第14話 カースト変動・クラスメイト
ざわざわしている教室内は、昨日から時間が経っても、やはり落ち着いてはいなかった。
クラスメイトの大胆なイメージチェンジ……。髪型を変えた程度ではなく、まるで別人格を入れ替え、他人の皮をそのまま被せたかのような変わり様に、生徒たちは戸惑いよりも引いてしまっていた……、よく見なくとも校則違反だらけだ。
不良生徒のように周囲へ攻撃的、あるいは、一切関与をしないならまだ安心できるが、しかし彼女の場合は、前例がないので不気味だ。
なまじ以前よりも話しかけてくるし、輪に加わろうとする。
あの『根暗』で、教室の隅っこで俯いたままスマホをいじっていた『陰』な少女が、まさか陽の住人さえも驚く変貌を遂げるとは……。
「みんなのこだわりのメイクのやり方ってあるの?」
休み時間、女子グループの輪に混ざって、華原がそう聞いた。
話しかけられた女生徒は戸惑い半分、恐怖半分……——それもそうだろう、華原のことを『いじめ』ていた女生徒たちだ。
あの時の復讐をしにきた……? だとしたらこのイメージチェンジにどんな意味があるのかを考え……、だけど復讐には繋がらないのでは? としか思えず、困惑が増していく。
「あたし、ネットで見たのをそのままやってみたの。
バカみたいに騒いでいる女って、こんな感じのメイクをするんでしょ? で、男の子に受けが良い髪型とカラーコンタクトをはめてみて……。
あたし、初めてコンタクトを入れてみたんだけど、意外と怖くなかったかな……。別に可愛くなりたいわけじゃないけど、目的があると躊躇もしなくなるんだね」
「……可愛くなりたいって、わけじゃないの……? モテたいってことじゃなくて……?
じゃあ、なんでメイクなんかして、髪型も変えて目の色も……。なにが目的、で――」
「ん? 言わないと分からない?」
ゾッとした女生徒が椅子をガタタッ、と揺らした。
……屈辱である、と彼女の顔に書いてあった。
ちょっと前まで見下し、いじめていた根暗なクラスメイトが、いつの間にかスポットライトを浴びるような見た目と性格で、自分のことを見下していたのだから。
いや、見下している……以上か。
華原は自分を『喰い物に』しようとしているのだと気づき、戸惑いと恐怖のいったりきたりが止まらなかった。
「あたしだって、目立ちたかっただけなんだけど……、好きで部屋の隅っこでじっとしていたわけじゃないもん。
前に出る勇気が出なかっただけ。変わるために、行動を起こす覚悟がなかっただけ――でもね、吹っ切れちゃった。今ならなんでもできそう。
そうだっ、みんなが好きな男の子にあたしが告白でもしちゃおうか? もしかしたらどれか一つくらい、誘いに乗ってくれるバカな男がいるかもね」
「華原ッ、あんたねえ――ッ」
困惑、恐怖を経て、やっと彼女は華原に『嫌悪』を向けることができた。
それこそが、華原が欲しくてたまらなかったものだとは知らずに……。
(あたしが思う陽キャラのムカつくところだけを抽出した見た目と言動……ばっちりね。
仲良くしましょうと近づきながら相手を見下し、優越感に浸る女はそりゃ嫌われるよ――だってあたしが嫌いだし。
……最初は戸惑いしか得られなくて困ったけど、やっと嫌悪まできてくれたかな……そうそう、それが欲しかったの。
嫌悪がないと、悪意がないと――せっかく捕まえた妖精が悪化しないでしょ?)
嫌悪、怒り、悪意――それを受けて、華原が見る世界はこれまでと一緒のはずなのに、百八十度も変わって見えている……。
これまではただ普通に生活しているだけなのに、なぜか相手に嫌われていた……――引っ込み思案な性格が、相手を苛立たせてしまう原因なのだろう――。
理不尽だった。
華原に反撃する力がないから、さらに体を丸めて身を守るしかなかったのだ。
だけど、今はこの手に力がある。
反撃以上に、仕掛けて、仕留める力が。
どうせ嫌悪を向けられるなら、それを使ってやろう。
なんだったら、さらに悪意を集めてやろう――。
見た目と言動を変えれば手軽に集められるものだ。
自分は恵まれている……、元から嫌われやすい、というアドバンテージは、妖精を悪化させることにおいてはかなり優位で始められる。
地球儀型のカゴで妖精を捕まえ、
保護した妖精を悪化させて化物へ変化させる……。
妖精が起こす『誤作動』は、人間を苦しめるが、
そこに華原がやった、という手がかりは残らない。
妖精が見えていない人間からすれば、事故や事件として片づけられる。
人間は、衝動的に動いてしまうものだから……。
そこに全員が納得できるような理屈があるとは限らない。
好きだから殴った、想うからこそ閉じ込めた――、
納得できない動機でも、人間を動かす原動力にはなる。
悪化した妖精は、そういった感情の誤作動も操作できるのだ……。
自身の手を汚さずに復讐を達成させるには、華原を取り巻いていた状況はまさに『合って』いたのだ。手元に武器があって、憎む相手がいて……、返り血を絶対に浴びない保証がある。
そこまで環境が整っている中で、できないと言えるほど、華原は善人でもなかったのだ。
善人なんているわけがない。
覚えている夢と同じだ。
勝手に作ってしまっているだけで――。
(鏑木せんぱいも、そう見えても善人じゃないしね)
