9・ルイーヤ

 霧が晴れてくるように徐々に鮮明になっていく懐かしい景色。迷路のようにいり組んだ道路と水路。たくさんの橋。それらを行き交う人々や船。それはネイサの生まれ故郷である、水上都市ネバティの風景。

 いつ頃であろうか?

 まだネイサは10歳にもなってない。ボートハウスと呼ばれていた、家でもある商船でお守りなどを売りながら、ぼそぼそと暮らしている女性魔術師、ルイーヤの元で魔術を学んでいる。この時はまだネイサも知らなかった事だが、彼女こそが、ネイサの先代として”命の書”を所持していた魔術師。

 魔術師としての彼女は特に、様々な効能を持つ飲食物の魔術である”錬丹術たんじゅつ”と、空に輝く星々の動きが地上に及ぼす影響を予測したり、利用したりする”占星術せんせいじゅつ”を得意としていた。これは少し奇妙な事だが、代々、いわば究極の”創造術”の本である”命の書”を受け継いできた魔術師たちの中に、”創造術”を得意としていた者はほとんどいない。

 この時、ルイーヤにとって、ネイサは3人目の弟子であり、そして結局最後の弟子となる。まだ幼くも、その天才により、ネイサはすでにいくつかの分野で免許皆伝を貰っていて、”錬金術”に至っては、時に師であるルイーヤの方が彼に助言を請うほどだった。


「イザベラ、いる?」

 とある古くさい館の1室の前で、幼いネイサがその名を呼ぶ。

「ネイサくん」

 彼女はすぐに現れた。実はネイサどころか、当時40代になったばかりのルイーヤよりも歳上であり、現在と全く姿の変わっていないイザベラ。 

 最初に出会ってから、まだ数日。

 ヴァンパイアからは半端者と言われ、しかし人間からしたら十分に恐怖の対象であるハーフヴァンパイアという特異な存在であるがゆえ、彼女もいろいろと苦労した人生を送っていた。

 ある時、小遣い稼ぎに何でも屋を営んでいたネイサは、彼女の盗みの被害にあっていた店に雇われ、魔術を駆使してあっさりと彼女を捕らえた。それが2人の出会い。


「前、言ってた霊薬れいやく。とりあえず出来たから」

 霊薬とは、”錬丹術”によって作られる種々の薬の総称。

「え、もう?」

「その道に関してはエキスパートな師匠がいるから。交換条件は面倒だったけど、まあそれはいつもの事だ」

 そして黄緑色の薬が入ったビンを、ポケットから取り出すネイサ。

「それが?」

「ああ」

 栄養剤えいようざいという、それの服用を食事による栄養補給の代わりと出来る霊薬があり、ネイサがこの時、持ってきていたのは、そのハーフヴァンパイア用である。

「とりあえず言ってた通り、これの作り方は教えるよ。これも言ってた事だけど、師匠の店なら素材はいくらでも無料だから、必要な時は来ればいい」

 ネイサはイザベラを捕らえはしたが、彼女の身の上に同情し、店への返済金を肩代わりした上に、金などなくても生きていける、はぐれ魔術師の術を授ける事にしたのである。

「あの、ほんとに、ありがとう」

「ああ、あまり気にしないで」


 どうせ何もかもは救えない、とはルイーヤ曰く、偉大なる先代の教え。だが関係ない、救えるから救えばいい、とは彼女自身の言葉。


「俺も、たまには感謝しないとな」

 そしてこの時はまだネイサに、イザベラを弟子にする気なんて微塵もなかった。


ーー


 そして突然に場面は変わる。

 場所はルイーヤのボートハウス。ネイサが”命の書”を継承してから2年ほど。


 世界の果てでもある、星々が動き回る領域天球。その天球の星々の配置図であるホロスコープを見ていたルイーヤ。隣にいるネイサは、もう10歳は越えていたろう。2人から少し離れた所で、気まずそうにそうにしているイザベラと、身長もそう変わりなくなっている。

 ネイサはもうイザベラを弟子とし、早くも次の継承者に決めていて、それをルイーヤに報告しに来ていたのである。しかし、ルイーヤはそれどころではないとばかりに、ちょうどホロスコープに夢中になっていて、イザベラは紹介されるタイミングを逃してしまっていた。

 ホロスコープはまた、ある瞬間の天球を図示した静止式せいししきと、刻一刻と変化して、現在の天球の状態に常に対応し続ける動式どうしきに分けられているが、この時ルイーヤが見ていたのは動式の方だった。

「これは」

 いくつもの星の中でも、特に一際強く輝く惑星と呼ばれる8つの特別な星。その内の1つ、火星の動きに何か違和感を感じていたらしいルイーヤ。

「師匠?」

 同じく火星を確認するも、ネイサは何も気づけなかった。 

「ネイサ」

 ホロスコープをしまい、立ち上がるルイーヤ。

「で、君がイザベラね。ある程度は知ってるよ」

 なぜかをネイサは今でも知らないが、イザベラの事を紹介される前から知っていたルイーヤ。

「師匠、いったい何が?」


 何か恐ろしい事が起きようとしていた。 そしてそれは実際に起きた。その悲劇によってルイーヤは死んでしまって……

 しかし、その場面となる前に、ネイサは夢から覚めた。

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