第19話 鏑木竜正
「せんぱい、あたしのこと、嫌いになりましたよね?」
「なんとも思われないことが怖いのか――華原?」
鏑木竜正が、芋虫に成ったメリィに手を触れる。
ギィキィ!? と悲鳴のような、鳴き声を漏らす芋虫が、小さな口を開けて鋭い牙を鏑木の肩へ突き刺した。
どくどくと足下に溜まっていく流血よりも、みしみし、と骨が軋む音が周囲に伝わり焦りを生ませる……、手の平サイズの妖精が首に噛みついているのとは違うのだ。
二メートル以上の巨体、体重もそこそこの芋虫が寄りかかっていると言うのに、鏑木竜正は決して倒れずメリィを受け止めていた……。
「……え、えっ、ちょ――どうして黒煙が消えていっているんですか!?」
芋虫のサイズも、少しだけ縮んでいる気もする……。
だからか、廊下の幅に埋まっていた芋虫が小さくなったことによって、脇に隙間ができた。
いこうと思えば、鏑木は華原の元へ辿り着ける。
「なんでって……そういうルールだっただろ。今更、説明するのは億劫だな……、
悪意に染まって化物へ変化するなら、善意で洗い流せば元の姿に戻るはずだ――」
「それは、そうですけど……ッ。——じゃあそれってつまり、せんぱいは友達を化物に変えられて、あたしに一切、悪意を抱いていないってことなんですかッッ!?!?」
「ん。だからさ、俺のスタンスは最初に言ったはずだろ――俺は曲げたことがないって自負があるぞ? ――理由も聞かずに、否定なんかしない。だから悪意だって、抱かない。
メリィを悪化させたこと自体は許せないことだ……、だけどどんな理由があるのか俺は知らねえし……。もしかしたらお前は命令されただけかもしれない。人質でも取られて、するしかなかったとしたら、お前を責めるのはただ追い詰めているだけじゃないか」
もちろん、華原にそんな裏事情などない。ただ単に他者からの……、特に鏑木竜正からの悪意が欲しいからこそ、メリィを悪化させただけだ。
だけど彼はその動機を知らない。
目的と動機が見えていても、見えている面だけで判断をしないのだ。
「……ただの私利私欲ですよ……、言っているそれは、せんぱいの妄想です」
「かもしれないな。でも、そうじゃないかもしれない」
「ッ、どうして怒らないんですかッ! 事情を知ってから怒るとしても、時間差ができてしまえば満足に怒ることもできないじゃないですかッ!
やられた瞬間に勢いで怒ってしまえばスッキリしたのに、事情を聞いている内に冷めてしまって、いざ理由を知って許せなくなっても、熱量は最初ほどなくて……っ。
不完全燃焼になるじゃないですか!」
「それならそれでいいじゃんか。カッとなったら深呼吸をしろ、それで落ち着くのが最善だろ?
怒っても、良いことなんて一つもねえよ。俺がスッキリしないかもしれない、って言うけどさ……、他者を痛めつけて、スッキリなんてしねえよ」
さらにモヤモヤが残るだけ……、という鏑木の意見に、華原は頷けなかった。
痛めつければスッキリする、ざまあみろと思える……楽しくて仕方がない。
……それを繰り返してきたのだ……、妖精と出会ってから。
「武器を得た最初は、スッキリするだろうけどな……いずれ分かるよ。こんなことをしていたって、なんにも得られないって。
だったら踏み込んでしまった方が、次に繋がるかもしれないって思ってしまえば……、責める無意味さに気付ける。
スッキリするかどうかなんて二の次だ。最優先はどうしたら互いが納得する着地点を見つけられるか。……それが結果的にスッキリすることに繋がるんだろうぜ」
「……そんな苦労をしたがるのは、せんぱいだけですよ」
「まあな。でもさ、俺にはもう、このやり方しか分からないんだよな」
華原湊と同じように。
嫌われることで人から注目されていると思える体になってしまえば、もうそれ以外で満足なんてできなくなる……。
華原湊の殻は、どうしたって破られないように状況が固まってしまっていたのだ。
悪意を集めるために人を傷つけ、傷つけられた人は華原を憎む以外の反応を見せない。
無関心があっても、間違っても好意を向ける人間はいなかった――これまでは。
「お前、自分には悪意しか向けられないって思い込んでるだろ?」
意味が分からない。
だって、悪意を向けられるように仕向けたのだ、百人に仕掛けて百人が憎悪を抱くやり方で……、確実な前例ばかりが積み重なっている。
動機も目的も鮮明にして、分かりやすく相手を傷つければ、誰だって嫌悪を抱く……なのに。
鏑木竜正は、華原湊に向けて、まだ――好意を向けることができている。
告白したから? だって、それだって奈多切恋白から悪意を引き出すための手段であり、人の心を弄んだのだ……、バカにされていると怒ってもいいだろう……怒るべきだ。
先輩として、後輩を注意するべきなのに。
「見た目、言動、悪意、動機と目的――これだけ揃えば、確かにお前に憎悪が向けられるのは当然か。既にカードの切り方に慣れているお前からすれば、悪意を誘発させることも朝飯前だろ?
けど残念だったな、俺には通用しねえ。お前がなにをしようが、俺は、少なくともお前を嫌いになったりはしねえよ」
「……あたしのことを、まだなにも知らないから、ですか……?」
「それもあるが……まあ単純な話だ。お前のあの告白が、俺に関係ない手段だったとしてもさ、俺にとっては結構ドキドキした告白だったんだ……。
はいそうですかで忘れられるわけねえだろ。
頭の中を占めるお前のことを、ただの後輩としてはもう見れねえよ。……友達……でいいか? そうでなければ知り合いか。知り合いなら――放っておくことはできねえな」
「……へ、あえ……?」
「お前はテキトーに言った言葉だったかもしれねえが、こっちはこっちでちゃんと考えていたんだぞ? ……憎悪なんて抱けるか。一瞬でもお前が隣にいることを考えちまったんだ、今になってお前が傷つく顔なんて見たくねえよ」
「あ、の、せんぱい……?」
「だからな、華原。お前は、自分には悪意しか向けられないって思っているかもしれねえが、それは大きな間違いだ、直しておけよ。
少なくとも鏑木竜正という人間は、お前に好意を向けている――」
たとえ肩が噛み千切られようとも、全身の血が流れ出てしまったとしても、町がめちゃくちゃになって、世界が滅亡したとしても――。全世界の人間が華原湊を恨んだとしても、絶対的な味方が隣にいることは、勘定に入れておけ。
それが、鏑木竜正の返事だった。
「――お前を見ているやつが、ここにいるッッ!!」
そして――、
大口を開けた芋虫に、鏑木竜正が飲み込まれた。
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