タイムリープ相対性恋愛理論

常世田健人

タイムリープ相対性恋愛理論

「嬉しい。私からも、よろしくお願いします」

 後に彼女となる女性から、頬を朱く染めながら言われるこの一言は、全人類にとって至高の時間と定義しても良いだろう。

 彼女は俺の好みドンピシャの女性だった。俺が二十八歳で、同い年で――身長も俺と同じ男性平均身長少し下くらいで、黒髪ロングが時折なびいて艶やかだなと思う。ライブや読書など、多種多様な趣味嗜好もあって、食事の好みもほど一緒。加えて――人生の価値観というやつが、これほどまでに無いくらい、一致していた。

――「私ね、人生は相対性理論との戦いだと思うの」

 出会って三回目の時に――つまり今日、彼女から神妙な表情で聞いた話だ。

「私ね、一番目まぐるしく動いてるのって、今みたいな楽しい時間だと思うの。こんな幸せな時間はすぐ過ぎちゃうのに、大変な時間はゆっくり進む。だからこそ、幸せな時間を大切にしたい――人生における相対性理論的な現象に抗って、ずっと楽しく過ごしたいなって思うの」

「……わかる」

 俺は、心底、同意した。

 彼女との時間がすぐに過ぎ去ってしまうことが本当に悲痛で苦痛で仕方がなかった。

 願わくば、タイムリープしてでも何度も過ごしたいと、そう思った。

 そんな反応を見て、彼女は涙を一筋だけ流しながら――「嬉しい」と、言葉を紡いだ――

 ここまで人生観を話し合った後の告白は、緊張でしかなかった。二次会のバーカウンターから離れて、手を繋ぎながら川沿いを歩いていた。こんなに幸せな時間で、立ち止まった。彼女は離れないようにしたのか、より一層強く、手を握ってくれた。それが何よりも嬉しくて、気づくと告白という行為をしていた。

 対して彼女は、受け入れてくれた。

 ああ、本当に、嬉しい。

 この幸せが永遠に、続けば、良い、の、に――



 Chapter 2



「私ね、人生は相対性理論との戦いだと思うの」

 それは、聞き覚えのあるフレーズだった。

 ふと顔を上げて左を見ると、神妙な表情の彼女がいた。

「私ね、一番目まぐるしく動いてるのって、今みたいな楽しい時間だと思うの。こんな幸せな時間はすぐ過ぎちゃうのに、大変な時間はゆっくり進む。だからこそ、幸せな時間を大切にしたい――人生における相対性理論的な現象に抗って、ずっと楽しく過ごしたいなって思うの」

