第二話ー③

 剣がさやに収まる小気味の良い音が鳴り響く。

 クレアの周囲には、魔物たちのしかばねが数多く転がっていた。


 昼食から数時間、その間ずっと林道を歩き回り、遭遇そうぐうした魔物の回数は3。それら全ては、クレアによって殲滅せんめつされた。

 これだけ動き回っているのに、彼女の息はあがってすらいない。


 目を奪われるほど鮮やかなクレアの剣技。

 でも、そんな華やかな彼女とは違って、わたしの気は滅入めいってしまいそうだった。


「そろそろ、帰りましょうか?」


 それが表情に出てしまっていたのか、クレアが心配そうに声をかけてくる。


「ねえクレア。さっきちょっと、怪我、したでしょ……?」


「ただのかすり傷よ。何も問題はないわ」


 つい今しがたの戦闘で、またしてもわたしは狙われてしまい、クレアがかばってくれたのだ。その際に、魔物の攻撃が足にかすっていた。

 確かに、彼女の言葉通り、気にすることもない程度の怪我だ。


 だけど。

 わたしにとっては、そうじゃなかった。

 だって。それは自分のせいだから。

 わたしがいなかったら、負わなくてよかった傷なのだ。

 わたしがもう少し動けていれば。魔法が使えたら。わたしよりも才能のある子と来ていたならば。

 思考はどんどん闇に飲み込まれていきそうだ。


「……ごめんなさい」


 出てくる言葉は、それしかない。

 様々な感情のうねり。気を抜けば涙が出てしまいそう。

 でも。泣いちゃダメ。クレアに迷惑をかけたくないし、泣けば許される甘い世界じゃないんだから。実戦っていうのは、わたしの都合なんてお構いなしなのだ。


 クレアは、わたしの肩にそっと手を添えてくる。


「私が誘ったのよ? 気にしないで、ね? 早くここから出て、ゆっくりしましょう」


 クレアは優しくしてくれたけど、まとっている気配はいささかも緩められていない。

 ここでぐずっていては、彼女に神経を張り詰めさせたままだ。

 わたしは、早くここから立ち去りたくって、どうにかメンタルを復活させた。





 それから実戦場を後にするまで、魔物に襲撃されることはなかった。

 クレアはずっと周囲を警戒していたし、わたしも会話できるような精神状態ではなかったので、空気はどことなく重い。


 実戦場から少し離れた田舎道にまで戻ってきて、ようやくクレアの鋭い気配は消失する。

 そして真っ先に、わたしへと向き直った。


「今日は嫌な思いをさせてしまったかしら……? 休日にこんな場所へ連れ回して、本当にごめんなさい」


 頭を下げるクレアを前にして、わたしはき止められていた感情が溢れてしまう。


「違う、違うの……」


 わたしが精神的に弱っていたからだろうか。クレアはそれを見透かしてきたのか、そっと彼女に抱きすくめられた。


「違うって、何が?」


「クレアは何も悪くないよ。わたしが何もできなかったのが悪いのに、謝らないでよ……」


 我慢しようって思っていたのに。

 感情を止められるほど、自分をコントロールできるすべは持っていなかった。

 わたしは目尻に涙を浮かべながら、クレアの強固な翡翠ひすい色の瞳を覗き込んだ。

 涙で視界がぼやける。それでも映り込んでくる彼女の眼は、揺れることなく、真っ直ぐにわたしをとらえていた。


 クレアは強い。わたしなんかとでは、釣り合うわけがないほどにも。

 それが彼女の瞳からも感じ取ることができて、わたしは自分をおさえることができなかった。


「クレアは強いから……。もっと相応ふさわしい人と、パートナーになったほうがいいよ」


「どうしてそんなことを言うの」


 珍しく、クレアが声を張り上げた。それと同時に、わたしのことをギュッと力強く抱き締めてくる。

 少しだけ苦しいって感じるのに、嫌ではなかった。むしろ、もっと求められたい、とすら思っていた。


「私はね、エリナじゃなきゃ嫌なの。他の誰かなんて、願い下げだわ」


「……なんでそこまで、わたしのことを?」


 その質問を受けて、クレアは逡巡しゅんじゅんするような間を置く。だけど、意を決したのか、ようようと口を開けた。


「私があなたのことを好きになった理由。この前は恥ずかしくって言えなかったけれど……。今、話してもいいかしら?」


「……うん」


 いまだクレアには躊躇ためらいがあるのか、言葉に詰まっているようだ。だけど、不意に笑みがこぼれる。


「あなたの言葉が嬉しかった」


 ぽつり、と漏らしたクレア。

 わたしには、その意味が通じなかった。

 だって、わたしとクレアは、あの校舎裏での告白イベントが、初めての出会いだったはずだから。少なくとも、それ以前に会話をした記憶はない。


「私はね、昔から1人だったわ。この学校に来てからも、人が寄ってくることはけっこうあったけれど……。誰ともうまくいかなくて、友達になれなかった。でもね、今年の入学式。エリナは、初日だっていうのに、沢山のお友達に囲まれて楽しそうだったわ」


