第四話ー③

 リリナによる怒涛どとうの質問攻撃のせいで、口が休まることはなかった。

 といっても、聞いてくる内容は学校での生活や、1人暮らしについてだったり、返答に困るものはない。だからってわけじゃないけど、わたしも律儀りちぎになって全て答えていた。


 わたしたちは長時間、時には大笑いをしたりして、楽しげに会話をしている。だけど、ふとした沈黙の後、リリナは急激に、きりっとして居住いずまいを正す。

 妹の変貌へんぼうに、わたしは思わず腰が引けそうになった。

 だって、リリナがこういう態度を取るのって、良くないことの前触れだから。わたしは経験則から、身構えていた。


「お姉ちゃんってさ。胸おっきくなってないよね。わたしはまだまだ成長しているっていうのに!」


「う、うるさいっ。っていうか、どこ見てるのよ。それに、こんなところで言わないでよ!」


 わたしは顔を赤らめて、見られていた事実に驚愕きょうがく、腕で胸元をさっと隠した。

 もう、わたしだって気にしているデリケートなことなんだから。妹よりも小さいだなんて、あってはならないことだよ。負けた気分にすらなる。


 リリナはそれを、にたにたと下卑げひた笑みで眺めてきていた。うう、頭を引っぱたいてやりたい。

 それを傍観ぼうかんしていたクレアですら、わたしの胸元に吸い寄せられるようにして、視線を覗かせていた。


 クレアにだけは、胸のことを指摘されたくないのにー……。

 生きた心地のしないわたしとは裏腹に、リリナは満足げに、うんうん、ってしきりに頷いている。


「それで、クレアさんとは普段どんなことしてるの? パートナーになったきっかけは?」


「もー、なんなのよ、リリナ」


 表情だけでなく、話題すらも急変させてくるリリナを相手にするのは、神経が疲れる。妹の気分は、まるで山の気候みたいだな、っていつも思う。

 口早に聞いてきたリリナは、それがずっと聞きたかったことなのではないか、と勘ぐってしまう。わたしは一難いちなん去ったと思っていたクレアとの関係性を、またもや掘り返されてしまい、苦笑くしょうするしかない。


 その質問の内容は、恋人としても友達としても当てはまるし、わたしが動揺さえしていなければ、どのように答えても問題はないのかも。それに気づいたわたしは、変に構えないように心をリラックスさせた。


