わたしはへっぽこ魔法使いですが百合の才能はあるようです

百合chu-

はじまり

はじまり



「エリナ……さん。あなたのことが好きなの。あなたと、深く愛し合いたい」


 その美声はふわりとした響きを持ちながら、確かにわたしの耳朶を打った。それは綿毛で優しく触れられているかのように、耳障りの良いものだったけれど。

 心地よさとは反して、自分の脳みそが正しく稼働していないのかと思ってしまった。

 だけど、聞き返すまでもない。

 だって。その人物は、頬を桜色に染め、真剣な眼差しでわたしを見つめてくるのだから。


「あっ、あの……。えっと……」


 わたしはすぐに断ることができなかった。それが愛の告白だというのは、かろうじて理解できている。ならば、自然と拒否することができるはずだった。


 だって、わたしには恋愛なんて必要ないんだから。魔法を扱う才能のないわたしは、この3年間、勉強一筋じゃないといけないのだ。

 そう決めていたのに。

 もしも、相手が男の子だったのならば、迷うことなく断ることができたんだろうなあ。ってぼんやりと考えてしまう。


「私では、ダメかしら……?」


「ひゃぁっ」


 唐突にわたしの身体を抱き寄せたのは女の子。

 そう。

 わたしの眼前にいるのは女の子だったのだ。


 肌と肌が合わさると、女子特有の、とっても柔らかな感触に包まれる。

 彼女は、この学園では知らない者がいないほど、有名な人物だった。

 

 夕暮れにきらめく、流れるような長い銀髪。一体どんなシャンプーとリンスを使ったら、これほどまでに美しい髪の毛を維持できるんだろう。わたしも同じモノを使用したら、こんなに理想的なサラサラの髪になれるかな? なんてことを考えちゃうくらい、同じ女の子としては羨ましいロングのヘアだ。


 背はわたしよりも頭ひとつ分はおっきい。

 すらっと伸びた手足。その身を包むのは、紺色の制服。女の子なのにパンツを着用したスタイルだけれど、それはまるで彼女のために設計されたのではないか、と思うほど、長い足が主張されており、とってもお似合い。

 

 彼女のいる場所は、こんな殺風景な校舎裏などではなくって、ファッション雑誌の表紙でポーズを取っているほうが自然だと思った。


 そんなモデルみたいな美人さんにいきなり抱擁ほうようされ、唐突な愛の告白をされたわたし。

 もちろん、台詞のインパクトはあったけど。彼女の温もりが心地よくって、甘ったるい匂いに鼻腔びこうを支配されるものだから、我を忘れてしまっていた。


「え、えっと……」


 何か返事をしなくっちゃ。って意識に駆られたけど、状況がいまいち掴めなくて、言葉に詰まってしまう。


 わたしは、自分の胸がドキドキとしていることすらも自覚できないほど、困惑していた。

 どうして、こんなことになっちゃったんだろう。なんとか思考能力を復帰させ、頭をフルに回転させて、時をさかのぼってみた。





 今日もなんてことのない1日だった。授業を終わらせて、学生寮に戻るはずの、ただの日常。

 だけど下駄箱には、そのいつも、とは違うモノが紛れ込んでいたのだ。


 それの正体は、可愛らしい封筒に包まれた一通の手紙だった。その時のわたしは、それがまるで異世界に旅立つ招待状のようなモノだったとは知るよしもない。


 差出人の欄には、クレア・ニーティスと書かれていた。

 

 クレア・ニーティスといえば、この学園ではその名を知らない者なんていない。

 彼女のみがき抜かれた剣技は、教員すらもしのぐって噂でもっぱら。それほどの腕前を持ちながら、どうしてこの学園で剣を教わっているのかは誰も知らないみたい。

 そもそも、彼女のことを詳しく語れる人間はいないのか、謎のベールに包まれた人物だ。

 それだけではなくって、剣技と比例するかのような美貌。男女問わず、学内での人気は高い。


 わたしもクレアのことは遠目から見たこともあったし、噂で聞いたこともあったから、彼女の偉大さはよく理解しているつもりだ。少なからず憧れているくらいだもの。


 クレアからの手紙には、校舎裏の倉庫前に来て欲しい、とだけ達筆な文字で書かれてあった。彼女の真面目な性格が見て取れるような、整った筆跡だった。


 わたしがどうして呼び出されたのか不明だったけど、憧れのクレアと話せる機会ともあれば、行くしかない。その時の自分は、スキップでも始めそうな足取りで校舎裏に向かったものだ。

 わたしは過去の自分を叱咤しったしたい。待ち受けているのは、あなたが思っているような、のほほーんとしたなごやかな雰囲気のお喋り会ではないんだぞ、って。

 そんな経緯があって、わたしは憧憬しょうけいの存在であるクレアと無事に対面したのだった。





 う~ん。思い返してみたところで、何一つ状況の把握は進まなかった。

 どうしてクレアが、凡庸ぼんようを絵に描いたようなわたしを。

 しかも女の子同士なのに。

 ってゆーか、告白されたことですら初めての経験なんですけど……?

