第18話 ファンタジー世界のハローワーク


 俺がいま住んでるワッチ村は、パヴァロフの東端に位置する自然豊かな農村だ。

 小高い山の麓にあり、周囲を森林に囲まれている。

 村人の住まいは丸太で組まれたログハウス風の建物が多く、村の外には長閑のどかな牧草地が広がっていた。

 贅沢な暮らしは望めないものの、穏やかに暮らす分には何も文句はない。田舎なので物価も安い。

 とある事情から半隠居を決め込んだ俺と嫁さんは、理想的なスローライフを求めてワッチ村にやって来た。

 村に住み始めてから、すでに1年が経過している。


「ちわーっす」


 観音開きのドアを開き、木の床をギシギシと踏み鳴らして通い慣れた店内へ。

 カントリー風の内装が広がる酒場には、三つのテーブル席があり、そのひとつを小太りのおっさんたちが占拠していた。

 もうひとつの席には、若い女性ハンター二人組が座っている。


 おっさんたちのテーブルには、飴色にこんがりと焼かれた子羊のソテーが置かれていた。

 食欲を誘う脂の焼けたいい匂いが漂っている。

 俺が口の中で涎を垂らしていると、おっさんの一人が声をかけてきた。


「よー、シズさん。今日もシスターところか? 精が出るねぇ」


「奥さんがいるんだから、あまり外で精は出すなよ」


「うっせぇよ、このセクハラオヤジどもが。俺は嫁さん一筋なの」


 俺は村人と軽く挨拶を交わしたあと、酒場の奥にあるカウンターの前まで向かった。

バーカウンターはハンターズギルドの受付にもなっており、酒を注文する他にもクエストの受注や報告を行える。

 俺が声をかけると、茶色い髪を三つ編みにまとめた二十歳前後の女性がカウンターの奥から現れた。


「お待たせしました。本日もお務めご苦労様です。シスターからご依頼があった子守の件ですね」


「本日も晴天なりってね。大きなアクシデントもなく、子供たちも元気に過ごしていましたとさ。めでたし、めでたし」


「それは何よりです。報酬金額をご確認の上、受領のサインをお願いします」


「ほいほいっと……」


 顔なじみである受付のお姉さん(俺の方が年上だが、堅気の仕事をしてるので個人的に敬愛している)に差し出された羊皮紙に自分の名前を記す。


 ――――


 それがいまの俺の名前だ。

 ティアラノーグに来てから名乗っている名前だが、すっかり魂に刻まれている。


「あれ? 前より報酬下がってないか?」


 すでに名前を書いてしまったあとだが、クエストの報酬額が先週より減っていることに気がついた。


「仲介料を上げたんです。戦後復興税を納めるよう国から通達がありまして」


「それは国とギルドの間で取り決めた話で、下で働く俺たちには関係ない話だよな」


「いやぁ~、私に言われましても~。上の方針ですので~」


 俺がジト目を向けると、受付のお姉さんは困ったような笑みを浮かべ始めた。


「あのぅ……。サインはお済みですよね? 書類を返していただけると助かるのですが……」


「仕方ないな」


 本気で困ってるようなので書類を返す。

 現場にクレームを入れたところで何も変わらない。お姉さんだって下で働く者なのだ。


「ありがとうございます。こちらが今週分の報酬になります」


 お姉さんは内容を確認したあと、金庫から数枚の銀貨を取り出してカウンターの上に置いた。


「これにてクエスト終了です。お疲れ様でした」


「まいど~」


 報酬として出された銀貨を手にして、財布代わりに使っている布袋に移す。

 報酬用に渡す布袋代も馬鹿にならないとかで、数年前にマイ布袋を持参するように言われた。


「はぁ……帰ったらまた嫁さんにどやされるな」


 無駄使いしてるわけでもないのだが、毎年収入は微減していく。これも税金が悪い。

 堅気の仕事に就こうにも、まずは丁稚として親方に弟子入りしなくてはならない。

 弟子入りにも職人を管理してるギルドの許可が必要で、金かコネを用意する必要がある。

 俺がハンターズギルドに入れたのは、それなりに腕に覚えがあったからだ。


「よし! 嫌なことは飲んでパァーっと忘れよう」


 俺は日の光がよく当たる特等席に腰を落ち着けてひと息つくと、若いウエイトレスさんに声をかける。


「いつものちょうだい」


麦酒エールですね。かしこまり~♪」


 オーダーを受けたウエイトレスは気さくにウインクを浮かべる。

 立ち仕事で鍛えられた滑らかなヒップラインが美しい。


 魔王討伐の冒険を終えたあと、俺はハンターとして働くことにした。

 ハンターとは、モンスターを狩ることで生計を立てているたちの総称だ。

 魔王を倒したあともモンスターは生き続けていた。

 ヤツらも生き物なので、食欲と性欲を満たすために人や家畜を狙う。

 昔は騎士さまがモンスター退治を行っていたらしいが、兵役の義務もあって手が回らなくなった。そこで傭兵くずれの力自慢に、モンスター退治を依頼するようになったのだ。


 ハンターズギルドは、無法なたちを管理するために良識派のハンターたちが手を取り合って結成した同業者組合だ。

 新人の育成も行っており、名前を登録すれば引退するまで仕事の面倒を見てくれる。

 宿のないハンターには酒場の二階を間借りさせてくれるし、希望すれば職能訓練も受けられる。

 いわばファンタジー世界のハローワークだ。現在進行形で俺もお世話になっている。


「お待たせしました~♪」


 ほどなくして、木製のジョッキに注がれた麦酒エールが運ばれてきた。

 エールは、パヴァロフの大平原で収穫された大麦を発酵させて造ったお酒だ。

 この国に酒税法は存在しないので思いっきり薄くしてあるのだが、量を飲めば問題ない。

 俺はひと口で麦酒エールを半分まで減らし、口に泡をつけながら冷やし豆をいただいた。


「うんうん。こういうのでいいんだよ」


 お通しとして出された、冷やし豆が実に美味い。

 親指ほどの大きさの緑豆で、味は空豆に近いだろうか。

 噛むと豆本来の甘みが口に広がり、爽やかな香りが鼻を抜ける。

 俺は一つ二つ三つ……と冷やし豆を口に運び、麦酒エールで喉を潤した。


「くぅ~! 朝っぱらから飲む酒は格別に美味いなぁ。癖になる。ワッチ村さいこ~♪」


 俺がジョッキ片手に叫ぶと、隣の席のおっさんたちも赤ら顔でジョッキを掲げた。

 それを見ていた女性ハンター二人組が「うぜぇ」と顔をしかめていた。

 どの世の中でも、おじさんの肩身は狭い……。


「今日もいい天気だなぁ……」


 酒を入れて小腹も満たしたことで、急に睡魔が襲ってきた。

 窓から差し込む、春の柔らかな日差しが心地良い。


 魔王討伐後、貴族間のいざこざに巻き込まれるのがイヤで、俺はダイアナを連れてパヴァロフの王城から抜け出した。

 今さら戻れない。生活のためにも、しばらくハンターを続けるしかないだろう。

 モンスターが消滅したわけではないが、魔王が存在した頃に比べたら平和そのもの。


「太陽は天にあり。すべて世は事もなし……か」


 このままひと眠りしてしまおう。おやすみ世界。

 ラブとピースを願いながら、まぶたをゆっくりと閉じると――



 ゴゴゴゴゴ――――



 地鳴りと共に床が揺れた。

 俺はテーブルに突っ伏したまま、片目を開けて周囲の様子を窺った。





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