「ちょっとリリナ。あんたはそろそろ、こっちを手伝いなさい」


 助け舟を出してきたのは、お母さんだった。

 バッチリのタイミングで、部屋外から声をかけてくる。


「え~、今いいところだから! もうちょっと待って!」


「そうだ。久々だし、わたしがお母さんの手伝いするよ。クレアはリリナとお喋りしてていいからね」


 わたしは逃げるのに好都合だと悟って、ここぞとばかりに立ち上がる。

 それに、お母さんの手伝いをすることは小さい頃からの習慣だ。リリナに任せるよりも、わたしがやったほうがいいし、懐かしい気分にもひたれるしね。

 だけど、それをさえぎったのもお母さんだった。


「エリナは長旅だったんだし、ゆっくりしてなさい。リリナ、あんたは言い訳せずにこっちに来るんだよ」


「は~い」


 リリナは渋々しぶしぶと、それでも反抗はせずに、母親に従った。

 わたしは嵐が過ぎ去ったとみるや、はぁ~、って重たい息を吐く。


「元気な妹さんね」


「あはは、うるさいでしょ、ごめんね。クレアも、適当にあしらったほうがいいよ」


 リリナがいなくなったわたしの部屋には、静けさが訪れた。

 っていっても、台所から妹の騒がしい声がたびたび響いてくる。やかましいことこの上ないよ。

 クレアはそれが微笑ほほえましいことなのか、穏やかな笑みを崩すことがない。


「やっぱり姉妹ね。すごくそっくりよ」


「えっ、嘘でしょ!? わたし、あんなにうるさいかな……」


 わたしは愕然がくぜんとして、肩を落とした。

 容姿ならば似ているかもだけど、今のクレアの言葉は、雰囲気が似ている、ってニュアンスがあったから。

 あんなにけたたましいと思われていたなんて、ショックだよ……。


「そういうことじゃなくって、なんていうのかしらね」


「顔は似ているって言われるけどね……」


「そうじゃなくって、空気、っていうのかしら……」


「あ、やっぱりそうなんだ。今後、うるさくしないように気をつけます……」


 しおらしくなるわたしを見たクレアは、慌ててそれを否定した。

 だけど、しばらく立ち直れないかも。

 確かに元気には自信があるけど、わたしはリリナほど馬鹿っぽくはないと自負しているし、空気だって読めるはず。でも、他人からの評価が妹と同じっていうならば、自粛じしゅくしないとね……。