 

 わたしに恋愛経験なんてものは一欠片ほども存在しないのに。初めてのそれが女の子からで、しかも憧れのクレアだっていうんだから、自分の脳内は混乱によって、お星さまがぐるぐるとメリーゴーランドのように渦を巻いていた。


 クレアの眼は本気だった。

 切れ長の双眸は、全てを見透かすような緑色の瞳を輝かせながら、わたしを直視している。彼女の目を見つめ返すだけで、脳みそがとろけてしまうかと思った。


「……好き、なの」


 繰り返された言葉は、息がかかるほどに近い。

 なんらかの衝撃で身体が動いてしまったら、唇が触れ合ってしまうほどに。


 クレアの台詞で我に返ったわたしは、彼女をそっと押し離した。

 わたしとの距離が空いたクレアは、その表情が少しだけ哀しみに染まったような気がして、ちょっとだけ罪悪感に胸がちくってする。


 で、でもっ……こんな美女に抱きつかれたままなんて、頭がパニックを起こしちゃうし。

 わたしは心の中だけで言い訳をした。


「あ、あのっ……。えっと……。わたしたち、まだ出会ったばっかりだし。お互いのこと知らないから……。そ、それに、女の子同士だし……」


 ようやく返事をしたけど、こんなテンプレじみた回答しかできないなんて、自分に嫌悪しそうだ。

 わたしはスカートのすそをきゅっ、ってつまんで、下唇を噛む。


 だけど、わたしの内心を知らないクレアは、銀糸のような前髪を指先でいじりながら、なにやら物思いにふけっている。その態度一つとっても、高級な絵画を観ている気にさせられた。


「だったら……あなたのこと、もっと知りたい。あなたのことを知れば知るほど、それが魅力になって、もっと好きになれると思うの……」


 彼女はうれいを乗せた溜息とともに呟いた。美人の悩ましげな表情とは、どうしてこうも魅力的なのだろうか。同性のわたしでさえ、うっとりとしちゃう。


 しかしながら、それだけで告白の返事をOKできないし、いや、ちょっとくらいはいいかな……なんて思わないこともないんだけど、恋愛の経験値がゼロのわたしにしてみれば、どう対処していいかなんて不明を通り越して、脳みそのオーバーヒートものだ。


 そもそも心の準備ができていないし。さらにいえば、世間体だってあるし……。

 同性同士で恋人になるなんて、周囲から何て言われてしまうのだろうか。

 チキンハートのわたしは、それだけで身震いしてしまいそうだった。

 