 クレアの言ったことを、思い起こしてみる。

 確かにわたしは、故郷にいたときから、何かと友達に囲まれることは多かった。例えそれが、初対面の相手だったとしても。

 こっちの学園に入学してからも、何人かとすぐに意気投合したっけか。


 だけど、わたしは勉強にも専念したいし、学生寮に入っている子はいなかったから、登下校は1人だったけどね。

 でも、それとクレアに、何の関連性があるのかな?

 わたしは彼女の続きを黙って待った。


「とっても楽しそうなエリナを見て、うらやましいと思ったわ。笑顔も素敵で、たぶんその時に一目惚れしてしまったのかしら。それからは、遠巻きにあなたのことを見ている日々だったわ。どんな子なのかな、って興味が尽きなかったの」


「……でも、あの日まで、話したことはなかったよ?」


「ええ。恥ずかしいから言いたくなかったのだけど……。エリナが友達と話しているところ、聞こえてしまったことがあるの」


 わたしは再び記憶を探ってみた。

 友達とクレアについて話したことは、何度かあったかもしれない。何せ、学園中で噂になるくらいの人物だもん。話題に上がることは、それなりにあった。

 だけど、どの話がクレアの心を打ったのか、思い至らない。


「エリナは……。私が欲しいと言ってくれたわ」


「へっ?」


 それはさすがに、予想外の言葉。

 そんな大胆だいたんなこと、言った覚えなんてないよ!

 わたしの反応が予想通りだったのか、クレアはくすくすと笑う。


「ちゃんと考えれば、私の勘違いだってわかるはずなのにね。あの時は、素敵なエリナが言ってくれたあの言葉が、頭から離れなくって。ずっと、あなたのことを想うようになっていったわ」


 ああ、もしかして、あの時のことかな……。

 わたしはクレアの独白どくはくがヒントになって、ようやくその場面を思い出した。

 

 友達とクレアの話をしていた時に、クレアのような美しくて強い人だったら、パートナーになって欲しいよね、って言った気がする。

 だけど、冗談を勘違いされて、ここまでしたわれるようになったのだから、罪悪感に胸が詰まりそうになった。


「あのね、クレア……それはね……」


「わかっているわ。だって、私のこと、パートナーとして求めてくる人は多かったから。そんな人たちは全員、私とは一線を置くように接してきたわ。だからかしらね、こっちだって心を開けることなんてできなかった。だけど……エリナは。そんな人たちとは違う、って直感があったの。だって、初対面の子ともすぐに打ち解けられるような、暖かい心の持ち主なんだ、って知っていたから。その考えはね、今になって、間違っていなかった、って自信を持って言えるわ」


 そこまで一気に語ったクレアは、何か考え込むように黙ってしまう。

 わたしは、彼女の想いを頭にゆっくり刻み込んでいた。

 勘違いから始まったのかもしれないけれど。それでもなお、ここまで慕ってもらえている。その気持ちが無性に嬉しかった。


「初めはね、友達になりたかっただけなの。でも、時間がつたびに、エリナのことしか考えていないことに気づいたわ。……だから、これは恋だって確信したの」


「……うん、わかったよ、クレアの気持ち。全部、伝わったから。だから安心して、これからは、クレアのこと、1人にさせないよ」


 わたしの返した言葉に、今度はクレアが涙を浮かべていた。逆に、わたしのそれはすっかり止まっている。

 お互いの気持ちが共有できて安心したのか、クレアはわたしの身体をそっと離した。


「でもね、パートナーは、変えてもいいんだよ。わたしじゃ、クレアと釣り合わないから。別にパートナーじゃなくっても、友達とか、こ、こいびととかなら……」


「どうして、まだそんなことを言うの?」


「パートナーはね、信頼が大事だって言うから……。強さの信頼もあるんでしょ? わたしはね……この先どんなに勉強を頑張っても、大魔法使いのようにはなれないから……」


 わたしはただ事実をべただけなのに、それが悔しくて悔しくて、拳をぎゅって握って、肩をぷるぷると震わせていた。

 くつがることのない世界の真理が、どうしようもない無力感となってわたしのことをあおってくる。


 魔法使いっていうのは、素質が全てなのだから。

 学園で学ぶことができるのは、魔法としての知識だけだ。知識があれば、魔法をとなえることができるようにはなるし、戦闘を有利に進めることができる。

 だけど、魔法の威力や、効果……魔力と呼ばれるものだけは、潜在的な能力を越えることは不可能なのだ。

 