「エリナは、こんな良い家庭で育ったのね」


 クレアはわたしを気遣ってか、ふと、呟く。それは本音がこぼれ落ちてしまったかのように、儚げな声音をともなっていた。


 そうだ、わたしは何をしているんだろう。

 クレアの家族について、わたしは何にも知らないんだよ。聞こうとは思っても、どう切り出せばいいか、わからない。

 それに、放置していい問題でもないから。クレアの核心に迫る部分な気がするけれど、それゆえ、慎重にならざるを得ないよね。

 わたしがあれこれ悩んでいると、1つの足音を近づいてくる。


「エリナ、ちょっと入るわよ」


 お母さんが遠慮がちにそうたずねてきた。

 クレアの家族について聞くチャンスだったのに、今度はタイミング悪いんだから、お母さんってば。

 だけど、また機会は巡ってくるよね。しばらくはクレアと過ごすんだから。


「そろそろ夕飯だけど、クレアちゃんは何か食べられない物でもあるかい? 良い食事をとっていそうだから、それが心配になってねぇ」


 クレアはお母さんに対しては緊張が解けないのか、姿勢を正して向き直る。


「いいえ、お構いなく。お気遣い、すみません」


 そして丁寧ていねいに受け答えをする。うーん、どっからどう見ても優等生。

 こんなクレアは、やっぱり珍しいな。学園では気高けだかいイメージのほうが強いし、わたしといる時は、柔らかな感じだし。


「本当に丁寧な子だね、リリナに見習わせたいくらいだよ。だけどね、気を張らないでいいからね」


「そうそう、いつもみたいでいいよ。リリナにもお母さんにも」


 わたしたち親子に説得されているみたいなクレアは、愛想あいそよく微笑むだけだ。

 お母さんはそれだけを聞くと、颯爽さっそうと退出していった。

 もうすぐ晩ごはん、ってこともあってか、わたしとクレアはのんびりとくつろぐ。


 そうやって過ごした後は、お母さんに呼ばれて、一緒になって食卓をかこんだ。

 テーブルいっぱいに並べられた食事は、見ただけで腕をふるったんだろうな、ってわかるものだ。わたしの家族だけで食べ切れるのかな、って不安が襲ってくるほど。


 リリナは椅子いすに座ったまま、わたしとクレアの顔を交互に見比べている。どちらかといえば、クレアの比率が高いね。彼女の緊張をさっしているのかもしれない。


「まぁまぁ、座って座って。わたしも手伝ったんだから、おいしいよ!」


 リリナはぞんざいな手つきで椅子を引いて、クレアに着席をすすめる。クレアは遠慮がちに頷いて、誘われるがまま腰を下ろす。わたしもそれに続いた。


「リリナ、料理できるようになったの?」


 わたしはからかうみたいにして、おどけた口調で聞く。リリナは、むっとしたのか、にらみつけるように顔を向けてきた。


「この子ったら、エリナの真似して、料理の手伝いもするようになったのよ。面倒臭がることのほうが、圧倒的に多いけどね」


「あはは、それっぽい」


 お母さんはリリナの反論を待たずして、口を挟んでくる。おかげで、食卓には笑いが生まれていた。

 クレアは家庭の雰囲気に馴染なじめないのか、遠巻きに眺めている。


「もー、なんでそういうこと言うかな。クレアさんなら、わたしのこと、わかってくれるよね?」


 リリナはクレアに話題を振ることで、自然と家族の輪へ誘い込んだ。

 わたしは、あっ、てなって、自分がすべきことだった、って後悔する。


「こんな感じで夕飯をするのは初めてで……。学生寮の食堂に生徒はたくさんいるけど、談笑しながらの食事は、したことがなかったわ。本当に嬉しい」


 クレアは自身の感動を伝えるべく、真剣な面持おももちだった。

 お母さんは、彼女を我が子を見るかのような眼差まなざしで見つめる。


「こんな家でよければ、いつでもおいで」


 お母さんは一言、声をかけてあげるだけだった。だけど、それがクレアにとって必要な言葉だったのかもしれない。

 ほんわかとした空気が食卓には流れていた。

 一部始終を傍観ぼうかんしていたリリナは、うん、と声を上げる。


「それじゃ、食べよ!」


 わたしは家族に救われたところが嬉しいと思う反面、自分の不甲斐ふがいなさに落ち込みそうだった。

 だけど、暗い雰囲気にはさせないよ、と言わんばかりに、リリナが凄い勢いで食事に手をつけていく。

 まるで掃除機のように食べ物を吸い込んでいく妹を見て、呆気あっけにとられていたクレアも、ようやくおかずを口へ運んだ。


「エリナのくれたお弁当に似ていて、とても美味しいわ」


「あはは、お母さんのが料理上手だからね」


 それでも、わたしは自分がめられたみたいに感じて、照れ笑いをしちゃう。

 料理を喜んでくれているかどうかは、食べている人の表情を見れば、伝わってくる。クレアの顔を見てもわかる。わたしが以前、お弁当をあげた時のように、心からの賛辞さんじだったようだ。

 だから、お母さんにもクレアの気持ちが見て取れたのだろう。


「いっぱいあるから、たくさん食べてね」


「あ、それはわたしが作ったんだよ!」


 クレアを連れての食卓は、新しい家族が増えたかのように、賑々にぎにぎしいものだった。





 食事が終わった後は、そのまま全員での歓談かんだんが続いた。相変わらずリリナの舌が良く回っていたけど、クレアも慣れきった様子。

 

 騒がしい時間が過ぎると、わたしのお父さんも帰ってきた。

 お母さんが、エリナが大切な人を連れてきた、って説明したために、誤解を呼ぶハプニングも発生したよ。――でもね、あながち間違いでもない、むしろ核心をついていたとは思うけど……。

 あたふたとしていた父親と、より緊張を見せるクレアの挨拶が終わって、わたしの部屋に戻ってきていた。


 リリナはしつこいぐらいに付きまとってきたけど、夜も深まってくると自室へ帰っていった。


 すっごく濃い1日に感じられたよ。

 でもね、故郷のわたしでそう思うのなら、クレアにとってみれば、より濃密のうみつだったんだろうなあ。

 だけど、クレアの顔には疲労は一切浮かんでいなくて、いつものような染み1つ存在しない美顔が存在するだけだ。


 わたしの部屋には布団がき詰められており、入浴も済んでいたため、残すところ就寝するのみ。

 夏場だけど、夜になると涼しいのが、故郷のいいところだね。

 わたしは開いた窓から流れてくる夜風を受けながら、外を眺めていた。


「ねっ、クレア。もう眠い?」


「それほどでもないけど……どうかしたの?」


「外、いかない?」


「こんな時間に外? 何かあるのかしら」


「うん。涼しくって気持ちいいし、とっても綺麗な景色があるんだよ。いこっ」


 わたしの中ではもう決定事項、クレアの返事を待たずして立ち上がる。

 寝間着ねまき姿だけど、問題ないよね。誰にも見られないだろうし、家の周りだし。

 それがクレアにも理解できたのか、それとも遠出とおでをしないとふんだのか、彼女も黙ってわたしに続いた。


 両親は眠っているようで、家内はしんとしていた。さしものリリナも、1人では騒げないのだろう。妹の部屋からは明かりが漏れていたので、彼女にバレないように、こっそりと移動する。