 ――聞いたことしかなかった。

 ――見たことしかなかった。

 何が何だかわからないが、何かが起こったことだけはわかる。

 もしかしてと思いながら――そんなはずはないと祈りながら――左の腕時計を見てみた。

 日時が示される腕時計を買って、良かったのか、悪かったのかすらわからない。

 それでも、これだけは言える。

 現在、とある金曜日の午後九時半。

 あの幸せな瞬間から、一時間半ほど前に遡っている。

「え、あ、何で……」

「……何でって、思うよね」

 思わず呟いてしまった文字列を、彼女は俯きながら受け入れてしまった。

「い、いや、そうじゃない! 今の発言は、本当に、関係なくて!」

「関係ないことを、今、思ってたの? なんで?」

「な、何でって……」

 タイムリープしているかもしれないから。

 そんなことを唐突に、言えるはずもない。

 押し黙ってしまった俺をみて、彼女は――見るからに悲しそうな表情を浮かべた。

 カバンを足元から手に持ち、中から財布を取り出してお金を置く。

「……ごめんね、変な話をして。忘れて」

 それは、間違いなく――『私を』という意味を伝える口調だった。

「待って、ごめん! そんなつもりは無かっ――」

「ううん、私が悪いの。ごめんなさい」

 そう言って彼女の背中は徐々に小さくなっていった。

 嫌だ。

 こんな終わり方は嫌だ。

 もう一、度、やり、直、した、い――



 Chapter 3



「私ね、人生は相対性理論との戦いだと思うの」

 三回目に聞き覚えがある言葉だった。

 彼女の次の言葉を待たずに、咄嗟に腕時計を確認する。

 とある金曜日の午後九時半。

 もう、疑いようもなかった。

 俺は、タイムリープしている。

「私ね、一番目まぐるしく動いてるのって、今みたいな楽しい時間だと思うの。こんな幸せな時間はすぐ過ぎちゃうのに、大変な時間はゆっくり進む」

 ここまで聞きながら、考えていた。

 タイムリープなんていう非日常を体験しつつも、時間はどんどん進んでいってしまう。

 死に物狂いで現状を理解し、次の行動にうつす必要がある。

 俺は、ここで、彼女との考えの一致を言動で示す必要がある。

「だからこそ、幸せな時間を大切にしたい――」

ゴクリと、息を呑む。

耐えきれずにお酒をかっこむ。

次の一言に対して、ちゃんと答えないと全てが終わる。

誠心誠意待機していると――

いつまで経っても、次の言葉が帰ってこない。

「へ?」

「やっぱり、馬鹿にしてるでしょ」

 思わず素っ頓狂な声を出してしまった――

しまったと思った時には、もう遅い。

彼女の方を向くと、声に出さずに、盛大に泣き出していた。

「こんな話、普段はしないのに。君だから、したかったのに。もう、良い。どうでもいい」

「いや、待って、違う」

「何も違わない」

 そう言うと彼女は、再度お金を机に出して、去っていった。

 待ってくれ。

 もう一度――

 やり直さ、せてくれたら、彼、女の、話を聞、くの、にーー



 Chapter 4



「私ね、人生は相対性理論との戦いだと思うの」

腕時計を確認しなくてもわかる。

 とある金曜日の、午後九時半だ。

 間違いなく、タイムリープができている。

 そう確信した俺は、真正面から彼女を見た。

 彼女の思いを全て受け入れる覚悟を持って、待機する。

 一心不乱に見つめていると、彼女は唐突に、俯きはじめた。

「……ごめん。そんな、大したことは、言おうとしてないの」

「へ、いや、そ、そんなこと、ないでしょ」

「……期待に応えられるほど、大した話、出来ないの」

 咄嗟にしどろもどろになってしまったのが悪かったのか、彼女は無言になってしまう。

 俺も、何も言えない。

 お互い無言の時間が続いて、続いて、続いた挙句――彼女は財布の中からお金を取り出した。

 このタイ、ムリー、プはだめだ、から、やり直、そう――



  Chapter 5



「私ね、人生は相対性理論との戦いだと思うの」

 こうして俺は、泥沼にはまった。



  Chapter 6



「私ね、人生は相対性理論との戦いだと思うの」

ありとあらゆる対応を講じる。



 Chapter 9



「私ね、人生は相対性理論との

 けれども、なぜか、タイムリープ前に戻れない。



 Chapter 15



「私ね、人生は相対

 まるで時空間が歪んでいるような、そんな感覚が襲いかかってくる。



  Chapter 55



「私ね、人生

 自暴自棄になって、タイムリープを無駄打ちしたこともあった。

 フられ続けるのは、本当に辛い。

 それでも、タイムリープをし続けた。

 どんなに辛い目にあっても、彼女とずっと繋がりたかったから。



 Chapter100



 とうとう百回目になった。

 彼女が知らない間に、俺は膨大な時間と虚無感が過ぎ去っている。

 正直、もう、気力はない。

 おそらくこの回もダメだろう。

 でも、構いやしなかった。

 いつか、あの幸せな時間に戻れるなら、何百回でも何千回でも何万回でもこの時間を繰り返す。

 苦痛でないと言ったら、嘘になる。

 それでもいつか、あの時間に戻れたら、幸せだという自信があった――

