2・師と弟子

 中心にそびえ立つ巨大な時計塔。それに比べれば半分の大きさもないが、街中に点在する他の時計塔群。レンガ造りの家々。あちこちの路地で溢れる水蒸気。朝には雲で太陽を探すのも難しく、夜には雲の消えた空にとても綺麗な月が輝く。

 ルメリアの都市の中でも、特に幻想的な雰囲気が観光客に有名なドロン。ラッカスが思い浮かべていた人物、ネイサは3年ほど前からこの街に居着いている。

 目がぎりぎり隠れないくらいの前髪。妙に可愛らしい印象もあるサイドポニーテール。小柄な体格。おとなしそうな見た目通り、まさに内気な少年魔術師。


「上手くいかなあい」

「うん、いかないな」

「なぜでございますか?」

「ああ、正直俺にもわからん」

 泣き叫ぶ弟子に、ネイサはひどく困ってしまっていた。

「わ、私、破門にはならないですよね?」

 弟子である彼女の名はイザベラ。金色の美しい髪。猫目が可愛らしくも、微妙に不気味でもある女の子。

「安心しろ。”錬金術れんきんじゅつ”がまるきり駄目な魔術師なんて、星の数ほどいるよ」とは言うネイサだが、実際の所はそもそも魔術師自体が星の数ほどはいないだろうとは、彼もちゃんとわかっている。信憑性は低いだろうが、どこかで千人くらいだと聞いた事もある。まあ星の数ほどではないだろう。

「しかしなぜなのか本当に謎だな」


 ”錬金術”は、魔術の中では最も科学に近いとされる分野である。

 物質を構成する要素である原子げんし。その原子をさらに構成する3つの粒子、すなわち陽子ようし中性子ちゅうせいし電子でんし。それらの量を上手に組み替えるだけ。そうするだけで物質は別の物質へと変化する。それが”錬金術”の基本。

 ただイザベラは、魔術師が行う、どの組み替え方法を試してみても、対象の物質を変化させる事が出来ずにいたのである。


「やり方は間違っていない。何も問題は見当たらない」

 少なくとも、”錬金術”が得意な魔術師であるネイサから見ては。

「やっぱりお前の血が問題かな」

「デリケートな問題ですよね」

「お前、多分意味わかってないよな」

「正解です」

 イザベラは純粋な人間ではない。


 人ならざる者。

 鏡に映らず、聖なる物を嫌い、暗闇を好む不死なる者たち、ヴァンパイア。イザベラは、そのヴァンパイアと人間の両方の血を受け継いだ、ハーフヴァンパイアと呼ばれる存在。


「そもそもハーフだから、対応するセフィラの組み合わせはヴァンパイアとも違うのか? いや、でも、」

 ぶつぶつと呟くネイサ。

  

 セフィラとは、言葉で無理矢理に説明するならば、万物の精神世界を成す構成要素。あらゆる魂、心、生命体の源。

 あらゆる物質が、3つの粒子の組み合わせによって個性を獲得しているように、現象とか、作用とか、出来事とか呼ばれる、あらゆる何かは、10種のセフィラとその対極的要素である、同じく10種のクリファの組み合わせによって、その影響を異にする。

 クリファは、理性や老いや死の源である。そして魔術とは、セフィラやクリファを自在にコントロールする術に他ならない。どのような魔術でも、根本にはそれらの操作がある。

 ”錬金術”は、その目的こそ粒子の組み換えによる物質の変換であるが、粒子の組み換え自体は、主にセフィラの操作による影響を利用する。さらに生命体とは、正確にはその心や意識などと呼ばれるものは、セフィラの組み合わせにより成り立っている。

 ようするに“錬金術”、生命体の構成いずれも、クリファは大した役割を担っていない。よって、イザベラが”錬金術”を苦手な原因は、人間にあって、ハーフヴァンパイアにない何らかのセフィラの組み合わせ。あるいはその逆の可能性が高い。かもしれないとネイサは考えた訳である。


「難しいお話ですか?」

「多分、お前にはな」

 弟子に対し、ネイサはけっこう容赦ない。

「でも私の事、ですよね。いろいろ」

「一応、師匠だからな」

「そっ、か」

 少し恥ずかしそうにそっぽを向く師に、イザベラはどうしようもなく笑みを浮かべてしまう。

「ネイサ」

「ひやっ」

 集中していた所、いきなり耳元で囁かれ、ネイサはビクリとする。

「な、何だよ?」

「私、がんばりますから」

「イザベラ」

「がんばりますから」


 師と弟子。人と人ならざる者。ただ何も関係はなく、2人の間にはただ強い絆があった。それはこの世界で確かに芽生えた、彼らにとっては、何よりもかけがえないもの

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