第9話 魔狼卿フェンリル-SIDE:ダイアナ


「なんですって!? アンタがお父様を……!?」


 いいえ、落ち着くのよダイアナ。ハッタリに決まってる。

 お父様は魔王軍の幹部によって命を奪われたはず。

 魔王軍の幹部がこんな場所にいるはずがない。


「どうやって城に侵入したの?」


「今でも覚えているぞ。舞い上がる炎の中、霊王は無様に命乞いをしていたな。どうか自分の命だけは助けて欲しいと」


「ワタシの質問に答えなさい!」


 お父様がそんなこと言うわけない。

 あの人は、民を、ワタシを逃がすために、最期まで勇敢に戦ったんだ!

 あのふざけた大口を、氷の槍で縫い付けてやる!

 ワタシは杖を構え、空中に生み出した氷の槍アイシクルランスの矛先を隻眼のワーウルフへ向けて――


「遅い!」


 それは刹那のできごとだった。

 氷の槍アイシクルランスに意識を向けた瞬間、隻眼のワーウルフが一瞬で懐に潜り込んできた。


「やば――――」


「フンっ!」


 ワタシが反応するよりも速く、ワーウルフの巨大な右腕が首元に伸びてきた。

 喉輪を決められて衝撃で身体が宙に浮く。

 息が、できな――――


「未熟。戦いの最中に敵の言葉に心を乱すとは」


「ぐぅぅぅ…………!」


「言霊を封じてしまえば術は放てまい。これで仕舞いだ」


 首を絞められて頭に血が上る。

 視界が黒く落ちて、意識が朦朧としてくる。

 だけど負けるものか……!


「ワタシはまだ……ッ!」


「いい眼をしている。おもしろい。強いメスは嫌いではない」


 隻眼のワーウルフは牙を剥いて笑うと、無造作にワタシの身体を放り投げた。

 近くの木に背中を強かに打ち付け、その場にうずくまる。


「がはっ……!」


 背中を強打した衝撃で、ワタシは胃の中のモノを吐いた。

 けれど、一度だって杖を手放したりしなかった。

 形見の杖を支えにして、その場で立ち上がる。


「許さない……許さないんだからッ!」


 身体中が痛い。口の中が鉄の味で満たされる。

 手も足も震え、立っているのがやっとだ。


「だけどそれがなんだ! ワタシは負けないっ!」


「その瞳に宿るマナの揺らめき……それは憎しみか? 父を殺したワレに復讐したいのか?」


「復讐……? ハッ! そんな暇つぶしに興味はないわ」


「では、何故だ。なにゆえ立ち上がる。おまえを奮い立たせるモノは何だ? 何が許せないと言うのだ」


「ワタシ、ワタシは…………」


 復讐なんて一度も考えたことがない。

 世界の行く末だって、本当はどうでもいい。

 ワタシが許せないのは……。


「ワタシは自分自身が許せない! あの日、何もできずに大切な家族を見殺しにした自分の弱さが!」


 ワタシは叫び、無詠唱で火蜥蜴サラマンダーを召喚。炎の精霊の力を自身の魂に宿す!


