第一話



「はぁ……」


 本日の授業終了を告げるチャイムとともに、わたしこと、エリナ・アルフィーアは海よりも深い溜息ためいきをついた。その吐息の重さは、鉛でも混入されているのではないか、と自分ですら驚嘆きょうたんに値するものだ。


 溜息の理由は色々。

 その中で最も大きな割合を占めたのは、魔法を習うためにわざわざ実家から出てきて遠方の学園に入学したっていうのに、肝心の授業がこれっぽっちも頭に入らなかったから。

 昨日の出来事が頭に焼き付いちゃって、何事も手につかない状態だった。


「はぁ~……こんなんじゃダメダメっ。気分転換しないとねっ!」


 わたしは教材をかばんの中に詰め込むと、頭の中のもやもやを切り離すかのようにして、勢いよく椅子から立ち上がる。そのまま、教室から退出していった。





 オディナス学園は、戦闘科・魔法科、その2つからなる学校だ。これらのような分野が学べる学園は、地方にはあんまり存在しない。そのため、遠方から入学しに来る生徒も多いので、学生寮などの建物も揃った、規模の大きい学校だった。


 校舎はそれらの学科に合わせて東西に分けられてある。その2つの科が共通で利用できる施設が、中央棟、と呼ばれる真ん中の建物にあった。

 わたしはその中央棟へ足を向けていた。長い渡り廊下には、放課後ということもあってか、人影はまばらだ。


 わたしはこの学園に入学してから、まだ2ヶ月ほどしか経過していないけれど、向かう先はほとんど日課のようになっていた。

 

 ふと、歩みを止めて窓外へ目を向ける。夕陽よりも遠くを眺めるかのようにして、ぼーっとしちゃう。

 わたしの瞳には、迷いが生じていた。


「本当に、これで良かったのかな……」


 幾度となく湧いて出てくる考えは、いまだにまとまることがない。昨晩からずっと、悩み続けていることだった。


 昨日の放課後、学園のアイドル"クレア"から熱烈的な告白を受けた後は、その場でどうにか解散となって、普段と変わることのない寮生活へと戻ることができた。

 その時点では、何の感情も浮かんでこなかったんだけど……。


 自分の部屋に戻ってから、冷静になった思考でよくよく思い返してみると、実はとんでもないことになったのではないか、と気づいてしまったのだ。


 わたしの返事は、クレアの告白を受け止めたものと思われても仕方のないもの。

 そしてわたしはまだ、相手のことを好きになれるかすらわからない。

 それに対して、1日中悩んでしまっていた。


 そして今。あの出来事から、丸1日が経過しようとしていた。

 あれからまだクレアとは顔を合わせていない。

 次に出会ったとき、きちんと会話ができるかな。気まずい空気にならないかな。

 なんてことばかり思い浮かんじゃう。


(あ、そういえば……昨日は焦っちゃって聞けなかったけど、クレアさんはなんでわたしのことを好きになったんだろう。話したこともなかったのに。今度会ったら、聞いてみよっかな……)


 わたしの脳内は、すぐにクレアのことだけで埋め尽くされる。何かを思考しようとすると、彼女のことが即座にちらちらと浮かんできてしまうのだ。

 窓外へ目を向けたままだったわたしは、はっとなって目的を思い出した。


「いけない、早くしないと閉まっちゃう」


 わたしはちょっぴり駆け足で、寂寞せきばくとした渡り廊下を急いだ。





 膨大な量の本棚に埋め尽くされた部屋に、わたしはたどり着いた。

 学園の図書館だ。ここには、さまざまな文献やら学問書やらが、無数とも思えるほど蔵書されてある。魔法を学ぶ者にとって、知識はとっても重要なんだから。


 わたしはそういった本を読むのが昔っから好きだった。でも、地方にはこれだけの数の本が納められている場所なんてない。わたしの故郷は、ほんっとーに果てしない、なーんにも存在しないド田舎だから……。


 そのため、この学園に入学してからは、沢山の本が読めるこの場所に足繁あししげく通っていたのだ。

 管理しているのは職員と図書委員だから、閉館も早い。それだけが難点だった。


 放課後とはいっても、ここに訪れている人はいつも多い。魔法を学ぶ者は、勤勉家の割合が多いみたい。もちろん、このわたしもね。

 なんて自画自賛、成績がふるわないわたしが言っても、虚しくなるだけだけれど……。


 本棚の合間合間に設置された机には、書物を広げている生徒たちの姿で溢れかえっていた。いつもの光景そのものだ。

 ページをめくる音が時たま聞こえてくるくらいの物静かな空間は、わたしの心を落ち着かせる。

 いつもと変わらないこの場所。空気。それに安心しきったわたしは、目的のものを探そうと本棚の周りを物色し始める。

 