 わたしとクレアの手は、どちらから言うでもなく、自然と繋がれていた。


 夜に忍び足で家を抜け出すのって、なんだか無性むしょうにわくわくするね。

 わたしはクレアといけないことでもしているかのような、変な緊張感をはらませつつ、自宅を後にした。

 リリナには無事、見つからなかったようである。ミッション完了ってとこかな。

 別に妹がついてきても問題はなかったんだけど……今はクレアと2人っきりがよかったから。


 やっぱり外も、静寂せいじゃくに満ちていた。

 だって、こんなド田舎に深夜遊べる場所なんてあるはずもないし、村中寝静ねしずまっているみたいだ。明かりがついている家は、まばらもいいところ。

 のどかで、平和で、ゆっくり過ごすにはうってつけの村だよね。この周辺には魔物も棲息せいそくしていないので、外敵にさらされることもないし。


 涼風すずかぜを全身に受けたわたしは、思いっきり身体を伸ばす。隣のクレアにも感染うつったのか、彼女も大きな深呼吸をして、清涼な空気を肺に取り込んでいた。

 さらには、上空の星空。無数の輝く星たちは、雲ひとつない夜空からわたしたちを見下ろしている。

 これだけでも、外に出た価値はあるよね。


 わたしは、風の音がかすかに聞こえるくらいの静謐せいひつとした世界の中、クレアを導きながらゆっくりと歩を進めていく。

 ここまで静かな世界だと、話しかけるのをはばかられるのか、わたしたちは無言だった。


 ほどなくして、開けた丘のような場所に到着する。視界を遮るものは何もなく、眼下がんかに映るのは、ぽつぽつと点在する家屋の光。後は見渡す限り、薄暗い平原だ。


 わたしはクレアに振り向いて、月光に浮かび上がる幻想的な美少女に笑いかけた。

 かける言葉はないけれど、掴んでいた手を離して、その場へ寝転がる。

 わたしの背は、ふさっとした雑草のベッドが受け入れてくれた。


「これが気持ちいいんだよー」


 ようやく口を開いて、手足を思いっきり伸ばす。

 外での解放感に加えて、しばのような草地がまた、抜群ばつぐんの寝心地なのだ。

 クレアは躊躇ためらっていたものの、すぐにわたしの隣で同じようにして横になった。

 その感触が満更まんざらでもなかったのか、気の抜けたような吐息を伴っている。

 わたしたちは夜空をあおぎ、無言で星を眺めていた。


「ねぇクレア」


「どうしたの?」


 わたしは慎重に言葉を選んでいたため、次の台詞が咄嗟とっさには出てこない。その雰囲気がクレアに伝播でんぱしてしまったのか、彼女は翡翠ひすい色の瞳を不安にくもらせつつ、わたしの横顔を覗き込んでいる。


「クレアの家って、いったい、どういう家庭だったの?」


 触れたら壊れてしまうかもしれない。そう思いつつも、わたしはおそるおそる、口に出していた。ずっと、聞きたかったこと。聞いてあげたかったこと。

 わたしのほうこそ、か細い表情になっていたのかな。じっとクレアを見返すと、月光を浴びてほのかに青白い彼女の顔には、表情の変化が訪れていない。

 そのことについては、特に感慨かんがいなどない、そんなことを物語っているようだった。


「私の家、ね。うーん、なんて言えばいいのかしら。両親は、私のことをしっかりと育ててくれてはいたわね」


 クレアは淡々たんたんと語りだした。その声には感情が何も込められていなくって、事実だけを機械的につむいでいるみたいだ。


「だけどね、料理だとか、お掃除だとか、身だしなみだとか。身の回りの世話をしてくれるのは、全部お手伝いさんだった。両親がしてくれたことは、教育ばかり。勉学や剣技、他にもいろんな習い事をさせられたわ。決して、面倒見が良い親、とは言えないわね」


