19・それぞれの選択
ルイーヤと3人の弟子の全員が揃う事は、めったになかった。
ネイサがルイーヤの弟子となった時、最初の弟子サミュエルも、2番目のラッカスもすでに免許皆伝、独立していたし、ネイサも修行以外の時間、ルイーヤといる事はあまりなかった。陽気で楽天的な性格のルイーヤは、生真面目なネイサと馬が合わなかったのである。
ラッカスもネイサと同じだったようで、わりと高い頻度でルイーヤに会いに来ていたサミュエルに比べ、彼はあまり師の元に帰らなかった。ただし、サミュエルとラッカスの2人とも、ネイサとはそれなりに仲がよく、師を仲間外れに3人で会うことは結構あった。
その日も、3人は3人だけで集まる予定であったのだが、サミュエルがルイーヤに「大事な話がある」と呼ばれたために、ネイサとラッカスは2人だけで会っていた。この頃、ネバティにいくつかあったネイサの家の1つで、色々他愛ない話をしていた。
「師匠の大事な話ってやっぱり、アレの継承の事かな?」
「むしろ他に思いつかんな」
ネイサの言葉にすぐそう返すラッカス。
そんなふうに、話の話題は自然、”命の書”の事になっていった。
ラッカスは今でもそうだが、当時はネイサも、”命の書”に関して知っている事はそれほど多くなかった。知っていたのは、ルイーヤが所持者であり、3人の弟子である自分たちの誰かにそれを継がせようとしていた事。破く事も燃やす事も出来ないそれの異常と言えるくらいの耐久性。そしてそれに記された叡知により創られたという最強のゴーレムの存在。
「まあサミュエルが選ばれるのは妥当だろうな。俺にはそんなに魔術の才はないし、お前はちょっとお人好しすぎるとこあるし」
ネイサはお人好しすぎる。ラッカスのその指摘はまさしく的を射ていた。
“命の書”を継承する者に最も求められるのは、例え何を犠牲にしようとも、それだけは必ず守りぬくという強い意志。そういう意味では、むしろ魔術の才なきラッカスの方が、まだネイサよりは継承者向きであった。ネイサは追いつめられた時、誰かを犠牲に出来るような性格では決してなかったから。
実際、彼は世話になっていた街を犠牲にしてでも”命の書”を守ろうとしたが、完全に冷徹にはなりきれなかった。無駄かもしれなくても、街を見捨てもしなかった。
だが全ては後の話。
確かにこの時、全てが変わった瞬間よりほんの数時間前にすぎなかったこの時はまだ、ネイサは自分が選ばれるとは考えていなかったし、ルイーヤにもまたそんな気はなかったのである。
ルイーヤはサミュエルに”命の書”を継がせようとしていた。ネイサたちの推測通り、彼女の大事な話とはまさしくソレの事。
ルイーヤとサミュエル。2人の間にどのようなやりとりがあったのか、ネイサもラッカスも知らない。わかっているのは、正式に継承を終えた後、継承者たるサミュエルは最初の行動として、ルイーヤを殺そうとした事。
「どうした?」
急に顔色を悪くし、席から体を離した弟弟子にラッカスは何がなんだかわからなかった。
「ネイサ?」
ただ和やかだった雰囲気は、今や完全に消えてしまっていた。高い緊張感が周囲を包む。
「クリフォト」
呟くネイサ。
微かであったが彼は感じていた。どこからか自分たちに続く、クリフォトによる狂気に溢れた”生命樹”の配列乱れ。それは自分たちに向けられた恐ろしい殺意と言い換えてもいい。とにかく彼はそれに気づいた。
「ラッカス」
乱れの元は簡単にわかった。それは自分のよく知る人たちだから、わかりやすかった。
「何か、まずい事が、恐ろしい事が起きてる」
泣きそうな顔で、体を震わせるネイサ。
「ネイサ」
まだ完全に事態を把握してはいないが、ただ事ではない何かが起きているとは悟ったラッカスのあげた大声に、ネイサはハッとする。
「師匠とサミュエルに?」
問うラッカス。ネイサはすぐに頷く。
「2人の元へ」
「うん」
またすぐ頷くネイサ。
そうして、2人は家を後にして、ルイーヤ達がいるはずのボートハウスへと向かった。
ーー
ボートハウスでネイサたちを待っていたのは、最悪の想像以上の光景であった。