 そんなわたしの背に、突然、温かくて柔らかいものが押し付けられた。


「ひゃっ」


 驚きの感触に、声をあげてしまう。わたしの間抜け声は、静謐せいひつな空間を作り上げていた図書室に恥ずかしいほど響いてしまう。

 と同時に、わたしの首元と腰に、しなやかな腕が巻き付いてくる。

 そして顔の真横に、にゅ、っと現れてきたのは、とんでもない美人。


「こんなところで会えるなんて、嬉しいな……」


 甘美な吐息とともに呟いたのは、クレアだ。

 どうやら、後ろから抱きつかれているみたい……。

 シャンプーの香りがふわって漂ってきて、わたしの鼻腔びこうをくすぐる。それだけで、目がとろ~んってなってしまった。


「えっと、あの……」


「ふふ、どうしたの?」


 クレアに抱きつかれている! って脳が把握してくると、わたしの心臓は一気に早鐘を打つみたいに脈打ちを始める。

 今まであれこれと考えていたことなど簡単に吹き飛んでしまい、わたしの脳内はぺんぺん草1つ生えていない荒野みたいに空っぽになってしまった。

 

 だって。だって。

 クレアってば、身体を余すことなく、くっつけてくるんだもの。

 わたしの背中には、むにゅっとマシュマロよりも柔らかそうな物体が押し付けられている。それに加えて、いい匂いもするものだから、思考力を根こそぎ奪われてしまうのも当然といえた。


 しばらくクレアと密着した状態で硬直していると、ささやく声が周囲から生まれてくる。


「ねぇ、あれ……クレアさんと誰かしら?」

「あら、ほんと。クレアさんとあんなに親しくしている方、いらしたのね」

「羨ましいなぁ」


 どんどん注目を浴びているようだった。

 わたしは意識を現実に引き戻して、顔を真っ赤に染めながら、クレアの腕を振りほどく。


「あ、あの、こんなところで何しているの?」


 わたしは平静をよそおってクレアに詰問きつもんする。

 彼女はわたしと会えたことがよほど嬉しいのか、花が咲き乱れるかのような、たおやかな笑みを浮かべた。

 うう。どうしてクレアの笑顔はこんなにも可愛いんだろう。

 わたしの胸の高鳴りは、止みそうになかった。


「ちょっと調べ物があって。エリナさんこそ、私に会いに来てくれた……とか?」


「えっ……えと。わたしも調べ物があって。それにわたし、本を読むのが好きだから、ここに来ることは多いの」


 わたしはクレアの直接的な感情を避けるかのように、はぐらかして笑いながら答える。

 彼女はわたしの一言一言を、口の中でじっくり味わっているみたいに、楽しげに聞いてくれていた。


「また、あなたのことをひとつ、知ることができたわ。嬉しい。よかったら、一緒に調べ物、しましょう?」


 周りの視線が少しだけ気になるけれど、せっかくの誘いを断るのも気が引ける。

 わたしはこくんと頷いて、その申し出を受けるのだった。

 べ、別にこれくらいなら、一緒にするのもおかしなことではないしね……。


 それでも、変な噂が立つのは嫌だったので、人目を避けるように、本棚の合間へ逃げ込む。

 クレアはわたしの後ろを、にこにことした上機嫌な顔でついてきてくれた。


 好奇の視線を寄せてきていた生徒たちをシャットアウトしたら、わたしの気持ちもちょっとだけ楽になった。

 そして、クレアに聞きたいことがたくさんあったのを思い出す。


「あの、クレアさん。聞きたいことがあるんだけど……いいかな?」


「私に興味を持ってくれているのね。エリナさんになら、なんでも教えてあげる」


 色っぽいような視線で、なんでも教えてあげる、なんて言われるものだから、クレアの目線から顔を逸らしてしまう。

 学年は1つしか違わないはずなのに、どうしてこんなにも大人の色気たっぷりなのだろう。わたしが後1年成長したとしても、きっとこんな風にはなれないんだろうな。って思わずにはいられない。


