第13話 答えは知り尽くした後で
昨日の騒動はちょっとだけ話題になったが、当人たちが気にしていなければ自然と話題も消えていく。
学年が違うと耳に入ってこない情報もあるので、確かなことは分からないが、喧嘩をしていた後輩の女生徒二人は、無事に仲直りをしたらしい。
昨日の大喧嘩が嘘だったように、二人で仲良く登校していた……、あれで胸の内で憎んでいたなら大したもんだ。
同時にゾッともするが……ともかく、表面上は問題なさそうだな。
その表面の裏……、水面下での悪意が最も怖いとも言えるのだが……。
さすがに俺でも、そこには介入できない。一切の関係がない俺が不用意に突くと、悪化させてしまいそうな気もするし……ここは空気を読もう。
なんでもかんでも俺が首を突っ込んでいたら、自力で立ち上がれていたはずの子の足腰を弱くしてしまう……それは本意ではない。
二人の周りにいる妖精が尾を引いていないということは、そういうことなのだろう。
気にして見てはおくが、まあ、心配はいらないようだな。
抜き打ち服装チェックの教師のように校門に立っていた俺も、そろそろ教室へ戻ろうと預けていた壁から背中を離す。
……そう言えば、奈多切とはまだ会っていないな……。
肩の傷は完治したぜ、と言っておきたかったんだが……まあ昼休みでもいいか。
というか、俺の肩の怪我の具合なんてどうでもいいか? ……どうでもいいか。
すれ違った時にでもさらっと報告するくらいでいいかもな――。
「せーんぱいっ」
と、聞き慣れない声がしたと思って視線を横へずらせば……いない。
いや、下か。俺を先輩と呼ぶのが最近は奈多切ばかりだったので、自然と視線を上へ寄せてしまっていたが……、そうだ、後輩なのだから背が低い可能性だってあるのだ。
というかそっちの可能性の方が高いはず……。
俺を呼んだ後輩は、ぴょんぴょんと跳んで目線を合わせようとしてくる。小柄であることを強調したようなアピールだな……、あざといやつ。
まあ、『せんぱい』のイントネーションが甘えたような言い方から分かる通り、狙っているのだろうけど。
左右で結んだ、染めた紫色のツインテール。
瞳にはカラーコンタクトを入れているのか、碧眼だった。よくそれで登校できるよな……、染めた俺が言うのもなんだが、指導室に連れていかれて一発アウトだろ。
黒染めされるし、コンタクトもはずされるぞ……。昨日今日でイメージチェンジをしたのは明白だ。さすがにこんなにも目立つ生徒がいれば俺も気づいていた……転校生でなければ、だが。
「どうしたんだよその髪と目。似合ってるけど、すぐに先生に目をつけられるぞ」
「事情を説明したらすんなりと引いてくれましたよ。学校公認ですね」
そうなのか? まあ、学校側が許可を出しているなら俺が口を出す必要もないか。どんな理由でその見た目がオッケーになったのかは気になるが……、さり気なくスカートも短いし。
染めた髪と光る目にいくので、自然とスカートの丈は見ない。ついでとばかりにうんと短くしたのだろう。歩く度にパンツが見えそうだけど、いいのか?
「見せパンツですのでどうぞ遠慮なく見てください、ほれほれ」
「裾を持ってぱたぱたするな。見せる用でも自分から見せるのははしたないからやめておけ。わざと躓いて見えちゃった、くらいがちょうど良いんだよ」
「なるほど勉強になります」
メモメモ、と呟き、人差し指で字を書く仕草をする後輩……、よく見れば爪も長いし派手なネイルがしてあった。それにメイクも強い。
加工写真とまでは言わないが、綺麗に整えた人形感が強い。ギャルっぽいけど……、ゲームのキャラクターに近いのか?