「これがワタシの答えよ。あの日の自分を倒して、ワタシは前に進むんだ!」


 精霊と同化した今のワタシは火蜥蜴サラマンダーそのもの。

 念じるだけで、相手の身体を獄炎に包み込む。


「グゥゥッ!?」


 無詠唱の精霊術なんて見たことなかったのだろう。

 隻眼のワーウルフは赤黒い炎にまかれながら、慌てたように後方へ飛び退いた。


「ものども、かかれっ!」


「グルアアアァァァァッッ!!」


 隻眼の号令に従い、部下のワーウルフが飛びかかってくる。

 喉輪を決められた時にバインドの術は解かれていた。

 けれど、もはやそんなものは関係ない。


「失せなさい」


 ワタシは襲ってきたワーウルフのカラダに触れ、一瞬にしてその身を燃やし尽くした。


「ギャアアアアァァァァァッ!!!」


 仲間の惨状を目の当たりにした他のワーウルフたちが目を見開き、たたらを踏む。

 一瞬の迷いが命取りだ。ワタシは腕を横に薙いだ。

 たったそれだけで、他のワーウルフどもも消し炭となった。

 遺灰と魔石だけを残し、断末魔の叫びさえ上げずに風の中に消える。


「その身に精霊を憑依させたか。恐るべき力だ。ならば……」


 自力で炎から脱したのだろう。

 炎の鱗粉と死灰が舞う中、隻眼のワーウルフがワタシを睨み付けて――


超音咆吼ソニックハウル――――ッ!!!!」


 大きな顎を開くと、人の耳では感知できないレベルの高音を発した。

 超音波だろう。音の波で空気が震え、ワタシの鼓膜や脳を揺らしてくる。


「くっ……!?」


 不快な音の波に耐えきれず、ワタシは反射的に耳を塞いだ。

 集中が途切れてしまい、身体に宿っていた炎が掻き消えてしまう。

 慌てて周囲の様子を窺うが――


「ハァッ!」


 隻眼のワーウルフの短い雄叫び。

 ワタシの腹部を襲う鈍い衝撃。

 一拍の後――


「……ァっ!」


 ワタシは血反吐を吐きながら、その場にうずくまった。


「精霊が宿主を護ったか。殺すつもりで掌底しょうていをぶち込んだのだがな」


 隻眼のワーウルフは警戒しながらこちらに近づき、ワタシの頭を鷲づかみにした。

 ワタシは抵抗できず身体を持ち上げられて、無様に手足をぶらつかせる。


「恐るべき力だったが憑依状態は長くはもつまい。マナの消耗が激しすぎる」


「はぁはぁ……っ」


「息をするのもやっとか。ここまでのようだな」


 隻眼のワーウルフはワタシの頭を掴んだまま、ニヤリと犬歯を見せた。


「褒めてやる。おまえはよくやった。魔狼卿まろうきょうたるワレに一矢報いたのだからな」


「魔狼卿フェンリル……!」


 魔狼卿フェンリルは、暗殺や奇襲を得意とする魔王軍幹部の名前だ。

 本当にコイツがお父さまを……。

 もうダメかもしれない。衛兵が束になっても敵わない。

 まさか幹部クラスのモンスターが直接乗り込んでくるなんて。


「これだから人間は怖い。取るに足らぬと見逃した赤子がここまで成長するとは」


 長い舌を伸ばして、ワタシの口から垂れた血を舐め取るフェンリル。

 ざらりとした舌の感触に身の毛がよだつ。


「その身を食らえば、ワレの力はさらなる高見へと至るだろう。安心しろ。一瞬で終わらせてやる」


 眼前に迫る鋭く尖ったかぎ爪。

 これがワタシの最期。


 ワタシはやれることをやった。全力を尽くした。

 お父様もワタシの頑張りを認めてくれるだろう。

 もう終わっていいじゃないか。

 弱い自分がそう囁く。

 だけど――――



「負けてたまるかぁぁぁぁっ!」



 ワタシは目を見開いて叫んだ。

 誰でもない。自分自身に向かって。


 ここで目を瞑ったら、あの日と同じだ。

 お父様たちを見殺しにした、あの日と。

 ワタシはもう二度と逃げない。

 最期の最後まで希望を忘れない。

 無様でもいい。必死に手を伸ばし続ける。


 ワタシは願ったんだ。

 神の恩恵を地上にもたらす天使ではなくて、ワタシと一緒に戦ってくれる勇気ある戦士の来訪を。

 その戦士の名前は――――



「待たせたなっ!」



 目映い銀光と共に現れる、待ち焦がれたあの人の影。


「シズ――――!」


 ワタシを庇う勇者さまの背中に向けて、その名を叫んだ。




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ダイアナ視点はここまです。


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