32・まるで夢のような

「ハコニワだと、思ってる世界?」

「聞きたい事、たくさんあるでしょ? 実は私もあなたに質問がいくつもあるわ」

「お前が、俺に?」

「まずはどの話からがいいか。ルイーヤの事がいいかしら」


 ”命の書”を継承してからしばらく。まだサミュエルを弟子にして間もない頃。

 背景プログラムにアクセスしたルイーヤは、その数字の量と、フィリアの時代から発生してきたであろうとされるバグの数の推定との、あまりに大きな違いから、ハコニワは徐々に小さくなってきていると気づいた。しかし背景プログラムからは、ハコニワ自体が小さくなる可能性はどうしても見いだせない。さらにいくつか、調査の末に手にいれた根拠から、彼女は、ハコニワはハコニワ外の誰かの意思で、小さくなっているのだと確信する。

 つまりまだ創造主はいる。ハコニワに影響を及ぼせる創造主が。


 さらに、ただひたすらに小さくなっていくハコニワから、ルイーヤは、創造主がハコニワを潰そうとしてるんじゃないかと考える。加えて、またある時、”命の書”を使う度に、わずかではあるが、ハコニワの収縮は加速している事に彼女は気づく。

 おそらくは数字の複雑な混じりによって、創造主すらこのハコニワには、外部からは徐々にしか影響を及ぼせない。“命の書”は外部からの干渉を強めてしまうので、あまり無闇には使えないが、例え諸刃の剣であるとしても、これが唯一創造主に対抗できる武器だとルイーヤは考えていた。 


「師匠の目的は創造主を倒す事?」

「そういう事よ。創造主がハコニワを潰そうとしていると考えた時からずっと」

 しかし創造主を倒す目的と、彼女がとっていた謎の行動の数々は結びつくだろうか?

「創造主に対抗するのに、”命の書”1冊では足りないと思ったのね」


 ルイーヤの目的は”命の書”の量産であった。もちろんそんな事が可能かはわからないが、絶対に不可能とも言えないだろう。

 鍵を握るのは、”命の書”の所持者の持つ特別な数字。ルイーヤはそうだと考えた。そしてその数字をまず手にいれようと考える。


「そんな事が」

「彼女は賢い、上手い方法を考えた」


 ”命の書”の所持者が決まるのは、正式な継承があった時か、あるいは誰かが所持者から力づくで奪った時。いずれの場合も、元の所持者の持っていた数字のコピーが作られてから、次の所持者にそのコピーが再びコピーされる。つまり新たな継承者には、前人の数字のコピーのコピーが行く。この間のコピーはすぐに消えるが、消える前に、適当な数字の1つでもつければ、消えない。

 正式な継承では、コピーが消えるのが早すぎて、何か数字をつけられないが、強奪の場合は処理にしばらく時間がかかる為にか、コピーがしばらく残る。いつかルイーヤが、サミュエルに”命の書”を継がせようとしたのは、使命感の強い彼なら、所持者になった時、秘密を守るために、自分や他の2人の弟子たちを殺そうとするだろうと計算しての事だった。実際、彼はそうしようとした。しかしルイーヤはネイサの才を知っていたから、サミュエルを返り討ちにし、結果的には”命の書”を奪う形になるはずと考えていた。


「でもあなたは案外甘ちゃんで、やられそうになっちゃったから、結局ルイーヤは目的を果たせなかった」

 それからネイサに”命の書”を継がせると、ルイーヤは偶然に発生したハコニワのシールド破損の危機を利用し、自然に姿をくらました。

「シールド破損は本当に?」

「ええ、偶然よ。まあ元々ガタはきてたから」


 ガタがきてる。と知っていた訳ではないが、ルイーヤはそういう事が起こりうるとは思っていた。ハコニワを潰そうとしている力。それがハコニワのシールドを破壊してしまうかもと。

 すでにかなりの昔に、”命の書”により、破損したシールドとハコニワの繋がりを断つためのプログラム操作をしていた。だから、”命の書”なしに、あたかも彼女はシールドをハコニワから切り離す事が出来た。実際には何もしなくとも勝手に切り離されるように設定していた。


「で、彼女は姿をくらました」

「それからキーリアたちを使い、”命の書”を奪わせ、コピーの数字を」

「そういう事。結局またまた利用した奴らが頼りなくて、”命の書”は奪えなかった訳だけど」

 そして予想もしていなかった不意の一撃により、彼女は死んでしまった。


「この世界は?」

「本当の話は、もっとつまらないかもね」

 ハコニワの世界は、ハコニワ外の世界と似せて作られた。ただハコニワ外には”生命樹”の概念はなく、その役割は、ハコニワよりもより複雑に動き回る陽子、電子、中性子が担う。さらにハコニワ外では、それらはさらに細かく分解できる。