 わたしが動揺していたせいか、クレアは、それを見た全生物が落ち着いてしまうのではないか、と思えるようなほどの柔らかな微笑を浮かべた。


「私たちは女の子同士だけど……。私の気持ちは本気よ。一生、尽くしたいとまで思っているわ。エリナさんさえよければ、結婚だって……」


 言い終わると、クレアは再び頬を朱色に染めた。夕暮れと同じように赤面した彼女の姿は、またもやわたしの鼓動を早くさせる。

 こんな美人さんが、しおらしくなっているなんて、反則級に可愛い。

 それだけで、クレアがわたしのことをしたっているのは存分に伝わってくる。

 だけど、最後の単語がわたしに驚愕をもたらしていた。


「け、結婚って……。女の子同士だし、できるわけないよ」


「いいえ、できるわ」


 クレアは確信に満ちた表情で、首を左右に振る。

 そして、一度は離れたわたしたちの身体を、またしても密着させようと急接近させてきた。

 今度は無闇に抱こうとはしてこないで、わたしの手を掴んでくる。そして、そのまま手を引っ張られ、引き寄せられて、額が付き合うほどまで彼女との距離が縮んだ。

 世界は一瞬にして、わたしとクレアだけのものとなる。


「エリナさんは、伝承の地、ニーシャのやしろって、知っているかしら?」


 その名は聞き覚えのあるものだった。

 確か昔、おとぎ話とか、そんな類のものがいっぱい描かれている絵本か何かで読んだ気がする。わたしは、本を読むのが大好きだったから。

 色あせてしまっていそうなほどの記憶を脳の底から引っ張り出してくると、胸がどんどん高鳴ってくる。


「う、うん。知ってるよ」


「さすがエリナさんね。ならば、私の言いたいことがわかるかしら? ニーシャの社で挙式を行えば、誰もが認めてくれるわ」


 クレアの真剣な眼差しは、うろたえていたわたしの瞳に突き刺さった。そして彼女に感化されてしまったみたいに、わたしの表情も引き締まっていた。


 鼓動がどんどん早くなる。

 ニーシャの社。自分では絶対に行けない場所。伝説の地と呼ばれ、数多あまたの冒険者が夢見るような遺跡への旅。クレアとならば、可能かもしれない。

 色んな思考がい交ぜになって、わたしはほぼ無意識に口を開けていた。


「それは、わたしのパートナーになってくれる、ってこと?」


「もちろんよ。あなたのこと、絶対に守り抜く自信があるわ」


 わたしは黙って頷いていた。クレアの腕前があれば、その台詞も虚言ではないのだから。

 そして何よりも、わたしの夢、その道が広がったのだ。

 すでに考えは纏まっていた。


「えっと、結婚とか……愛し合うとかは、よくわかんないけど……。心の整理もできてないから、この先どうなるかもわからないし……。でもねっ、クレアさんがパートナーになってくれるなら、わたしはすごく嬉しいな。パートナーとして一緒に冒険したり……そうやって一緒に過ごしたら、わたしもクレアさんのこと……そ、その……。す、す、すき……になるかも……だし……」


 恋愛経験のないわたしは、好き、って言葉を放つのすら躊躇ためらわれるほど恥ずかしかった。

 顔はうつむき気味になっちゃったし、自分の顔が熱湯に浸かっているみたいに発熱しているのが痛いほどわかる。


 だけど萎縮いしゅくしきっているわたしの一言一句、クレアは真顔で聞いてくれた。そしてその後に、嬉しげに満面の笑みを浮かべて、頷いた。


 彼女の太陽のような微笑みで、気が緩んでしまうわたし。

 だって、こんな笑顔を向けられたら、誰だって心躍ると思うよ。それとも、わたしって、ちょろい女の子なのかな……。

 テンションの上がりきったわたしを阻むものなど、誰もいない。脳内のエリナたちは全員、全速前進の号令を取っていた。

 だから、わたしは早口気味に口を開く。


「わたしの夢ね、冒険者になって、世界の色々な場所に行ってみたいことなの! でもわたしって魔法の才能はいまいちだし……自分だけだったら、ちょっと難しいかなって……。だけどね、クレアさんとなら、叶えられるかもしれないって思ったら、嬉しくなっちゃって。あっ……でも……クレアさんの気持ちを考えたら、わたしのこと好きって気持ちを利用しているだけなのかな……」


「そんなことないわ!」


 慌てて口を挟んできたクレアの声は大きなものだったけど、それでも優しさでいっぱいだった。

 わたしははっとなって、クレアの顔を見つめる。


「エリナさんが自分の夢を語ってくれただけで、嬉しい。それに、私のことが必要だって言ってくれたことも。だから、もっとお互いのことを知って、仲を進展させて、私の愛をもっとエリナさんに届けて……。結婚、したいな……」


 クレアは幸せそうだった。

 まるで今から花嫁衣装で挙式に向かうような、幸福のオーラが彼女を包んでいる。誰が見てもその感想を抱くだろう。


 幸溢れる彼女を目の当たりにしたものだから、わたしにもハッピーが空気感染してしまったのか、頬が自然と緩んでいく。

 わたしは無性に嬉しくなって、彼女に抱きついてしまっていた。


 あれ? さっきは自分からクレアの抱擁を避けていなかったっけ?

 でも、いっか。だって、クレアが嬉しそうなんだもん。それに、これくらいのハグは、友達とかにもよくしているやつだしね。


「わたしとクレアさん、お互いの目標を伝説の地にして、一緒に夢を叶えようねっ!」


 クレアは頬だけではなく、顔全体を真っ赤に染めちゃって、あたふたとしている。

 年相応の少女みたいなリアクションは、クレアが噂のような凄腕の人物だとは思えなくって、なんだ、ただの可愛い女の子じゃん。ってわたしは思ってしまうのだった。


 クレアはわたしのことを抱き返してきて、


「女の子同士なのに、いきなりで受け入れてくれたエリナさん、ありがとう。あなたのこと、もっと、もっと好きになってしまったわ。結婚を前提にお付き合い……ってことでいいのよね?」


 って真顔で言い放ってきた。


 ちょっと待って。

 わたしはようやく、自分がした行為に気づいた。

 女の子同士で付き合いたい、って言ってくる子に抱きついたんだから、ハグっていう冗談が通じないんだった。


 わたしは急激に頬が火照ってきて、クレアと同じように顔いっぱいに血を昇らせ、彼女の身体から抜け出そうと身をよじる。

 だけど、がっちりとクレアにホールドされたわたしは、剣を振るうものとは思えない彼女の柔らかくて、ふにふにとした肢体したいから逃れることはできなかった。


「お、お付き合いとかは~もっと心の整理がついてから~~っ!」


 困っているけれど、嫌悪感はない。

 わたしの叫びは、放課後の校舎裏に響いていた。

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