第23話 vs大妖精

 レーモンが持つ魔法は、『減速』だ。


 相手の速度、流れる時間……レーモンが定めた対象物以外を減速させる魔法……。


 当然、エネルギーが膨大であればあるほど、減速できる時間も伸びる。


 奈多切恋白と華原湊、二人が持つ鏑木竜正への好意は、測定できるものではない。

 そして、そんな彼を助けるために向けられる好意は、決して途絶えることもなかった。



「エミールと対立する前提で生まれたわたしの魔法は、減速です。

 これはエミールの増幅……増殖とも言いますか。その魔法に対抗するため、でもあります」



 増殖速度を減速させることで、結果を先延ばしにする魔法……。対エミール戦闘において、無力化こそできないが、場を対等に均すことができる魔法でもある。


「お二人の好意を頂ければ……、わたしたち三人以外の世界そのものの速度を減速させることができます――その間に、鏑木様を正気に戻す手がかりを掴んでください!」


 ぐぅぅわんっっ! と、視界が歪んだ。


 魚眼レンズを覗いているような景色の中、奈多切と華原がエミールを拘束するために駆け出した。彼女を捕らえても元に戻す方法を吐くとは思えない……、だから無駄な行動にも思えるが、しかし野放しにする理由こそないのだ。


 黒幕のような立ち振る舞いだが、彼女自身はサポートしかできない。


 奈多切が使っていた白い槍は、彼女には作り出せない。


 あれは鏑木竜正への好意があってこそである。

 それを持たないエミールには出せない武器だった……。

 つまり彼女単体では、攻撃手段を持たないのだ。


 増殖させる魔法は、対象物によって攻撃力を変える。

 組んだ相手によって戦力も決定するのだ。今のエミールは、無力に等しい……。


 減速魔法しか使えない華原と奈多切でも、彼女を抑えつけること自体はできるだろう。



 減速している世界にいても、エミールの体が世界に固定されているわけじゃない。

 まともに動ける二人がエミールを掴んで引き倒せば、同じ速度で動かせる。


 うつ伏せで抑えつけられているエミールが、ゆっくりと口を動かした。


 それが一連で繋がった言葉になるまでは時間がかかる……、


 結果が聞こえる前に、遠目で俯瞰していたレーモンが叫んだ。



「――二人ともっ、鏑木様を減速させることはできません!! 離れてくださいッ!!」



 黒い瞳の中にある赤い点が、二人を見下ろしていた。


 黒衣と同色の手袋を身に付けたような右腕が迫る。


 奈多切の眼前に迫っていた鏑木の指――、

 華原が彼女を押し倒したことで、直撃は免れた。


 しゅっ、と奈多切の銀髪が数十本、宙を待っていた。

 切れたわけじゃない、だけど抜けている……。

 痛みはなかったが、散った数本の毛が鏑木の手の平に吸い込まれていくのが見えた。


 ……口、がある。

 芋虫の巨体についていた小さな口のように、鋭利な歯まで並んでいて――ッ!



「――妖精の進化先が今のメリィだよ? 同時に鏑木でもあるけどな。

 そんな存在を、たかがアタシたち大妖精の魔法で抑えられると思うのか?」


「……どうしてあなたまで、減速から抜け出しているのですか」


させた。周りには食べ切れないくらいの悪意が溜まっているし、すぐに補充できる。これまでできなかったこともできるようになった――。

 薄い膜を被せるようにアタシを増殖させることで、減速対象になった元のアタシとは違うアタシに意識をスイッチさせた。

 ただ、アンタがまたこのアタシを減速対象にすれば同じことだけど……。でも、いたちごっこになるだろうね。

 無限の悪意と有限の好意……、節約したいアンタがそう何度も減速対象を広げられるのか?」


「華原様と奈多切様の好意をなめないでください……」

「だとしても」


 エミールが空間をぎゅっと握った。

 すると姿を見せたのが黒い槍だ……、

 奈多切が使用していた白い槍とは対極の――鋭利な武器。


「世界中の人間の悪意には負けるだろう?」


 投擲、と言うよりは落としただけだった。


 黒い槍が奈多切と華原の近くに突き刺さり――だが、真価を発揮するのはここからだ。


 ――増殖。

 黒い槍が増殖すれば、この場所一帯は剣山のように刃が上を向くはず……っ。


「メリィと鏑木については、通用しないと思っているから。

 こんな槍で傷がつくなら減速対象に入っているだろう?」


「くッ――増殖を減速させますっっ!!」


 レーモンの判断で黒い槍の増殖速度が急激に落ちた。

 だが、それでもスローモーションになった、とは言えない。減速前の速度を考えると、今のこれで減速したのかと疑ってしまうほどの速度だ。

 子犬が駆け寄ってくる速度と同じで――。


「うっ」

「華原!?」


 奈多切の後ろを走っていた華原が、踵を削られた。

 黒い槍が届いたのだ。

 距離を取って、黒い槍が届かない位置まで逃げてきた華原は膝をつく。


 幸い、歩けなくなる怪我ではなかったが……、

 痛みが今後に影響することは目に見えている。


「大丈夫……、これくらいの怪我、がまんできないほどじゃ」


 華原の目の前——奈多切の背後……、巨大なサソリが二人を狙っていた。


『!?』


「鏑木とアタシを見ているだけでいっぱいいっぱいだったか? 

 周囲には尾を引く妖精、そして悪化し、化物へ成った妖精もいるわけだ。

 蔓延する悪意に反応する化物はただ徘徊しているだけだが、だけど偶然、ここに辿り着いてしまう妖精もいるわけだな――」


 最初から分かっていたことではある。世界は悪意に染められ、見えている世界全体が『尾を引き』、『悪化』した妖精の巣窟であると……。数え切れない悪意に、二人が持つ好意で対抗しようと言うのが、この戦いの始まりだったはず――。


 敵はエミールだけじゃない。


 彼女は黒幕……、と言ってもいいのか……先導しているわけではないのだ。

 最もまともに会話ができる個体であり、司令塔ではない。


 化物へ成った妖精たちは、それぞれが悪意のままに活動している……。


 徘徊している化物たちを上から覗いて――さあ勝負をしようじゃないか、とエミールはまるで自分が鎖を繋いでいるかのようにアピールしているだけ。


 上手く使えば徘徊する化物をエミールへぶつけることも不可能じゃない、が……。


 不可能ではないだけだ。

 現実的に可能かと言えば、難しいだろう。


「っ!? 押し負け、る……!?」


 レーモンが苦戦したのは、単純な悪意と好意の差だった。

 サソリの妖精の動きを止めるには、二人から得た好意では足りなかった。


 他にリソースを割いているから、とも言えたが、

 じゃあどこの力を抜き、どこへ力を注ぐのか、取捨選択はできない。


 どれも必要なピースであり、欠けた段階でどっち道、二人は危険に晒される。


「やめ、て、ください……っ!」

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