人のためじゃなく自分のため。リップサービスだったとしても、相手の懐に踏み込まなければ気が済まないという一種の病気みたいな衝動は、探られたくない側からすれば最大脅威だ。
そこを探り当てることができる才能が、鏑木竜正にはある……。
だからあれは善人じゃない。悪人ではないが……、
じゃないだけで、善人でもない。
「……髪の毛を引っ張らなかったところは褒めてあげるよ」
思わず華原の胸倉を掴んでしまった女生徒が、はっとして手を離す。
これまで華原に直接的な暴力を振るったことはない。傷が目立たないように、を意識していたのだ……。それは目に見える傷に限れば、だ。
心の傷はかなり深いところまで喰い込んでいる……、それを知るのは当人だけだが――。
その傷も、変わるためのきっかけとして消化された。
華原からすれば感謝なのだ。憎む衝動がなければ、きっと自分は今でも部屋の隅っこで体を丸めて、怯えて生活をしていただろうから。
「ご、ごめん、ついカッとなって……」
「いいよ、そのまま憎みなよ。
あたしたち、そういう関係だったでしょ?」
だけど女生徒は首を左右に振った。
「できない」
「どうして」
だって、と小さくこぼした女生徒の視線が上を向いた。
小柄な華原よりも高い身長……。
彼女の後ろに立つ、冷徹には程遠い、感情的になっている一人の女生徒……。
クラスのみならず、全校生徒から注目されている、話題の新入生——奈多切恋白だ。
そんな彼女が華原の肩に手をぽん、と置いて、
「どういうことか、教えてもらってもいいですか?」
「なんのことを言っているのか分からないんだけど」
「テキトーに男を捕まえて告白していることを。もしかしたら告白に乗ってくるバカな男がいるかもしれないって発言もです。……朝の告白は、じゃあ、からかっていただけだったと?」
「あ、見てたんだね」
と、華原は言うが、堂々と見せびらかしていた……。
鏑木竜正への告白は手段であり、あくまでもターゲットは奈多切恋白だったのだ。
彼女から悪意を引き出す。
想い人にちょっかいを出されたら、好意よりもまず優先されるのが、不満だろう?
もしくは嫉妬か。
それとも華原を潰しておきたい悪意か、敵意か――。なんにせよ、感情がマイナスへ向かえば、それらは全て、純真無垢な妖精を悪化させる餌になる。
強弱はどうあれ、人間がごまんといるのだ……数を集めれば悪化の質は上げられる。
全校生徒に嫌われれば、悪化した妖精のさらに向こう側を生み出すことも――。
「人の告白を盗み見るなんて、悪趣味ー」
「いいから、早く説明を」
「説明もなにも、全部、本当のこと。せんぱいのことは好きだし。関わりなんて一切なかったけど、告白したことで気をこっちに向けさせる……目的を手段にした感じかな。
別に断られてもいいのよね。別に、一度きりの挑戦で今後、同じことができないって決まりがあるわけじゃない。告白は何度したっていいわけでしょ?
とにかく、今回の告白であたしのことがせんぱいの中で大きくなった……それで充分なの。あとは毎日、せんぱいに会いにいけば、それが当然になってしまえば、自然と告白を受け入れる体勢がせんぱいの中でできていくのかもね。
汚いやり方だと思うの? なにもせず、もたもたしていた人が、横から掻っ攫われて文句を言うなんて、何様なの?」
「それ、は……」
「はっ、生まれ持った飛び抜けた容姿にあぐらをかいてんじゃねえよ。欲しいものが勝手に運ばれてくると思ってる? 王女様なんですか? ――くすくす、そんなまったりしてるやつが、奪い合いで勝てると思わないことね、氷姫さーま」
どん、と、張った胸で頭二つ分も高い奈多切を押しのけ、教室を出る華原。
「こら華原その髪――」と、注意をしにきた先生を、尾を引いた妖精で黙らせ――、
すると、華原を追いかけ廊下に出てきた奈多切が、
「私、だって、頑張って……っ! あと、この容姿は違、」
「努力ってね、結果が出てから可視化されるの。現状に変化がなければ、努力だと思い込んでいるものは、進み方が分からなくてただもがいているだけにしか見えていないから。
……楽をしているわけじゃないってのは分かったけど、だからって欲しいものを手に入れるために、あんたががんばっているようには見えない。
先延ばしにしている感じ? それとも現状維持が続けば満足?」
痛いところを突かれたように、奈多切が表情を歪めた。
「へえ。そんな顔、するんだ……みんなに見せたかったな」
「華原さん……」
「その氷の仮面、剥がせたのはあたしが最初? だったら嬉しいね、見晴らしが良いし……。
やるべきことが分かっていても動けない腰抜けに負ける、あたしじゃないから」
奈多切からの返答がないと見て、華原が歩き出す。
授業を受ける気分ではなくなったので、このままサボってしまおう……、どうせ辻褄が合うように妖精を使えば処理できる。面倒な学校側のあれこれは全て妖精任せだった。
奈多切に背を向け、教室から遠ざかる華原が上げた腕の先――指の上には、尾を引く妖精が腰を下ろしていた。
彼女に向けられた悪意を喰って悪化していく妖精たちが……校内へ四散していく。
悪意が悪意を生み出し、悪化が悪化を誘発させる。
事故が、事件が、誤作動が、これまでの日常を壊し始めた。
……華原湊にとっては。
この破壊こそ、差し伸べられた手である。
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