「最小の要素よ。まだ確実なのは見つかってないけどあるとされてた。素粒子って呼ばれてた」


 万物は、その素粒子が組み合わさって出来ている。それらは宇宙と呼ばれる無限に思えるような世界にあって、無限に思えるような数が存在している。


「素粒子の組み合わせが万物を決める。素粒子の組み合わせは無限。この意味がわかる?」

「何もかもが起こりうる。そういう事?」

「何もかもよ。何もかもが起こる」

 本来なら考えるのも馬鹿馬鹿しいような、この世界が生まれたように。

「ここはずっと醒めない夢なのよ。私はどこかの眠り姫」

 しかし夢の中なので、全てが思い通りという訳ではない。ネイサたちが現実のハコニワだと考えている世界は、ユリカの記憶がこの夢の世界に作り出したもの。

「でも私は、あのハコニワに手出し出来ないみたい」

 ハコニワだけでなく、彼女の夢の世界であるはずの、この世界には、なぜか彼女が干渉出来ない領域がいくつも存在していた。

「ただし干渉出来る瞬間もある。”命の書”、あれを使う度に、ハコニワが小さくなっていくと考えていたルイーヤはある意味正しい」

 実際にはそれは、ユリカが干渉できる領域を、外部と遮断されたハコニワをわずかの時間、開かせる。

「数字が少なくなって当然じゃない。閉じ込められてたのが開いて、外に漏れてる」

 そして数字の総量が減るのを、ルイーヤはハコニワが小さくなっているせいだと考えた。


「”命の書”」

「あれの事を説明しても、あなたにはよくわからないと思うけど」

「だとしても聞かせてほしい」


 あるスケールで、素粒子や素粒子の集まりは波のような性質を持ち、ある所に存在する素粒子は、同時にまた別の所にも存在している。


「どういう事か」

「だから言ったでしょ。面白い言い方してあげましょうか? あなたたちの設定では、この話はレベルが高すぎるの」

「でも素粒子は、複数箇所に同時に存在してるってのはわかった」

「それよりこれだけ知ってればいいわ。素粒子を完全に思い通り動かすのは不可能」


 そして時に予期せぬものは誕生する。“命の書”はそういう予期せぬもの。


「ハコニワは、素粒子で出来てる訳じゃないだろ?」

「私たちの世界はね、全て素粒子で出来てるのよ。そしてあなたたちの世界は、私たちの世界の中で作られてる」

 しかし本当の予期せぬものは、最初に”命の書”を持った誰かだったのかもしれない。

「アークスじゃないのか?」

「それがルメリア以降の人なら違うわ。”命の書”はそれ以前のはるか長い時間、存在してるのよ」

「その誰かって?」

「名前も知らないわ。私はずいぶんと長い間ハコニワは放置しててね。彼はその期間の人」


 その彼は、”命の書”を存分に活用し、自分たちの世界がただの箱だと最初に気づいた人だった。彼は自分の残せるだけのヒントを残して、後にそれらから、アークス、レイレル、フィリアは現在継承される”命の書”に関する知見を学んだ。


「ヒント?」

「最大のヒントは、ハコニワを出入りできる特殊な存在」

「それって」

「ええ、ロボットよ。あれは外じゃなくハコニワ内で作られたのよ」

「そんな事が」

「出来るのよ、ハコニワは無限でない。それでも途方もない組み合わせの1つがアレって訳」


 しかしロボットは嘘をついていた。最初、レイレルに頼まれ、ハコニワの外に出た時、彼はすぐに、予想とあまりにかけ離れた、その無機質なような幻想的なような風景だけが見えるような気がする、その世界は、それも決して探していた世界ではないと悟った。

 それは新しい絶望だった。ただの箱の世界の外も、おそらくは本物でない。もしかするとハコニワは、ゲーム内のゲームの世界だった。

「もうすっかり友達だったレイレルを傷つけたくなくて、ロボットは、周囲は荒野なんて適当な事を言った」

 しかしそれで、ありもしない希望をレイレルに持たせてしまった事をロボットは後悔し、後に自分の元へ来たメーリィに全てを打ち明けた。


「あれにあっても価値はないか。そういう事か」

「そういう事でしょうね」

「なあ、もうだいたい俺が聞きたい事は聞いたよ。お前が聞きたい事ってのは?」

「嘘つくな」

 突然、強く言うユリカ。

「まだあるはず。怖いの? 聞くのが」

 ネイサはしかししばらく何も言えなかった。


 確かに怖い。

 感情は、心は、そういうのまで数字じゃないかを聞くのが怖かった。


「違う。聞くまでもないんだ。心は、俺たちが物質と呼ぶものと違う。だから、それには決まりなんてないから、自由だから、俺たちはハコニワがハコニワであるって気づけるんだ」

