第21話 善意の行先

 高揚した彼女が戦場のど真ん中でくるくると踊る様子は、なにかを知っているとしか思えなかった。……今まで明かさなかった、重要な隠し事……。


「アタシは人間世界と妖精世界の、同調派なんだよ」


 エミールがレーモンを指差し、


「で、あいつが世界をきっちりと分けたがる境界派……。つまり棲み分けをしたいわけだ。人間の世界に妖精が関わることなど言語道断だと言うタイプ……。

 でもわがままなんかじゃないんだよ、レーモンにはレーモンの使命がある。アタシたちは妖精たちの思想によって生まれた大妖精であり、神様みたいなものだからね」


 妖精が求めるものは二つだった。


 種族としては当たり前の進化と――、


 この世界で得ることが難しい、安全と安寧だ。


 前者がエミールであり、後者がレーモンである。


 つまり最初からエミールは、妖精を進化させるためにこの世界で活動している。


「飛び抜けた才能があれば抱えるのは当たり前だろう? 恋白のこともそうだよ……、溢れ出る好意を持っている人間を見たのが初めてだから、手元に置いていただけだ。

 よくよく考えてみれば、探せばもっといたはずだろうけどね」


「……私を、利用して……?」


「しようと思っていたけど、中途半端ってところかな。結局、意図しないところで鏑木竜正という人間が、偶然にも妖精を進化させるための素材になってくれた……。

 こうなると恋白の傍にいる必要もないわけだよ。鏑木竜正のような人間を育てて、同じような行程を踏めば、他の妖精はメリィのように進化するのかな?」


 エミールの頭の中は、既に今回の件の検証へ移っている。


 彼女に奈多切たちを騙していたつもりはないが……、

 その後のフォローをする、という考えは既になくなっていたのだ。


 ……フォローしてまで維持したい人間関係でもなかったのだろう。

 これまで相棒として隣にいてくれたエミールは、もう奈多切を見ていない……。


「あ、別に恋白からじゃなくても、善意も好意も手に入れることはできるから。

 短時間で大量の善意を得られるってだけで、特別、恋白が良いってわけじゃないんだよね」


「ッ、エミールゥッッ!!」


「今まで楽してきたんだから、その小柄な体で人生、再スタートがんばってね、恋白」


 エミールの『増幅』魔法はもう使えない……。


 つまり奈多切恋白はこれまでの高身長で大人びた見た目にはもう二度と戻れない……。


 この体で、生きていくしかない。


 だけど、本来、これが正しい道だったのだ。


 あの見た目で得られたものはたくさんあるけれど、結局、一番欲しいものは手に入れることができなかった。


 華原湊の登場で焦らされ、やっと一歩、停滞していた位置から進むことができて……、だけどそれが原因で、大切な人を彼女に奪われそうになっている。


 華原湊がいなければ良かったと安易に思うけど、でも、だとしたら結局自分は、一生、あの人を手に入れることはできなかっただろうとも思えた……。


 華原湊がいてくれたから。


 奈多切恋白は前へ進めたとも言えた。


「え」


 華原湊は自身の手を見る……。

 握られた手の先は、奈多切恋白だ。


「私たち二人の……、

 先輩へ向けた好意があれば、先輩を助け出せるの? ……大妖精さん」


「レーモンです。……確実に、とは言えませんね。

 鏑木様を救おうとすれば必ず邪魔をする存在がいますから……。大妖精・エミールが」


 ふふん、と胸を張る和服の大妖精が笑みを見せ、


「勝負する? こっちは悪意を利用し、そっちは好意を利用する……勝てるの?

 世界中にどれだけ悪意が蔓延っているか知らないわけじゃないだろう?」


 手札の枚数が違い過ぎる。少しつつけば新たに生まれる悪意を利用できるエミールに、対抗できる手数はこちらにはない……だけど。


 数じゃない。

 想う気持ちは、誰にも負けない二人が――ここにいる!!


 ―― ――


「竜正、これから仕事にいってくるから――」


 玄関から聞こえてくる母親の声に、うん、と頷いたところで気づいた。


 畳の上、塗装が剥げた天井……、昼間は点けないときつく言われている剥き出しの電球があった。窓から差し込む夕日で、部屋が照らされているのでまだ点ける必要はない……って、違う、そうじゃない。意識が飛んでいるように感じるが、これは違う……、


「……? いや、でも時計は……文字化け?」


 数字ではない。記号……だけどそれも読めなかった。バグっているとしか思えない。

 壁にかけてあるアナログ時計も針がないし……単純な過去に戻ったわけでもないのか。


 だが、確かにここは俺の家だ。

 数年前の……、家具や妹の背丈に見覚えがある。


「……彩火あやか……じゃないな?」


「妹さんがいたのですね。だから年下の女の子の扱いに手慣れているのですか?」


「どうだろうな。俺の手がかからないくらい優秀な妹だけど……。いや、外ではどうかは知らないが。家族以外の人にはお世話になっているらしいし、そういう世渡り上手なところは生きるために仕方なく学んだことなんだろうけどさ――。

 とりあえずお前だけでも傍にいてくれて助かったよ、メリィ」


「いえいえ――どうですか、わたしの見た目は妹さんですか? それともわたしですか?」


 妹の姿はやがて見慣れた妖精・メリィの姿へ変わり……、


 身長も手の平サイズではなく、さっきまでそこにいた妹と同じ身長だ。


 この時は……、もう中学生だったか。


「あ、メリィになったな」


「鏑木さんの世界と同期できたようで良かったです……——覚えていますか? 直前のこと」


「お前に飲み込まれた、ってことくらいか……。でも、お前を救済するならこれくらいのことをしなくちゃ無理だって感じたんだよな……。

 善意を食うならいっそのこと俺ごと食ってしまえばいいってさ。話が早いだろ? 

 で、食べられて気づけば畳の上だ。なにがどうなったのか、正直に言えば分からねえよ」


「鏑木さんの記憶を元に作られた世界ですね……、わたしたちの意識は今、こちらにあります。

 外側にいる、『わたしが悪化した化物』は、悪意が示す通りに行動を起こしているのではないでしょうか……。わたしも分かりませんけど。だって前例がないですし」


 メリィが言ったのは、俺の記憶を元に作られた、閉鎖的な世界ということだ……。

 だから過去に戻ったわけではないし、死後の世界というわけでもない。


 別世界じゃない。

 現実世界の延長線上であり、作ったゲームの世界に入り込んでいるようなものか?


「出られるのか? って、聞いても分からないか。俺がここから出るってことは、表の化物が元に戻るってことだもんな……。

 たぶん奈多切が外からなんとかしてくれるだろうけど、まあ難しいよな。俺も内側から行動を起こさないと、戻れない気もする――」


 だが、どうすれば影響を与えられる?

 たとえば、巨大生物に飲まれていたとして(実際、巨大な芋虫に飲み込まれているのだが、世界が広がっている以上、ここがそのまま体内であるとは思えない)……、この畳を思い切り殴れば、外で化物が苦しむのか? 


 力のなさは、今は考えないでおくが、そういうことじゃない気がする。


「外に出てみるしかないよな……」

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