 クレアはそれが他人事であるかのように、くすりと笑っていた。自嘲じちょうとも思えるほどに聞こえたわたしは、胸が少しばかり痛む。

 だって、わたしの過ごしてきた人生とは別物だったのだから。彼女の言葉から、どれほどの孤独を味わってきたのか想像するのは、容易ではなかった。

 でもね、クレアがかもし出す空気からは、彼女の人生、その情景じょうけいがわたしの心にしっかりと送られてくるのだ。だから、なんだかかなしくなっちゃって、心臓がちくってしたんだろうね。


「あっ、心配しないで。親のことが嫌い、ってわけじゃないのよ。私のことを、きちんと家をげるような人間に、って育てたかったみたいね。学校には通わせてもらえなかったから、自宅に教育者を呼んで……ずっと、自分の家しか知らなかった。そのせいもあるのかしら、私に友達がいなかったのは。それを気にかけてくれたのかな、去年になってようやく、自由にしていいって言われて。学園に通わせてもらえたわ」


 クレアは最後まで淡白たんぱくに語っていた。

 わたしのたった一言の質問。それに対して饒舌じょうぜつに、それでいて全てを吐露とろしてくれた。表情や感情に変化は見られなかったクレアだけど、やっぱり、誰かに聞いてもらいたかったことなのかもしれない。

 それとも、わたしに問われたから、だったのかな。彼女の顔からは、何もみ取れることができなかった。


 それでもわたしは、これまで謎めいていたクレアの過去を知ることができて、複雑ながらも感動していた。だって、クレアのことをより一層、詳しくなれたんだから。

 例えそれが、物哀しい感情の共有だったとしても。クレアと同じ気持ちになれるのは嬉しいし、クレアのことはもっと知りたいと思える。

 無論、彼女は悲しい、なんて一言も言っていないし、心が読み取れるわけでもないけど。でもね、わたしには、なんとなくわかるんだよ。クレアは、やっぱり寂しかったんだな、って。


 わたしが黙りこくってしまったので、クレアは優しい微笑を浮かべていた。わたしが何を考えているのか知り尽くされているみたいな、そんな目で見つめられている。


「エリナ。私はね……、あなたと出会えて良かったわ」


「……うん、わたしもだよ。これからは、独りじゃないからね」


 きっとね、クレアはずっと孤独だったんだ。

 家にいた時から、ずっと孤独。両親も、家庭教師も、家政婦さんもいたのかもだけど。彼女の心を開けてくれる人間は、誰もいなかったのだろう。

 こんなわたしがクレアを救ったのだとしたら……これからも手を差し伸べ続けてあげたい。

 だから、それが伝わっていればいいな、ってわたしも精一杯の笑顔を作っていた。


 クレアは思い馳せるようにして目を閉じる。

 わたしはそれをじっと凝視して、彼女の表情がかすかに変わったのを見逃さなかった。

 月明かりだけでは、ぼんやりとしていて、はっきりとうかがえないけれど。

 でもね、わたしは確証を持っていた。

 クレアも、わたしといることを幸せに感じているんだ、って。

 わたしたちは、温かさに包まれているみたいだったのだから。

 彼女のこと、聞いてみてよかった。わたしはそう思えて、クレアと一緒になって目をつむった。

 星空の下、全身で浴びる夏の夜風は、例年とは違うもの。わたしが今まで感じたことのない、精神面が満たされていく心地の良いものだった。





 クレアと一夜を過ごしてから……なんて言うと意味深に聞こえちゃうけど、別におかしなことは何もなくって。お友達とのお泊り会のような日々が続き、何事もなく毎日が経過していった。