魔術か体質か、ネイサたちにもわからないが、サミュエルが想定していたよりもずっとしぶとかったのだろう。ルイーヤは体のあちこちに短剣を刺され、血まみれになりながらもまだ生きていて、ほとんど透明な白い煙のような防壁で自らを守っていた。
サミュエルは、それもおそらく魔術で作り出したのだろうが、次に刺すつもりなのだろう短剣の手入れをしていた。返り血に汚れた全くの無表情で、煙防壁のすぐ前、それ以上は近づけないのだろうギリギリの位置に立ち、師が力尽きるのを待っていた。
「サミュ、エル」
それで気づいた訳ではないだろうが、ラッカスの声に振り向くサミュエル。
「これは手間が省けたな」
やはり全くの無表情のまま、サミュエルはそう言って、ネイサたちの方へ一歩近づく。
「うっ」
もう間近であった殺意を嫌というほど感じていたネイサ。彼が、尊敬していた兄弟子の1人が、今や自分たちも殺そうとしている。
次の瞬間、サミュエルが構えた短剣は、まるで氷のように溶けて水になる。同時にネイサの手に、初めからそこにあったかのように出現した、さっきまでサミュエルが持っていたそれと瓜二つの短剣。まだ戦闘の何もかもをレグナ頼りとなる前のネイサが得意としていた、相手の武器を奪う、”錬金術”の応用技。
「ちっ」
舌打ちしながらも、ネイサたちの前に空気の渦を発生させ、吹き飛ばそうとするサミュエル。
「ぐっ」
とっさに自身の足の質量を増加させる事で、かかる重力を強め、吹き飛ばしに耐えるラッカス。
「ああっ」
ネイサは吹き飛ばされたが、すぐに叫び、同じような空気の渦を反対に発生させて、自らの体を空中に静止させる。
「ラッカス、ミザリを」
また叫ぶネイサ。
ミザリはルーラと呼ばれる”生命樹”に大きな影響を与える詩の一つ。
ネイサの意図はラッカスにもサミュエルにもわからなかったが、ラッカスはその詩を指で地面に書き始め、サミュエルはそれを止めようとした。しかし邪魔をしようとするサミュエルを、ネイサはさらに邪魔する。ラッカスの周囲にサミュエルが出現させた大量の氷の剣を、それがラッカスに向かい斬りかかろうとする度に、発生させた小さな渦にぶつけて砕くネイサ。
「ネイサ」
そしてなんとか詩を書き終えたラッカス。彼に名を呼ばれると同時に、ミザリの影響によって発生した”生命樹”のいくつかの特殊配列の内の1つを、ボートハウス中に広げるネイサ。
もし”生命樹”を完全に視覚化したなら、それはまるで空中に描かれた小さくデタラメな落書きが辺り一面に拡大していくように見えたろう。そしてそれがボートハウス中に広がりきった時、この世界の何語ともつかない、様々な言葉の羅列が、ボートハウス内部の空間という空間を埋めつくす。それはその場の誰もがはっきりと確認出来た。
そして文字はすぐ消え、同時にサミュエルの短剣も、ルイーヤの防壁も、ラッカスの足の追加分の質量も、全ては消え去った。正確には、それが現れたり、変えられたりする前の”生命樹”の状態が、強制的に再現された。
「サミュエル」
全てが平常に戻ると、またその瞬間、ネイサは、今度は自分から攻撃した。
「ごめん」
いつの間にかサミュエルの前にいて、いつの間にか持っていた剣で、彼はサミュエルの腹部を斬りつけた。
飛び散る鮮血。
「くそ」
血まみれで膝をつくサミュエル。
「サミュエル、なんで?」
剣を離し、その場に落とすネイサ。ラッカスも何も言わずネイサの隣にまで歩いてきた。
「ネイサ、お前は強いな」
いつもと変わらず見えるサミュエルの笑み。“生命樹”からは、苦しみが生じさせる乱れが強すぎて、彼にまだ殺意があるのか、もうないのかネイサにもわからなかった。しかし自然と見慣れた微笑みをネイサは信じた。
「なんでこんな事を?」
自分も膝をつき、血濡れた兄弟子に救いの手を差し出す。
「だが甘いな、やはり」
”
「ネイサ、離れ」
そうだと気づき、ネイサを止めようとしたラッカスだったが、遅すぎた。
似た者に影響を及ぼす”共感術”。
ネイサもラッカスも、この時はサミュエルと同じだった。ついさっき自分たちを殺そうとした相手。しかし長い時間苦楽を共にした、実の兄のように思い、慕い、尊敬している相手。
2人とも、サミュエルの事を心配していた。
何があったのか? なんでこんな事を? 傷は大丈夫なのか?