 そこで、わたしは違和感を覚えた。

 実は昨日にも感じていたことだったのだが、あの時は気が動転していたので、そこまでの余裕はなかったのだ。

 しかし今、その正体に気づく。

 そう、年齢のことだ。


「あの、その前に。クレアさんのほうが年上だから、わたしのことはエリナでいいよ」


「本当に? いいの?」


「うん」


「じゃあさっそく……エリナ。私のことも、クレア、って呼んで」


 クレアは、わたしの名を呼ぶことこそが至福のときみたいに、声が弾んでいた。クレアの薄桃色うすももいろの唇が、エリナ、ってつむぐ瞬間、わたしは変に緊張してしまう。

 だけど、彼女の衝撃的な発言が、緊迫きんぱくなんてものを消し飛ばしてきた。


「そ、それは、クレアさんのほうが年上だし、失礼なような……」


「親密な関係になれる気がするから、お願い」


 大人びた風貌のクレアが、上目遣いで子どもっぽく頼んでくるので、わたしはそのギャップにメロメロになってしまいそうだった。

 こんなの、こんなの、断れるわけがないよ。

 わたしは黙って、頷いてしまっていた。


「じゃ、じゃあ。ク……レア……」


 あまりにも恥ずかしすぎて、口ごもりながらになっちゃった。

 言い終わった後は、顔から湯気が出てしまいそうだった。

 でも、クレアはそれで満足げにしている。

 なんか、なんか……。こんなことで喜んでくれるのだから、わたしも満更でもない気分。


「それで、私に聞きたいこと、って何かしら?」


「あっ、そうそう。どうしてわたしのこと、好きになったのかな……って思って。今まで話したこともなかったのに、不思議に思ってたんだ」


 誰かに聞かれたら大変なことになってしまうので、わたしは周囲をうかがいつつも、小声でクレアに伝えた。


「そっ、それはっ……」


 わたしとクレアの立場が逆転したのかと思った。

 これまでは、わたしが彼女にどぎまぎさせられっぱなしだったのに。

 今のクレアは、あたふたとしており、わたしはぽかーんと口を開けて眺めることしかできない。


 ここまで焦る原因も気になるけど、そんな反応をされてしまったら、胸がきゅーんってしてしまうような気がした。

 漫画とかでよく見かける、恋に落ちる、って表現はこんなことなんだな、って今なら理解できる。

 いや。わたしは落ちてないけど。……多分。


「それは?」


「ひ、ひとめぼれ……もあるけどっ……」


 クレアの語尾はごにょごにょとしていて、聞き取れない。

 だけど、最初の単語だけで、破壊力は充分だった。


「えっ?? ひとめぼれ……??」


「こんな可愛い子、初めて見たから……」


 追加された証言に、またしても衝撃が含まれていた。

 わ、わたしが可愛い? ひとめぼれ?

 そりゃー確かに、友達同士でなら、お洋服を見せ合ったりするときに、可愛い、とか言われることはあったけど……。

 それは、わたしだって相手の子に言ってきたものだし……別に友達となら普通のこと。

 だけど、これまで生きてきて、告白なんてされたこともなかったから……わたしの女性としての魅力は皆無だって思ってた。

 む、胸はあんまりないし……童顔だし……。

 