 そして、クレアの強さとわたしを天秤てんびんにかけると、自分の素質は絶対的に足りていなかった。

 そんなこと、言われないでもわかりきっていたことなのにね。

 でもね、初めての実戦をたことによって、現実が重くのしかかってきているのだ。


「私の剣は……。誰かのために使いたい、って思ったことなんてなかったわ。だから、こんな力、一生使うことがないんだろうなって思ってたの。でもね、エリナ。あなたと出会って、私の考えは変わった。今は、あなたを護るために剣を振るいたい。護りたいもののためだけに使う力、ダメかしら?」


「そこまで想ってくれているなんて……」


 わたしは、またもや肩が震えていた。

 でもね。今度のそれは、別の感情によるものだ。


「わたし。幸せ者なのかも」


 顔を上げて、クレアに向かって満面の笑みを浮かべる。

 これほど嬉しいことなんて、あっていいのかな。

 クレアのたぐいまれなる才能を、わたしのためだけに使いたい、って。

 自分のことはまだまだ情けないって思っちゃうけどね……。クレアとなら、もしかしたら、歩んでいけるのかもしれない、って思ったら。

 幸せな気分でいっぱいになったのだ。


「わたしのこと、こんなに想ってくれて、ありがとっ!」


 わたしは勢い良くクレアへ抱きついて、そのまま、彼女の頬へ唇を押し付けた。


 それは、わたしなりの、精一杯の感謝の気持ち。

 いきなり、唇同士、っていうのは、怖かったから……ほっぺたにだけど。

 でもね、クレアなら、こうしたら喜んでくれるかな、って……思ったら、行動しちゃっていたんだ。


 クレアは、みるみるうちに頬を紅潮こうちょうさせていく。

 わたしも、照れ笑いしながら、手を背で組んで、もじもじとしてしまう。


「わたしね、クレアのこと、もっともっと知りたくなっちゃった。クレアが告白してきた時、わたしに言ったこと、覚えてる?」


「エリナのこと、知れば知るほど、好きになってしまいそう、って言ったことかしら?」


「……うん。今ならね、それがわかるよ。好きじゃない人のことって、知ろうとも思わないもんね」


 クレアは無言で、わたしの顔に手を差し出してきた。わたしはそれに抵抗しないで、迎え入れる。

 彼女の手のひらは、わたしの頬を優しく撫でた。


「わたしね、クレアに告白されてからずっと、好きってなんなのかな、って気になっていたの。……今のこの気持ちが、好きなのかどうかわかんないし……クレアに期待を持たせちゃうかもだから、言いにくいんだけど……」


 わたしはそこで口が止まった。

 言っていいものか、言わないべきなのか。

 だけどね。クレアが優しく頬を撫で続けてくるものだから、自然と言葉が出てきてしまっていた。


「もしかしたらね。わたしも……すき……なのかも」


「ふふ、今はその答えで充分、幸せよ」


 クレアは晴れやかに微笑んでいた。

 わたしも、心のもやもやとか、今日の出来事とか、嫌だった思いが全部吹き飛んでしまう。

 相変わらず単純な思考だね、わたしって。

 

 あはは、って笑いながら、ふと、クレアの手の甲に視線が向く。

 すると、そこには一筋の傷がついていた。


「クレア、手、怪我してる」


「あら、ほんと。私も気がつかなかったわ……って、エリナ、何を!?」


 クレアは慌てて手を引っ込めようとした。


 わたしは、彼女の手が痛ましいと思ってしまって、傷口に舌を這わせたのだ。

 唾液って、消毒効果があるんだからね。

 すべすべってしている、クレアの手の甲。わたしはいつくしむように、ぺろぺろと舐めていた。


「ダメだって、汚いわ」


 言いつつも、クレアは力ずくで引きがそうとはしなかった。どことなく、くすぐったがっているような、そんな声音だ。


「こんなに綺麗な手、怪我させちゃって、ごめんね」


「エリナが優しく舐めてくれるなら、これくらいの怪我、逆に嬉しいわ」


 あのクレアが冗談を言うものだから、わたしも声をあげて笑ってしまう。


「そうは言ってもー、わざと怪我はダメだからね? 心配するんだから」


「ふふ、わかっているわ。私はエリナを護るんだから、心配事はご法度はっとよね」


「じゃ、帰ろっか?」


「ええ」


 すっかり夕暮れになった田舎道。

 わたしたちの手は、どちらから、と言わず、自然と繋がれていた。

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