24・プログラムバグ

 ネイサがイザベラを紹介しようと、久しぶりにルイーヤのボートハウスを訪ねた日。

「ネイ、じゃなくて師匠。ルイーヤさんは、いったい?」

「さあな、俺にもよくわからん」

 ホロスコープの火星の動きから、何かを悟ったらしいルイーヤは、イザベラと簡単に自己紹介だけしあい、それからすぐにネイサたちを残して、ボートハウスを後にしていた。

「イザベラ、お前はここにいろ、このボートハウスに」

「は、はい」

 そして自身以上に全く状況を呑み込めていないイザベラを残し、ネイサも外に出ていった。


ーー


「何だよ、いったい」

 ネバティ中に潜ませていた使いたちの情報から、ルイーヤの現在位置はすぐにわかった。

 しかしネイサは彼女を追うべきか迷う。出ていく時、彼女はネイサに何も言わなかった。もしついてきてほしかったなら、そう言ったはず。

「というかこれは、どういう事だよ?」

 自然と笑みすら浮かべるネイサ。

 確かに見える。ネバティの街中を漂う、巨大な紙切れか風船のような、光輝く物体の数々。しかし驚くべきは、行き交う人々や、小動物、ネイサが使いとして放っている精霊たちすら、それを全く感知していないという事。

「レグナ」

 彼すら呼び出せない。2年前なら、何が何だかわからなかったろう。だが今の、つまりこの時の、もう”命の書”を継いでから2年経っていた、この時のネイサにはすぐに理解出来た。


 これはつまりバグだろう。プログラムの、バグ。


「師匠」

 しかし原因がわからない。なぜ突然? それとも今、偶然にも今?

「ここは任せる、ですか?」

 ついて来いと言わなかったルイーヤ。おそらくついて行こうとすれば止められただろう。やはり何が原因かはわからないが、とにかく今この街はかなりまずい状況にある。なんとかするにはアレを使うしかない。おそらくは本来の用途で。

 ネイサは、この時は肌身離さずであった”命の書”をその手に持ち、最後のページを開く。


 ”命の書”、最後のページ。そこに存在しているのは背景プログラムに繋がっているアクセスポイント。この世界を存在させている根本の原理へと繋がる経路。

「失敗したら」

 一見は真っ白な、本当は多分黒いそのページに手のひらを当てるネイサ。

「ごめん」

 そして彼はアクセスした。この世界の全てのものの真実である、数えきれない数字の大波へ。


ーー


 それはイメージのようだった。誰かの夢の中のようだった。数字の羅列? 空間でない空間? 何かいくつも存在しているような感じもする。

 存在はしている。しかし色も形も大きさもわからない。むしろそんなものないのだろう。だけど確かに存在している。0と1がどこにでも存在している世界。

 ネイサはもうそこにいた。

 これは奇妙な事にも思えるが、ネイサにはただ0と1が見えているだけじゃなく、その意味も知っていた。全て自分が生まれ育った世界だ。この色も形も大きさもなく、ただどこにでも0と1が存在している世界は、つまりネイサがよく知る、色は様々で、形は丸く、大きさはレグナの足で一生かければ、なんとか旅しきれるくらいの大きさの世界と同じ。ここには誰もいないように思える。そう感じる自分すらいないような感じがする。それでもネイサはここに自分の存在を、ルイーヤを、ラッカスを、そしてイザベラを感じている。何をするべきかも容易にわかる。

 ルイーヤの意図がそうでも、ひょっとしてそうでなかったとしても、ネイサが今出来る事は、あまりに理不尽なバグの影響を受けつつある人たち。真実はどうであれ、ネイサにとっては、確かに生きてる人たちを守る事だけ。それならネイサがするべきはバグ、本来なら存在しないはずの異質な数字の削除。


[542255]

 確認できる中で最もそこにありえない配列。

[542255]

 これに同じく異常な配列568856をぶつける。

[000001]

 最後だけ過剰だったが、まあよしとする。


 それから他にもいくつかあった異常配列に、別の異常配列をぶつけ、0と1だけの別物に変える。そして一旦アクセスを中断し、現実、彼にとっての現実に戻る。


ーー


 飛び交っていたバグ物質のいくつかはリンゴ、いくつかはスイカに代わり地に落ちる。リンゴはブドウのはずだったが、大した問題ではない。有害バグを消し去るという目的は果たした。

「師匠」


 彼女はどうなったろうか? そもそも何をした? 彼女が?