もう2人の知らない彼となっていたサミュエルは、無情にもその想いにつけこむ。
「うっ」
「サミュ、エル」
ネイサもラッカスも、サミュエルと同じような傷を受けた。サミュエル自身、当然自分の身を案じている。同じく自分を案じる者が2人。サミュエルはその2人ともに共感魔術で、自分と同じ傷を与えたのだ。
「ありがとうよ、心配してくれて。おかげで助かったよ」
よく見慣れた笑顔。しかしこの時ばかりは、あまりにも恐ろしい悪夢でしかなかった。
「レグナ?」
突然、ルイーヤが呟いたその名。それでネイサたち3人共に気づく。いつからかその場に姿を見せていた特別なゴーレム。
「く、ははは」
狂ったように笑うサミュエル。
「ああ、お前がいたな、レグナ。さあ、”命の書”を継いだ俺に」
それ以上サミュエルが言葉を発する事はなかった。
つまり彼は死んだ。レグナの両手に叩き潰されて死んだ。
「レグナ、お前は?」
ルイーヤには理解できなかった。というより知らなかった。
レグナの役目は”命の書”の所持者を守る事。つまりこの時、彼が守るべきはサミュエルだった。だが彼は拒んだ。あるいはサミュエルを正当継承者として認めなかった。そんな選択を彼が選べるなんてルイーヤは知らなかった。当然、ルイーヤからレグナについて教えられていたネイサたちにも、全く予想外の展開。いずれにしろ、そうして真に選ばれていた弟子は死んだ。
「うっ」
「くそ」
ネイサもラッカスも傷はあまりに深かった。同じ傷を受けていたはずのサミュエルが、そこまで苦しむ様子を見せなかったのが、何らかの魔術によるものなのか、ただのやせ我慢だったのかはもはやわからないが、とにかくネイサもラッカスも死は目前であった。
「レグナ」
ルイーヤが命令するまでもなく、レグナは2人のいずれかを助けるつもりだった。サミュエルが死んだ今、”命の書”を継ぐのは当然残された2人の弟子のどちらかなのだから。問題は、その特性上一人しか救えない自身の技でどちらを救うのかだけ。
ーー
「レグナは俺を選んだ。ネイサがあまりに強く願ってたのを感じとったからさ。自分はいいから俺の方を救えってな」
「ラッカスさん」
「恥ずかしい話さ。俺には自分だけでも助かりたいって気持ちすらあった」
そういう訳でラッカスは助かり、そしてネイサは死ぬはずだった。
ーー
しかしネイサも死ななかった。
「才能はあっても心が脆いと思ってたのに」
傷も治り、立ち上がったラッカスが倒れているネイサの方を見ると、すでにルイーヤが彼の側にいて、その頬に手を触れていた。
「しっ、が」
今にも意識を失いそうだったネイサもなんとか何か言おうとするが、全く言葉にならない。
「ネイサ、あなたは強いね」
ルイーヤは無表情のまま、しかしラッカスにはその時、彼女が笑ったような気もした。
ーー
「それからルイーヤは何かした。多分”命の書”に記された技と思う。ただ何かして彼女はネイサを助けた」
ーー
それから助けたばかりのネイサに彼女は告げた。
「ネイサ、”命の書”はお前が継ぐといい」
しかしルイーヤはどういう訳か、サミュエルには話したろう、ソレに関する様々な秘密をネイサには話さなかった。そのために、ネイサは継承者として持つべき”命の書”に関する知識の全てを、自力で学ばなければならなかった。
最もそれは前例がない訳ではない。むしろ初期の頃の所持者たちはみなそうだったという。そして結局ネイサも、イザベラに何もかもを話さずに、それを継承させる事となった。
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