても、いいのよ。お部屋用意してあげるから、こっちにいらっしゃいな」
ユーリィは右手側にある長い廊下へ、するするっとした足取りで向かっていく。
とっても広い館内は薄暗さも相まって、ユーリィを見失ったら迷子にでもなってしまいそうだ。わたしは慌てて彼女の後を追った。
いくら歩を進めても、
「あの、どうしてこんなに暗くしているの?」
気になったなら、聞かずにはいられない。わたしは、おそるおそる尋ねていた。
ユーリィはぴたりと足を止める。
何かまずいことでも聞いちゃったかな……。
彼女はくるっ、てわたしに向き直ってきて、ずいっと近寄ってくる。
わたしとユーリィの鼻がくっつきそうなほど、至近距離。
突然の急接近に、心臓がドキンと高鳴った。
だって、だって、ユーリィってば色っぽいんだもん。こんなにセクシーなユーリィが顔を寄せてくるのだから、キスされちゃうのかと思ったよ。それに、クレアと同レベルの美人さんだしね。わたしってば、美少女に弱いのかな……。
「きゅ、急にどしたの、ユーリィ」
ユーリィは、じーっとわたしの目を
彼女の瞳に吸い込まれてしまいそうになりながらも、見つめ返していると、あることに気がついた。
ユーリィの瞳は、それぞれ色が違っているのだ。薄暗くって今まではわかんなかったけど、わずかに光源のある屋内で、さらにここまで近寄ってもらえて、ようやく視認できた。
彼女の右目は深い青色をしていて、左目はとっても珍しい紫の瞳だった。両の目とも
「綺麗な目……」
「綺麗、ね。うふふ、
ユーリィはその言葉とは違い、
「この目のせいなのよ」
「へ?」
何気なくそう語るユーリィは、どこか寂しげに見えた。抱きしめてあげたくなるような、
「私の体……というより、この目、特殊な体質みたいでね。明るいものは、この左目で見ることができないのよ。左目に映る全てのものが紫色に見えちゃって、鬱陶しいの。夜だったり、暗かったりすると、あんまり気にならないのよね。だから暗くしているの、ごめんなさいね」
自身のことを他人事のように告白するユーリィは、そこで言葉を止める。
息の吹きかかる距離にいるユーリィを見据えながら、わたしは信じられない気持ちでいっぱいだった。
だって、そんな体質、聞いたこともないし。
でもね、ユーリィは嘘をついているようにも見えない。それに、ぎゅってしてあげたくなっちゃうくらい、
「だからね、私はこの目と、お昼がね、大嫌いなの」
ユーリィの言葉は、その部分だけ強い感情が込められていた。嫌悪に満ちた台詞は、憎しみすら見え隠れしている。
わたしはそれが悲しくって、しんみりとしてしまう。
「……大変なんだね、ユーリィって」
「ふふ、心配してくれるのね。やっぱりとっても可愛い子ね、エリナさんって」
ユーリィはさらにわたしへ身体を寄せてくる。
わわ、ほんとに唇が触れちゃいそう。
そ、それに。ユーリィのお胸が、ぐにゅ、ってわたしのそれに押し付けられてきた。
……すごく柔らかで、ずっしりとした質感。クレアよりも立派なモノをお持ちのようで。
ゆったりとしたローブのせいでスタイルがわかんなかったから、その衝撃は計り知れない。
おっきな胸をわざとらしく、ぐにゅぐにゅって擦りつけてくるものだから、変な気分になってきてしまう。どことなく、ユーリィの吐息も荒くなってきているような……。
で、でも、ダメだってば! わたしには……クレアがいるんだから!
わたしは慌ててユーリィをそっと引き剥がした。彼女は残念そうにしていたけれど、逆らうつもりはないようだ。
「気にかけてくれて、ありがとう。でも、この生活にはもう慣れっこだから。気にしないで」
ユーリィは気楽にそう言って、前方を指差した。
そこには小綺麗な扉があって、どうやらここが案内先らしい。彼女が先立って入室していくので、わたしはホッとした。
あのままユーリィがわたしを誘惑してきていたら、どうなっていたか、わかったものじゃないよ。
決して、わたしの心が浮ついている、ってわけじゃないからね。
ユーリィが美人すぎるのがいけないんだ。
わたしは自分の気持ちに
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