 イザベラへの気持ちも、仲間たちへの感謝も、そしてくだらない真実を前にしても、人生に絶望しない自分は誇りだった。そしてそれは決して……

「私を含めて、私たちの中にも同じ疑問を持つ人はたくさんいた。でもそんなのどうでもいいとか、気にもしてない奴らも多かったけどね。愛や信念がほんとかどうかより、誰かが勝手に設定した社会階級とかが大事な人が多かった」

「それがむしろわからない。本当でない気持ちと、本当の気持ちはあまりに違うだろ。数字を変えて発生させられる愛なんて、それで喜んでたなんてのが真実なら、あまりにそんなの」

「そういう所が、やっぱりあなたたちはファンタジーなのよ」

 だから本当は……

「あなたたちが羨ましいかな。私はむしろね。ねえネイサ、あなたはやっぱり、ほんとはわかってるよね。何も残らないとわかってる。あのハコニワの世界の中で、あなたの原子も”生命樹”も全部壊したら、そこには何も残らない。心は、心もきっとそれらの組み合わせ。それでもさ」

 それでも。

「あなたは自分自身があなただって、ネイサだって、あの子が好きなネイサだって本当は知ってるんだ」


 それはきっと心があるから。


「何もかも起こる、か」

 醒めない夢の中のハコニワの世界。

「ねえネイサ。本当に、真実を知ったところで、あなたはどうするの?」

「それは、帰るだけだよ。それでまた普通に暮らす」

 ここでどんなことを理解しようと、それだけは当たり前のように決めていた。

「ここまで、私のとこまで来たご褒美に、別の選択肢も与えてあげるわ」

 そしてユリカは3つの選択肢を告げた。


 ただ仲間たちの元へと帰るのが1つ。

 このまま帰らないで、ユリカと共に、実際の世界とは何なのかを考え続けるのがもう1つ。

 そして最後の選択肢は、新しい世界。ユリカはハコニワに干渉は出来ないが、新たなそれを作る事が出来る。ルイーヤを初め、誰も死なず、ただ平和な世界で、何でも好きに設定出来るハコニワへの移住。


「俺は、元のハコニワがいい」

「数字も全く一緒よ。あなたの嫌な思い出以外全部」

「それでやっとわかったよ」


 何もかも起こる。自分と同じ存在すら生まれる事もあるのだろう。自分の大切な存在と、同じ存在が生まれる事もあるのだろう。

「でも、誰も」

 結局はそうだとしかもう思えないし、それでいい。イザベラはきっと正しいのだ。難しいことなんでどうでもいい

「そこにしかいない」

「答は?」

「お前も何もかも話さない気だな。なんで放置してた時の事まで知ってるかとか」

「まだゲームは続いてるのかもね」

「もしかすると、またいつか」

「あなたが望もうと望むまいとね。”命の書”がある限り、扉は開かれたままだろうから」


 ”命の書”がある限り、扉は開かれたまま。

 それがネイサの聞いたユリカの最後の言葉。


ーー


 そして、それこそ夢だったのかもしれない。

 気がつくとネイサはまだ仲間たちと嵐の中にいて、レグナがなんとか止めている巨大な手と手の間に仲間たちといた。

「ネイサ、”命の書”でなんとか出来ないか?」

 叫ぶシオン。どうやら大した時間は経っていないらしい。

「みんな」

 とりあえずネイサも叫ぶ。

「とりあえず逃げよう」

 そして”命の書”により、怪物嵐を再び隠し去る。


ーー


 嵐が消えて、空中に突如現れたような一行。シェイジェとイザベラはそもそも飛べるので落ちる事なく、ネイサとエリザは上手く着地する。

「うおっ」

「きゃっ」

 そして普通に落ちそうだったシオンとアミィは、いち早くレグナに止められ、無事地につけられた。


「なぜ消す?」

 降りてきたシェイジェ。続いてすぐさまイザベラも降りてくる。

「大事な話がある。正直ロボットどころじゃなくなった」 

 というかもう、苦労してロボットに会う必要もなくなってしまった。

「何かあったのか?」 

 シオンが問う。

「創造主」という表現は正しいだろうか?

「創造主に会った」

 ネイサは自分の理解できただけの全てを話した。


 ルイーヤから”命の書”を継がされたネイサ。そしてキーリアがドロンを襲撃し、イザベラがさらわれ、それからディスギアまでの様々な出会いと戦い、そして別れ。それらが真実を知るための旅だったとするなら。それならそれはようやく終幕を迎えた。

 ネイサは創造主と出会い、そして真実を知った。

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