不気味の谷、に似ている。
「で、なんか俺に用か?」
「あ、あたし、華原湊と言います」
「おう、俺は鏑ぎ」
「知っていますよ、鏑木せんぱい」
そりゃそうか。
声をかけてきたのだから俺のことは最低限は知っているよな。
俺が華原のことを知らなかっただけ……。
後輩に関しては、奈多切の印象が強過ぎてマジで分からないからな……。
目を引く生徒はいるが、さすがに名前まで覚えている生徒はそういない……。
となると、この華原湊は、奈多切の次に覚えた後輩というわけだ。
俺の悪い癖だと自覚しているが、他人の事情に深く首を突っ込むくせに、相手の名前を覚えられないんだよな……。
覚える気がないわけじゃなくて、単純に数が多くてごっちゃになるって意味でだ。
よほどの強烈な個性がないと難しい……——その点、この後輩は及第点には達している。
ここまで突出して校則違反を無視していれば、嫌でも目につくし、覚える。
どちらかと言えば、『忘れられない』が強いか。
「不良生徒を改心させるために、自分も不良になって、髪まで染めて……、成績や学力を下げて付き合い続けたって有名ですよ」
「武勇伝みたいに言われても困るけどな……大したことをしたわけじゃない。相手の言い分も聞かずに生き方を変えろだなんて言えないし、言ったところで素直に聞くわけじゃないだろ?
俺だって、今のこの生き方を、俺のことをよく知らない相手から『すぐに辞めろ』と言われたって、納得いかねえしな。
自分がそうなのにそれを相手に強要するのは違うだろ。まずは全てを理解してから、あらためてこっちの要望を伝える。それでも断られてからが、交渉だ」
相手を理解するなら、相手と同じ土俵に立つ必要がある……そこが最低条件。
「不良生徒だけど、あいつらがなにをしているかなんて、詳しくは知らない。外側だけ見ても分からないから、中に入ってみただけだ。
で、手っ取り早い方法がまず、髪を染めて制服を改造して、あいつらみたいになることだ。形から入るってのは重要なんだ。結構これで、相手も俺のことを仲間だって思ってくれるし」
優等生だった俺が話しかけると、強い警戒をしていたあいつらだが、俺が髪を染めて会いにいったら、あっという間に警戒がなくなった。
しかも俺の成績のことを心配してくれたし……、やっぱり元は良いやつなんだよ。
どこかでねじれただけで――まあ、真っ直ぐな生き方なんて人それぞれ違うけどさ……。
あいつらはねじれたわけじゃないのかもしれない。
あいつらなりの真っ直ぐな生き方だった、のかもな。
それを俺が改心させることで、ねじってしまったのかも……。
その答えが出るのはすぐじゃない。しばらく生きてから分かることだ。
「簡単なことだよ、友達として仲良くなったら、あいつらが自分で生き方を変えただけだ。
不良でいるよりも、真面目な生きた方が得だって答えを出したんだろ」
「なるほど、急がば回れ、みたいなことですね。……ですが、どうしてそこまでできますか? ただのクラスメイトに普通、そこまでできないですよね?
放っておけばいいのに……、構うよりも見て見ぬフリをして、家でだらだらしていた方が楽だって思いませんか?」
「思うよ。でも、もやもやするから消化したいんだよ。あいつらのためってよりは、俺自身のためだな。不良なんか辞めろ、真面目に勉強をして良い大学を目指せ、って言うのは簡単だろ?