 まさか、クレアのような美人さんに、そう評価してもらえているなんて。

 なんだか信じられない。

 わたしはまたもや動揺させられてしまい、2人とも口をぱくぱくさせたりしていて、まともに会話が成立するかも怪しい状態だった。


「そんなこと言われたの、初めて……。で、でも、この学校にも、わたしより可愛い子、いっぱいいるよ」


「ううん、私にとってはエリナが一番。本当に可愛いよ」


 繰り返されたクレアの言葉が、わたしの心、その一番奥にまで入り込んで、じわじわって全身に広がってくる。

 彼女の台詞には、どれほどまでの想いが込められていたのだろうか。

 わたしはクレアが言ってくれる、可愛い、って言葉を脳内で何回もリプレイ再生して、感傷に浸ってしまっていた。


 だけど、当の本人のクレアも恥ずかしいことだったのか、その話題は終わり、って言わんばかりに、本棚を覗き始めた。

 気を紛らわせたかったのか、はたまた本来の目的に戻るためだったのかは、不明だけれど……。


 でも、わたしは追及の手を緩めたくなかった。

 ひとめぼれ、っていう理由だけで、ここまでグイグイと来れるものなのだろうか。

 どうせなら、彼女の本心を知りたい、と思うようになっていた。


「他にも、理由、あるんでしょ? ……教えて欲しいな」


 それが図星だったのか、クレアは動きを止める。

 彼女は不自然に目を泳がせ、


「ほら、早く調べ物しないと、図書館が閉まってしまうわ。その話は、また今度」


 ってはぐらかしてくるのだった。

 うー。気になって気になって仕方ないけれど、確かに閉館の時間まではそれほど猶予ゆうよがない。

 それに、クレアが颯爽さっそうと歩き出してしまうものだから、後を追うことに決めた。


「待ってよー、一緒に探すんでしょっ」





 わたしたちの調べ物は、なんと同じものだった。

 それは昨日、2人で約束した伝承の地、ニーシャの社についてだ。わたしと同じように、クレアも気になっていたのだろう。

 目的が同じだから、探す手間も分担できて、早めに本を見つけることができた。

 わたしたちは机に本を広げ、隣り合わせでそれを眺めている。


「うーん、この本には、私が知っていることしか書かれていないわね」


「詳しいんだね、クレアさん。わたしは昔にちょっと読んだだけだったから、知らないことばっかり」


 その本は歴史書のようなもので、書かれているのはニーシャの社の他に、大昔の伝承などだった。

 そして、ニーシャの社の項目には、発祥とされる内容がしるされてある。

 わたしも、そのことについては知識があった。

 だけど朧気おぼろげな記憶だったため、じっくりと見入っていた。

 一体どれほど過去の書物なのか、どこまで参考になるのかはわからないけれど。唯一の手がかり、かもしれないので、熟読じゅくどくする。


「それにしても、やっぱり危険な地にあるんだね。王国が部隊を引き連れて、国の発展を願った挙式をあげたって。この王国、ってだいぶ大きなものだったんだよね?」


「そのようね。でもニーシャの社を伝えた、といわれている最初の冒険者は2人だったらしいわ。……だから、私ももっと剣の腕を磨けば……きっとエリナと2人でも……」


 クレアは切に願っているのか、炎が瞳に生じているかのようだった。


 ニーシャの社とは、そこで挙式をあげた2人は未来永劫、必ず祝福される、と伝えられている神秘的な力を持つ社のこと。

 だけど、その場所は未開拓の地で、凶悪な魔物が蔓延はびこっているらしい。

 そのため、文献の数も極端に少なく、情報を得るだけでも困難を伴っていた。


 これ以上、その本から得られる情報がないと判断したクレアは、席から立ち上がる。


「それと、エリナ? また私のこと、さん付けで呼んでいたわよ」


「クレアさん……じゃなくって、く、クレア……は、今でも充分に強いと思うよ。わたしは……魔法の才能がないから……しっかりしなきゃ、だけど……」


「エリナは気張らなくていいのよ。あなたを護るための力、いくらでも磨きたいから。絶対に、エリナのことは護るから」


 わたしに背を向け、本棚を眺めながらの言葉は、聞くものを安心させる絶対的な力に満ちていた。

 こんな台詞、まるでお姫様を護衛するナイトみたい。

 キザな言葉だったかもしれないけれど、クレアが言うなら様になる。

 彼女はわたしのことをドキドキさせる天才なのだろうか。


 クレアの見た目は細くって、庭園でも散歩していそうなお嬢様の風格で、モデルみたいで。

 そして、クールな風貌とは相反して、たまに可愛らしい発言をしたり、無邪気な子どものようにわたしに抱きついてきたり。

 ……ちょっと、スキンシップが行き過ぎかな、なんて思っちゃったりもしちゃうけど。

 わたしにとって、クレアという人物は、そういう認識だった。


 でも、今の彼女は違う。

 とてつもない剣の技量を持つと噂され、その力をどれほどまで鍛えあげてきたのかは、想像すらさせない。

 だけど、彼女のずっしりとした言葉は、それだけでわたしに全てを納得させてしまうほどのものだった。

 揺るぎない信念、そして自信が溢れ出ているのだ。

 きっと、彼女の強さは噂でもなんでもなくって、事実なのだろう。


「……うん」


 だから、わたしも安心して頷いていた。

 別に、クレアに甘えるわけじゃなくって。

 ただ、彼女の信念を肯定してあげたかったのだ。


 振り返って微笑むクレアは、もはや強さを匂わせない、元の美少女に戻っていた。

 そしていきなり、わたしの腕に抱きついてくる。


「さっ。もう閉館よ、帰りましょう」


「く、くっつかれたら、恥ずかしいよぉ」


 でも、クレアのギャップが愛おしくって。

 図書館の人影も目減りしていたので、わたしは彼女を引き剥がす意志が消失していた。

 やっぱりわたしって、流されやすいのかな……。





 夕暮れ。

 わたしとクレアは、寄り添いながら、ゆったりとした足取りで路地を歩いていた。

 

