第42話 せめて今夜はいい夢を……
エイラという嵐が去ったあと、俺とダイアナはクロの容体を確認するため、二階の寝室へ上がった。
「水、取り替えなくちゃな」
「うゅ………? パパ、ママ?」
汗ふき用の手ぬぐいと水桶を運ぼうとしたら、クロが目を覚ました。
ダイアナがベッドに近づき、クロの額に手を当てる。
「熱は下がったみたい」
「どこか身体は痛むか?」
「ううん。へーきだよ」
「それじゃあ、そのままおねんねしてな」
クロの返事にダイアナは安堵した表情を浮かべる。
俺もひと安心して、水桶を持って立ち上がった。
すると、俺の服の裾をクロが掴んできた。
「パパ……ママ……一人にしないで……」
「クロ……」
俺とダイアナは顔を見合わせる。
元々、交代で看病をするつもりだった。クロが三人一緒を望むなら、それもいいだろう。
ベッドに潜り込むと、クロはすぐに寝息を立て始めた。安心しきった顔で豪快に涎を垂らしている。
「ふふっ。可愛い寝顔ね」
ダイアナはクロに添い寝をしながら、その寝顔を穏やかな表情で見つめ続けた。
「なあ、ダイアナ。故郷のこと、まだ夢に見るのか?」
俺は天井を見上げながらダイアナに訊ねた。
ダイアナは寝返りを打つと、同じく天井を見上げながら静かに口を開いた。
「城が燃え落ちた時の光景は目に焼き付いて離れないわ。忘れたくても忘れられない……」
「そうか…………」
「だけどね、シズたちのおかげで前に進めた。だから、過去は過去の出来事として割り切ってる」
「俺たちは背中を見守ってただけだよ。前に進めたのは自分自身の力だ。なんせおまえは大天才のダイアナさまだからな」
「えへへ。ありがと」
ダイアナはくすぐったそうに笑みを浮かべると、再び寝返りを打って俺の顔を見つめてきた。
「でも、お礼は言わせて。あなたがそばにいてくれたから、今もワタシはこうして笑っていられるの。あなたはやっぱり、ワタシにとってのヒーロー。世界で一番の勇者さまよ」
「ダイアナ……」
ダイアナの瞳から熱い情動を感じる。
俺がそっと手を伸ばすと、ダイアナの指が絡んできた。
ダイアナの指は、細くもなければ白くもない。冒険で傷つき、機織り仕事で太くなった。
お城で暮らしていた6年前とは大違いだ。
だけど――
「ダイアナの指、綺麗だな」
「ふふっ。ありがとう」
俺は今のダイアナの指が好きだった。
ずっとそばにいて最愛の人の成長を見守り、見守られてきた。
ダイアナの太くて傷ついた指は、今日までを懸命に生きてきた証で。
「一国の王女さまを独り占めしてる気分はどう?」
「悪くない。この笑顔を護るために俺は今日まで頑張ってきたんだ。もちろんこれからもな」
ダイアナと苦楽を共にした魔王討伐の旅。
冒険の最中、俺たちは互いの想いを確認しあった。
最初は戸惑いや恥じらいもあったけれど、今ではすっかり打ち解けている。
「シズ……」
「ダイアナ……」
俺とダイアナは見つめ合い、心を絡ませ合う。
自然と顔と顔が近づいて。ダイアナの熱い吐息が鼻先をくすぐって――
「むにゃむにゃ……」
鼻がくすぐったかったのは、俺だけではなかったようだ。
「飴ちゃん。もう食べられないよ……」
俺とダイアナの間に挟まれていたクロが、可愛い寝言を呟きながら寝返りを打った。
俺とダイアナは顔を見合わせて同時に噴き出す。
「クロが起きちゃうわね」
「ああ。続きはまた今度だな」
「つ、続きって……」
「したくないのか?」
「…………したいけど」
「なら、楽しみにしててくれ。いつも以上に愛しちゃうぞ。ウチの嫁さんはハードなのがお好きみたいだしな」
「い、いつも以上に………! もうっ。シズったらヘンタイさんなんだから!」
ダイアナは俺に背を見せて、目深に毛布をかぶった。
けれど、真っ赤になった耳だけが表に出ている。
結婚してからそれなりにしてるんだが、ダイアナは未だにエッチなことに免疫がなかった。
「ウチの嫁さんは今日も可愛いなぁ」
「…………えへへ」
反対側に顔を向けているので表情はわからないが、ダイアナは嬉しそうな声を漏らした。そのまま寝息を立てて静かになる。
きっと今日はいい夢を見られるだろう。目の前で家族を失った悪夢ではなく。
「パパ…………か」
俺は幸せそうに眠っているクロを見つめる。
クロの記憶は失われている。家族の顔や名前も未だに思い出せないようだ。
けれど、クロだって誰かの幸せの一部……いや、生きる理由そのものだったかもしれないわけで。
別れは寂しいけれど、帰れる場所があるなら帰してやりたい。
クロにとって、それが一番の幸せだろうから……。
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