第25話 きっかけは『ここ』だった
「なんだ……?」
夕日が黒く染まり、世界が薄暗くなる……。
単純に夜になったと思えばそうかもしれないが、こんな急激に暗くなるものか?
まるで台風が近づいてきているかのように、不穏な曇天が空を覆い、影が二階から見下ろせる地面を染めていく――。
悪化した妖精が黒く染まっていくのに似ている……。
そもそも、俺は悪化した妖精の中にいるのだが――。
悪化の中にいる俺が見ている景色は、最初から悪化しているものだと思っていた。
だが、染まっているならまだ悪化していなかった部分がある、ということか……?
すると、影が隆起し、起き上がる形があった。
どろどろと滴るそれは、まるで水溜まりの下から体を起こしたようだった。
人の形をしているが、それも一瞬。すぐに形を見慣れた化物へ変えていく。
確認できただけでも十体以上はいる。
……トンボやクワガタ……バッタ、か? そんな化物が町を徘徊していた。
悪意が生み出した尾を引く妖精、悪化のその先――。
そして、その化物に追いかけられている、小さな人影を見つけた。
黒衣を纏い、フードで顔を覆った年下に見える人間……、
――この世界の住人!?
「やべえな、気づかれた!」
「鏑木さん!?」
メリィを置いて階段を下り、アパートの上から見下ろし、確認していた大体の位置を頭の中で思い浮かべ、さっきの子の目の前へ出られるように先回りする。
地元だから土地勘がある、というわけではない……。
なぜか俺は、同じようなことをした記憶がある……?
ここは俺の記憶から再現された過去の世界……、
化物に追われている誰かを助けた記憶がある――?
人を助けたことなどたくさんあるので、いちいち覚えているわけがないが、これは別だ。
巨大な化物に追われている子を助けた記憶が、そう簡単に消えるわけがない。
だが、差異はある……、あの時は、フードを被ったあの子に助けを求められてから、後に化物の姿を認識した。
あの子の手を引いて逃げながら、なんとか化物からの追跡を免れたはず……。具体的にどういう方法で化物を退治したのかまでは覚えていないが……、今になって考えれば、あれは悪化した妖精が『成った』化物であり……無意識に救済していたのだろう。
そして、フードを被っていたあの子……、
彼女は――、レーモンだった……?
先回りして道を出ると、化物に追いかけられているあの子のちょうど目の前だった。
俺に気づいた彼女が止まれず、そのまま俺の胸へ飛び込んでくる。
そして、フードがはずれた。
やはり、女の子にしては短い、ベリーショートで青髪の、レーモンである。
過去の世界の記憶でも、見た目が変わらないのは大妖精だからか。
妖精はみな、歳を取らないのか?
「ッ、逃げてくださいッ! この化物たちは――」
「大丈夫だ、あの時とは違う。俺には、救済する力がある」
レーモンの体を背後へ誘導し、追いかけてくる、低空飛行で迫ってくる巨大なトンボへ向けて拳を構える。
奈多切のような白い槍は出せないが、俺が善意を持てば、この拳に力が乗るはずだ……あとは、衝突に合わせてこの拳をぶち込んでやればいい――。
「……そうか、俺は昔、レーモンに会っていたのか……。
だから、妖精が見えるようになったのかもしれないな……――」
レーモンのせいだ、と責めるつもりはない。どちらかと言えば感謝か。
妖精の世界を教えてくれたんだ……、
もしかしたら俺は、華原の『痛み』に気付けなかった可能性もある。
「遅かれ早かれ、見えるようになっていたのかもしれないけど――、
一瞬、違うだけで、誤作動によって救われなかった人もいるはずだ」
俺が見える範囲の人しか救えてはいないけど。
救えた事実を知っているからこそ、そうでなかった時のことを考えてしまえば、これまでの生き方が正解だったと言える。
最善でなくとも、間違いではなかった。
それに、この化物が、鍵になるのだろう……——悪化したメリィを、救済するためには。