 違う、そんなはずない。ホロスコープの火星の動き。ネイサには何も奇妙に思えなかったそれから、彼女は確かに何かに気づいた様子だった。彼女は何かが、今起きているのだろう何かが起きると気づいた。そしてそれによって、あるいはそれを止めようとすると、危険なバグが発生するとわかっていて、ネイサにその処理を任せたのだ。


「ネイサ」と突然聞こえてきた、ルイーヤの声。

「ネイサ、聞こえる?」

 2度目の呼びかけで、それがどこから聞こえてくるのかネイサは気づく。

 ポケットにしまっていたモノリス。それには本来音声による通信機能などないが、ネイサはこの時、別に驚きもしなかった。つまりはプログラムを変えたか、あるいは変わったのだろう。

 ただそれだけの話だ。

「師匠、いったい何が起きてるんですか?」

 ここまで事情をわずかにも説明されてない事に対する怒りを、遠慮なく声に含ませるネイサ。

「ネイサ、よく聞いて」

 弟子の苛立ちを知ってか、知らずか、全く気に止めてないようであるルイーヤ。

境界きょうかいが破損しかけてる。プログラムが、多分狂ってる」

 詳しく説明するつもりはない、というか暇がないらしい。しかし早口で、それでもルイーヤは、ネイサがなんとか何が起きてるか察せられるくらいのヒントを投げてくる。

 境界とは、この世界の一番端の部分の事だろうか? つまりこことは違い、プログラムで出来ていない世界と、こことの境界の事?


「”命の書”を」

「それじゃ無理よ。さっき使ってあなたもわかったでしょう。アレはそんなに大したものでもない。管理領域までアクセス可能なのは背景システムくらい」

「境界は壁かなんかじゃないの? 背景に入ってない?」

「こっちの世界じゃない。狂ったのはこの世界を覆っているシールドのシステム。この世界とは関係ない、全く別のプログラムよ」

 ルイーヤがそこまで叫んだ所で、ようやくネイサも完全に状況を把握した。

「そんなものが?」

「あるのよ。私だって知らなかった」

「どうすればいい?」

 それを知ってるから、あるいは検討がついているから、彼女は自分に連絡をとってきたはず。

 だからネイサは問う。今何をすべきなのかを。

「ネイサ、おそらく方法はたった1つだけ」


 この時、どういう訳だか彼女は嬉しそうだった。ネイサには少なくともそう思えた。


「私たちにこの世界でないプログラムをいじる術はない。だから繋がりを断つ。影響を受けないようにこの世界を独立させる」

「そんな事、出来るの?」

 もうなんとか理解の追いついている自分が信じられないネイサ。この時ほど、自分が単なるデータ上に浮かぶ意識に過ぎないのだという真実を、実感した事はなかった。


 真実? もう知っているはずの。知っていたはずの。この世界は本当にそんなモノ?


「ネイサ。私の師匠はね、代々の継承者たちの多くがそうであったように、この世界が単なるゲームか何かの世界だと知って、いろいろな意味を失っちゃったらしいわ」


 ゲームか何かの世界。

 教えてもらうまでもなく、”命の書”から簡単に引き出せるその真実を、ルイーヤの口からネイサが直接聞いたのは初めてだった。


「大切な思い出も、楽しい趣味も、大好きなたくさんのもの。生きる意味さえも、全部」

 そして文字通り、機械的にその秘密をひたすら守るだけ。

「でもね。私は違った。あなたと同じでしょ?」

 そう、ネイサはどんな事の意味も決して失ったりしなかった。この世界が例え幻想なのだとしても、そんな事は関係なかった。

 だって彼は知ってるから。信じてるから。絶対に、たった1つだけ。


「あの子、イザベラだっけ。いつまでも仲良く、いや、お熱くね」

「師匠」

「さよならさ、青春少年」

 そこまででモノリスの通信は切れた。


ーー


 それから。

 ルイーヤは姿を消した。

 ネイサは、結局何事も起きなかった事実と照らし合わせ、彼女は死んだと考えた。つまり自分たちの世界と、何らかの仕組みで繋がりのあるシステムに異常が生じ、その影響を受け、この世界にも何か異常、もしかしたら崩壊する所だったのかもしれない。しかしルイーヤは、彼女自身が言っていた通り、異常システムとの繋がりを断ち、孤立させる事でこの世界を守った。

 何らかの方法、おそらく自らを犠牲にして。そういう方法があったのだろう。もちろんネイサは知らないが、ルイーヤはそういう方法を知っていて、そして実行したのだろう。ネイサはそう解釈した。

 つまり彼女は死んだと、そう解釈していた。

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