周囲が思う、大多数が幸せに近づける安定したルートだって共通認識ができている……そっちに身を任せて流されてみろって、嘘でもいいから言えって思った時にさ、不安になったんだ。
相手の事情も知らないのに、そんなアドバイスをしても的外れなんじゃないかって思ってな。……嘘を吐いても、それは俺の本心じゃないってだけで――言葉は生きるんだ。
無責任なアドバイスはしたくなかった。だからとことん、相手を知ることを前提にしたんだ」
それに、母親の教えでもある。
踏み込んだ人間だからこそ言葉に重さが宿る。上っ面だけを見たやつにテキトーなことを言われてもなにも響かない、と言われて、なるほど確かにそうだと納得したものだ。
だからなにも知らない俺が『それっぽい』ことを言っても、どうせ相手には響かない。だけど、全てを知った上でそれでも答えが変わらずそれっぽいことを言ったら、やっぱりそこには重さが乗っかる。それで否定されたら、それでも満足だ。
俺は、満足したかったんだよ。
疑問を残したくなかったし、ふわっとしたことを置き去りにできなかった。
時間は関係ないが、とにかく深くまで踏み込む。事情を全て理解してから初めて、肯定するにしろ否定するにしろ、権利が得られると考えている――。
ちらり、と華原を見る。
今のところ、お前の容姿に肯定も否定もしないが、もしもするのであれば、遠慮なく首を突っ込ませてもらうが……、それも込みで話しかけてきたんだろ?
「せんぱい、きもいですね」
「それ、誉め言葉だよ。気持ち悪がられてこそ、自分がしていることが並外れているってあらためて理解できるからな。
なんでもそうだ、マイナスに見えてもプラス――プラスに見えているものはそのままプラスだ……、世界はプラスしかねえ。
『きもい』と評価されたプラスは『ずば抜けて』いる証明だ。なにかしらの『オタク』だってそうじゃねえか。アニメでも野球でも鉄道でも勉強にしたってそうだ。一般人に分からないことをすらすらと言えるからこそきもいのであって、それは飛び抜けた結果への高評価だろ!?」
「せんぱい、きも好きです」
「引いたような目で見るなよ、俺は間違ったことはなにも――は? きも好き?」
「きもくて好きです」
「好きですの前につく言葉じゃないだろ……。
しかも好きって……ゲテモノ食いなのか?」
「だから、せんぱい」
華原の足が俺の足を踏んづける。
体重が軽く、力も入っていないため痛くはないが、ただ後ろに引けない――逃げられない。
胸倉を掴まれ……いや、ネクタイか。緩んだネクタイをぐっと引かれて、顔が急接近する。
すっっげえ、香水の匂いがする……これは、柑橘系の匂い……?
「――好き、と言いましたけど?」
耳元で囁かれる言葉で、脳内がショートした……、……好き、すき、スキ……え。
俺は今、肯定されているのか?
「返事はすぐでなくとも結構です。せんぱいはあれですもんね、人の深くまで踏み込まないと答えを出せない人なんですもんね……。
だったらあたしにたくさん関わってください。断るならそれからでも遅くはないですし、いつまでも待ちますから……」
くすくす、と笑う後輩は、明らかに俺をからかって遊んでいるように見えたが……、分かりやすい対応の裏に隠れている真意があるなら、探るしか、答えは見つけられない。
これまで否定をするなら全てを知ってから、と散々、自分が納得できる理屈を並べてきたのだ、今更ここでなかったことにして、なにも知らないまま華原の告白を断ることはできない。
それは問題を問題にしたまま放置して先へ進んだことと同じだ……気持ち悪い。
華原に言い方を借りれば、きもい、だ。
……消化しておこう。
ここで整理しておかないと、一生、引きずることになる。
幸いにも、今の俺に想い人はいないし、他に俺に好意を寄せてくれている人もいないし……、たぶん、だと思うけど……。
だから華原に時間を使っても大丈夫なはずだ。
それに。
仮に他の子に告白されても、華原のことを放置はできない。俺が、納得できないからだ。
受け入れるにしても断るにしても、華原のことを、もっと知るべきだ――。
だから、
「まずは友達から、だな」
「よろしくお願いします。可愛がってくださいね、せーんぱいっ」
―― ――
そして、そんな二人のやり取りを偶然、後ろで見ていた人物がいた。
「…………は?」
少し遅めに登校してきた奈多切恋白だった。
彼女は初めて――、溢れ出る好意よりも、滲み出る悪意が勝った。
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