「この化物を救済することが、メリィ救済への、足がかりになるんだろッ!!」
一歩、足を踏み込んで振りかぶった拳が、しかし、止められた。
「――今のアタシはレーモンに見えているのか。なるほど……、そしてここが進化した妖精の新しい世界――。悪意と善意が入り混じった世界なのは分かるが、これを維持するのか、片方へ傾ければいいのか分からないな……。分からないならやってみるべきだ。
前例がなければ作るべきだろう? それがアタシの役目だ。
失敗したなら、また生まれるアタシと同じ思想の大妖精が、同じことを見つけ出してくれるはず……——悪いな、鏑木竜正。アンタは悪意に喰われて、進化の犠牲となれ」
「レー、モン……? 違うっ、お前は……——エミールか!?」
どん、と背中を押された俺は回避に半歩遅れて、巨大なトンボと衝突する。
トンボの頭突き? を、顔面に喰らって……っ、意識が飛びかけたが、なんとか踏ん張る……しかし、トンボの足が俺を抱え込み、上空へ攫っていった。
「うぁ……」
「悪意に抱え込まれて悪意に染まらないって……、よほどアンタの中の一本柱は太く強いわけだな。死ぬ寸前でも曲げない覚悟を見ると、妖精よりもアンタに興味が出てくるよ、鏑木竜正。
……本当に人間か? もしかしたらアタシらに近い存在なのか?」
和服ではないエミールの姿は新鮮だったが、そんな場合ではなかった。
トンボの体から滴る黒い液体が、俺の体に垂れてくる。
黒い液体に顔が覆われ、見える視界には、多くの人間が他者へ抱く悪意や、向けられる罵詈雑言――言われた側の痛みが、押し寄せてくる。
「……言った側も、言われた側も……理由がある。
その理由を知っておかなければ、当事者でない俺に言えることなんか、なんもねえッ!!」
「興味本位の悪意でも?」
「興味本位という理由がある。本当にまったく理由がないなんてあり得ないだろ……。面白いでもいい、なんとなくって言っても、『なんとなく○○だったから』って言われたら納得するさ。
まあ、納得はしても肯定するわけじゃないが――」
「じゃあ、アタシがやっていることは?」
「納得はした。肯定はしねえ。だけど……、お前が生まれた理由がそれなら、否定もできねえってところじゃないか? ……だったらさ、もう力づくで止めるしかない。
悪意を持たずに、お前がしようとしていることをされたら、俺は困る。だからッ! エミールに悪意を抱かず、お前を止めるのが、今の俺の感情だッ!!」
「ふうん……、でも、力づく止められるか?
化物に抱えられたアンタに、アタシを止める術があるとは思えないんだが?」
俺は、抑えつけてくるトンボの足から腕だけを出し、指を差す。
エミールの後ろ。
そこには、誰がいる……?
「……? アンタは、」
「俺の母さんだよ――外側は」
俺の妹がメリィへ変わったように。レーモンがエミールへ変わったように。俺の記憶を元にしたこの世界へ新たに入ってきた者は、その場にいる者と入れ替わるのだ。
きっと、共通点が多い者を選定して重なるように――、だから。
母親がそうであるように。
俺に好意を持ってくれているのは、分かっている限りで、二人だ。
だからどっちかだった。どっちかなら、きっとお前がくるだろうって、思っていた。
「……言いたいこと、あるだろ……? ずっと一緒にいたのはお前なんだからさ。それとも言い終わったか? だとしても追いかけてきたならきっと――言い足りないはずだろ?」
そうだろ?
俺なんか後回しでいい。
エミールに、意見をぶつけろ。
終わらせるにしてもまたやり直すとしても、全部を吐き出せ。
じゃないと、納得なんか、できないはずだ。
「任せたぞ、奈多切――」
白い槍を握り締める、奈多切恋白が、エミールと向かい合った。
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