 さあ、いつでも良い。

 『私ね』から始まるあの一文を繰り出してほしい。

 そこから、この時間は始まるから――

 そう思っていた俺の元に届いたのは、こんな発言だった。


「馬鹿じゃないの」


 これまでと、違う、体験だった。

 思わず彼女の顔をみおうとした時――彼女は目と鼻の位置にいた。

 彼女の綺麗な瞳が眼前に広がる。

「いい加減諦めなさいよ。こんなめんどくさい時間、ずっと過ごしたいと思うのが、馬鹿でしかないわよ」

 そう言う彼女は、気丈に振る舞いながら戸惑いの表情を浮かべている。

 普段とは違う強気な感じのギャップに思わずときめいてしまう。何が何だかわからないが、それだからこそ、目の前の彼女のことが好きだと心底思う。

「ば、馬鹿じゃないの。ホント、本当に、馬鹿。馬鹿でしかないわよ。馬鹿」

「え、な、何が」

「なんでこんなめんどくさい女を心底好きだって思えるのよ」

 その一言に、驚愕を覚えた。

 俺は、この時間の中で彼女を好きだと一言も言っていない。

 せいぜい、心中で呟いただけ――

「もしかして、タイムリープ、だけじゃない?」

「……御名答」

 大きくため息をついて、頬杖をついて、お酒を飲む。

「馬鹿。馬鹿。なんでこんなことまでバラさなきゃいけないのよ。いっそのことタイムリープしてやろうかしら」

「……やっぱりか」

 どうにもおかしいと思った。

 些細な違いどころか、タイムリープをする前と同じ動きをとってもうまくいかなかった。

 それは、彼女が、そういう動きをあえてとったからだった。

 このことから、ひとまずわかることは二つしかない。

 彼女がタイムリープの主犯格で――

 俺は、タイムリープの記憶が残っているだけだった――

「勘違いしないで。君が特別なんじゃなくて、私が自分の意思で、君に記憶を残したの。ごめんね、百回も付き合わせて。これだけは本当にごめん」

 いや、それはどうでも良いよ。

 こうして本音を話せるだけでも嬉しいから。

「ほんっと、君は、馬鹿だよね……」

 頬杖をついていた手を顔に押し当てて、俺に見せないようにする。

 やはりとしか言えなかった。

 彼女ができることは、タイムリープだけじゃない。

 俺の心の中までわかるんだ。

「そうだとしたら、どうなの」

 顔に手を押し当てながら、ぽつりと呟いてくる。

 そんな彼女の挙動が、とてつもなく愛おしかった。

「馬鹿でしょ」

 我ながら完全同意だった。

 通常だったら、こんな気の狂いそうになる百回のタイムリープを喰らわされつつ、感情まで全てバレるとなったら、絶対に関わりたくないと断言できる。

 でも、違うんだ。

 百回のタイムリープは、苦しかったけど、楽しかったんだ。

 それだけ多くの時間を、彼女と過ごすことができるから。

「相対性理論を超越するような考えね。馬鹿みたい」

「……馬鹿馬鹿言ってくるけどさ」

 そんな俺に百回も時間を過ごしてくれる方こそ、「馬鹿じゃない?」

「あー、へー、そういうこと言うんだ」

 生意気ね――

 そう言うと、彼女は俺の左肩に頭を置き始めた。

 いきなりの行動に動悸が激しくならざるを得ない。

「私、ことあるごとにタイムリープするわよ。楽しいことはずっと飽きるまで味わいたいから」

「良いね、最高だ」

「その中でずっと君の心の中を覗くわよ。これはごめん、オンオフが効かないの。だから、浮気なんてしたら一瞬でわかっちゃう」

「ずっと俺のことを思ってくれるなら、これ以上ないほど幸せと言わざるを得ない」

「……本当に、良いの」

 左下を向くと、上目遣いで泣きそうな彼女の顔がある。

 それは、何よりも尊くて、何よりも愛おしかった。

「本当に、馬鹿ね」

 こうして俺は、タイムリープから抜け出した。



 Another Chapter 4035




「ねえ。今回で何回目だっけ」

「そのセリフ、三百回くらい前にも言ってた」

「え、本当? もうわかんなくなっちゃった」

「いつまでも楽しいから別に良いけどね」

「このタイムリープ、抜け出したい?」

「どっちでも、幸せだなって思う」

「何よそれ。馬鹿じゃないの」

「だって、例え抜け出さなくても抜け出しても――楽しい時間はずっと続くでしょう」

「ハー、もう、ほんと馬鹿」

 そういう彼女の表情を見たら、心情を読み取る超能力的な何かがなくても、彼女の心中は容易に察せた。

 そう思うから、彼女は余計に頬を朱く染める。

 そんな彼女が心の底から好きだと思うから、彼女が抱きついてくる。

 彼女の優しい思いに包み込まれながら、こんな時間がずっと続けば良いと思った。

「ねえ。くだらない考え、思いついたんだけど、良い?」

「馬鹿みたいだけど、思うだけなら許してあげる」

「馬鹿みたいな考えだけど――相対性理論なんか、到底叶わないほどの理論を思いついたんだ」

 何万回も繰り返せる彼女の超能力から始まるその理論を勝手に思い浮かんで――

 彼女は、頬をほころばして、顔を近づけてくる。

口付けの前に、嬉しそうに呟いた。

「本当に馬鹿みたいな理論だから、大好き」

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