 オディナス学園の学生寮は、校舎からやや離れたところに位置している。

 寮住まいの生徒が多く利用する通学路は、こんなに陽が傾いた時間でも、それなりに人を目に映し込むことだろう。


 だけど、わたしたちが選んだ路地には、人の気配がなかった。

 人通りの少ない道を、わたしが提案したのである。少し遠回りになっちゃうけれど、誰かに噂とかされるのは避けたかったし。

 それにクレアは、一緒に歩ける時間が増えて嬉しい、って言って、遠回りの道すらも歓喜しているみたいだった。

 良い子すぎて、わたしはまたもクレアにときめいてしまうかと思った。


 わたしたちが歩いている近辺の地域は、学園が建っているとはいっても、田舎、といって差し支えないものだ。とーぜん、わたしの故郷よりかはだいぶマシだけれど。

 少し首を巡らせれば、夕陽に赤く染まった山を一望できる。

 道路も舗装されたものではないし、のどかな景色を一身に受けながらの帰路だ。


「クレアも学生寮に入っているの、知らなかったよ。けっこう意外だね」


「ふふ、どうして?」


「なんか、見た目からしてお金持ちのオーラばんばん出てるし……」


 クレアはそれに対してくすっ、と笑うだけで、応じない。

 何がおかしかったんだろ? わたしは小馬鹿にされたように感じて、頬を少しだけ膨らませた。


「ねぇ、エリナ」


「……なに?」


「これからも、一緒に帰らない?」


「うんっ!」


 わたしは反射的だと思えるくらいに、素早く返事をしていた。

 昨日までのわたしだったら、またうじうじ悩んでしまって、即答できなかったかもしれない。

 

 でも。今日、クレアと一緒に過ごしてみて、彼女と共にする時間がとても居心地の良いものだって理解してしまったから。

 それに、帰り道はいつもひとりだったし。

 うん、そうだよ、恋人と一緒に帰れるから、ってうかれたわけじゃないから……。


 でも、クレアと2人っきりで歩く帰路は、静寂な空気と、のどかな風景でおもむきがあって、とっても気に入ったものになる。そんな予感がひしひしとしていた。





「……あ、もうこんな時間。そろそろ寝ないと」


 読んでいた本にしおりを挟んで、わたしは大きな伸びをした。

 時刻はすでに次の日を迎えようとしている。

 

 わたしの生活する学生寮の室内は、しょせん学生に与えられた個室なので、決して広いといえるものではない。

 机のすぐ後ろにはベッドがあり、一歩飛び込むだけですぐにでも寝転がることが可能だ。

 わたしはその誘惑に抗えず、思いっきりダイブして、ごろごろと横になる。


「なんか、こっちにきて、色々変わったなぁ」


 枕に顔を埋めながら、独りごちる。

 それでも、昨日よりは悩みに頭を抱えることもなくなっていた。


「わたし、魔法使いとしてはほんとーに素人なのに……。クレア、本当にそれでもいいのかなぁ……」


 顔を上げて、枕を両腕でぎゅって抱えながら、窓際に立つ。

 外へ視線を移すと、澄み切った夜空がわたしを迎えてくれた。

 と同時に、くすくす、っと笑ってしまう。


「また、クレアのこと考えちゃった」


 自然と笑みが浮かぶってことは、実はわたしも満更じゃないのかもしれない。

 そう意識すると、ほっぺたが赤くなった気がした。

 わたしはそれを忘れようとして、再びベッドの中へ潜り込む。


「クレアの好きって気持ちに……こたえられるようになるのかな……」


 根っこからの問題はそれだった。

 それについての悩みは全くといっていいほど解決していないはずだ。

 だけど、いざ、クレアと出会って話してみたら、そんなことなど忘れて、会話に花を咲かせていた。

 その理由は、2人でいる時間が緊張したから、ってゆーのもあると思うけど……。

 やっぱり、クレアと話すのは、楽しい、ってこと。

 だから現状は、このままでいいのかな、って思うことにした。


 きっと、恋の経験値も、魔法の経験値も、時間が埋めてくれるはず。

 いつか、クレアへの気持ち、はぐらかさないようになれるといいな。

 わたしは温かみのある気持ちを胸に抱いて、眠りに落ちるのだった。

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