 あらかじめ警告しておいたように、ド田舎なわたしの故郷ではすることが限られるため、連日、似通にかよった日常だった。したことといえば、リリナを含めてこっちの友達と遊んだり、魔法を見せてあげたり、ほとんどが妹を中心に回っていた気がする。

 その他には、クレアが家事を手伝ってくれたりもした。掃除や洗濯、お料理なんかもしてくれたのだ。


 クレアは本人の言葉通り、家事の経験はなかったみたい。家にいた時は、家政婦さんに任せっきりだったらしいから。だけど、彼女は率先そっせんしてお手伝いをしてくれていた。はじめのうちは不慣れで、たどたどしかったけれど。真心を込めて家事をしてくれたので、微笑ましい限りだった。しかも、クレアは家事すらも天才肌なのか、飲み込みが早かった。


 といっても、クレアだって学生寮で1人暮らしをしているのだから、洗濯なんかはちょこちょこやっていたみたいだけどね。料理とかお掃除は手を付けたことないらしい。割とずぼらなのが、新発見だった。


 そんな数日を経て、明日にはもう学園へ戻る日だ。

 わたしとクレアは、以前、夜に寝そべった丘で寝転がっていた。

 あの日みたいに2人っきりだったけれど、今は真っ昼間。さっきまではリリナもいたのに、今はお母さんに呼ばれて、この場から離れていた。


 実家にいるときは、何かとリリナが付きまとってくることが多かったので、お昼にクレアと2人っきりは珍しいシチュエーションだ。

 その空気にあてられたのか、わたしは決心したことがあった。

 お昼寝でもしたくなるような、のどかな雰囲気とは裏腹に、わたしは表情を固くしている。


「この数日、クレアが家族になったみたいだったね」


「ふふ、とっても楽しい毎日だったわ。ここに連れてきてくれて、ありがとう、エリナ。感謝しきれないくらいよ」


「良かった、クレアがそう思ってくれるなら、わたしも嬉しいよ」


 そこで会話が途切れてしまったようになったので、クレアは頭上を流れる雲へと顔を向けてしまう。


「あ、あのね。クレアと一緒に過ごして、クレアのこと、色々知ることができた。それも嬉しかったんだよ」


 わたしは必死になって、クレアの興味を引き戻そうとして、話を続けた。

 彼女は上体を起こして、わたしが何かを伝えようとしている、って感じ取ってくれたみたい。

 わたしもクレアにならって起き上がった。


「私のこと、何かわかったのかしら?」


「朝から晩まで一緒だったからね。クレアってば、こんなに綺麗な見た目なのに、おしゃれなこと全然しないから、それが一番意外だったよ」


 わたしもナチュラルさをそこなわないように、リラックスして喋る。クレアはそんなことが意外なのか、というように、自身の銀髪を指先でもてあそんだりしながら、不思議そうにしていた。


 まったく、クレアってば、素材は完璧なのに、女の子らしいことにはてんで無頓着むとんちゃくなんだから。わたしにとって、それは驚きを通り越して、ありえないことだよ。

 何せクレアは、朝起きてから、髪型をセットすることなんてしないんだから。軽く寝癖ねぐせを直す程度。それでいて、あんなにも美しい髪を保っているんだから、羨ましいなんてものじゃないよ。

 けどね、それと同時に、もったいないなあ、って思っちゃうよね。


「んっとね……。もし、これからも一緒に生活するとしたら、もっともっと些細ささいなことも知ることができる気がするの。それは良いことばかりじゃないかもだけど……」


 クレアは息を呑むかのようにして、わたしを真っ直ぐに見つめている。その翡翠色の瞳には、先の言葉が予想できているかのような輝きが伴っていた。


「クレアと1週間、隣り合って寝てみたけど、未だに緊張しちゃったりするし……。至らないところ、たくさん出てくると思うけど。……学園に戻ったら、一緒の部屋に……なってみたいな」


