第5話 王女ダイアナとの触れあい


 大聖堂で盛大に吐いたあと、俺は賓客用の個室に移された。

 客室の床は大理石で、窓にはガラスがはめ込まれている。

 内装は青と白を基調とした落ち着いたデザインだ。

 当然のように、家具も綺麗に磨かれていた。


「ワタシよ!」


 天蓋付きのベッドで横になっていると、ダイアナが豪快にドアを開け放った。

 遠慮という言葉を知らないのだろう。ダイアナは金色のツインテールを揺らしながらベッドに近づいてくる。

 サイドチェアに腰を下ろすが、足が床に届いていないのが妙に可愛らしかった。


「今日もお勉強を教えに来てあげたわ。感謝しなさい」


「毎度どうも。おかげさまで暇を持てあまさずに済んでるよ」


「ふふ~ん。そうでしょ、そうでしょ。もっと褒めなさい」


 出逢った頃のお淑やかな振る舞いはどこへやら。ダイアナはニコリと歯を見せて笑った。


「身体の調子はどう?」


「おかげさまで軽く運動できるくらいには回復した。いきなり吐いてすまなかったな。勇者なのに情けない」


「異世界から飛ばされてきたんだもの。召喚酔いくらいするわよ」


 女神スクルドが調整してくれたおかげで、現地の言葉は理解できる。

 ティアラ・ノーグにおける一般知識も、ある程度は頭の中にインプットされていた。

 一度に多くの情報を頭に詰め込んだ弊害だろう。召喚された直後、俺は高熱を出してぶっ倒れた。

 神造人間のボディも俺の魂と馴染みきっていないのか、全身が思うように動かない。

 そんな弱り切った勇者さまを、召喚者のダイアナは親身になって介護してくれたわけだ。


風妖精シルフよ。力を貸して。風切刃ウィンドカッター


 ダイアナの呼びかけに応じて、どこからともなく風が吹く。

 次の瞬間、果実の皮が一瞬で剥かれ、八等分にカットされた白い実が皿に盛られた。


「はい。を剥いてあげたわよ。まだ調子悪いなら、あ~んしてあげましょうか」


「あはは。頼むよ」


 俺が口を開くと、八等分にしたリンゴ……によく似た果物をダイアナがフォークに刺して差し出してくれた。味も歯ごたえもリンゴによく似ている。

 これも女神スクルドの調整のおかげだ。

 俺が認識しやすいように、ティアラノーグ産の動植物の名前や一般名詞を性質が似ている別の何かに自動翻訳してくれる。

 人名や地名などの固有名詞は翻訳されないようだが、それでも十分助かっている。

 リンゴの甘みと女神の恩恵を噛みしめていると、ダイアナは目を丸くして驚いた。


「勇者さまは素直なのね。この国の人間たちはワタシが声をかけると、血相を変えて逃げ出すのに」


「おかしな話だな。ダイアナみたいな可愛い女の子に声をかけられたら普通は喜ぶと思うが」


「可愛いだなんて、やだー。もっと言って」


「はいはい。可愛い可愛い」


「心がこもってなーい!」


 おざなりな態度で応えると、ダイアナは頬を膨らませて怒った。

 けれど、本気ではないようだ。ふくれっ面はすぐに引っ込み、楽しそうに笑っている。

 謙遜するかと思ったが、本当に遠慮という言葉を知らないようだ。言葉を交わしていて気持ちがいい。


「どうしてこの国の人間はおまえから逃げるんだ?」


 ダイアナ相手なら踏み込んだ話をしても平気だろう。

 俺が訊ねると、ダイアナは苦笑を浮かべて窓の外を眺めた。


「ワタシを腫れ物扱いしてるのよ。モンスターに滅ぼされた霊王朝の生き残りだから……よいしょっと」


 言葉の途中でダイアナはベッドによじ登ってきた。

 俺と肩を並べ、膝の上に絵本を広げる。


「急にどうした?」


「絵本を見せながらの方が説明しやすいでしょ。ほら詰めて」


 ダイアナはグイグイと肩を寄せて、俺に絵本を見せてきた。

 艶のある金色の髪から漂う甘い匂いに頭をやられながら、俺はダイアナを迎え入れた。

 ダイアナは今年で12歳だという。俺とは6歳差だ。

 大人のような色気は皆無だが、幼児として扱うには難しい年齢でもあって。


「見てこの挿し絵、ワタシが書いたのよ。精霊術だけじゃなくて絵画も得意なの。天才すぎて困るわ」


「あはは。それはすごいな」


 状況に甘んじて厚意を受け取っているうちに、ずいぶんと懐かれてしまったようだ。

 国の人間に腫れ物扱いされているから、他愛もない会話に飢えているのかもしれない。


 それからダイアナは語った。魔王と人間との壮絶な戦いの歴史を。


 今からおよそ1000年前、地上には二柱の神が存在した。

 神の一柱、死と破壊を司る【魔神クロウ・クルワッハ】は多くの魔物を引き連れて暴虐の限りを尽くしていた。

 その魔神を退治したのが、人間の間で主神として崇められている【聖神ベルド】だった。

 ベルドは魔神との戦いで力尽きるが、女神の意志を継いだ信者たちが聖神教会を作ったとされている。

 神々による戦いが終結したあと、聖神ベルドの恩寵を受けた人間や亜人たちが地上に文明を築いていった。


 一方で、魔神の呪いも魔石という形で地上に残った。

 魔石を取り込んだ獣や幻獣がモンスターに変化して、人間や家畜を襲うようになった。

 それから数百年の時が経ち、支配領土を巡る人間同士の争いも落ち着いてきた頃――


「今から2年前。狂乱の賢者ダンダレフが魔王を名乗って、ワタシの故郷へ侵攻を開始したの」


 ダイアナは絵本の最後……白紙のページを見つめながら話を続ける。

 魔王が現れた後の物語は絵本に描かれていない。

 リアルタイムで起きている戦いなのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る