 わたしは、それを言い終わる頃には、でダコのように顔を赤くしてたことだろう。

 すごく勇気のいることだったんだから。

 クレアと共に過ごした1週間は、かけがえのないものだった。この先もこれが続けられるならば……って思って、出した答えだったの。


 クレアは口をあんぐりと開けて、珍しい反応を見せていた。

 予想通りだったのかもしれないけれど、それでも信じられない。そんな態度だ。


「こんな幸せ、本当に良いのかしら……。毎日が、楽しみになるわ」


 クレアは両の手を合わせて、幸福に満ちた笑顔を浮かべている。

 わたしも、おんなじくらい、幸せでいっぱいだった。

 学園に戻ってからも、2人で一緒に過ごすんだ。ドキドキで胸が壊れちゃうかもね。それでも、夢のような毎日がわたしたちを待っていてくれるだろう。

 楽しみだね、すっごく。





 そして翌日。

 昨晩は最後の夕飯ということもあってか、初日と同様にかなり豪華な食事だった。さらにはリリナが夜遅くまで部屋に居座っていたため、わたしとクレアは若干寝不足気味。同じ時間に寝たはずのリリナは朝から元気いっぱいで、なんだか理不尽さを感じるよ。


 荷造りも終わっていたため、後は家を出るだけ。

 馬車の手配ができる村までは歩いて行かなくてはならないので、早朝から出発の予定だった。

 わたしたちは玄関に並んで立っており、それを見送るためのお母さんとリリナが向かい合っている。


「2人とも、気をつけて帰るんだよ。クレアちゃん、またいつでもおいで」


 お母さんは気負きおった風もなしに、別れの挨拶を送ってくる。

 そしてようやくわたしも、実感していた。またしばらく、実家には戻ってこれないんだな、って。次に帰ってくるのはいつになるかな、なんて寂しさに襲われそうなわたし。けど、それを察したわけではないだろうリリナが、ずいっと前に進んできた。

 表情で気づかれないように、わたしは慌てて笑みを浮かべる。


「わたしも来年、お姉ちゃんのところに行くから」


「え、ええっ? 何言ってるのよ、リリナ。お母さん、こんなこと言ってるけど、いいの??」


 リリナの口走った言葉に、動揺が走る。突拍子とっぴょうしもない発言は確かに多いけれど……。わたしは母と妹の顔を交互に見比べて、反応を伺う。

 お母さんは、やれやれ、って頷いていた。おそらく、リリナの迫力に押されて、許諾きょだくしてしまったのかもしれない。

 わたしだって、学園に行く、って決めた時は、説得に時間をかけたものだ。


「クレアさんのような人を見つけたお姉ちゃんが羨ましい。それに楽しそうだしね!」


「あのね、わたし、魔法を学ぶために通ってるんだけど……」


「そのくらい、わかってるってば! お姉ちゃんくらい、すぐに追い越すもんね」


 わたしはほおをピクピクとひくつかせる。だって、追い越されるのもありえそうだな、って内心で冷や汗ものだったんだから。


 姉妹だから、リリナのことは詳しく知っているつもり。何か将来、とんでもないことをしでかしそうな、秘めた才能を持っている気がするのだ。もしかしたら、大魔法使いの資質が眠っていた、とか言われても、驚かないかもしれない。ま、現実はそう簡単にはいかないよね、きっと。


「来年が楽しみね」


 クレアとリリナは握手を交わしながら、楽しげだ。


「学校が騒がしくなっちゃうね」


 わたしは苦笑しつつ、妹のいる学園を想像していた。どう想いをふくらせてみても、騒がしくなる未来しか出てこない。今から溜息ものだよ。


 来年からの若干の不安要素はあったけれど、わたしたちは家族に見送られて、家をった。

 リリナのお陰で、しんみりとした別れはしないで済んだ。しょうがないから、それだけは感謝してあげることにする。


 そして、わたしたちを乗せた馬車は、学園の待つトールデン地方へ走るのだった。

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